#36 再びの『カルディア高森林』
教官には少し悪いことをしたな。
せめて、言われた通りに夕飯の時間までには戻ろう――
って、俺はガキかよ……。
とにかく、『カルディア高森林』まで急ごう。
訓練所を出て、カルディア北側の門を目指して走る。
カルディアという街はかなり広大だ。
街の中心にあるカルディア大広場から、波紋状に広がるようにして栄えているのがこの街だ。
その大広場から、東西南北に向かってそれぞれ大通りが伸びている。
俺達が過ごす訓練所は、その内のひとつの西に向かって伸びる大通り――西大通りに面している。
冒険者組合も、同じ大通り沿いにあった筈だ。
この大通りを進み、広場まで出てから北大通りを進めば、カルディア北側の門には無事にたどり着ける筈。
途中の狭い路地などを活用して、大広場を経由せずに北大通りに出ることも出来るが、俺はあまりこの街の地理に詳しくない。迷うのは御免だ。急がば回れ、というやつだ。
「――悪いっ! 通してくれ!」
そう叫びながら走る。
この時間の西大通りは人が多い。
というのも、西大通りは冒険者組合や訓練所があることから分かるように、冒険者達が足を運ぶ店が多く存在する。宿屋に武具屋に道具屋などだ。
西大通りを行き交う人の殆どは、冒険者もしくはそれに準ずる職を持った人達だ。
今も、これから依頼任務に向かう冒険者や、それの準備を行う者達で大通りは賑わっている。
「はぁ……はぁ……」
西大通りを走っていると、やがて大きな建物が視界の横に現れた。
足を止めて、その建物を見上げる。
――冒険者組合、カルディア支部だ。
どうする? あの幼女支部長に掛け合ってみるか?
もし組合が、玉藻前の討伐を止めるように冒険者達に言ってくれれば、それが一番手っ取り早いんだが――
いや、ユエル教官の言葉を思い出せ。
組合が玉藻前を庇うことは有り得ない。そう言い切っていた。
俺自身の力でなんとかするしかない。と。
――俺は再び走り出した。
~
カルディア北側の門を抜けて、街の外までやって来た。
目の前には、以前の調査任務の時にも見た街道がずっと奥まで続いている。
奥に伸びる街道に視線を凝らすが、それらしい冒険者パーティーの姿は見えない。
ここに来るまでに追い抜いてしまった。なんてことは無いだろうから、ここから姿を確認出来ないとなると、もう既に高森林に侵入ったか?
高森林はたしか北東の位置にあった筈だ。
一際高い森だ、少し街道を進めば嫌でも視界に入るだろう。方向を間違える心配はない。
――先を急ごう。
再び、足を動かそうとした時だ――
「――ちょっ、ちょっと待ってってば! シファ!」
「え――」
そんな声と共に後ろから腕を引っ張られる。
思わず後ろを振り向くと、
「もうっ! シファ、走るの速いんだからっ、はあっ……はあっ……さっきから何回も呼んでるのに、全然気付いてくれないしっ」
両手を膝に突いて腰を折り、全身で息をしている美少女がいた。
汗ばんだ額に、薄蒼色の綺麗な髪が張り付いてしまっているが、そのせいでいつにも増して色っぽさが増しているように見えた。
「え……ルエル。なにしてんだよ、教練抜け出して来たのかよ」
「ちょっ! シファにだけは言われたく無いわ……」
豊かな胸を上下させて、荒く呼吸をしている。
俺を追い掛けるために、かなり無理して走ってきたようだが、いったいなんのつもりだ?
「玉藻前……だっけ? 私も手伝ってあげるわ」
「いやいや、いいわ。ルエルにまで迷惑かけられねーよ」
と言うと、ルエルが唇を尖らせる。
「むっ。別に迷惑だなんて思ってないから安心して。それに今さら戻れないしね。……そんなことより、急いだ方がいいんじゃない?」
確かに。
こうして話し込んでいる時間が勿体無い。
それにルエルがいてくれると、正直言って心強い。というのが本音だ。
チラリと、ルエルの顔を窺ってみた。
「ん?」
大きな瞳をぱちくりさせて顔を傾げている。
相変わらず何を考えているのか分からないな。
不本意……という訳でもないが、ここは大人しくルエルの力も借りることにしよう。
最悪の場合は"上"級冒険者と戦闘になる可能性だってあるし――
いや、その前に確認しておかなければ。
「ルエル、俺と教官の話聞いてたよな? 訓練生が冒険者の邪魔をすればどうなるか、分かってるのか?」
「……わかってるわ。その時は私とシファで仲良く訓練所を退所すれば良いじゃない? さっ、早く行きましょ」
そう言いながら歩き出した。
なんだ?
寧ろ、そうなった方が良いみたいな素振りだが……気のせいか?
まぁいい、とにかく今はカルディア高森林だ。
俺とルエルは、北東の高森林目指して走り出した。
~
「……カルディア高森林。私は何度か来たことがあるわ」
高森林を見上げるルエル。
「え、そうなの?」
ルエルのその言葉に、少しガッカリした。
てっきり、初めてこの森を見たときの俺達みたいな反応をすると思っていたんだがな……。
「たしか、今は魔物も魔獣もいないんだっけ?」
「昼間だけな」
ならば何も気にすることはない。というように、ルエルは堂々と森へと踏み入った。
勿論、俺もその後に続く。
森の中は以前の調査任務の時となんら変化はない。
相変わらず魔物や魔獣の気配はないようだ。
俺とルエルは、森の中を奥へ奥へと進んでいく。のだが――
「で? その玉藻前はどこにいるの?」
「…………」
俺が玉藻前を見つけたのは夜で、昼間にはその姿はなかった。
だが、その時の状況と、今日の教官の話から推測するに、玉藻前は姿を隠しているだけだ。
『妖術』と言っていた。おそらくは、玉藻前がいた一帯ごと妖術によってその姿を隠しているのだろう。
で、夜になれば月の光を浴びるために姿を現すということだと思うが……。
どこだったっけなぁ?
全然記憶に無いわ。
あんな暗い夜の森の中だったんだから、玉藻前がいた場所を覚えておく方が無理だろ。
「……なるほど。覚えてないのね? もうっ、シファったら」
ルエルの優しい叱責が飛んできた。
ただ、なんとなくの方向だけは分かるので、その曖昧な記憶を頼りに森を進んでいく。
どれくらい進んだだろうか? やがて遠くの方から誰かの話し声が聞こえてきた。
談笑している声……という風ではない。
数は複数。男女入り交じった声だ。
俺とルエルは顔を見合わせて頷いた。
そこからは少し慎重に、気配を殺しながら、息を潜めつつ進む。
次第に、はっきりとその声を聞き取れるようになってくる。
そして気付いた。
声の内のひとつは今でもはっきりと覚えている、甘く、透き通るような美しい声。玉藻前の物だ。
「(シファッ、隠れて)」
ルエルに言われるまでもなく、俺は木の陰に身を潜める。勿論ルエルも。
慎重に顔を覗かせて、声のする方へと視線を向けた。
森の中にぽっかりと空いた小さな空間。
紛れもなく、あの日見た場所と同じ場所。
その中心に疲れたように座り込むのは、細い絹糸のような美しい長い髪をした美少女。体よりも大きい九つの尾が特徴的な――玉藻前だ。
そして、彼女を取り囲むようにして立つのは――7人の冒険者達だった。




