#74 カルディア生誕祭 2日目 ~歌姫~
軽く食事を済ませた俺達だが、今も変わらずに休憩所の椅子に腰を落ち着けている。
俺と対面する形でユエルが座っている。
もう充分休憩したのだが、目の前の美女は一向に立ち上がる気配がない。
休憩し足りないのかな? と一瞬思うが、この人に限ってそんなことはあり得ないな。
チラリと顔色を盗み見てみたが、疲れている風でもない。
大広場を行き交う人の流れを静かに見つめている。
綺麗な横顔だった。
「どうしたの? シファ」
流石に見すぎていたようで気付かれた。
「いや、まだ行かないのかなって思って……」
西大通りは大方回ったが、まだ他の大通りが残っている。
露店が出されているのは西大通りだけという訳では、勿論ない。
俺は昨日、姉と思う存分に楽しんだから別に構わないが、ユエルがゆっくり祭を楽しめるのは今日だけなんじゃないだろうか?
と、ユエルの横顔に見惚れていたのをごまかして、伝えてみたのだが……。
「いいのよ。私の目的はこの大広場だから」
ニコリと笑いながら、そう言われた。
いまいち言っている意味が分からない俺は首を傾げる。
「人、増えてきたと思わない?」
「え? 人?」
そう促されて、大広場の方に顔を向けてみた。
言われてみれば、たしかに人が増えてきているようだ。
俺達のいるこの休憩所も、少しずつ人が集まっているように思える。
いや……どうやら確実に増えてきている。というより、大勢の人がこの大広場に集まってきているようだ。
今も続々と、各大通りから人がやって来ている。
「ここからだと、奥の舞台がよく見えるわね」
言われてみて気が付いた。
多くの人達が大広場に集まってきた。というよりは、大広場の奥にある舞台に集まってきているのだと。
って、よく見れば……その中にロキとツキミの姿がある。
アイツ等もしかして……いや、今は置いておこう。
「明日の模擬戦に次ぐイベントが、今日この大広場で開催されるらしいわ」
「――!?」
そんなユエルの声に重なって、大広場から歓声が上がった。
――な、なんだ?
見てみると、奥の舞台に人の姿がある。
どうやらさっきの歓声は、この人が姿を現せたことで上がった物のようだが。
知らない女性だ。
知らない女性だが、とても綺麗な人だと、この場所からでも分かる。
長い黒髪を靡かせながら、集まった人達に向かって笑顔で手を振っている。非常に華やかに見えるのは、彼女の纏う豪華なドレスのおかげ。という訳でも無さそうだ。
そんな彼女に、男女問わず多くの人達から、また歓声が上がっている。
ひとしきり笑顔を振り撒いた彼女は、舞台の中央に移動して……目を閉じた。
それに合わせて、舞台に集まっていた人達からも歓声が止み、静けさが訪れる。
そして聞こえてきたのは――
『――――――』
歌だ。
大広場の奥から、端の休憩所のこの場所にまで聞こえてくる歌。
魔法で響かせているという訳では無さそうだが、その歌に若干の魔力が込められているのは分かる。
思わず聞き入ってしまう声。
今までに聞いたことのないほど、綺麗な声だ。
「彼女の名は、エヴァ・オウロラ」
響く歌声に耳を傾けながら、ユエルが口を開く。
「大陸全土で活動する歌い手よ。そして――」
一呼吸置いてから、続けた。
「"絶"級冒険者。"歌姫"エヴァ」
「――ッ!」
優しい風のように流れてくる歌声を聞きながら、俺は言葉を失ってしまう。
"絶"級冒険者。
今、あそこの舞台の上で歌っている女性が、姉と同じ"絶"級の冒険者なのだと、目の前のユエルはそう言った。
俺は呆然としたまま、綺麗な歌声に聞き入ってしまうのだった。
~
「どうだった?」
日が傾き始めた頃、ユエルはそう俺に訊ねてくる。
俺達は今も変わらず、同じ場所に座っている。少し遠くに見える大広場の奥の舞台には、既に歌姫の姿は無い。
舞台も、今しがた後片付けが始められている。
俺の耳には、少し前まで聞こえていたあの声が、今でも残っている気がする。
「良い歌だった。声も綺麗で、何より……とにかく驚いた」
素直にそう答えた。
聞いたことのないような綺麗な声。
そして何より、"絶"級冒険者だということに驚いた。
「そ。良かったわ。私も、彼女の歌が好きなのよ。それに、貴方に見ておいて欲しかったのよ」
何を?
