#96 異常な"初"級冒険者
――ゴクリと、俺は喉を鳴らした。
周囲に悟られずに、静かに深呼吸することで心を落ち着かせる。
――カツ、カツ。と、近付いてくる足音。
組合の受付から、こちらへと徐々に足音は大きくなっていく。
そして――ピタリと足音が聴こえなくなった所で、俺が意を決して顔を上げると――
「やっぱり。またお会いしましたね」
「…………」
思わず見惚れてしまう。
初めて出会ったのは、カルディア北西の湖。明るい時間ではあったが日傘で顔はよく見えなかった。
2度目は、生誕祭の夜だ。月明かりに照らされていた彼女は独特の雰囲気を醸し出し……その素顔は、本当に綺麗だと思った。
そして今、冒険者組合という明るい屋内で見る、隠す物が何もない彼女の顔、それに佇まいから全てに至るまでが――
この世の物とは思えない、圧倒的な美しさに溢れていた。
だが――
「黙って見つめて、どうかしましたか?」
この赤い瞳が、俺の心臓をざわつかせる。
彼女の美貌に浮わついた俺の気持ちを、一瞬で圧し殺してしまう程の『力』が宿っているような――そんな感覚。
いや――落ち着け。
この人は悪い人じゃない。それは何度か会話を交わしてわかっているつもりだ。
もう一度、俺は大きく深呼吸して気持ちを落ち着かせた。
「あの……何か言ってくれないと、私困ってしまいます……」
「あぁっ、すいません! ボーッとしてましたっ」
「いえ。もしよろしければ、少しお話しませんか?」
上品な振る舞いで、彼女はまたそんなことを言ってきた。
以前の時もそうだったが、お喋りが好きなのだろうか?
少し不安に思う所もあるが、俺も姉が戻ってくるまでは手持ち無沙汰だ。
「それでは前の席、失礼します」
その申し出を受け入れると、彼女は俺の対面の席へと腰を下ろした。
「うふふ」
「…………」
彼女は、まだ何も話していないと言うのに上機嫌な様子。
「失礼、私……人とお話をするのが好きなのです」
「へ、へぇ、そうなんですか……」
まぁ言われてみれば、生誕祭の夜に話した時もやたら上機嫌だったように思える。
人と話すのが好き。か、俺も嫌いではないが……別に好きと言える程ではないな。
だが、この人が話すのが好きだと言うのなら、俺も積極的に話してみようか。なんて思う。
「エシルさんは、"初"級冒険者なんですよね?」
「はい。その通りです」
それに、俺と同じ"初"級冒険者。
もしかしたら、今後一緒になって依頼をこなす場面もあるかも知れない。仲を深めておくのは悪い話じゃないだろう。冒険者同士の繋がりは大切、とのことだしな。
「どうして冒険者に?」
「どうして、ですか……」
俺の質問に、少し考える素振りを見せたが――
「楽しそうでしたので、冒険者になってみました」
『うふふ』と上品に笑いながら、そう答えた。
「ですが、"初"級冒険者の私では……受けられる依頼が限られているのが少し困ります。楽しそうな依頼は"上"級や"超"級ばかり……。それに、中には"絶"級という、とても楽しそうな物まであるらしいではないですか」
『はぁ』と小さくため息を吐く。
こうして話してみると、普通の女性冒険者にしか見えない。
口にしている内容はちょっとアレだが、どうにも本心からの言葉のようだ。
"初"級冒険者が受けられる依頼は"中"級難易度の物までだ。
どうやら彼女は、ソレが物足りなく感じているらしい。
更に上位の依頼を受けるには、冒険者等級を昇格させるしかないのだが……基本的に冒険者は、"初"級として3年間の経験を積む必要がある。
そして、彼女のような才能溢れる者をいち早く昇格させるための措置として――『冒険者訓練所』が存在するのだが……。
「団体行動は苦手です……」
訓練所についての説明をすると、キッパリと拒絶の反応を見せる。
「そう言えば……先日のお祭りで、その訓練所に属する方々同士の戦闘が行われていましたね」
「えぇ、模擬戦です。ちなみに僕も出てましたよ」
どうやら見てくれていたようだ。
実際に代表として出場して、全勝した身としては……是非とも感想を聞きたいところだ。
「えぇ、見させていただきました。全てに勝利を収められたようで……おめでとうございます」
優雅な所作で軽く頭を下げる彼女。
しかし――
「あまりにも程度の低い戦闘で……私も逆に楽しませてもらいました」
「…………」
最後に、そう付け加えた。
な、なるほど……彼女にはそう見えたのか。
全く悪気なく言っているようだ。本気でそう思っているらしい。
『あまりにも程度の低い戦闘』――それには、俺達の試合も勿論含まれている。
この人……本当に"初"級冒険者なのか?
俺とルエル……そしてミレリナさんと、ラデルタ訓練所の3人は――正直言って、既に"中"級冒険者の実力を上回っているように思う。
更に、自分で言うのもなんだが……俺とミレリナさんは"上"級冒険者にだって勝てるとさえ思っている。だと言うのに――
この、エシルという"初"級冒険者……本当に何者なんだ。
「もしかして、気を悪くさせてしまいましたか?」
考え込んでしまっていたせいで、誤解させてしまったようだ。不安げにそう訊ねてきた。
「いえ、なんでもないです。俺ももっと強くなるように、努力します」
「はい! それが良いと思います」
「…………」
~
それから少し話して、エシルという名の"初"級冒険者は組合を後にした。
俺とのお喋りは、どうやらそれなりに楽しかったようで……かなり満足した様子だった。
そのほんのちょっと後に、姉は支部長との話を終えて2階から戻ってきた。
椅子に座る俺の所へとやって来た姉だが、少し組合内の様子が気になるらしい。と言うのも――
「この感じ……もしかしてシファくん、さっきまでここに誰かいた?」
組合内は、さっきまでいた彼女のおかげで、少し浮わついた雰囲気になっている。
幾人かの冒険者達が、彼女についての話を未だに続けているのが原因だ。
姉は、その雰囲気を敏感に感じ取っているらしい。
「白髪の、物凄い美女の……赤い瞳をした女性冒険者とか……来たり……した?」
恐る恐ると言ったような、姉の口調。
ってか、それは完全に彼女の特徴だ。
「あぁ。エシルって名の"初"級冒険者な。やっぱロゼ姉も知ってんのか」
「――っ!? し、シファくん……何か話した?」
「えっ。ま、まぁ……待っている間、少し話し相手になってもらってたけど……」
「少し?」
「あぁ……少しだけ」
な、なんだ? 姉の様子がおかしい。
「ロゼ姉、そのエシルって冒険者のこと知ってんのか? 何者なんだ?」
明らかに異常な"初"級冒険者。
遥か遠くの地に生息している危険レベル14の魔物。その討伐証明部位を持ってきたことも、彼女の異常さに更に説得力を持たせている。
「え、えっと……最近有名になってきている人? ……かな?」
「…………」
え、それだけ?
何か隠してない?
我が姉にしては珍しいなんともパッとしない返答と、オロオロした態度に、俺も困惑してしまう。
そんな俺に対しての姉の――
「シファくん……よくわからない女の人には、絶対について行っちゃ駄目だよ」
という言葉に、俺は更に困惑するのだった。




