#27 『妖獣 玉藻前』
「この、聖火で焼かれた傷は、月の光を浴びせることでしか癒やすことが出来ぬ。それに、今の我に人間と戦う程の妖力も気力も有りはせぬ。この傷が癒えるまではな……」
はだけさせた衣服を整えながら、少女はそう話す。
相変わらず月の光に照らされて、そんな些細な所作ですら美しく写る。
それだけに、彼女の肌に負った聖火とやらの傷が目立つが、当の本人はそれほど気にしていない様子だ。
「傷ついて……いるのか? 戦えないほどに?」
俺のその問いに、少女は静かに頷いた。
危険指定レベル18。妖獣――玉藻前。
本来、彼女が住まう場所はここではない。
ここより更に大陸の中枢。王都より更に東にある『イナリ山』。ソコの『イナリ社』という祠が本来の彼女の生息地、というか住んでいた場所らしいが――
「ある日、鳳凰がやって来ての」
ある日、そのイナリ山に鳳凰が住み着いた。
危険指定レベル20。幻獣――鳳凰。
突如として出現した鳳凰により、イナリ山は聖火に包まれた。
レベル20という強力な幻獣の出現により、ソコに生息していた多くの魔物と魔獣は山の外へと追いやられたのだろう。
それが巡りめぐって、先日のコカトリスや翼竜の出現に繋がっていた訳だ。
そして――
「我は鳳凰を撃退しようとしたのだが、一歩、及ばなかったのよ」
ということらしい。
まぁ、自分の家に無断でやって来て滅茶苦茶にされては、我慢出来る奴なんていないだろうしな。
相手が圧倒的に強い存在なら諦めもつくだろうが、玉藻前だって十分に強力な妖獣らしいし、鳳凰と玉藻前が戦闘になるのも必然だったのだろう。
要するに、なわばり争いみたいなものだ。
で、玉藻前は敗けた。
そして、その時の聖火による傷は月の光を浴びせることでしか治すことが出来ず、この森で治療中。ということらしい。
「なるほど。で? それならどうして俺達を呼び止めた?」
俺達は玉藻前を見つけた時、そのまま引き返そうとした。
なのにコイツはそんな俺達を呼び止めた。
戦う力も無く、傷付き、傷を癒している最中のコイツからすれば、あそこで俺達を呼び止める理由は無いように思える。
現に、おかげでコイツは俺に討伐されかけたんだからな。
何か、理由があるんだろう――
そう思った。
「――ッ!? え、ちょ、なに?」
「ふぇえっ!?」
玉藻前が、俺の質問に対する答として選んだのは。
――土下座だった。
座ったまま、頭を地面につける程の土下座。
美しい白銀の長い髪が垂れ下がり、地面に触れる。
そんな状態のまま、玉藻前が話し出した。
「……どうか、我を見逃して欲しい。我は、再びイナリ山へと戻りたいのだ。そのために傷を癒し、次こそは鳳凰を討つ」
顔を上げないまま、玉藻前は言葉を続けた。
「おそらく、お主らは同族にここで見た事を報告するのであろう? 傷が癒えればすぐにでも我はここから立ち去る、なのでどうか、それまで待っていて欲しい。もしも今、他の者に襲われでもすれば、我に抗う術はないのだ」
全てお見通し。というわけか。
あの時、ここで玉藻前を見つけた時の俺達の僅かな行動から、コイツは俺達の目的に感付いた訳だ。
見たところ、嘘を言っているようにも見えないが……。
「玉藻前は……」
そこで、隣のミレリナさんがソッと話し出した。
「玉藻前は、『イナリ山の護り神』とも呼ばれていた妖獣です。非常に強力な力を持っているため、レベル18に定められていますが、本来は自分から人間を襲うような妖獣では無い……です」
未だに顔を伏せたままの玉藻前に視線を移す。
見た目は人間そのものだ。
九つの尻尾を除けば……だが。
非常に可愛らしい少女。本当にその通りだ。
『護り神』と言われても納得のいく容姿をしていると思う。
「はぁ……」
