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 結婚式自体は、とても穏やかに粛々として進んだ。

 豊国祭の期間、精進潔斎しなければならない貴族は王都の屋敷内に簡易の神殿である”祭壇堂”を所有しているのが一般的だ。歴史のある家ほど簡易とは思えない立派なものがあるのが普通で、ある意味ステータスでもある。見せびらかす機会があまりないので、婚姻の儀を神殿ではなく祭壇堂でという貴族は結構多い。

 デルフィーネ家の祭壇堂はなかなか立派な建物で二階席まであり、収容可能人数も多そうだった。

 祭壇の左右に控え室があって、右側からお嫁さんと母上、逆側から僕と伯爵が入り、ずらりと並んだ神官達の前まで進む。

 ここで伯爵が新郎である僕の名前を、母上が花嫁の名前を神様達に報告。

 そうすると神官と新郎新婦による問答が始まる。形式的なもので、新郎新婦はひたすら『誓います』を繰り返すだけ。その誓いに対してそれぞれの神の祝福の言葉を神官達から頂いていく。

 最後にハラーレ様の神官が婚姻の成立を宣言し、ここでようやく花嫁のヴェールを上げることができる。

 もうね、ドキドキしすぎて上の空で。隣のお嫁さんが気になりすぎて問答とか正直よく覚えてないです。

 初めて聞いた声の、緊張して張り詰めた弦のような嫋やかで繊細な可憐さで!

 でも凛とした甘さのない美しい声でもあって!

 こんなに女性の声を真剣に、夢中になって聞いたのは人生で初めてでした。

 ヴェールを上げる時は、伸ばした指先がめちゃくちゃ震えました。

 少し屈んだお嫁さんの、目を伏せた楚々とした表情が表れると、僕はなんだか胸のあたりがグッと詰まって涙が滲んだ。

 中央大陸では誓いのキスとかするらしいけど、そんな破廉恥……いや童貞男にはそんな刺激の強いことは無理です。

 むしろ目を合わせるのさえ気が遠くなりそうです。


 お嫁さん、すごい美人だった……!


 美人は母上で見慣れてると思っていたけれど、身内とは別腹なんだなとすごく思いました。

 多分一般論を語るなら母上の方が美形なんだろうけれど、こう、内側から光が溢れてくるような感じというか!

 結い上げた栗色の髪も柔らかい光が差していて、項にかかるクルリと巻いた後れ毛が光に透けて金の綿毛のようなところも、緊張してかちょっと強張った表情の中で果実の艶を思わせる赤い唇の鮮やかさも、伏せた睫毛の向こうに見える木漏れ日の煌めきが踊るような緑の瞳も……


 「んんっ」


 咳払いにハッとなる。

 女神ハラーレの神官様が、とても優しい目で僕を見ていた。

 僕は慌てて前に向き直り、跪いた。

 花嫁に見惚れて式が中断とか恥ずかしい!

 うわぁ、即席のヘボ詩人になってしまったし、なんだこれ!


 隣でお嫁さんも跪くのを確認してから、神々への感謝の言葉を述べた。

 定型通りの文言で良かったと思う。

 そうじゃなかったら何を口走ったか分からないよ、まだお帰りにならないヘボ詩人が。

 だって、びっくりするほどさっきから世界が輝いて見えるんだ。

 

 本当にびっくりだよ。

 僕って実は面食いだったんだな。



 お祖父様は式が終わるとすぐにお帰りになられたから、僕たち新郎新婦は主役として挨拶に次ぐ挨拶、社交辞令なのか本気なのかのギリギリを攻める感じのご招待や訪問の打診を義父上の様子を見ながら捌いた。

 こういう生まれなので人の顔色をうかがうのは得意です!

 家として交流は持つが深く関わりたくない相手っぽい場合は義父上に丸投げしたので、きちんと主体的に僕ら夫婦が交流すべき相手のみ記憶する。

 全部この場で記憶できる程、僕の脳は優秀じゃないからね。

 僕がデルフィーネ家に入るのはまだ先だし、当面はアルマ子爵夫妻としてやっていくからヴェルナ家の庇護下になるし、追々で良いかなって。

 デルフィーネ家として最低限必要な交流なんかは、スケジュール管理している家宰に聞けば分かるものだしね。


 それでですね。

 肝心の新郎新婦である僕らは、披露宴の間中一緒だったにも関わらず一言も言葉を交わせてないわけですよ!

 お嫁さんは見本のような美しい微笑み浮かべて、頷くだけなんですね!

 何度か飲み物を勧めてみようかなとか、疲れていないか声を掛けようとしたんですけど!

 その度にきっちり仕事をしてくれる侍女さんがすかさず飲み物を提供、または化粧室に中座を促すというね!

 素晴らしい侍女さんです! 文句なんて言えません!


