092 セシル・アントワープ
初めてバトル・ユニバースを見たときのことは、今でもよく覚えている。
悪戯っ子だった私は、箱を見つけてはよくひっくり返していた。
そのとき、小さな人形が、いくつもボロボロと落ちてきたのだ。
「セシル、ダメだよ。これは大切なものだからね」
「パパ、これなあに?」
「これはね、バトル・ユニバースっていうんだよ。セシルには、ちょっと難しいかな」
「じゃあ、これは? これなあに?」
「これは騎士で、こっちが魔法使い、とっても強くて、皆を守ってくれるんだよ」
「ふうん、私もこれであそぶ」
「セシルにはまだ無理だよ。違うので遊ぼう――」
「やだ、これする!」
ルールなんてよくわからなかったけれど、小さな駒を動かすだけで、楽しかった。
剣や杖を持った小さな人形が、前に進んで敵を倒す。
幼いながらも、それが恰好いいとわかっていた。
その日から私は、ずっと人形を片手に過ごした。
それが、駒だと分かったのは、随分と後の話だ。
「じゃあ、魔法使いを前にするー」
「……負けた……嘘だろ……セシル、すごい、すごいぞ。お前には才能がある!」
六歳になったとき、私はバトル・ユニバースのルールを完全に理解し、お父さんに勝った。
後に知ったことだが、お父さんは凄く強かった(らしい)。
七歳になると、地元で強いとされている大人たちは一切相手にならなくなった。
私は貴族だったし、それなりに裕福だったから相手には困らなかった。
「セシル凄いねえ」
「セシルちゃんは天才だ!」
「この子は将来凄いことになるぞ!」
楽しかった。褒められることもそうだが、バトル・ユニバースをしている時は、それこそ時間を忘れられるほどに熱中できたからだ。
八歳で各国を集めた大会が開催されたことを知り、私は出場し、見事に優勝を飾った。
とんでもない偉業だと言われたが、正直、誰も相手にならなかった。
それからだ。周りが変わっていくのを感じたのは。
「ねえお父さん、バトル・ユニバースしようよー」
「忙しいんだ。それに、もうセシルには勝てないんだ。僕とやってもつまらないだろう?」
そんなことはなかった。だけど、私と戦っている人は、みんな楽しそうじゃない。
大会だってそうだった。私が嬉しくて笑みを浮かべていると、周りからは性格が悪いと言われた。
なんでかわからなかった。みんな、バトル・ユニバースが好きなんじゃないの? ――と。
貴族学校に入学したときも、初めは有名人扱いされた。
みんながこぞって対戦を挑んでくるが、途中からそれがパタリと止む。
バトル・ユニバースが好きだという人たちの輪に入ろうとしても――。
「ごめんね、セシルさんとはレベルが違うし……」
「そうそう、私たちとやっても楽しくないでしょ?」
気づけば私は孤立していた。
幼いころから、勉学は苦労せずできた。理由をよく聞かれたりしたが、私だってわからない。
覚えたことをただ書くだけ、それだけだ。
だけど私は、魔法が苦手だった。
「セシル、このくらいできないとバカにされますよ」
「はい、先生」
問題は明確だった。
圧倒的な魔力量不足。術式を構築しようにも、それが足りない。
別に強くなる必要なんてない。貴族で生まれたおかげもあって、魔法が扱えるという肩書だけで問題はない。
だけど私は、いつも駒を眺めては羨ましかった。
「私は……君たちになりたかったんだよね」
バトル・ユニバースの駒は、過去の偉人を元に作られている。
英傑と呼ばれたグリスト騎士、世界最強の魔法使いレムリ。
私は、そんな王を守る彼らになりたかった。
だけど私には、その才能がなかった。
「合格だ、セシル! 流石だよ!」
「凄いわセシル」
「ありがとう、お父さん、お母さん」
ノブレス魔法学園に入学したのは、貴族として、父と母が喜ぶだろうとわかっていたからだ。
強くなくても、座学はノブレスでも重視している。
だけどほんのちょっとだけ、私も変われるんじゃないかと思っていた。
強く、憧れた騎士や魔法使いのように――。
だけど現実はそう甘くなかった。
「一位、ヴァイス・ファンセント 二位、アレン――」
