#63 こうして時間は過ぎ去っていく
「破滅詠唱"災害"第壱章――」
ミレリナさんの魔力が、水面に魔法陣となって出現する。
しかしその大きさは、昨日までの物より一回り程小さいように見える。
俺は今回も、収納から霊槍を取り出して身構える。
腰を落とし、いつでも動ける体勢を維持しておく。
――一昨日。
何度目か分からない詠唱魔法の暴走で落ち込んでいたミレリナさんに、ふいに道を尋ねてきた"初"級冒険者の女性がそのお返しにと、助言してくれた。
女性のその助言は、どうやらミレリナさんの心に響く物だったようだ――
その日は、ミレリナさんが流石に疲れていたようで、あれ以上練習をすることはせずに帰った。
そして次の日、つまりは昨日だ。教練が終わった後、いつものように練習するものだと思っていたのだが、意外にもミレリナさんは『ご、ごめんなさい。少し考えたいことがあります』と、練習をお休みにした。
その時の表情は暗いものではなく、どちらかと言えばやる気に満ちていた。
ならば、俺達は何も心配することはないだろう。そう思った。
――あの時の女性の助言で、何かに気付いた。ミレリナさんの表情はそう言っていたのだ。
そして今日、俺達は再び湖へとやって来ていた。
静かに、ミレリナさんの次の言葉を待つ。
「『大流水災』」
その言葉に呼応するかのように、水面に浮かぶ魔法陣が光を放ち、空へと伸びる。
これまでとは少し違う、深みの中に落ち着きを内包した青い光だった。
油断なく、俺はミレリナさんの様子を窺う。
「…………」
しっかりと目を見開き、集中しているのが分かる。
毅然として、自身の魔力である魔法陣と、これまた同じ魔力である空へと伸びる青い光を見据えている。
……俺も、視線を湖へと移す。
するとすぐに青い光は、閃光と共に――激しい水流の柱へと姿を変えた。
湖から伸びたその水流は、まるで空を抉るかのようにうねり、暴れ回る。
あまりにも狂暴な動きを見せる水流に、暴走か? と一瞬思うが、どうやら違った。
少しずつその動きを落ち着かせていき、空を衝く程だった水流は湖へと帰る。
そして少し待てば――先の光景が嘘かのように、元の落ち着いた湖が、俺の目の前に広がった。
「お、おぉ……」
こ、これは。間違いない。
自然と、握る拳に力が入る。
その手に霊槍が握られている事を思い出す。
収納から取り出した霊槍は――どうやら出番は無かったようだ。
「やった……出来た。出来たよ、お姉ちゃん。私……」
俺が視線を向けた先には、ミレリナさんがその場で立ち尽くしている。
少し震えながら涙を溢し、絞り出すようにして声を出しているものの、体に不調は無いようだ。
間違いなく、今の詠唱魔法は成功だ。完全に扱えていた。
「良かった。本当に良かったわね、ミレリナ」
声につられて視線を向けた先で、ルエルが微笑んでいた。
――ミレリナ、か。
どうやら、ルエルとミレリナさん、この2人は随分と仲良くなったようだ。
本当に良かった。
今のミレリナさんの顔を見て、改めてそう思う。
あの時の赤い瞳をした女性の冒険者。いったい何者だったんだろうか。
思い出しただけで、ドクンと心臓が跳ねる気がする。
不思議な雰囲気の女性だった。
姉とも、教官とも、ルエルとも、ミレリナさんとも違う、妙な雰囲気。
その女性の助言で、おそらくミレリナさんは"コツ"みたいな物を掴んだんだろう。
――もし次に会うことがあれば、お礼を言うことを忘れないようにしないとな。
~
ミレリナさんはそれを皮切りに、次々に詠唱魔法を完全に操って見せた。
やはり、ミレリナさんの総魔力量は相当な物で、暴走さえさせなければ、詠唱魔法を何度でも行使することが可能なようだ。
彼女のお姉さんが言っていた通り――やはりミレリナさんは、こと魔法に関しては天才だった。
それから俺達の練習は、3人パーティーとしての連携を高める物へと変わった。
