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九月初旬、デビューまであと一ヶ月ほどとなり、マリア含め家宰を筆頭に約二十人ほどが王都の屋敷に居を移した。伯爵は遅れての合流となる。
お茶会の招待状は既に発送されており、その返事は既にほとんど届いている。最終的な出席者は二百ほどになる予定だ。跡取り娘の成人のお披露目会としては中規模だが、久々の大きな催しに伯爵家は沸き立っていた。
銀器が全て磨き直され、閉め切られていた多くの部屋も全て解放され、掃き清められた。家具から白い布が外され、しまいこまれた調度が再び光を浴びる。
屋内だけでなく屋外もまた騒がしい。短期で雇用された庭師たちが大勢出入りして、来月に向けて作業が進められた。雨天も一応想定しているが、十月は最も雨が少ない季節なのでほぼ心配ないだろう。
着々と準備が整う中で、マリアもまた衣装合わせや調整などに追われていた。仕上がってきたドレスに袖を通し、最終的な微調整を行ったり、デビュタント用のドレスの最終確認に、靴や装飾品など小物類の最終決定と、とにかく選んだり決めたりということが多い。
どれもこれも一生物になるのだから真剣だし、限られた時間の中でめいいっぱいマリアは悩んだ。
膨らんだ財布を持つ祖父がいるマリアは結婚後もドレスを新調する機会に恵まれるだろうが、それとこれとは別である。
しっかりと領主教育もされたマリアは、必要な贅沢であれば経費だが、不必要な贅沢は浪費であると心得ていた。
そしてその最中も、結構な割合でマリアの頭の中は未来の義妹のことで一杯だった。
そんなマリアが王都の屋敷で一通りの荷解きが済んだあと、真っ先に案内をさせたのは書斎であった。
領地の館にも書斎はあったが、高価な博物図鑑の一揃いは古いものしか置いていなかった。アホロートルが載っていなかったのだ。
新しい博物図鑑にはアホロートルの記載があったが、情報はごく簡単なもののみであった。到底マリアの満足するものではなかったが、サンショウウオについては詳細な図解もついていたため、それと合わせて想像することで一応満足することにした。
詳細に過ぎる絵はマリアには少し気味悪く思えたが、良く見ればずんぐりした体に小さな目と、なかなか愛嬌のある姿をしている。なるほど、目と目の間隔は広い。それに対して口は横にかなり大きい。大きな牙が覗いているわけではないので、ワニのような恐ろしさは感じないし、かなり間が抜けているようにも見える。
金髪碧眼、色白のサンショウウオ。そこに丸い小さな鼻を付け加える。
想像してみると、これはこれでなかなか可愛らしい。
マリアは自分の美意識について少し自信が揺らいだが、口に出さなければ問題ないと無視することにした。
エペローナはマリアの中で最高に愛嬌のある可愛らしい生き物として定着したのだった。
しかしながら、いささか天然に過ぎるというか、淑女としてはいかがなものかと思われる点が多いということは、客観的にマリアも理解していた。血筋が良いといっても、結婚したら夫にいいように使われてしまうのではないかと心配になる。ご家族が気を揉むというのも分からないでもなかった。
淑女の技能についても、その筆跡は採点するとギリギリ及第点である。もう少し洗練されものでないと、格上の家へ出す場合は厳しい。緊張しているのか、微妙にインク溜まりのようになってしまっていることが其処此処に見受けられる。彼女のためには指摘してあげた方が良いのだろうけれど、ゆっくり丁寧に一生懸命書いている裏返しとも言えるから二の足を踏んでしまう。
どうにもこうにも、頭の中でサンショウウオが不器用な小さな手で精一杯頑張って書いている姿がちらつくのだった。
文通の内容も、好きな花や食べ物、部屋の壁紙の模様がどうだの、どこで昼寝をするのが好きかなど、何とも子供っぽいというか年頃の淑女としてはもう少し話すことがあるだろうと思うところだ。ドレスのこととか、それに合わせる宝飾品や流行についてだとか、サロンで話題になっている詩集についてだとか、社交界で話題のご婦人についてであるとか。
確か、祖父は社交界で同性の友人がいた方が良いだろうという建前で紹介してくれたが、その点についてはエペローナは全く役に立ちそうになかった。それどころか既にデビューしていながら、かなり良い家のご令嬢(仮)でありながら、女性の友人がいないという。
断言するが、彼女の性格は悪くない。
マリアの婚約者と思われる兄の話題を出すと、ほんの少し文面上で機嫌が悪くなるのだ。最初は何か失礼なことを書いただろうかと戸惑ったが、やり取りを繰り返すうちに気がついた。なんと可愛い嫉妬だろうかと思う。どっちに嫉妬しているのかといえば、兄に嫉妬しているのだから、義妹(仮)への愛しさは増すばかりであった。
無邪気で悪意の全く感じられない彼女の発する僅かなトゲは、その程度なのである。これで性格が悪かったら、世の中極悪人ばかりになってしまう。
その彼女に友人がいないということは、社交界というのは思った以上に魔窟であるらしかった。もしかしたら、本人が気づいていないだけで虐められているのではないか。
その想像は次第にマリアの中で確信に変わっていった。
アホロートルに似た義妹(仮)はマリアには可愛いらしく思えるが、一般的な感覚であるかと言われれば否定せざるをえない。その容姿を馬鹿にされている可能性を考えると、マリアは怒りに震えた。
義妹(仮)を社交界で頼りにするどころか、むしろこれは自分が義妹(仮)を守らなければならないのではないかと最近では思い始めていた。
状況的に考えて義妹(仮)は年上だろうが、たとえ行き遅れと呼ばれる年齢だろうと庇護する対象にしか思えなかった。
さらには結婚ができなくても、否、無理に結婚などしなくとも自分が一生面倒みるから一緒に暮らせば良い、などと思い始めた。
気がつけば、自分のために選ぶべき装飾品などを義妹(仮)に似合うかもしれない!という基準で選んでしまっていることも珍しくない。
そして、デビューを一週間後に控えた頃、最後の手紙が届く。デビュー後のお披露目会でお会いできることを楽しみしているという言葉に、マリアは小躍りした。
社交界デビューよりも、お披露目会その実結婚式よりも、義妹(仮)に会えるということが何よりもマリアにとって楽しみでならなかった。
この時点で義妹(仮)と家族になれることが最重要であって、結婚はそのために必要な手続きぐらいにしか思わなくなっていた。婚約者に至っては、戦いのゴングを鳴らしたのもすっかり忘れるほどに意識の外であった。
マリアは歳の割にはしっかりした、貴族らしい少女である。
しかし、同時に箱入り娘であり、思い込みの激しい思春期の少女でもあった。
いかに内心でスレた暴言を繰り返していたとしても、彼女は世間知らずの十六歳なのである。
アホロートル:幼生成熟したトラフサンショウウオ科の個体。アルビノ種についてはウーパールーパーの通称が有名。




