#90 《戦乙女の地獄教練》
「――ッ!?」
ローゼへと肉薄し、長剣をすくい上げる要領で振るったベリルだったが……長剣を握った腕に突如として加えられた重みにつられて、体勢を崩してしまう。
そしてそのまま、ベリルは地面へと打ち付けられていた。
――何が起こったのか。
状況を理解するために、視線を自身の右腕の先へと移動させると、そこに見えたのは――ローゼの足だった。
右手に握った長剣を踏みつける、スラリと伸びた足。
ローゼは、人間離れした反射神経と身体能力を持って、全力で振るわれた長剣を的確に踏みつけたのだと――ベリルは理解する。
そして更に――
その右足がスッと離れたかと思えば――
ベリルの目の前で、ローゼは左足を軸としてグルリと回る。
すると、強烈な打撃音と共に
「ぐほぁっ!!」
ネイジの苦痛の込められたうめき声が響いていた。
長剣を踏みつけた足で、間髪入れずに叩き込まれた回し蹴りは、ネイジを後方へと大きく吹き飛ばす。
勢いよく吹き飛ばされたネイジは、同じく攻撃に参加しようと――今まさに駆け出していたクロドに見事に命中する。
「な……なな」
あっという間。
本当にそう表現できる程度の時間で、3人が無力化されてしまった光景に、声を震わせる後方のライド。
「っ! このぉ!!」
無我夢中で、魔法を放つ。
手加減も何もない、ただ全力で放たれた魔法が、ジグザグな動きを持ってローゼへとひた走っていくが――
――パァン!! という甲高い音が、閃光と共に鳴り響いた。
そこには、全く何も変わらない姿のままのローゼが立っている。
「あまりにも単純な魔法。ただ相手に向けて放っただけ。そんな攻撃が、本当に私に効果があると思ってるの?」
プラプラと右手を払いながら、どこか機嫌悪そうに話すローゼ。
「……そ、そんな」
ライドはその場でへたり込んでしまう。
当然だ。
無我夢中で放った魔法を、虫を払うかの如く右手で消し飛ばしてしまったのだから。
もとより相手は"絶"級。実力の差があることは理解していたが、ここまで次元が違うのかと――一瞬で思い知る。
「君は向かってこないの?」
唯一立ったままの訓練生――ユナ・レイオルフ。
一向に向かってくる素振りを見せない彼女に、ローゼは問いかけていた。
「……はい。自分は結構です。勝ち目なんて万にひとつもありませんし、自分は、自分の実力を十分理解しているつもりですし」
「ふーん。本当に?」
「えぇ。それはもう」
訓練生ユナの言葉に目を細めつつ、ローゼは再び自らの足下に視線を向ける。
「で? 君はまだやる気があるの?」
踏みつけた長剣から一度は足を離したものの、ネイジへと回し蹴り叩き込み、即座に再び――ベリルの長剣を地面へと釘付けにしていた。
「ったりめーだろ……その足を退けろ」
「……どうぞ?」
「!?」
あっさりと、長剣を踏みつけていた右足を浮かせてしまう。
圧倒的上位者の余裕に他ならないローゼの態度に、ベリルは更に苛立ち――長剣を掲げながら立ち上がる。
「糞がぁあぁあああっ」
そしてまたしても、ただ単純に長剣を振るっていた。
~
「怒りに任せて、武器を振るうだけ。仲間との連携も何もない。ただ、自分の思うままに敵を倒そうとしている。魔獣と変わらないよ? 今の君達は」
金色の瞳が、冷たく見下ろしている。
「はぁっ……はぁっ、はあっ!」
ローゼの足下には、両膝、両手を地面に突き、息も絶え絶えになりながら汗だくとなったベリルの姿。彼の手には既に、長剣は握られていない。
あれから何度もローゼへと向かっていったベリルだったが、彼の振るった長剣は彼女を掠めることさえ叶わなかった。
いなされ、弾かれ、叩き落とされ、転ばされ、泥まみれになったベリルに対して――彼の目の前に立つ女性には一切の傷どころか、汚れひとつ無い。衣服もなにひとつ乱れなく、金色の美しい髪も整ったまま。
「ベリル・グレイス。私の名前を言ってみて」
頭上から聞こえてくる声に誘われ、ベリルは顔を上げる。
そこにあるローゼの顔を見上げながら、声を絞り出すことに成功した。
「……ろ、ローゼ……アライオン」
「……そう。私はローゼ。"絶"級冒険者のローゼ」
その場でしゃがみ込み、ベリルと視線を合わせたローゼは、語りかけるような口調で話し出す。
「私は"絶"級冒険者として、君達の特別教官を任されたの。期間は10日間。その間だけでいいから、私の言うことを聞いて」
ベリルは必死に呼吸を整えつつ、言葉に耳を傾ける。既に彼の中にも戦意など存在していない。
「そうすれば、君達は必ず――今よりも強くなれる」
ローゼがベリルに語りかける様子を、ネイジやクロド、そして他の訓練生全員が黙って見守っている。
呆然とした意識の中で、ベリルはようやく理解した。
大陸最強と噂に聞く"戦乙女"。全ての冒険者が憧れ、尊敬するという彼女の実力――その実力の一端にも満たない程度の力ですら、自分達では文字通りに足下にも及ばない。
そう――理解したのだ。
最強と訓練生の間には、"天と地"以上の距離があり、彼女の本当の実力など、自分達では到底理解することが出来ないのだと――理解したのだ。
「ベリル・グレイス。私に言うことはある?」
同じ視線の高さでありながら、全く別の場所から語りかけられる彼女の言葉に息をのむ。
そして――
「よ、よろしくお願いします。ローゼ……教官」
押し潰されそうな重圧の中、ベリルはそれだけ口にした。
すると、ローゼは途端に笑顔を綻ばせる。
「よろしい」
スックと立ち上がり、視線を訓練生の列へと向けたかと思うと――
「じゃぁ次、いってみようか――」
新たに5人の訓練生の指名を始めてしまった。
~
こうして――"絶"級冒険者であるローゼを特別教官として、王都第1訓練所は10日間の特別教練を開始した。
そして季節は廻り――カルディア、ラデルタ、王都に存在する訓練生が冒険者となる瞬間は――目の前にまで迫っていた。




