#50 魔境化する深層
ルエルは強いし、俺と違って常に冷静だ。
玉藻前の時は、そんなルエルに救われた。
冷静なルエルが傍にいてくれたからこそ、怒りに任せて振るおうとした拳を抑えることができた。
こうして色々な奴と出会い、姉から教わっていないことも学ぶことが出来る。
そういった意味で、姉は俺を訓練所へと放り込んだのだろう。と、今さらながらに思う。
大丈夫。ルエルなら大丈夫だ。
静かに、俺はルエルの戦いを見守ることにした。
「すぅ……」と、ルエルが息を深く吸い込み――「ふぅ――」と、長く、静かに、そして大きく吐き出した。
すると、俺達の周囲に大きな変化が現れる。
――ブルリと、思わず体が震えてしまった。
悪寒か? と思ったがどうやら違う。
吐く息が白い。
周囲の気温が、急激に低下しているんだ。
――ピシリ。と、足を動かすとそんな音がした。
足元の草が凍り付き、砕けたらしい。
「見事な技能よなぁ。魔力を吐息に混ぜて、周辺の環境を変化させているようじゃの……ぶえっくしょんっ!」
ズズーと、鼻水をすすりながらも支部長コノエはその偉そうな態度を崩さないらしい。
「技能『零界』じゃな。やはりクレアの妹なだけはある、ということかの……っくし! この娘も、氷属性に秀でておるな……っくしゅん!」
な、なるほど。
少なくとも、この幼女が寒さに弱いのと、ルエルの姉もただ者ではないということは分かった。
そしてルエルもだ。
「っぶしゅん! ふぇ……」
っと、ミレリナさんもか。
「――――」
そんな時だった。
変わった環境に耐えられなかったのか、コカトリスが鋭い鳴き声を上げる。
1体ですらうるさいのが、3体だ。
そんな煩わしい泣き声が木霊する中、ルエルが跳躍した。
大きく弧を描くように跳び、コカトリスの向こう側へと回り込む。その途中――中央のコカトリスの頭上で、ルエルは勢いよく右腕を振り抜いていた。
――その結果なのだろう。
中央のコカトリスの体に、巨大な氷の刃――氷柱が穿たれていた。
氷柱を放った。と言うよりかは、コカトリスの体を貫くように、そこに出現させたような、そんな感じだ。
そして――パリィン! と、その氷柱は大きな音と共に砕け、消え失せた。
ドシャリと、1体のコカトリスが倒れ伏す。
凄いな。
瞬く間に1体討伐してしまった。
「ふむ。既に勝負はついておるな」
その言葉の意味を、俺も少しして理解した。
残る2体のコカトリスが、ルエルに敵意を強くする。
鳴き声を上げて、翼を激しくバタつかせるが――翼の羽は凍り付き空を飛ぶことは出来ず、毒の粉塵を放つことも出来ない。
くちばしを広げて吐いた毒の霧も、瞬く間に氷の粒となり地に落ちる。
コカトリスは既に、囚われた鳥だった。
逃げることも、抗うことも出来ない。
ルエルは、その手に出現させた氷の剣で――コカトリスの命を奪った。
~
「見事じゃな。……しかし、姉のように持続させるのは難しいか。魔力が持たぬと見える」
すっかりもとの環境に戻った中で、そう言う支部長コノエの見下ろす先に、
「はぁ、はぁ、はぁ……はぁ。は、はい」
と、ルエルが呼吸を荒くして、両手両膝を地面に突いている。
かなり辛そうだ。
周囲の環境まで変化させてしまうには、余程の魔力を必要とするらしい。
時たま苦しそうに胸を抑える仕草は、見てるこっちまで辛くなる。
「大丈夫か? ルエル」
「え、ええ。ありがとシファ。少し、疲れたかも」
手を貸して楽な姿勢を取らせてやる。
――冷たい。
ルエルの体に触れてみると、体温がかなり低下しているのが分かる。
流石に心配だ。
「ふふ、大丈夫よ。少し休憩すれば良くなるから」
本当かよ。
無理して笑顔を作っていそうなルエルに、俺も笑顔を向けてやることくらいしか出来ない。
とは言え、ルエルはしっかりとコカトリス3体を1人で討伐して見せた。
さあ、次はどうする? いや、この流れから察するに――
「ふむ。次はお主じゃが……」
やはりこの幼女、俺達ひとりひとりの実力を確かめるのが狙いか?
