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#59 男女の修羅場(?)

 

 教官の私室で朝食を済ませ、一息ついてから俺はいつものように教室へ向かう。

 歩き慣れた廊下に、俺の足音だけが響いている。

 人の気配はない。教練開始にはまだ時間があるし、見た限りでは他の訓練生の姿はない。


 そこでふと、足を止める。

 廊下の床に、僅かな傷を見つけた。

 何か――強い衝撃でも加えられたような擦れた傷だ。

 何の傷だ? と思ったがこれは、あの時俺が教官に投げ飛ばされた時に出来た傷だと思い至る。

 別に昔の話でもないが、玉藻前やら危険指定種やら幼女やらで、実際よりも昔のことに思えてしまう。


 なんて気を紛らわしてから、俺は教室へと足を踏み入れた。


「おおお、おはようっ! ……ございますっ」


「えっ!?」


 教室に入るなり飛び込んできた声に、俺はハッと顔を上げた。


 いつも、俺が最初に教室にやって来ていた。

 毎朝、俺が足を踏み入れるのは――誰もいない教室だった筈。

 そして俺は、教室でポツリと一人で、他の訓練生がやって来るのを待つ。――と言っても、その内にリーネとルエルが顔を見せるのだが。そんな訓練生達に、俺は朝の挨拶をする。

 これが、俺の朝の日常なのだが……。


 俺がやって来た教室には既に――訓練生(ミレリナさん)がいた。


「お、おはよう。今日は早いんだなミレリナさん。ちょっとびびった」


 教室に入って、誰かに朝の挨拶を言ってもらえたの……初めてだ。

 ちょっと新鮮。


 なんて思っていたら、ミレリナさんが奥からトテトテと小走りで俺の下までやって来る。

 俺は、自分の席に腰を下ろすのを一旦止める。


「あ、あのっ、シファくんっ」


「どうしたんだ?」


 何か俺に言いたいことがあるようだ。

 瞳をもじもじと泳がせるミレリナさんだが、急かさず、続きを話してくれのを待つ。


「も、模擬戦! 決めてくれてありがとう! ……です。昨日、お礼言えなかったから……」


「あぁ、なるほど」


 俺が模擬戦への参加を決めたことは、昨日ミレリナさんやルエル、そして教官にも伝えてある。

 別に礼を言われる程の事でも無いのだが、それを言うのは止めておこう。

 それにしても、そんな事をわざわざ言うために俺より早くに教室にやって来るとは……人前で言うのが恥ずかしいんだろうな。


「どういたしまして。頑張ろうな」


「うんっ!」


 パアッと明るい笑顔を俺に向けてから、自分の席へと帰っていった。


 はぁ……本当(マジ)いい()