しょうがない。
これだけ可愛い少女にここまで頼まれて、断れる男がこの世に存在するだろうか? いや、いないね。
少なくとも、俺には無理だ。
――ポン。と、玉藻前の頭を軽く撫でる。
「……?」
すると、玉藻前がようやく顔を上げた。
黄色い瞳を見開きキョトンとした表情が、とてつもなく可愛い。
「わかったよ。だけど俺も嘘を言うことは出来ない。ここでのことは報告した上で、お前に危険がないってことを説明して、手は出さないようにしてもらうから、安心してくれ」
出来るだけの笑顔を作って、そう言ってやる。
――ホッ。と、隣のミレリナさんが胸を撫で下ろしているのが見えた。
「……おぉ! 済まぬ。恩に着る!」
優しく手を握られた。
うん。可愛い少女に感謝されるのは、なかなかに良い気分だな。
「――けどな」
だがひとつ、玉藻前に言っておかなければならないことがある。
それは――
「鳳凰は、お前が帰る頃には既に討伐されているかも知れない」
確か、我が親愛なるロゼ姉が、鳳凰の討伐に向かったとかなんとか。
冒険者組合支部長の……幼女がそう言っていた筈だし、もしかすれば玉藻前が帰る頃には全て片付いている可能性がある。
「……ふむ。お主らの中にも強大な力を持つ者がおるのは知っておる。もし、本当に鳳凰が討伐されるのなら、それに勝ることは何も無い。我は、我が社へと帰ることが叶うなら、なんでも良いよ」
どうやら、玉藻前は復讐がしたい訳ではないようだ。
ただ、自分の家に帰りたいだけなのだろう。
だったら、俺も出来る限りのことはしてやる。
「よし、じゃぁお前はその傷を治すことに専念してくれ。で、完治したら自分の家に帰れ」
「済まぬ。感謝する」
もう一度、深く頭を下げる玉藻前。
態度はでかく、話し方も偉そうだが、しっかりと礼を言うことが出来るし、礼儀を弁えている。
流石は『護り神』なのかな? 昔のリーネさんに見せてやりたいよ、ホント。
「じゃ、俺達は帰るから」
話込んだらそろそろ夜明けの時間が近付いていた。
ロキが心配しているかも知れないし、そろそろ帰った方が良さそうだ。
「おぉ、お主ら、帰りは堂々と森の中を歩いて帰れば良いぞ? 魔物達には手出しはさせぬのでな」
「……?」
「……?」
そんな事が可能なのか?
そう思って、俺とミレリナさんは首を傾げ合った。
「では、気を付けて帰るが良い。本当に感謝しておるでな」
そう言いながらまたしても深々と頭を下げる玉藻前に手を振りながら、俺達は森の中を引き返していく。
~
試しに、言われた通りに堂々と森の中を練り歩いてみた。
――すると。
「はわわっ。凄いです、死霊系の魔物達が一切私達に興味を示しませんっ」
玉藻前の言うとおり、森の中を徘徊する魔物達は、俺達のことを敵と認識していないようだった。
あのデュラハンさえも、俺達の存在に気付きはするものの、とうとう敵対行動を取ることはなかった。
魔物達を操る妖獣――玉藻前か。
なるほど、場合によっては危険な存在だな。
夜のカルディア高森林。
昼間とは全く違う世界と化していた森の調査は、こうして終わりを告げた。
本来生息している筈の魔物、魔獣の姿はなく、夜には数多くの死霊系の魔物が出現するようになっている。
また、森の中心の一角に、危険指定レベル18の妖獣――玉藻前が、鳳凰につけられた傷を癒やすために潜伏中。
この妖獣に敵対する意思は無く、討伐の必要は無しと思われる。
調査結果報告は、コレが妥当なところだろう。
あとは――
我が親愛なる姉が、さっさと鳳凰を討伐してくれれば良いのだが。
森を出て、夜明けの陽射しを背景にロキとツキミが俺達に向かって手を振っているのを見つけながら、そんなことを思う。
姉は、今頃どこで、何をしているのだろうか。