 ……それに、なんだかお嫁さんから話しかけるなオーラが出ているような気がする。

 やっぱりあれかな。落胆されたのかな。

 お嫁さんも面食いだったら、がっかりだよね……。

 顔ばっかりは、もう諦めてもらうしか無いからなぁ。

 うん、顔以外のところを好きになってもらえるように頑張ろう。


 夕暮れに差し掛かると、まだパーティーは続くものの新婦の習いとして早めに退出することになった。

 本格的な引っ越しは後日ということで、最低限の荷物だけでお嫁さんは一足先に僕の両親とヴエルナ侯爵家に向かった。

 僕の方は今度はエドワード兄上の方の挨拶回りに付き合う。うちはあんまり人脈作りに熱心じゃないけど、それでも僕を介して家と家が繋がったのだから兄夫婦は当主夫妻としてしっかり社交しないといけない。

 お嫁さんと別行動になって、僕は幾分冷静さを取り戻した。

 なんでそう思ったかというと、今更だけどお嫁さんのお母上にお会いしていないことに気付いたからだ。義父上の隣にいるべき人が居なかったことに、全く違和感を覚えなかった自分のマヌケぶりがすごい。


「兄上たちは、デルフィーネ伯爵夫人にはお会いしましたか?」

 

 挨拶が途切れたところで聞いてみると、普通に勿論だと言われた。


「え、本当ですか? 僕、まだご挨拶していないんです。どちらにいらっしゃるか分かります?」


「もう帰られたのじゃないかしら。式の前にボーダル男爵とご一緒にご挨拶頂きましたけれど、体調が優れないご様子でいらっしゃったわ」


 義姉上の気遣わしげな言葉に驚いて、思わず義父上の姿を探した。どれだけ周りが見えていなかったんだ。

 娘や孫の晴れの日に途中で帰るなんてよっぽどだ。お身体は大丈夫なんだろうか。ボーダル男爵にもお世話になったのに、お会いできなかったことが悔やまれる。


「心配しなくても、後日きちんと伯爵が場を作ってくれるだろう」

 

 兄上はそう言ってから、小声で今日はデルフィーネ家の親族が勢ぞろいだったことを考えろと付け加えた。


 ああ、そう言えばそうだった。夫人にとっては居心地の良い場所じゃ無いよなぁ。勿論男爵にとっても。

 なんとなくだけど、この時僕は居心地が悪いとかそういうこと以上の何かがあるような気がした。気付かなかった僕が言うのもなんだけど、あまりにも夫人が居ないことが当たり前だという雰囲気が、漠然とした気味の悪さを感じさせたんだ。


 その後、好きにフラフラしていたユーグも回収して兄夫婦と一緒に義父上にお暇の挨拶をし、帰途についた。ミラン兄上はこのまま伯爵家に泊まって義父上との旧交を温めるらしい。

 馬車の中、他人の目がなくなるとどうしても気も緩むし空気も緩む。さっきまで真面目な顔を取り繕っていたユーグが真っ先に崩れた。

 クラバットを外してシャツを寛げる。義姉上は顔をしかめていたけれど、言っても無駄だと思ってか何も言わない。

 ユーグは冷たい印象の美形の兄上と、柔和な印象の癒し系美人な義姉上の良いとこどりをしたタラシだ。


「お前、本当に婿に出ちゃったなあ」

「なんだよユーグ。どうせ僕は行き場がなくて独身貫くとか思ってたって?」


 僕がムッとして睨むと、ユーグは飄々とした様子で気怠げに笑った。

 悔しいけどそんな様子も色気も滴るいい男だ、ちくしょう。

 僕が女だったらコロっといっちゃいそうだと想像できるだけに悔しさ倍増だ!


「まー良かったじゃないか、マリア嬢美人だったな」


 僕は戦慄した。


「ユーグは近付くな。見るな。汚れる!」


 ふざけんな、マリア嬢は僕の天使だ!

 絶対堕天させてなるものか!


「心の狭い男は嫌われるぞ」

「色々ゆるい男よりはマシだと思うんだよね!」


 というか、いい加減僕を言い訳にしてフラフラするのはやめて欲しい。ヴェルナ侯爵家の跡継ぎは最初からずっとユーグで、僕は一度だってそういう目で両親からも兄夫婦からも見られたことはないんだからさ。

 

「ユーグ」


 そんなことをモヤモヤ考えていたら、兄上がユーグの名を呼んだ。

 説教前の呼びかけみたいな雰囲気で。


「今期中に決めなさい。でなければ私が決める」

「はいはい」


 重々しい雰囲気の兄上に対して、ユーグはどこまでも軽い。

 こいつ本当に分かってるのかな?

 むしろユーグに任せておいて良いのかな、兄上が決めたほうが良いような気がするんだけど。ちゃんと手綱を取れるしっかり者のご令嬢とか。


 そんな感じで帰り着くまで緩く身内同士の会話を散発的にしつつ、だんだん落ち着かなくなる気持ちを誤魔化していた。


 初夜です。

 キスさえしてないのに、初夜です。

 むしろ目も合わせてないです。

 会話もちゃんとしたことありません。


 なんという段階すっ飛ばし加減、卵から幼虫時代も蛹時代もすっ飛ばして交尾しろと言われた蝶々の気分です!

