#25 夜の森の囁き声
ミレリナさんの興奮が治まるのを少し待ってから、俺達は夜の高森林の調査を再開した。
僅かに差し込む月の光を頼りに、森を進む。
木の陰や、生い茂る草に身を潜めつつ、徘徊している魔物を記録していく。
「ミレリナさん、あれは何て魔物なんだ?」
草の陰に隠れながら、暗い森の中を漂うようにしながら徘徊する青い炎のような魔物に視線を向ける。
「あれは……ウイスプです。レベルは3ですが、本来この森には生息していない筈の魔物です」
まただ。
夜のこの森を徘徊している死霊系の魔物。そのほぼ全てが、本来ならこの森には存在しない筈の魔物だ。
間違いなく、この高森林に出現する筈の魔物と魔獣に変化が発生している。
本来この森に生息していた魔物達は、この死霊系の魔物に淘汰された、もしくは追い出された。ということか。
これも鳳凰が出現したことが原因と考えていいのだろうか……。
つい、そんなことを考えてしまうが、やはり俺達がそこまで考える必要はない。
俺達は、調査するだけでいい。
「よし、夜明けまではまだ時間がある。もう少し奥まで進んでみよう」
更に、森の奥へと進む事にした。
~
「あれは……ジャックランタンです」
ふわふわと可愛らしくも恐ろしい、カボチャの魔物が妖しい光を放ちながら徘徊している。
「あそこに見える白い浮遊体は……スクリームです。あまり見ない方が……」
かと思えば、半透明で見るからに恐ろしい浮遊体が、群れを成して森の中を突き進んでいる。
完全物理耐性でも持っているのだろう、木という木をすり抜けて真っ直ぐ突き進んで行った。
どこへ向かったのだろうか。
「あそこにいるのは……」
目に止まる魔物の名前とレベルを教えてくれるミレリナさんには相変わらず感心するが、少し不味い気がしてきた。
と言うのも、森の奥へ奥へとやってくるうちに、魔物の数がかなり多くなってきたからだ。
間違いなく俺達は森の中心へと進んできたのだが、徘徊する魔物の数と種類が明らかに多くなっている。
――そろそろ引き返すべきか?
そう思わざるを得ない程に、どこもかしこも魔物だらけだ。
幸いにも、デュラハンのように生命力を感じ取ることの出来る魔物に出会していないために、ここまで見つからずに進んで来れたが、もういつ見つかってもおかしくはない。
流石に、これだけの数の魔物達を相手にミレリナさんを護りながら戦う自信がない。
――そろそろ潮時だ。
そう思ったのだが。
「っ! シファ君、あそこ……見てください」
木の陰に身を隠しながら、ミレリナさんが俺に示す方向があった。
俺もそちらへ視線を向けてみた。
「なんだ……あれ」
そこは、この高森林の中にポッカリと存在する、少し拓けた空間だった。
昼間来たときは気付かなかったが、こんな場所があったのか。
しかも、その場所の中心に、まるで天から光で照らされているかの様に、月の光が差し込んでいる。
その月の光が照らす場所に――
――少女が、座っていた。
綺麗だ。
そんな感想しか出て来ない程に、月の光を浴びるその少女は幻想的で、神秘的ですらある。
しかし。
「(シファ君っ! あ、あれは、危険指定レベル18……妖獣、玉藻前ですっ)」
そんな俺に、ミレリナさんの焦る声が飛び込んできた。
レベル18? あの可愛らしい少女が? 何かの冗談だろ?
そう思い、ミレリナさんの表情を窺うが――
「………………」
ミレリナさんの額に浮かぶ嫌な汗と、震える手、游ぐ視線が、全て真実なのだと訴えていた。
どうやら、間違いないらしい。
危険指定レベル18。
とても訓練生に手に負えるレベルではなさそうだ。
調査結果として組合に報告するべき存在だ。
「…………」
「…………」
――今すぐ引き返そう。
ミレリナさんと視線を合わせ、頷き合った。
絶対に見つかっては駄目だ。
ただでさえ、周りは魔物だらけだというのに、あんな大物まで相手に出来る訳がない。
そう思って、来た道を引き返そうとした時だった――
「もし? ソコに誰か居るのであろう? 人間……であるな? 姿をお見せ」
まるで、耳元で囁かれているかのように、少女のような美しい声が響いた。
ミレリナさんにも聞こえたらしく、ふるふると震えながら顔を青くしている。
確認するまでもなく、あそこで月の光を浴びている少女――玉藻前が発した声だろう。
「二人……居るのであろう? 悪いようにはせぬ、姿を見せておくれ」
甘く、透き通るような声。
ソコの少女とは、まだそれなりの距離があった筈だが、不思議と耳元で囁かれているように聞こえる。
とにかく、俺達のことはバレているらしい。
果たして、どうするべきか。
言われた通りに姿を見せるべきか? 逃げるか?
それとも……戦うべきか?
レベル18が、いったいどれ程の強さなのかは分からない。
以前に倒したレベル7の翼竜は、正直てんで弱かった。
さっき見た少女の姿を思い出してみる。
姿は人間に似ていた……気がする。
少なくとも死霊系ではなさそうだ。となると、物理攻撃は通用する筈。
森の中だが、この場所は少し拓けた空間だ、長剣を使えるだろう。
「どうした? 隠れておるのは分かっておるよ。恐れて……おるのか?」
「…………」
震えるミレリナさんが、視界の端に写る。
俺ひとりなら、全力で走れば逃げ切れるだろうが、ミレリナさんも一緒の今、その選択肢は無しだ。
ミレリナさんを危険に晒すことは避けたい。
ならば、姿を見せるか、戦うかの二択だ。
俺達が隠れているのはバレている。
しかし、どこに潜んでいるのか、その正確な位置まで奴は分かっているのか? ……分かっていないんじゃないか?
なら、姿は見せるべきではない。
奴の言っていることがどこまで信用出来るのかも分からない現状、奴の言葉に従うこともできない。
――やるか。
飛び出し、一気に距離を詰め、収納から『聖剣』を取り出し、首を刎ねる。
大丈夫だ。姉との特訓を思い出せ。
レベル18と言っても、姉のほうが強い……と思う。
とは言え、俺は姉に一度も勝ててはいないが……。
「ふぅー……」
軽く息を吐き、集中する。
「はっ!」
全神経を集中させ、俺は体を素早く回転させながら木の陰から飛び出した。
力強く地面を蹴り、今も変わらずにソコで月の光を浴びながら座る少女目掛けて駆けた。
一気に距離が詰まる中で、月に照らされる少女の姿が鮮明になった。
非常に美しい少女だった。
白銀の細い絹糸のような髪は、月の光に照らされて神秘的な光を放っている。
柔らかそうな白い肌も、大きな瞳も、どこからどう見ても人間のソレだが、どこか現実味のない雰囲気に包まれていた。
ただ、その背後にある大きな九つの尾が、彼女が人間ではないことを証明していた。
間合いに入ったところで、俺は収納魔法を発動させる。
いつもの白く輝く魔法陣が出現し、そこから『聖剣』を取り出そうとした。
「……魔法はやめよ」
小さな呟きだった。
今度は耳元で聞こえたのではなく、ソコの少女の口から聞こえた。
いや、そんなことはどうでもいい。
その少女の呟きに呼応するかのように――
俺が収納から武器を取り出すために出現させた魔法陣が、霧散していた。