そんな感情を込めて見つめる俺に、ユエルは――
「貴方のお姉さん以外の"絶"級冒険者をね」
と話しながら、立ち上がった。
「"戦乙女"が攻撃技能の極限を突き詰めた冒険者だとしたら、"歌姫"は支援技能を極限まで突き詰めている冒険者よ」
どうやら帰るらしく、西大通りに向けて歩き出すユエルに俺も続く。
歩きながら、更にユエルは話を続ける。
「冒険者には、攻撃技能だけじゃなく色々な技能を使う人がいる。そしてそれは、おそらく訓練生も同じ。色々な訓練生がいるわ」
そう話しながら歩くユエルの顔は、いつの間にか教官の顔に戻っていた。
多分、明日の模擬戦の心配をしてくれているのだろう。
カルディアとは違う訓練所の訓練生との模擬戦だ。つまり、油断するな。ということだろうが、勿論油断なんてする筈も無い。
そうこう話しているうちに、西大通りへとやって来た。
「それじゃ私は帰るけど、貴方はどうするの?」
少しずつ日は傾いているが、まだ露店を出している所は多い。
とは言え、もうゆっくり遊んでいる時間はないような、そんな時間帯だ。
どうやら、ユエルは訓練所へと帰るらしいが、俺は――
「少しブラっとしてから帰るよ」
買っておきたい物もあるし、そう答えた。
「そ。あまり遅くはならないようにね」
「あぁ。食事の時間には帰るから」
そう言って別れ、俺は1人、雑貨店などが多く建ち並ぶ北大通りへと足を向かわせた。
とは言っても、別に遊びに行った訳ではない。買い物のためだ。
その目当ての物だけを買い、俺は真っ直ぐと訓練所へと帰ることにした。
~
いつもの教官と食事を共にした俺は、明日に備えて少しだけ早めに横になる。
今日1日の疲れもあり、ぐっすり眠れそう――なんて思っていたのだが……。
眠れない。
明日の模擬戦を思ってなのか、それとも今日のあの"歌姫"の歌があまりにも心に残っているからなのか……とにかく眠れない。
ということで、俺は街に出ることにした。
教官の私室からは、僅かに光が漏れている。どうやら、まだ教官は起きているらしい。
一応気付かれないように努め、訓練所を後にする。
ちなみに、訓練所の鍵は俺も持たされているため、もし閉め出されたとしても問題はない。
こうして、俺は夜中のカルディアへ、夜風に当たる目的でやって来た。
少しぶらついて、眠くなったら帰ろう。
そう思いながら西大通りを歩き、とりあえず大広場を目指す。
人の姿は勿論少ない。が、全く無い訳でもない。
夜に出歩く者は、少なからず存在するようだ。
そして大広場へとやって来た。
"歌姫"が立っていた舞台は完全に片付けられている。
代わりに、明日の模擬戦のための、充分な広さが確保されている。
それ以外に特に何も無いこの大広場には、人の姿は無い。
月明かりが、思ったよりも大広場を照らしてくれているため、なかなかに良い雰囲気を演出してくれているように思える。
なんて思っていた。そんな時。
――カチャリと、僅かな物音が聞こえてきた。
「――?」
誰かいるのか?
辺りを見回してみる。
――カチャリと。まただ。これは、カップを置く時の音だ。
「……あ」
よく目を凝らして見れば、昼間俺達が休憩していた場所に誰かが腰かけ、静かに、1人で何かを飲んでいることに気付く。
そこに、吸い寄せられるように足が向いた。
月明かりに照らされる白い髪。
夜の闇の中で妖しく光っているのは――真っ赤な瞳だ。
「あ、あなたは……」
「あら?」
赤い瞳が俺に向けられ、心臓が跳ねた。
間違いない、あの時の……ミレリナさんの詠唱魔法の特訓に付き合っていた時に出会った、あの"初"級の冒険者の人だ。
全く、これっぽっちも、敵意を向けられている訳ではない。
寧ろ、俺に向けられているのは恐いくらいに美しい笑顔。
以前に出会ったときは傘を差していたために、その顔をハッキリと見ることは出来なかった。だが今は、夜中ではあるが月の光に照らされてよく見える。
非常に美しい女性だ。
だと言うのに――
どうしてだ? 今すぐにでも逃げ出したいと思ってしまうのは。
「あなた……どこかでお会いしましたか? どこか、覚えのある匂いがします」
キョトンと首を傾げながら、赤い瞳の女性は微笑んでいる。
そして――
「良かったら、ご一緒にどうですか?」
美しい声でそう言った。