 意味わからないよね、昨日ミラン兄上の話に付き合わされてたからつい!

 いや、結婚する前に話しておきたいことがあるとか真面目な顔をされたからこっちも真剣に聞いたんですけど!

 よく見られる蝶の代表格、モンシロチョウについての講義を聞かされました!

 卵から蛹まで一ヶ月、蛹から成虫まで二週間、成虫のオスの寿命は十日。

 大体こんな感じらしいんだけど、蝶生約五十から六十日として、その大半を成虫になるために使い、最後の約二割の期間で恋に殉ずるのだということを力説されました。

 潔くも苛烈な虫界には老後などないそうで、ミラン兄上の情熱をいたく刺激するポイントらしいです。

 本来子孫を残すことは命懸け、お前も燃え尽きるほどの心意気で励めと言われた僕はどうすれば。

 すごく応援されているのは分かるんだけど、ミラン兄上は一体僕に何を求めているんだろうか。

 命懸けとか、そんな胃が痛くなるような結婚生活嫌だ。

 僕は穏やかでささやかな幸福に満ちた結婚生活がいいですし、できれば長めの平和な老後が希望です。

 燃える様な恋とかならまだしも、燃え尽きるのは目指したくない。正直燃えるような恋も遠慮したいくらいだ。

 激しく燃えるということは、あっという間に燃え尽きるということだよね?

 そんなのもったいない!!

 僕は祭壇用の長い蝋燭みたいに、ジリジリゆっくり小さな炎で燃えていたいです。

 

 まあそんなわけで、とにかく初夜です!

 ユーグには別れ際、気負い過ぎて勃たないとかならない様にな、とかニヤリとされて殺意が沸きました。


 そんなこと言われたら、本当にそうなりそうでめちゃくちゃ不安になるだろうが!!



「ぼっちゃま、おめでとうございます」

「うん。その、彼女はどうしている?」


 離れで出迎えてくれたロウィー達使用人に口々に祝福されて、僕は照れ臭くて誤魔化す様にお嫁さんの様子を聞いた。

 実際気になってたし。


「お疲れのご様子でしたので、先に湯浴みと軽食をお勧めいたしました。今は仮眠を取られておられます」

「父上と母上は?」

「既に本邸へ」


 うちの両親がお嫁さんとどんな話をしたのかちょっと気になってるけど、というかお婿さんの僕より両親の方が親密な時間を過ごしてるってどうなの。

 一緒に馬車の中ってとっても距離が近いよね!?

 なんだろう、この除け者にされた気分。


 ロウィー達の手で流れる様に軽食からの湯浴みを済ませ、ほっと一息ついていたところに、あの出来る侍女さんがやってきた。

 ええと、確か名前はカチェリナ。スヴォーロフ子爵の三女だっけ。


「若奥様のお支度が整いました」


 若奥様!

 すごく! いい!

 なんだか感動する!

 僕の奥さん……!

 お嫁さんも良いけど、奥さんもすごく、いい!


「ありがとう」


 色んな意味で!

 まずはちゃんと奥さんと会話しよう!



 ……と、とても意気込んでいた、そんな時もありました。


「最初に言っておきますわ。わたくしは貴方に愛を求めません。義務だけしっかり果たしてくだされば結構ですわ」


 初めて奥さんからもらった言葉は、どこかで聞いたセリフだと思った。

 ただし性別は逆だけれども。母上お気に入りの芝居演目にあった気がする。

 モテすぎて女嫌いをこじらせ、初夜に嫁に対して愛さない宣言をする男なんぞ死ねばいいのに。

 そしてその健気な嫁さん僕にくれ!と心の中で叫んだことを思い出す。


「わたくしは跡取り娘として領地の経営なども出来るように十分教育を受けて来ました。貴方に期待することは尊いその血を我がデルフィーネ家に混ぜることだけです」


 つまり種馬になること以外の余計な真似はするなと。

 まあ確かに血筋以外に僕の価値っていったらちょっとしょぼい。

 いやいや、無いわけじゃないんだし、卑屈になったらダメだ!

 しょぼいけどあるよ!

 真面目だし、素行は良いよ! 

 騎士学校だって真ん中よりは上で卒業したし、多少ボヤけているけど顔立ちも角度によってはそこそこだし、一代限りだけど爵位持ちだよ!

 

 うう、自分で主張してみて悲しくなってきた……!


「貴方様には今まで騎士として勤めた蓄えやアルマ子爵領の収入もおありでしょう。

 ですので隠れて“おいた”をする資金はそちらを使っていただいて構いません」

「隠れておいた……」

「義務さえ果たしていただければ、愛人でもなんでも好きにしてくださって結構です。ただし、社交界にその噂が流れるような下手は打たないでください」


 いや、分からなかったわけではなく。ちょっと斬新だったというか、十六歳の新妻が言う言葉じゃないなと思っただけで。


「では、よろしくお願いします」


 無理です。

 だって、マリア嬢。


 君、震えてるじゃないか。


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