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 マリアは失礼にならない程度に、話し掛けてきた相手の様子を観察して微笑んだ


「あなたのドレスも素敵ですわ。ペルージ産でしょう?」

「ふふ、分かりまして?」


 飴色の髪に、それより少し濃い茶色の瞳をした令嬢は、値の張るペルージ産シルクのドレスを着ていた。目が大きく、マリアに比べると幼い印象を受ける。

 デビュタントの衣装で大事なことは、どれだけ細かく美しいドレープを設えられるかに尽きる。昨今流行りのドレスのようにスカート部分を大きく膨らめたり、腰を締め上げるコルセットや装飾的で派手な袖のデザインが無かった古の時代、お洒落といえば一枚の布からどれだけ美しいドレープを作れるかであった。

 薄い布地で繊細に作り出されるひだと、それを保ち、美しく際立たせる飾り帯や縁飾り。単純な作りゆえに、素材の違いや使われる生地の量で差が出やすいのだ。

 特に生地の量はかなり重要である。

 何しろ一度しか着ないデビュタントのドレスは、必然的に仕立て直しする未来が決まっている。より細かくより深い襞は家の豊かさと娘をどれほど大事にしているかを推し量る上で重要であった。伯爵家以上の上級貴族だと、ドレス二着に仕立て直せるほどのシルクが使われるのが理想的だ。

 マリアのものは、仕立て直すドレスが布量が少なくて済むデザインならば、確かに三着分にもなりそうではあった。少々行き過ぎとも言えるかもしれない。

 マリアが細身なのもあってシルエットがシンプルなのでそうは見えないが、かなり重かった。


「ドロテア・マグナーと申します」


 相手の名乗りに、そうとは表に出さなかったがマリアの全身に緊張が走った。


「マリア・デルフィーネと申します」

 

 貴族年鑑の暗記は必須の教養である以上、これでマリアの出自がこの場で知れ渡った。

 意外そうな光をドロテアの瞳にわずかに確認し、マリアは次の反応に備えた。

 家格に差はあれど、デビュタント自身が爵位持ちであることはない。成人していることが爵位継承の要件だからだ。基本的にデビュタントたちに上下の身分差はないというのが建前である。

 そして跡取り娘でもない限り未婚の令嬢の場合結婚相手によって家格が変わるのだから、女性同士で友誼を結ぶ場合は家の身分を口に出さないという不文律がある。社交界で正式に紹介される場合は別だが、こうした裏舞台や、格式のあまり高くない気軽なお茶会などでは話しかけた方から名乗るのが礼儀である。

 そうして名乗り合い、お互いに相手の家の爵位を心の中で確認するのだ。

 マグナー子爵家。奇しくもマリアと同じ、婿取りをするひとり娘だ。

 なるほど、だからペルージ産なのかとマリアは納得した。

 ペルージ産のシルクは美しいが、欠点として他のシルクより染まり難い特性がある。そのためデビュタントでは仕立て直しを見越してペルージ産は避けることが多いが、金の光を帯びるペルージ産シルクは花嫁のシルクとして人気がある。婿取り娘は幼い頃から婚約者がいるのが普通だし、総じて早婚だ。


「もしかして結婚が近くていらっしゃる?」

「ええ。ユノス派の神殿でお式を挙げるから大した手直しも必要もないですし。憧れでしたのよ、この淡い金色のきらめきが」

「素敵ですわね。わたくしの婚礼衣装はレースにこだわったものになりそうですわ」


 古い戒律を厳しく守るユノス派の神殿というと、エショラス神殿あたりだろうか。こちらの系統だとレースよりも隙間の無い純正な刺繍が好まれる。マグナー子爵家も古い家なので、伝統的な刺繍で色彩的に随分と華やかなものになるのだろう。

 首尾よく知り合いができかけ、少しホッとしていたところに不愉快な囁きが耳に入った。


「下品ね。量が多ければ良いというものでもないでしょうに」

「仕方ありませんわよ、そういうお生まれですもの。でも最上級のシルクがあんな野暮ったいドレスにされるだなんて、可哀想」


 ヒソヒソと、しかし確実にマリアに向けた発言だと分かるように囁かれる陰口。早速洗礼を受けたマリアだったが、この程度どうと言うことは無かった。 

 気づかぬふりで扇子を広げ、そっとそちらを視界の隅で確認はしたが、他愛ないことだと無視した。

 三人の小さな集団の中心にいるのは、マリアがいなければ一番ドレスに金をかけていそうなご令嬢だった。少しでも他より抜きん出ようとしてか、控えめながらチュールレースを縁飾りの周囲にあしらっていたはずだ。おそらくあのご令嬢の家は裕福だが、比較的新しい家だろう。この部屋に入った時からマリアに対する品定めが始まっていたように、逆もまた然り。


