15
我がグレイスリー王国は、元は海を隔てた現在のエトワールから分かれた国なんだ。
約六百年前、当時の政争に破れたとされる王子の一派が祖国を追われてたどり着いた先がグレイスリー準大陸で、この時にメディーカ教の神殿関係者も数多く一緒に海を渡った。だから言葉も似ているし、文化も似ている。エトワールの人からすると、古語を喋っているように聞こえるらしい。
エトワールのある中央大陸でも今もメディーカ教は広く信仰されている。
けれど別物と言わざるを得ないくらい違ってしまった部分もあって、結婚式も一部かなり独特だったりする。あっちで独自に変化して行った部分もあるし、こっちが先住民族の土着の宗教や文化を取り込んだりもしたから。
例えば今は中央大陸では花嫁が身に着けるものは乙女を表す白や無色が良いとされ、宝飾品関係は水晶、真珠、金剛石が基本だ。
うちの国でも二百年前に国交が結ばれてからは中央大陸の影響を受けて白も人気だけれど、伝統的な婚礼衣装だと色とりどりの刺繍を施す。これは海を渡った当時は中央大陸でも一般的だったそうだ。
当時とも違うところは、土着の宗教の影響で色のある宝石や貴石を身に着けることかな。色鮮やかな石は地母神の祝福を受けた枯れない花であるとされ、繁栄や子宝を約束する縁起物として欠かせないものなんだ。
当初、人数的に先住民族の方が圧倒的に優勢であり、彼らの性格が温和だったこともあって先祖は積極的に婚姻政策で有力氏族を取り込み、文化的な侵略を選択した。でも、先祖は婚姻についてはかなり先住民の伝統を尊重したんだ。結果的にはこの判断が婚姻政策による取り込みを加速させ、後々文化的侵略を促進させたからこちら側にとっては英断だった。
それで特に何が独特かというと、花婿の付き添いは花嫁の父が、花嫁の付き添いは花婿の母が務めるというものだ。
先住民の伝統では、父親が娘が幼いうちに見どころのある若者を探し出し、その両親に掛け合う。嫁に出すにはそれ相応の財産が必要となるので、両家で話がつけば婚約となり、だいたい五、六歳で娘は相手の家に花嫁修行に出される。娘は実質的に将来の義理の母に教育、養育されるってことだね。先住民を嫁にもらうなら文化的侵略がすごく捗る状況だよなあ。一方で、先住民側に嫁を出す場合は出産可能な年齢になってからという元の慣習から大幅に譲歩した体で、十歳前後で出す条件を飲ませたりした。それも持たせる財産が大陸式で建築した家とかね。
十歳じゃ、貴族なら一通り基本的な教育は終わっているからなあ。
とっくの昔に純血の先住民なんて残ってないし、すっかりその辺は過去のことになってしまっているけれど、その名残が婚姻の儀式には残っているんだよね。
つまり、ものすごく気まずいんです今!
マリア嬢のお父上と控室に二人っきりです!
マリア嬢ともお式で初対面ですが、デルフィーネ伯爵とも先ほどの玄関ホールでの騒ぎが初対面で。
先に控室にいた伯爵が名乗って下さって、こちらも自己紹介して、着席してからの無言地獄。
だからと言って目を逸らすわけにもいかない!
礼儀上、こちらから話しかけるわけにもいかないし。
仕方ない、もうこうなったら開き直って伯爵をじっくり観察しよう!
うん、若い。
どうしても僕の父と比べちゃうからかな。いや、どっちかっていうと兄上たちと同世代だからだろうな。
柔らかそうなアッシュブロンドに青味を帯びた緑の瞳だ。マリア嬢の瞳は伯爵に似たのかな。
兄上たちが線の細い優男系の美形だとすると、伯爵は美丈夫って感じだ。気難しい印象を受ける眉間の縦皺もあって、武人みたいな雰囲気がある。
あとちょっと髪は薄い。若い頃ご苦労されたからかな。
ミラン兄上とは乗馬が縁で友人になったって聞いたけど、馬、お好きなのかな。
「君にとって、ミランは良い兄か?」
「え!? あ、ひゃい!」
し、死にたい!! 噛んだし! まるっきり子供みたいな受け答え!
死にたい!!
落ち着け落ち着けー!
良い兄エピソード! ミラン兄上の良い兄エピソードって何!?
ええと……馬! 馬で何か! あ!
