2.覚醒
※R-17G注意
「お断り、ですか?」
執事が渡された手紙を丁寧に受け取りながら、やたら厚着をした主人に聞き返しました。
頬を治療中のクローディアは「ええ、」と溜息を吐いて、羽ペンの先を撫でます。
「この顔で会えないでしょう。…それに、なんか寒気が酷くて……夕凪との時間もとれないのに、他を優先することなんて出来ないわ」
「そうですか……ああっ!そうですお嬢様、雑務はあの男に押し付けたら如何でしょう」
「ん?…ああ、そうね。忙しくて忘れてたわ。じゃあ持って行って頂戴」
あの男、とはだいぶ前に屈服させた、憎き男の息子のことです。
夕凪にかまってばかりで存在を忘れていました―――遊び人と言えどあれも貴族の端くれ、雑務を押し付けられても上手くこなしてくれるでしょう。
しかも適当にこなせばどんな目に遭うかも分かっているでしょうし、……地味に嫌な虐めですね。
もちろん、愛する両親、会えぬままの別れとなった弟を思えば、こんな温いもので終わらせるつもりはありません。
もっともっと、ヴァンダインの人間は苛め抜かねば―――
「…しばらくしたら売ってしまいましょう」
―――どこがいいかしら、ね…?
魔女らしく笑えば、やたら増す悪寒。……これは本当に風邪かもしれません。
もう仕事も押し付ける物しかありませんし、早めに切り上げるのが吉ってものです。
クローディアは隣室にある(何かあった時の為に、彼の寝室は隣なのです)彼の部屋へと向かいました。
ノックの後にゆっくりと扉を開けると、本に囲まれた彼が居ました。
「あら夕凪。読書中だったの?」
「うん」
「そう…じゃあ、いいかしら」
「?」
「…具合が悪くて……今日は、一人で寝てくれるかしら?」
「えっ」
「だって、風邪をうつしてしまうといけないでしょう?…でも、明日には時間も取れたから―――」
「お世話する」
そんな、新しい遊びを思いついた子供のような顔で……。
「結構よ」と言ってお断りしても、「やだ」しか返って来ません―――どうしてここまで我儘になってしまったのかしら、と、クローディアは眉根を揉みます。
「もう、じゃあ世話だけね、一緒に寝ては駄目よ」
「もちろん」
「……ベッドの下で寝るとかも、駄目だからね」
「………」
「その顔やめなさい」
しょんぼりした夕凪の頭を撫でると、そっと彼の手を握ります。
数歩歩いてから、ちらりと振り返れば、夕凪は嬉しそうに付いて来ます―――
(……まさか、ね……)
今だけ、悪寒がまったくしないのは―――なんて。
*
花瓶が割れる音で、目が覚めました。
「夕凪!?」
見れば、彼の手は真っ赤―――慌てて寝台から飛び出すと、おろおろした彼の手を取って傷口を診ました。
「ごめんなさい、虫を払い落そうとしたら―――」
「いいのよ。…それより他に傷は?」
「大丈夫」
音を聞きつけて様子を見に来た侍女に目配せすると、渡された薬にお湯と布を使って彼の手を綺麗にしていきます。
丹念に薬を塗って、するすると包帯を―――だいぶ慣れた手つきなのが、嫌になります。
(この子って、本当に…勇者なのにドジっ子よね。いや、抜けてるというか…)
力の加減が下手というか何というか。
…クローディアは治療を終えると、花瓶を直します。
「……あら?こんな花、飾ってたかしら?」
「お嬢様、それはアール様から先程……」
「俺が寝てるディアに代わって、受け取った」
「―――ら、虫を見つけたの?不器用さんね」
「え、そっち?」と侍女が内心突っ込むも、クローディアはまったく気にしていません。
だって自分がドジっ子ですからね、物を受け取って落とすなんてよくやらかしますもの。
「お花、こちらで処分しますわ」
「それも何か……悪いわね」
「ですが―――」
「俺、欲しい」
「「えっ」」
「だめ…?」
「え、あ…駄目ではないけれど、もう綺麗なものでもないでしょう?」
「でも、この花珍しい。調べたい」
「勤勉なことね。……見栄えが良いのだけ、彼の部屋に分けてあげて。後で謝罪の手紙を書くから」
「……了解しました」
「ごめんなさいね」
それって贈り主が可哀想、と思いながら、侍女は花を拾い上げます。
一本、二本―――あら、この花駄目だわ、と手を止めた時、侍女は見ました。
ぐしゃり。
夕凪の足下、踏み潰されてぐちゃぐちゃの、花が。
恐る恐る顔を上げると、彼はまったくの無表情です。無表情で―――