「レースもこだわりがいのあるところですけれど、今日の装いには控えなくてはならないでしょう? あなたのこだわりは刺繍にあるように見えますわ」


 ドロテアは陰口など聞こえなかった様子で、飾り帯の刺繍へと話題を移す。

 それを受けて、マリアはドロテアににこりと微笑んだ。


 レースにも確かに長い歴史があるが、わが国ではチュールレースは比較的新しい文化である。中央大陸から逃れた王族の系譜であるわが国では当時の主流であった技法のレースしか伝わっておらず、しかも当時のレースの技術は実用的な側面が強く、洗練されたものではなかった。それ以降中央大陸で発展したレースについては大陸との交流が本格化した二百年ほど前までは殆ど知られることはなかった。

 伝統や仕来りにうるさい古風な貴族にとって、神話を起源に持つ儀式の衣装に比較的新しい外来文化を取り入れることは許しがたい行為なのだ。


 これは助け舟と見て良いかしら?


「ええ、なかなか苦労しましたけれど」

 

 マリアは自ら刺した飾り帯の精緻な刺繍を誇らしげに見せた。この飾り帯は刺繍の師に何度もやり直しをさせられながら、二年掛けて仕上げた努力の結晶だ。


「見事ですわね、ため息が出てしまいますわ。お恥ずかしながら、わたくしは少し簡略化したものにしてしまいましたの」


 そう言うドロテアの飾り帯の刺繍も、なかなか見事であった。古い家には家紋の他に代々伝わる守り紋というものがある。その多くは古代の象形文字に起源を持ち、神殿の壁に刻まれたレリーフにも通じる。それぞれ意味があるのだが、神の加護を願う刺繍は願掛けの要素もあって秘される事が多い。


「あなたの方こそ素晴らしい腕ですわ。アルオス神に所縁のあるものとお見受けしますけれど、その複雑さはとてもそのようには見えませんわ」

「褒めてくださって嬉しいですけれど、本当に簡略化されたものですのよ。さすが技芸の守護者たるアルオス様と言ったところかしら。元の図案は気が遠くなりましてよ」


 ドロテアは少し驚いたように目を見張り、それから苦笑交じりに扇子の陰で笑みを浮かべる。

 守り紋から所縁の神を言い当てるのは相当の知識がなくてはならない。マリアも守り紋によく使われる神のものはなんと無く分かるが、全ては到底把握しきれない。アルオス神はそれほど有名では無いが、刺繍の師が詳しかったので分かったのだ。

 もう陰口は聞こえない。

 最初としては上出来の方では無いだろうか。己の立ち位置を上手く印象付けられたように思う。古風で厳格な家に育てば、その交友関係もそれに準じたものになる。女性同士の付き合いにおいて共感は大変大事だということは、マナー教師のエットル夫人に教わった。

 伯爵はマリアを教師たちを通じて古風に厳格に育てた。同時に一般的な多様性として他家の事情も合わせて知識として教えられた。伯爵という地位は上級貴族の中では一番下であり、それだけ数も多い。その下であればもっと数が多い。それだけに台所事情から家庭内の規律まで様々な格差が存在する。社交界においては、それらをなるべく表面化させないよう何方にも居心地の良い場を保つのがホストの役割であり、ゲストはその心配りに敬意を払わねばならない。

 つまり、機知に富んだブラックジョークでもない限り紳士淑女の世界ではあからさまな陰口はご法度である。

 ドロテアにマリアが名乗った時点で、マリアの半分の血については知れ渡った。それだけならマリア個人が警戒されるだけなのだが、それを侮りやすし、不文律を犯して陰口を叩いても良い相手とマリアを見下したなら、浅はかというものだ。

 血など関係なく、淑女を育てるのは家と環境である。ドロテアの助け舟が無くとも、価値を下げたのは陰口を叩いた彼女らのほうだ。ドロテアとマリアの会話をよく理解できる者は、彼女らと積極的に交流を持とうとは思わないだろう。