「その、僕の馬はロックというんですが。メイベリースとユリシーズ三世の息子に当たります」
「どちらも名馬だ」
メイベリースは優美で美しい姿に輝く雪原のような白を纏う牝馬で、王家から母上に再婚祝いに贈られた。ユリシーズ三世もまた王家の馬で、伯父上の馬だ。すぐに分かったってことは、やっぱり馬がお好きなんだな。
「はい。ですけれど、ロックはどちらかというと農耕馬に近いような、太めの足とずんぐりした胴体で。細身の美しい姿には生まれなかったんです。色も凡庸な栗毛でしたし」
「ほう」
「僕が十の時に生まれて、騎士学校の入学が近かったので、すぐに僕の馬として与えられらました」
騎士学校に入るのに必要なものとして、一番高価なのが馬。しかも二歳以下の若い馬が必要なんだ。それでロックなんだけど、これがもう……。
僕は当時を思い出して、ちょっと遠い目になった。
「ロックはとんでもない暴れん坊で。気性は荒いし、すぐ蹴ろうとするし、噛みつこうとするし、正直持て余していたんです。
騎士学校では僕の外見も含め、ロックの外見や気性も揶揄いの良い的になってしまって、情けないことですけれど逃げ帰りたい気持ちで一杯でした。
それでミラン兄上に手紙を出しました。生き物のことならミラン兄上というのが我が家では当然だったもので、ロックのことを相談したんです。
ミラン兄上の返事はこうでした。ロックは先祖返りの誇り高き戦馬だ、重量のある全身鎧を纏って槍を持った騎士を乗せてもびくともせず、敵陣を切り裂く勇猛果敢な性格と堂々たる体躯の戦馬である。長く平和の続くグレイスリーで騎士を志すなら、ロックに学べと。世話をして従えようとするのではなく、教えを請う弟子になると思えと。それから騎馬民族の国ギルカントで名馬とされていた部族長の馬の絵を送ってくれました。これがびっくりするほどロックに似ていたんです」
ミラン兄上は当時から既に外国に行きっぱなしだったので、返事が来るまで半年かかった。
本当に長かった。
でも、うちの国と割と交流が盛んなディリア王国にいたから半年で返事がきたけど、秘境とかにいたら年単位かかっただろうから、今思うと運が良かった。
ミラン兄上から返事が来るまではって必死で耐えたけど、多分今までで一番辛かったのはあの時期だなぁ。
正直ミラン兄上に上手くのせられた気がしないでもないけど、あの手紙はまさしく天啓のように僕を救った。
とにかく馬といえばギルカント、ギルカントといえば馬!みたいな有名な国の名馬がロックにそっくりっていうのは大いに僕を勇気付け、生き物に詳しいミラン兄上の力説は見事に瀕死の僕をその気にさせた。
揶揄う奴らみんなロック師匠の価値が分からないなんて可哀相だな、なんて一転上から目線で。
そう思うと辛く感じなくなったあたり単純すぎるだろう、子供の頃の僕。
そんでもって所詮はその程度のイジメだったわけで、それで逃げ帰りたいとか世界一辛いとか思ってたなんてとんだ甘ったれだったよ、恥ずかしいなあもう。
「なので手紙をもらった翌日から僕はロック師匠と呼び名も変え、蹴られてもむしられても頑張って耐えて世話をしました。単純ですけれど、兄上の言葉に励まされて周囲の雑音も気にならなくなりましたし。
時間は掛かりましたけれどロックも根負けしてくれて。でもロックにとって僕は今も不肖の弟分みたいですね。僕の方は尊敬できる親友と思っているんですが」
そろそろ髪をムシャッとやるのだけは止めて欲しいんだけどなぁ。本当に食べちゃうわけじゃないから、じゃれ合いのつもりだとは思うんだけど。
そろそろ頭髪が薄くなるのを気にする年頃になりました。
「そのようなわけで、あんなに絶望的だと思っていたロックとの仲は兄上のおかげで無事に取り結ばれまして。困ったところはあるものの、ロックは僕の大事な相棒です」
「君は思ったよりよく喋るな」
突然の突っ込みに僕は慌てて口を閉じた。
ひ、一人で喋りすぎたー!?
「ミランもよく喋る」
ええと、確かにミラン兄上は僕よりよっぽど口が達者だと思います。
無表情に見えた伯爵の顔が、少しだけ柔らかくなったような気がした。
「君を婿に望んだ一番の理由は、個人的にはミランが可愛がっている弟だからだ」
えっ。
予想外すぎる言葉に固まっていると、オルガンの音色が聞こえてきた。
その音色に伯爵がさっと立ち上がって一言。
「時間だ」
「あ、はい!」
なんだその、つまり、ミラン兄上が好きだから、そのミラン兄上の弟だから、マリア嬢の婿として迎えたいと。
いや、僕ミラン兄上とはあんまり似てないと思います!
あの一件以来、結構頻繁にミラン兄上とは手紙のやりとりをしてきたから言えるけれど、控え目に言って変人ですし!
でも、僕もミラン兄上大好きですよ!
この、ちょっとぶっきらぼうだけど、あのミラン兄上の良さが分かる人がもう一人の僕の父になるんだ。
そう思うと、なんだかくすぐったいというか。
うん、嬉しい。




