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豊国祭の最後の締めとして行われるデビュタントのための舞踏会は、例年どおり天候にも恵まれて恙無く開催された。普通の娘であれば、デビュタントは一大イベントであるが、マリアの場合翌日にもっと大事なイベントが控えていたため、そちらに気を取られて緊張する間も無く、気がつけば謁見の順番がもうすぐのところまで来ていた。
髪を全てアップに結い上げ、麦穂をイメージした髪飾りを挿した頭は少し窮屈で、首回りが涼しすぎて心もとない。
デビュー前と後では女性の髪型にははっきりと違いが出る。
首を全て露わにする髪型は成人女性のもので、デビュー前には許されない。そして成人してしまえば一部でも下ろした髪型は許されない。
マリアは首の周りをいつもふんわりと守っていた髪がない事に、そこはかとなく不安定な気持ちになる。周りをそっと窺うが、皆一様に緊張しながらも頬を紅潮させ、誇らしげに細い首をしゃんと伸ばしていた。
「もうすぐだ」
エスコートする父の小さく注意する声に、はっとマリアは気を引き締めた。
侍従に促されて父と共に開け放たれた重厚な扉を潜り、謁見の間に進む。
仄暗い通路から燦々と陽が差し込む場所へ出たマリアは、眩さに一瞬目を閉じた。
この部屋はデビュタントのためだけに開かれる謁見の間で、本来のものよりも小さく、昼という時間帯に合わせて二面がガラス張りの光に溢れた部屋になっていた。白い壁に金の麦穂の意匠を巡らせ、床にはこれもまた豊穣の象徴である葡萄の模様を織りあげた金と真紅の絨毯が敷き詰められている。
謁見の間には、随時三組のデビュタントとそのパートナーである後見人を入れているようだ。
入るとちょうど二人前のデビュタントの娘が跪いて陛下の祝福を頂いている所だった。それは時間にして十秒程度。
ふっと、マリアの周囲から音が消えた。
時が、とても緩やかな流れになる。
まるで白昼夢でも見ているようだと案外冷静な感想を抱きながら、一方で強い思いが湧き上がった。
負けたくない。
ドクン、と頭の中に己の鼓動が響く。マリアは流れの遅い時間の中で、背筋を伸ばし、体の隅々まで己の意思を巡らせた。
マリア自身は昨日と何一つ変わっていないのに、陛下に祝福を受けた瞬間から貴族の成人女性として認められる。
ただ、貴族の娘に生まれ、年齢が達したという、それだけで。
そして明日からは、父達が整えた婚姻に従って貴族の既婚女性として認められる。マリアの努力も意思も性格も何もかも関係なくマリアの人生は決められていく。
そんな感傷は今更だ。こんな悩みは、貴族の娘に生まれればごくありきたりで、くだらない。貧民街の民なら、贅沢な悩みだと怒りに殺意を覚えるかもしれない。
分かっていても、悔しいのだ。歯を食いしばらねば前に進めないほどに。
絶対に負けたくない、その思いを杖にしてマリアは真っ直ぐに進む。
いかに道を決められようと、歩くのは自分自身の足だ。だったらその道を支配する者でありたい。
どんなに心細くても、不安でも、苦痛でも、泣き言を言うようでは貴婦人たり得ない。けれどただ耐え続けるなんて無理だから、目指すところは一番の勝者がいい。
“デルフィーネ伯爵、並びに伯爵令嬢マリア・デルフィーネ”
読み上げられる名前は、自分自身のものだ。
半分平民の血が流れる半端者ではなく、伯爵家の人間として生きていくのだ。
わたくしは、負けない。
その思いを瞳に込めて、マリアは微笑んだ。
不思議にゆっくりと進む時間の中で、現実感のないままマリアは父の手を離れて一人跪く。
“豊穣の乙女に相応しき、実り多き先行きを”
全部に勝って、最後に笑いたい。
不可侵の淑女の微笑みを掲げて、高らかに勝利宣言をして終わりたい。
国王陛下に祝福の言葉を頂きながら、マリアはなんだか少しおかしくなった。
これでは豊穣の乙女ではなく、戦乙女ですわね。
けれど国王陛下の御心にお応えして、必ずやわたくしの勝利を捧げます。
このような場だというのにたいした緊張もせずに大それたことを考えている自分は、なるほど確かに可愛げがない。それがなんとも愉快だった。
速やかに陛下の御前を辞すと、途端に現実的な時の流れが帰って来た。心もとないと思っていた首回りの空気が、今はなんだか清々しい。
これからしばらく父とは別行動になるマリアは、王宮の侍女に案内されて控え室に向かった。
全てのデビュタントが謁見を終えるまで、お披露目の舞踏会は始まらない。侍女の説明ではあと半時ほどは待つようだ。
控え室には既に謁見を終えた令嬢たちが二十人ほどいた。
知り合い同士で話したり、王宮の侍女に言って化粧を直してもらったりとそれぞれ自由に過ごしている。当然ながらマリアには知り合いなどいないので、壁際に並べられた椅子の一つに座り、侍女から供された紅茶を飲みながら時間を過ごすことにした。
チラチラとこちらを気にしているような気配は複数あったが、話しかけてくるものはいない。注目されている理由は己の着ているドレスにあるだろうとマリアは推察する。伯爵家の家格で用意できる最上級のシルクを贅沢に使っていることは目が肥えたものならすぐに分かるが、それが可能な家は多くない。羽振りの良い家なら、知り合いの一人もいそうなものなのに、誰も知らないらしいマリアを訝っているのだろう。
「ねえ、あなたのドレス、すごいのね。頑張れば三着は取れそう」
そんな中、空気を読まずに話しかけてくるご令嬢がいた。
デビューのドレスのイメージは、古代ギリシャ彫刻の女神像など。実際に作るとしたら、くどい程プリーツを作りまくったエンパイラインのドレス。スクエアネックでノースリーブ、肩から落ちるひだ飾り、ハイウエストに刺繍の飾り帯といった感じになると思われる。




