◆彼の思考は変なのです
夕凪は、微かな音一つだけで目を覚まし――静かにベッドから降りると、低い体勢のまま、恐る恐る扉を開けました。
(……なかなか、この癖とれない……)
幼い頃、彼は狭い部屋に閉じ込められてばかりでした。
些細な音を出せば怒られるし、部屋の向こうの物音を不審に思って勝手に出れば殴られるし。よく生々しいものを見てしまう――ので、幼心に深く根付く傷になっているのです。
慎重に慎重に、母親が寝静まった頃に部屋を出て、静かに、そして素早く、母親にばれない程度に食料をくすねる日々を過ごしてきたせいか、今では戦闘にまで役に立つほど彼の隠密スキルは高いのでした。
「今日は晴れね」
少しだけ開けた扉の、隙間から見えるのは――薬と水を飲んでいる、彼が慕ってやまない魔女。
その姿を見て、彼はホッとして部屋からずるずると出て来ました。
……当然、魔女は驚いて水を噴きました。
「ぶっ!?……あ、あああ、あなたね!もっとまともな出方は無いの!?」
「……ごめんなさい…」
しょんぼりと彼が謝ると、彼女は溜息を吐いてから彼に近寄ると、ぴょんと跳ねた髪を撫でつけてあげました。
「まったく……"おはよう"。もしかしてうるさかった?」
「ううん…おはよう」
思えば、彼が挨拶一つにホッとするのは、彼女が初めてかもしれません。
しかも、寝癖が付いてると撫でてくれたことなんて、母親でも無かったのに。
「今、ご飯作るから……落ち葉を集めてくれる?」
「ん。」
「厚着をしなさいね。ほら、このコートとマフラー使いなさい」
「これじゃあ熱い…」
「いいの」
押し付けられたそれを、彼は結局受け取ってしまいました。
彼女は「よろしくね」と言って台所に向かうと、難しそうな顔で卵と睨み合いっこを始めます。
(わざわざ…用意、してくれたのかな)
手直しを加えられたそれは、温かそう――彼は静かに部屋に戻って寝間着から部屋着に着替えると、言われた通りコートとマフラーを着用します。
外に出ると寒風が頬を撫でるのに、彼は何だかとっても、ほっこりしました。
*
「おつかれさま」
「ん。」
頭に葉を乗せているのも気付かずに帰ると、魔女さんはくすくすと笑いながら取ってくれます。
それをテーブルの端に置くと、「出来てるわよ」と言って彼に手洗いをしてから座るように指示しました。
彼は名残惜しそうに上着とマフラーを脱いで、指示通りに手を洗い跳ねた髪をもう一度直してから席に着きます。
「今日のオムレツはなかなかに上手に出来たわ」
「ほんとだ」
「それとか、あとパンもね、今日は調子良くて――」
たんと食べなさいな、と盛りだくさんのパンを入れた籠を置いて、次にじゃが芋のポタージュを置きました。
最後に温かいお茶を注ぐと、上機嫌で「食べましょうか」と微笑みます。
「いただきます」
「熱いから気を付けてね」
「うん………おいひい」
「よかった!」
前の世界、彼の実家では惣菜ばかり食べていたので、こういう手作りの洋物を食べたことはありません。(旅の合間も、簡単な物しか口にしませんでした)
(……ああ、じゃが芋はスープになるんだ。)
――なんて何だかおかしなことを考えながら、今度はオムレツを食べて少し頬を染めました。
「……おいしい」
「ふふっ」
今日はこう、「いける!」って思ったのよねえ、体調も良いし、何だかやる気が湧いたわ。……などなど、彼女は機嫌良く語っては彼に微笑みます。
「でも、あなたが居てくれて…よかったわ。せっかく上手くできても、一人じゃあ味気ないしね」
「…!」
「おかわりあるからね!」
ちょっと照れくさそうな顔がまた、可愛いらしい。
夕凪はぶんぶんと尻尾をふる犬の幻を見せながら、ぽそっと呟きました。
「俺も……ディアと食べれて、嬉しい」
「そ、そう?」
「こんな美味しいご飯、初めて」
「お、おだてるのが上手ねっ」
「今まで……俺、母親とご飯食べると、顔を見せるなとかお前なんかに食わせたくないって色々怒られては皿を投げられたから、そう言ってもらえると嬉しい」
彼の発言の一つ一つで、照れ照れしていた彼女の顔はどんどん強張っていきましたが、彼はまったく気づきません。
「俺のせいで、ディアが不快にならなくて、よかった」
情を誘う訳でもなく、彼は心底そう思うと、ほっと息を吐きました。
けれど彼女はもう我慢ならんと立ち上がって――彼の横に回ると、ぎゅ、と彼を強く抱きしめます。
「馬鹿!あなた……本当に馬鹿!」
「…?」
「こんな…美味しそうに食べてくれる人を、嬉しそうに話してくれる人を不快に思う訳ないでしょ!あなたと話したり食べたりすると気持ち良いから、こうやって……っ」
「ディア――」
「……もう、そんな悲しいこと言わないで」
「うん…ごめんなさい」
「…私も、朝から怒鳴ってごめんなさい」
お互い深々と頭を下げると、何とも言えぬ空気に思わず無言でお互いの顔を見つめていました。
「…………」
「…………」
「……………」
「…………―プ」
「……え?」
「スープ……冷めちゃう…から」
「あ、うん……」
そうは言うものの、実は丁寧に庭を掃いていた夕凪を待っていた結果、だいぶ煮込んでしまったこのスープ。まだまだ温かいというか熱いというか。
苦し紛れの彼女の一言に従ってスープを一口食べた彼は、何を思ったのかスプーンを置くと、不思議そうな彼女の目の前で、
「え……ええっ!?ちょ、待って!まだ熱いでしょ!?ちょっ、やっ、ば――!」
咽ながらも男らしく飲み干した彼は、唇を震わせながら(流石に無表情は装えなかったようです)、そっと静かに皿を差し出して、
「この味、すき。……おかわり」
「あ……ありがとう……」
その言葉はとても嬉しかったのだけれど。
その後、何かに憑りつかれたように一人で鍋一つ分を食し、「美味しい」と何度も言う彼を見て、「もしかして、これがあの子なりの空気の変え方なのかしら……」と不器用過ぎる彼を(色んな意味で)とても心配したそうです。
*
ディアに叱られた→悲しそう→でも嬉しいな→ああだけど無言の空気→どうする⇒そういえばさっき、食べてる姿を嬉しそうに見てた………
そうか、 大 食 い す れ ば 更 に 喜 ん で も ら え る !
……↑と思った夕凪君、いくら勇者でも流石に胃もたれしました。
目の前でスープ大食いを咽たり咳き込みながら鬼気迫る顔で食べる夕凪君を正面から見守っていた魔女さんですが、流石にドン引きしました。