 その後、新たに加わったドロテアの友人だというキャサリン・ゴズウェルという伯爵令嬢と三人で歓談した。

 舞踏会場へと移動する時間来た頃には、まだ探りながらの状況だがだいぶ打ち解けた。ドロテアとキャサリンであれば今後の交流にも期待ができるだろうと思うと同時に、義妹(仮)を受け入れてくれそうかどうかも注視していかねばと決意した。



 舞踏会が行われる広間の前室にて二人に別れを告げ、父の元に向かう。


「一緒にいたのは?」

「マグナー子爵家とゴズウェル伯爵家のご令嬢ですわ」

「……そうか」


 父の無表情からは何も読み取れないが、マリアが交流を持つのに不適当ということは無いようだ。

 そのまま父のエスコートで広間へと向かう。

 通常の舞踏会と違い、一斉に伝統的なワルツを一曲だけ踊るだけなので時間的にも短く、パートナーも父親や兄弟などの後ろ盾となる親族と決まっている。

 あくまでも国王陛下から祝福を受けて成人と認められる儀式であるため、参加者もデビュタント以外は見届け人として各貴族家から有爵者夫妻が参加するのみである。そのため通常の舞踏会と比べて地味で堅苦しい。飲食も豊国祭の間であるため、精進潔斎の延長で水、果実水、焼き固めた木の実のビスケットくらいしか出されない。

 ただ、格式の高い王宮の舞踏会で踊れる機会がもう二度とない娘も少なくない。しかも昼に催される舞踏会はどの娘もデビューの時の一回きりである。緊張と興奮に包まれた最初で最後の真昼の舞踏会は、多くの娘にとって別名光の夢とも呼ばれるほど瞬く間の忘れ得ぬひと時であった。

 厳格に取り決められた順番通りにデビュタントとそのパートナーが並ぶ様は、なかなかに壮観である。準備が整ったところで国王陛下が入場され、御着座と同時にワルツの前奏が始まり、一斉に礼を取る。二度目に繰り返された前奏部分で再び立ち、皆が緊張しながらも身に染み付いた優雅さでパートナーのリードに身を任せるのだ。

 ワルツの音楽に合わせてドレスの襞が花開くように広がる。マリアはドレスの重さに若干振り回されるような感じを覚えるが、流石に父のリードは揺るがなかった。

 父と踊るのは三度目であったが、先ほどの謁見よりも緊張する。体は勝手に動くが、足元がふわふわとして少し心許ない。


「よく聞きなさい、マリア」

「はい」

「お前は明日から伯爵家を離れることになるが、決して取り乱すことなく今まで通りに過ごすように」


 マリアは一瞬なんのことか分からなかった。

 婿をもらうのに、マリアが伯爵家を離れるとは一体。

 黙るマリアに何を察したのか、父はいつもの無表情を変えることなく続けた。


「心配することは無い。どこに出しても恥ずかしくないようこの私が育てた。お前を責める者があれば、それは私の咎だ。お前に責はないと覚えておきなさい」

 

 マリアは言われた言葉に驚き、父を見つめる。

 父の冷徹な視線はいつも恐ろしかった。家にとって疵のない娘であればそれでよく、そこから外れれば容赦無く切り捨てられるのではという焦燥感は常にあった。

 それもまた、真実なのだろう。けれど、それだけでは無かったのか。

 湧き上がる感情に、マリアはどう対処したら良いか分からず戸惑った。


「……わたくしを、誇りに思って下さいますか?」


 衝動的に口から出た問いには答えてはくれなかったが、父が動揺したのは分かった。

 不自然に目をそらして聞こえなかったふりをしていたから。

 お伽話のような優しい両親はマリアにはいないけれど、マリアに必要なものを与えてくれた父の存在の大きさを改めて感じた。

 父が言うなら、確かにマリアは明日伯爵家を出て行くことになるのだろう。それがどう言うことなのかマリアには分からないが、マリアが不幸になるようなものではないというのは根拠もなく確信できた。

 デルフィーネ伯爵家の娘に生まれたこと、心のうちで神に恨み言を唱えたことは一度や二度ではないけれど。

 少しだけ、父を知りたいと思う気持ちが生まれた。

 伯爵としての父ではなく、一個の人間としての父を。


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