#45 《戦乙女と吸血姫》
やれやれ。と言った具合にローゼは苦笑いを浮かべながら、女性の対面の椅子に腰かける。
(ここ、私の家なんだけどなぁ)
まるで我が物顔で、ローゼの目の前に座る女性はカップを口に運び、優雅な一時を過ごしている。
魔境と化してしまった山奥の一軒家で、その様子はあまりにも場違いに見えた。
ただソコに存在するだけで山脈一帯を魔境へと変貌させてしまう彼女は――危険指定レベル28。魔神種、吸血姫。
緩やかなウェーブのかかる白く長い髪が月明かりに照らされ、彼女の真っ赤な瞳は、この暗い部屋の中で妖しい輝きを放っている。
「ルシエラちゃん。来るのは良いんだけどさ、もっと魔力抑えてくれないと。魔境になっちゃってるから、ここ」
「あら? これでもかなり抑えている方よ?」
「駄目駄目。もう私達人間はここに魔神種がいることに気付いてるよ? このままだと、ルシエラちゃんを討伐するための大規模編成がやって来ることになるかもよ?」
「別に構わないわ」
「私も、その中に加えられるかも」
そうローゼが付け足すと、ルシエラはニコリと笑うが。
「それは楽しそうだけど。……はぁ、しょうがないわね」
と、ローゼの頼みに渋々と言った様子を見せてから、ルシエラは手に持っていたカップを机に置いて、唇を尖らせた。
「はぁ……面倒ね」
と呟いたかと思うと「ムムム」と顔を強張らせ、瞼を閉じて力を込める。
まるで強烈に苦いものを一気に口に放り込んでしまったかのような表情だが、こう見えて実は、必死に自らの魔力を抑え込もうとしている。
すると次第にローゼの家の雰囲気は落ち着いていく。
ルシエラがただ存在することで、異常なまでに物々しい雰囲気に包まれていた家。そして山、果ては山脈一帯の空気は、以前の姿を取り戻していった。
カルディア南の山脈一帯の魔境化が治まった。
「ふぅ……結構神経使うのよ? これ」
「それで? いったいどうしたの? 急に私の家に来てさ」
元の雰囲気を取り戻した我が家を見回しつつローゼが訊ねると、ルシエラは――そうだった! と言わんばかりに顔を綻ばせた。
「そうよロゼ! 私、ちょっと楽しそうなことを思いついたのよ! それをあなたに聞いてもらおうと思ってわざわざ来たのよ」
(うわぁ……楽しそうな顔)
吸血姫ルシエラは、いつも暇を持て余している。
彼女にとっての楽しみは、美味しい飲み物を堪能するか、たった一人の友人であるローゼとお喋りすること。
本当なら、こうしていつもローゼとお喋りしに来たい程だが、多少気を張っていなければ周囲を魔境化させてしまうために、それはローゼに止められていた。
そんな彼女が、ここまでやって来てローゼに伝えたい――楽しそうなこと。
――悪い予感しかしない。
世界を滅ぼす、なんてことは流石に言わないだろうが、魔神種であるルシエラには大人しくしておいてもらいたい。
魔神種――吸血姫の討伐なんて指名依頼が発行されかねない。
勝てる見込みも無いし、そもそも友人とは戦いたくない。
そんな指名依頼は断るしかないな。と、ローゼは静かに考えていた――
のだが、ルシエラの口から発せられた言葉は――
「私、冒険者というものになってみようと思うのよ」
――ローゼの予感は的中した。
「い、いやー、流石にそれは無理があると思うよ? だってルシエラちゃん、そもそも人間じゃないし、吸血鬼だよね?」
「あら? 人間でなければ冒険者になってはいけないなんて決まりが、存在するのかしら?」
「…………」
そんな物は無い。
「そもそも、私は人間と見た目は変わらないのよ? この尖った耳と、牙さえ隠しておけば人間で通ると思うわ」
「で、でもルシエラちゃん? ルシエラちゃんはほら、魔境化させちゃうでしょ? 人間のふりしても、行く場所全部魔境化させちゃ……駄目だと思うなぁ、私は」
頬に汗が伝う感触の中、ローゼは頭をフル回転させる。なんとかして、このルシエラが冒険者になることを阻止するために。
この時期で冒険者になれば、時期的に考えて、カルディアでシファと出会う可能性が非常に高い。
訓練所を出所すれば"初"級冒険者のシファ。そして同じく"初"級冒険者のルシエラ。
下手したら臨時パーティーを組むことになる可能性も考えられる。
(そ、そんなのシファ君があぶないよっ!)
思い付く限りの理由をルシエラに話すが――
「大丈夫よロゼ。魔力を抑えるのも最初こそ面倒だけど、やってしまえば意外とイケるから」
流石は魔神種。魔力操作もお手の物だ。
――打つ手なしか。
そう思ったロゼだが、ハッとした。
(そ、そうだよ。ルシエラちゃんは吸血鬼のお姫様だもん)
「やっぱり駄目だよルシエラちゃん。ルシエラちゃん、日の光が嫌いでしょ? お肌に良くないんだよね? せっかくのその美肌が焼けちゃうよ?」
自信があった。
ルシエラは太陽の光を極度に嫌う。
基本的に夜しか行動しないのだ。
そんな彼女に、日中の行動を主とする冒険者が務まるのか? 否でしょ!?
――そう、ローゼは思った。
が
「うふふ」と、ルシエラがどこからともなく取り出した物。
「な、なに? それ」
「日傘よ」
真っ黒な傘。
「極黒石に、ほんのちょっと私の血を混ぜて作った日傘。これなら、日の光を完全に遮ることができるの」
「…………」
そこまでして冒険者になりたいのか。と思う一方で魔境化も抑え込めるのなら、自分に逢いにくるのを止めなければ良かったかなと、今更ながらに後悔してしまう。
そして、自分をたった一人の友人と思ってくれている目の前のルシエラの可愛い笑顔を見てると、これ以上何かを言う気にもなれなかった。
「どう思う? ロゼ」
というルシエラの問いかけにローゼは、
「い、いいんじゃないかな?」
と、答えることにした。
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