これは生誕祭での模擬戦を意識してのことだ。と言っても、冒険者達によって危険指定種が殆ど討伐されてしまったので、低レベルの魔物相手に練習することになったのだが――勿論練習になどならなかった。
――どうしたものか。教官に相談でもしてみようか。
そう考えるようになったある日の朝。
教室にやって来た教官の口から、とうとう生誕祭での模擬戦についての説明が行われた。
「10日後に行われる年に1度のカルディア生誕祭。その最終日に行われる各訓練所代表の3人パーティーでの模擬戦。このカルディアの訓練所からは――」
皆の視線が教官に集まっている。
カルディア生誕祭のことは皆が知っている。
模擬戦のことも知っている者が殆どだ。その代表者が誰なのか、そしてどんな理由で選ばれるのか、皆が興味を示していた。
「シファ・アライオン。ミレリナ・イニアベル。ルエル・イクシード。以上3名を代表とします。これは、この訓練所内での現在の実力上位者3名よ」
教室内がざわついた。
実力上位者3名。それは、おそらくほとんどの者が想像していた理由だろうが、そこに挙げられた名前に、どうやら混乱しているらしい。
「え、シファやルエルは分かるけど……ミレリナさん?」
「上位者3名……? ミレリナが?」
まさかミレリナさんを馬鹿にするような奴は、今のこの訓練所には存在しない。
俺の前に座るリーネも――膝の上に置いた拳をグッと強く握り締めている。何か思う所はあるのかも知れないが、以前のように文句を口にする様子はない。
ただ、皆……本気で不思議に思っているようだ。
俺とルエル以外、ミレリナさんの詠唱魔法を知らないからだろう。
普段の彼女の印象は、少し魔法が得意な内気な少女でしかない。
そんな彼女が、いきなり上位3名の中のひとりだと言われて混乱してしまうのも、無理はないだろう。
「…………」
ミレリナさんは――以前なら俯いてしまっているようなこの状況でも、しっかり前を向いていた。
俺も、視線を前へと向け直すことにした。
「この3名は実力上位者でもあるけど、パーティーとしての戦力のバランスも、彼等以上の編成は現時点ではいないわ」
教官の、俺達の実力を見る目が確実な物なのは、今日までの訓練所生活で既に分かり切っている。
その教官が言うのなら。と、混乱は隠せないまでも、文句を口にする者は出てこなかった。
――もし仮に、この模擬戦でまた敗退するようなことになれば、カルディアの訓練所が失くなってしまう。その事を知っている者が俺達以外にいたのなら、この教官の決定に異議を唱える者もいたのかも知れないが。
「生誕祭の日に模擬戦を行う訓練所は4つ。王都第1訓練所と第2訓練所。北方都市ラデルタ。そしてカルディア。この4つの訓練所の代表で模擬戦が行われます」
どうやら王都には訓練所が2つあるらしい。
そしてその日は特別に、冒険者組合から飛竜が、代表となった訓練生達に貸し出されるようだ。
その飛竜を利用すれば、遠いこのカルディアへと楽にやって来れるのだと。
組合によって徹底的に調教されているため、誰でも簡単に乗りこなせるらしい。
少し、その訓練生達が羨ましいな。
「ちなみにその生誕祭が行われる3日間、教練は無いから。貴方達は思う存分、生誕祭を楽しみなさい。模擬戦も、あくまでその生誕祭での催し物のひとつよ」
と教官が言うと、またも教室がざわつき出した。
皆、祭が大好きらしい。
――あくまで催し物のひとつ。
模擬戦をそう表現した教官の顔はいつもと変わらない。
おそらく、本心からの言葉だ。
『訓練所が失くなるのは……そうね、嫌……ね』
いつか、冒険者組合の幼女の部屋でそう言った時の、あの教官の顔も――本心なのだろう。
――勝とう。
王都に2つある訓練所も、北にある街の訓練所も、そのどれの代表にも勝つ。
生誕祭まで残り9日。
出来る限りの練習をしよう。