 自分の席へと腰を下ろすミレリナさんを見ながらそう思った。


 俺も座ることにした。


 ふぅ……と、ようやく腰を落ち着ける――が、落ち着かない。


 ――チラリ

 ――チラリと、視線を感じる。


 誰の? って、俺以外にはミレリナさんしかこの場にいない。

 ミレリナさんが、チラチラと紫色の瞳を俺に向けては、逸らす。

 ――めっちゃ見られてる。

 俺がそっちに視線を向ても、すぐに逸らして知らん顔を決め込んでいるが、丸分かりだ。

 気にはなるけど、今はソッとしておこう。


 何故なら――


「おはようシファ」


 と、本日の最優先討伐対象――リーネが教室に顔を出したからだ。


 ~


「え――あの時のアレ……プロポーズじゃないって、そう言ってるの? アンタ……」


 喉をゴクリと鳴らしながら、俺は深く頷いた。


「え――だって、アンタはあの時……翼竜から私を命懸けで護ってくれたじゃない」


「よく聞いてくれ。確かに俺はあの時……お前を護る意味でも、翼竜を倒した。でも、それだけだ。他意はない。プロポーズとか……そんなつもりはない」


 さっき言ったことを、もう一度繰り返した。


 ――そんな馬鹿な。とでも言うように、リーネが首を傾げている。


「そもそも――その、なんだ? そう、男が女を命懸けで護る行為が、プロポーズになるとは限らない。少なくとも、あの時のは違う」


 キッパリ言っておこう。

 もう嫌なんだよ、ルエルにあんな目で見られるのは。

 ……ってかごめん、ミレリナさん。気まずいよな……。寝たフリなんかさせてしまって……本当ごめん。後でちゃんと謝るから。

 ただ、チラチラこっち見てくるのは止めてくれ。


 それはそうと、俺の言葉にリーネが口をパクパクさせている。


 命懸けで護る行為がプロポーズになるかどうか。確かに、大好きな人を護るために命を張ることはあるだろう。

 そして、その行為をもってプロポーズとする者も中には存在するかもしれない。それは否定しない。

 ただ、俺はリーネにプロポーズはしていない。


 俺はそう、ハッキリとリーネに告げた。


 その時――


「おは…………」


 教室に顔を出したルエルと、俺はバッチリ目が合った。


 ヤバい。ルエルが教室にやって来たということは、その内レーグもやって来る時間だ。

 つまり、他の訓練生達が続々と教室にやって来る時間が近付いて来ている証拠。

 周りに人が増えては、落ち着いて話をすることも出来ない。

 教練が終わった後にした方が良かったか。と少し後悔してしまうが、まだ大丈夫。ルエルだけなら、まだなんとか。

 そこにミレリナさんがいるが、彼女は熟睡中という設定だ。


 ルエルは――どうやらこの状況を理解したらしく、入り口で足を止めて固まっている。


 ルエルの対処は後だ。今は放置するしかない。


 それに――


「で、でも!」


 と、どうやらリーネはルエルの登場に気付いていないみたいだし。


「姉さんに、そう教えられたのよ! 男性が女性を命懸けで護るのは、結婚したい相手だって。姉さんも、いつかそんな人と出会える日を夢見てた。私にも……そんな相手を探せって……」


 もしかしてそれって、リーネの姉(セイラ)の理想とする男性像とかじゃないのか。

 とも言いにくい……。


「ち、ちなみに……このあいだお姉さんと会ったときには、何て話したんだ?」


 危険指定種討伐任務の初日。たしかリーネはセイラのサポートとして、同じパーティーに編成されていた筈。

 俺のことを何か話していたなと、思い出した。


「アンタに……プロポーズされたとだけ伝えたわ」


「そ、それで? お姉さんはなんて?」


「全力で応援するって……」


「…………」


 空気が重くなった。

 この重苦しい空気の中――相変わらずミレリナさんは寝ている。という設定。


「ういーっす。って、ルエル? 何してんだよ、そんな所で突っ立って」


 ――終わった。

 レーグがやって来たらしい。

 姿までは見えないが、ハッキリと声が聞こえた。

 あまり他の訓練生の前でしたい話ではない。

 俺は「はぁ……」と小さくため息を吐くが――


「ちょっとレーグ。今は取り込み中よ、こっち来て」


 神。女神。

 女神(ルエル)が、教室に足を踏み入れようとしたレーグを連れて行ってくれた。

 この与えられた僅かな時間を、大切にしたい。


 俺はまた、ゴクリと生唾を飲み込んだ。

 しかし意外にも――


「そう――プロポーズじゃなかったのね、アレ」


 と、リーネは理解を示してくれている。


「シファは、私のこと好きじゃないってこと?」


 改めてそう訊かれて若干動揺してしまうが、自分の気持ちくらいは分かる。

 真っ直ぐとリーネの瞳を見つめ返して、俺は告げた。


「好きじゃない。恋愛感情は……ないよ」


「……じゃぁ、嫌いってこと?」


「嫌いでもない。昔は嫌いだったけど、今は違う」


 それも、俺の気持ちだ。

 確かに初めは嫌いだった。いや、嫌い合っていた。

 けど、一緒に教練をこなす内に、偉そうなコイツの態度の中に見え隠れする少しばかりの気遣いに気付いたし、毎朝の挨拶を交わしていく内に嫌いではなくなった。

 今では間違いなく、同じ訓練生としての仲間であり、友達。そして――隣人だ。


 そのことも包み隠さず伝えると――


「そ、そうなんだ。へー」


 と、若干頬を緩めたように見えた。


「分かった。あれは私の勘違いなのは分かった。姉さんにも今度確認してみる」


 そうしてくれ。

 とにかく、納得してくれたようで何よりだよ。


 俺は心底安堵した。


「で、でも今後のことは誰にも分からないわ」


「……え?」


「今後、アンタが私のことを好きになる可能性は、ゼロではないわっ! 違う!?」


「え? ま、まぁ、そりゃぁな? ゼロとは言い切れないよな……」


「――ッ! べ、別にそうなって欲しいとは一言も言ってないわ! い、良い気にならないことねっ!」


「へっ!? 分かってるけど!?」


 い、忙しいやつだな、相変わらず。

 ショックを受けたり、落ち込んだり、喜んだり、怒ってみたり。

 いや、これはどちらかと言うと"強がり"みたいな物か。

 と、俺も少しだけ頬が緩んだ。


 ツーンと前を向いてしまった隣人を見て、俺はまた少し……友達との距離が近くなった気がした。




 ミレリナさんは、教官がやって来るまで寝たフリを続けていた。



PVが500万を突破していました。

見てくださっている方々。追いかけてくれている方々。応援してくれている方々。本当にありがとうございます。


あなたのその評価に、本当に感謝しております。


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― 新着の感想 ―
[良い点] きっと寝たふりしながら呪詛呟いてまっせ
[一言] はっきりとゼロだと言わなかったことは、後々ややこしくなる可能性を考えたらいい断り方とは言えないけど、シファのリーネに対する印象が良くなってしまっているので仕方ないとは思います。誰かと付き合う…
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