座学ではトップクラス、でも私はやはり体力面、魔法面においては最下位だった。
ただノブレスではそれで品位が下がることはなく、ポイント至上主義だということもあって、私は一目置かれていた。
だけどこの世界の人たちは、誰もが強者に憧れる。
例外なく、私もだ。
強い人たちを眺めて、彼らがこの世界の主人公なんだろうと勝手に思っていた。
だけど私は、その中心に立つことはできない。
ただ好きなゲームに興じ、彼らとは違う部分で自分を保つしかない。
そのとき、図書館で向こう側の人を見つけた。
――ヴァイス・ファンセント。
驚いたことに、彼が手にしていた本はバトル・ユニバースの歴史本だった。
思わず頬が緩む。
悪名高い事は知っていたが、学園内での彼の素行はまるっきり違う。
といっても、そんなことは歴史ではありがちなことだ。
高鳴る鼓動を抑え、私が声を掛けると、彼は何と私とバトル・ユニバースがしたいと言ってきた。
だけど、不安もあった。
多くの人が、初めは嬉しそうに声をかけてくる。
だが次第に、表情が曇っていく。
それが、怖かった。
だけど――彼は違った。
「もう一度だ、セシル」
負けても前だけを見続けて、私を打ち負かしたいと何度も勝負を仕掛けてきた。
私なら絶対にそんなことはできない。
それが、格好良かった。
そしてなんと彼は、私に頼み事があるといってきた。
驚いた事に、厄災が訪れるという話。
不謹慎かもしれない。
だけど私は、こっち側に来いと、手を差し伸べられた気分だった。
教室の端で佇んていた私が、突然現れた勇者に手を引かれたのかと錯覚したのだ。
もちろん、普通なら信じないだろう。
だけどファンセントくんは一生懸命、私に勝とうとしていた。
その真剣さが、ゲームを通じて伝わったからだ。
それから私は、毎日のように彼と厄災について話し合った。
できる限りの事態を考慮し、過去の文献を調べ、私は、皆を守りたかった。
実際に厄災が訪れたときは、正直逃げ出したいほど怖くなった。
私の言葉で、行動で、大勢が死ぬ。
その重圧が、現実となる。
だけど、ファンセントくんは、まっすぐに立ち向かっていった。
それが、格好良かった。
「セシルさん、あなたのおかげよ」
「セシル、格好良かったぜ!」
「流石セシルだよなあ!」
それから私は、いろんな人にまた認めてもらえるようになった。
それも、バトル・ユニバースじゃない。
私自身をだ。
本当に嬉しかった。
だけど私は……いつも安全圏にいる。
汗を流し、血を流し、命を懸けている人と違って、私は――。
「――クロエ先生お願いがあります」
「セシル、どうしたのですか?」
「……私は、強くなりたいんです」
クロエ先生は、ミルク先生やダリウス先生と違って魔力量が多くない。
けれども、ノブレス魔法学園の教員となり、さらに厄災でもとんでもない活躍をしていた。
先生は、魔力量が少なくても戦う方法を知っている。
だがそれは、とんでもない努力が必要だった。
「それで終わりですか? あなたの覚悟は、それだけだったと?」
「いえ……まだまだやれます」
今までの甘えをすべて捨て、私は、少ない魔力をあえて全力で出し切る練習を始めた。
この世界では、ごくまれに魔力を全く持たない人が生まれる。
だけどその人たちは、先天的に身体能力が高い。
そしてクロエ先生は、後天的にそれを生み出す方法を知っていた。
意図的に魔力をすべて放出し、命を失う覚悟で術式を構築する。
身体からすべての魔力がなくなると、ありとあらゆる攻撃が致命的なダメージとなる。
「先生、いまの私……」
「ええセシル。――驚くべき速さ、そして素質です。よく頑張りましたね」
だが私は、その代わり速度を得た。
これは、諸刃の剣。
一撃でも食らえば、私は大ダメージを受け、気絶してしまうかもしれない。
だけどそれでもいい。
私は遠くで見ているだけの駒じゃない。
全てを代償に、私は――ファンセントくん、あなたに勝ってみせる。
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