支部長コノエが次に視線を向けているのは、やはりミレリナさんだ。
「お主……シェイミ・イニアベルの妹じゃな?」
「――っ!」
ビクリと、ミレリナさんが体を震わせた。
シェイミ・イニアベル――
って誰?
すぐ横で座って休んでいるルエルに俺が視線を向けると、流石ルエル。すぐに説明をしてくれた。
「……"超"級冒険者。"破滅詠唱"のシェイミ・イニアベルですね。やっぱり――」
「うむ。お主の姉――ローゼに連れられて、鳳凰の討伐に大きく貢献した冒険者じゃよ」
そうだったのか。
確かに思い出してみれば、ミレリナさんのフルネームはミレリナ・イニアベルだもんな。
その"超"級冒険者のシェイミ・イニアベルと家名が同じだ。姉妹なのか。
「わ、私は、お姉ちゃんみたいな凄い魔法は……使えないです」
相変わらず俯いてしまっている。
「本当かのぅ? どうもそうは思えんのじゃがのぅ」
「――っ!」
ズイッと支部長コノエが顔を近付けると、ミレリナさんは肩を縮こませる。
おいおい。ミレリナさんが怯えてるじゃねーか。
ミレリナさんはあまり目立つのが得意じゃないんだぞ?
この幼女は、そんなミレリナさんにも何かさせようって魂胆なのか?
出来れば止めてほしい。
ミレリナさんには調査任務で凄く世話になった。
魔物や魔獣についての知識が少ない俺達の助けになってくれたんだ。
「コノエ様。もう今日は良いんじゃないですか? 見たところ、危険指定種もここにはもう居ないみたいですし」
見た限り、この場に危険指定種の姿は無い。
ルエルが倒したコカトリスしかいなかったようだ。
情報では翼竜、そしてベヒーモスが存在しているらしいが、見える範囲にその姿はない。
まさか、ここからまだ探しに行くという訳でも無いだろうし。
しかし――
「ふむ」
またしても、支部長コノエは凶悪な笑みを浮かべる。
いや、さっきより尚悪そうだ。
一歩、二歩と、支部長コノエは前に出る。大森林、その深層の草原地帯へと。
そして、俺達の方へと振り返った支部長コノエの青い瞳が――妖しく光る。
「なら――呼べばよいだけのこと」
「――っ!?」
瞬間、空気が変わった気がした。
重くまとわり付くような、ズシリとした雰囲気に。
息苦しささえ感じるこの雰囲気は……そう、これは――もしかして。
「ま、魔境化? うそでしょ……」
やはりそうだ。
教官に聞いた魔境化だ。
姉に昔連れられて行った場所と似た空気。
ソレを――この幼女、支部長コノエ・グランデールが作り出した。
そして――
「――――――」
耳を突くような鳴き声が、また聞こえた。
「冗談だろ?」
鳴き声の方に目を向けて、そんな声が思わず溢れた。
遠くからこちらに近付いてくる影が2つ――コカトリスだ。
「それだけでは無いようじゃぞ?」
幼女の視線の先に、森から飛び出してきた――更に大きなに2つの影も、一直線にこっちに向かっている。
やがてその巨大な影は、地響きと共にこの草原地帯へと降り立った。
「ふざけんなよ……」
翼竜だ。
2体の翼竜が、俺達へ威嚇の咆哮を木霊させている。
「はっ。その文句は、まだ早いと思うがのぅ」
地響きが近付いてくる。
向こう側の森の方から、次第に地響きが大きくなる。
森の木を薙ぎ倒し、森の隙間から無理やり飛び出してきたのは――筋骨逞しい、四足歩行の怪物。
黒光りする表皮に、頭には巨体な角。
翼竜よりも更に巨体――これは
「べ、ベヒーモス……」
唖然とした表情でそう答えたのは、ミレリナさんだ。
「さぁ、お主らで協力して、この危険指定種共を殲滅せよ!」
間違いなくコイツが呼んだ。危険指定種を、わざわざここに。
コカトリスと翼竜が2体ずつ。そしてベヒーモス。
危険指定種が5体。
殲滅できるのか? ルエルはまだ万全じゃない。この数を一度に相手にするのは、正直厳しい。
糞幼女め。
「流石のローゼの弟でも厳しいであろう。じゃが――」
そう言って、支部長コノエの視線はまたしても、ミレリナさんへと突き刺さる。
「お主の詠唱魔法があれば、殲滅は可能じゃ」
「――っ!!」
ミレリナさんはまた、体をびくつかせていた。




