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#58 今すべきこと

 

「それはどういう意味じゃ? 妾は支部長じゃが、そんな事を訊いている訳ではないのじゃろ?」


 俺はコクリと頷いた。


 今日見せられたアレだ。

 大森林深層を魔境化させるなんて、この幼女は何者なのか。

 つまり――人間なのか? ということだ。

 つい先日、カルディア南の山脈一帯も魔境化したという話だが、教官の推測では魔神種が原因だとのこと。

 大森林の深層と南の山脈一帯では、その規模に大きな差はあるだろうが、同じ"魔境化"だ。


 この幼女が、まさかその魔神種なんてことは無いとは思うが――うん。どっからどう見ても人間の幼女にしか見えない。教官の言う恐ろしい魔神種には……見えないな。と言っても、その魔神種を見たことは無いけどな。


 ――とにかく何者?


 俺は、素直にそう訊ねたのだが。


「そうじゃな……」


 幼女が怪しく笑って、少し勿体ぶってから続きを口にした。


「人間ではない。少なくともそれは否定せぬよ」


 少し驚いた。まさかとは思っていたが、本当に人間ではなかった。更に、こうもあっさりと認めてしまうとは思っていなかった。


「じ、じゃぁ――」


 人間じゃなかったら何なんだよ!?

 そう続きを話そうとした俺の口の動きは、いつの間にか目の前に移動してきた幼女の人差し指によって止められた。


「それ以上知りたいのなら、さっきの"貸し"は……返したことにしてもらうが、良いのか?」


 な、なるほど……。

 っと言うか、速ぇ。

 高森林で見たリーネの姉のセイラも速かったけど、それ以上。

 本当に何者だよ……。


 しかし、せっかく冒険者組合の支部長に作らせた俺達への"貸り"。こんな事に使う訳にもいかず、ソコまで上がってきた言葉は飲み込んだ。


 幼女は、ニヤリと笑いながらソッと指を離し、元いたソファの上まで戻っていった。


 ――やり返されてしまった……。


 この幼女が何者なのかは気にはなるが、少なくとも人間ではない。とりあえずそれが分かっただけでも、俺の知的好奇心は少しだけ満たされた。――今はこれで良しとするしかないか。


 小さくため息を吐いて立ち上がる。


「なんじゃ? もう帰るのか?」という幼女の言葉に「はい」と答えてから、俺は扉へと向かう。


「そうか。……模擬戦の件、感謝しておるぞ」


「勝ってからもう一度言って下さい」


 模擬戦に勝って、この"貸し"を更に大きな物に変えてやろう。


 そう思いながら、俺は支部長室を後にした。



 ~



「はい、早く飲んでしまいなさいね」


 いつものように朝食を済ませると、狙いすましたかのようなタイミングで珈琲の注がれたカップが置かれる。

 そして教官も、自分のカップを持ちながら俺と対面する形で腰を下ろす。


 いつからか朝食の後に出てくるようになった珈琲。

 この珈琲を飲み終えたら、俺は教室に向かう。


 ズズ――と、教官のいれてくれた珈琲を口に含む。

 少しの苦みに、ほんのりの甘さ。いつもと同じ味だ。勿論美味しいと思っている。

 これを飲まないと、最早今日は始まらない。そう言っても過言では無い程に、教官のいれてくれる珈琲は俺の日常に溶け込んでしまった。

 そんな珈琲を飲みながら、俺はチラリと教官の顔を窺ってみた。


 すると教官は俺の視線に気付き、ほんの少し表情を柔らかくして首を傾げる。


 俺が訓練所へやって来て間もない時は、こんな顔見せてくれなかったよな。

 なんて思いながらも、昨日の出来事を思い出す――俺達が大森林で危険指定種を討伐した、その次の日のことだ。


 ~


 その日も、俺達(訓練生)は討伐任務に参加した。

 若干のパーティー再編成が行われ、俺達訓練生は全員でユエル教官のサポートとして東の湿地帯へと向かうことになった。ちなみにリーネの姉(セイラ)は冒険者達と共に別の場所だ。


 初日の残りの討伐を、この日することになったのだ。

 危険指定種を直接相手するのはユエル教官だ。

 俺達の仕事は、湿地帯に大量発生してしまった魔華――幻夢華(ラフレシア)の駆除と、その魔華に誘われてやってくる低レベルの魔物の討伐。


 低レベルの魔物の討伐はリーネとレーグが率先して行ってくれる中で、魔華の駆除も順調に進み、間もなく終了するだろうという頃――俺は危険指定種の討伐に向かった教官の後を追って、湿地帯奥へと足を運んだ。

 少しだけでも、教官の実力を見てみたい。そんな欲求に突き動かされてだ。


 初日にもサポートとして湿地帯にやって来ていたレーグとロキに、教官が魔物と戦う姿について聞いてみたのだが、2人は――「気付いたら終わってた」と、口を揃えてそんな事を言っていた。

 意味が分からなかったので、俺は自分の目で確かめてみることにした訳だ。


 足場の悪い湿地帯で、なんとか固い地面を探しつつ進むと――ズズ……ンと、僅かな地響きを足に感じた。


 おっ、やってるな。

 なんて思いながら雑草を掻き分け奥の方に視線を凝らすと、いた。ユエル教官だ。後ろ姿だが、あの短めの銀髪は間違いなくユエル教官だろう。

 その周囲には、全身が様々な植物に覆われた異形の怪物。体のあちこちに生えている赤色の怪しい華は、幻夢華(ラフレシア)だ。華に誘われてやって来た低レベルの魔物を食らう魔物――植物獣、グレイシア。……の、真っ二つになったと思われる塊が、大量に転がっていた。


 もう終わった後か? そう残念に思っていると――ドポンと、教官の近くにあった雑草が盛り上がる。そして勢いよく飛び出して来たのが、グレイシアだ。どうやら擬態していたらしい。


 静かに、教官の鋭い視線がグレイシアを射抜く。


 俺は更に目を凝らした。


 一瞬、教官の髪がフワリと浮いた気がしたら、その次には……グレイシアの体の半分がズレ落ちていた。

 ズズ……ンと、もう半分の体も倒れ落ちる。


「…………」


 え? 何いまの。

 え? 終わり?


 グレイシアは……うん、綺麗に真っ二つになって倒れてる。討伐されたようだ。

 うん……どうやら終わりらしい。

 などど呆けていたら――


「そんな所で何をしているの?」


 と、いつの間にかやって来ていた教官に声を掛けられていた。


 ~


 昨日のアレ、本気を出してるようにも思えなかったな。

 と、珈琲を飲む教官の顔を見ながら思った。


 ちなみに、カルディア周辺の危険指定種討伐は今日も行われる予定だが、俺達訓練生は参加しない。

 後は"超"級冒険者のセイラと、他の冒険者達数人でやるらしい。


 っと、そろそろ時間だ。

 残っていた珈琲を飲み干して、立ち上がる。

 時間と言っても、教練開始にはまだ時間はあるのだが、俺が教室に向かうのはいつもこれくらいの時間だ。


 初めに俺が教室へ行き、その少し後に……リーネがやって来る。


「シファ……」


 部屋を出ようとする俺だが、教官の声に立ち止まる。


「ちゃんとリーネさんの誤解、解いておくのよ」


「……はい」


 俺は、教室へと向かった。



あなたのその評価で、一喜一憂しております。

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