「夕凪、服が濡れてるわ。早く着替えないと風邪を引いてしまうわよ」
その言葉に、彼は途端に嬉しそうな顔になります。
侍女が困惑している間にもクローディアはお茶を淹れようと背を向けて、「何が飲みたい?」と夕凪に尋ねるだけ。
「ルイボスティーかな」
―――返事をしたと同時に、暖炉の火へ潰れた花が放り投げられました。
「お嬢様、お手紙と、その……」
―――もぞもぞと、侍女は申し訳なさそうに荷物をテーブルに置きます。
あれから数日後、侍女仲間の間ではこの役を嫌がって押し付け合うのです―――アールの、贈り物を届けるのを。
一度だけクローディアが一人の時を待って渡したものの、運悪く急ぎの内容で……ええ、それ以来、届き次第渡すようになりました。
どんなに嫌でも、環境の良い職場を提供してくれる主を困らせたくはありませんからね。
爵位も同じく、むしろ先輩に当たるアールからの物は丁重に扱わねばなりませんし……。
「あら、また?」
アールという男は紳士的に近寄るので、クローディアはどうにも危機感が持てないのです。
しかも魔界新聞で「次期魔界三代美女は!?」という人間と何ら変わらぬ趣旨の記事が出されて以来、母と同じく三代美女に入るわ魔王陛下からの推しもあるだとか書かれ、求婚の嵐で―――多分、麻痺してるのだと思います。
そんな彼女は長い髪を一本に括りあげて、夕凪に楽器の手解きをしている途中でした。
「え、えっと、こちら、贈り物です…」
「そう……これに関しては食べ物でもない限り部屋の前に置いておくだけでいいわよ」
言い切って、ふと侍女の視線に気付いたらしいクローディアは咳払いを一つ。
そして夕凪とくっついていたのを誤魔化すように少しの間を空けて、楽器を忙しなく弄るのです。
夕凪は夕凪で無表情―――ですが、すぐに表情を変えて、
「次、これ弾いて」
と、甘えてしまいます。
クローディアは「夕凪はこの曲が好きねぇ、」と柔らかく微笑んで、贈り物もそっちのけでリクエストに答えてあげます。
その時の二人はとても幸せそうで、パッと見、温かな光景なのですけれど。
「…しつ、れい…します…」
―――願わくば、主に何の悪夢が降りかからない事を祈るばかりです。
*
しかし、願いとは届かないものです。
「ふあ……おはよう爺や」
「ええ、おはようございます……お嬢様、実は夜中に贈り物が」
「またあ?一昨日、贈り物も何もいらないと、直接言ったのに?」
「男というのは諦めが悪い生き物でございますからなあ」
「……はあ、嫌だわ。最近夕凪も悲しそうで―――彼に対して不誠実でいたくないの。何とかならないものかしら」
そう、一昨日のこと、彼女は手紙と贈り物のしつこいアールに、無礼の無いよう気を付けて、正式にお断りの言葉を告げたのです。
「それは…もう一度、お話をするか無視するか……あ、何やら食べ物とのことですよ」
「食べ物?」
「夜中に淑女に食べさせる訳にもと…日持ちするらしいですし」
「ふーん。朝ご飯はこれかぁ……開けるわね?」
「どうぞどうぞ」
―――部屋の向こう、ベッドの端では夕凪がぐっすり眠っています。
クローディアは受け取ったプレゼントのリボンを綺麗に解いて、そっと蓋を開けました。
―――瞬間、
「きゃああああああああああああああ!!!」
朝から大きな悲鳴を上げて、クローディアは箱を放り投げます。
吃驚したせいか叫んだせいか胸が苦しくて、尻餅を着いて―――涙目のまま、見つめるのは。
「何事ですか!?」
警備の者すらも足を止める、箱の中身。
目玉が八つ、団子のように串に刺さってて、黒眼まで揃えていて。
白い鳥だったろうに滅多刺し、内臓は潰されてソースのように身体に付着してて。
潰されなかった腹の中身と頭の中身を入れ替えて無理矢理詰め込むだなんて、……気狂いの仕業です。
「ふ、うっ……ぇ、」
「お、お嬢様―――」
口元を押さえるクローディアに、幼い頃から可愛がり仕えてきた執事長は手を伸ばします―――が。
「ディア、大丈夫?」
すっと、影のように音もなく彼女の背後に現れた夕凪が背中を撫でる姿を見て、その手を下ろしました。
「ゆ、なぎ―――駄目よ、見たらいけないわ」
「……うん。……ディアも。身体に悪いよ」
彼が彼女を抱き上げるのと同時に、使用人は急いで箱とそのおぞましい中身を片付けます。
夕凪はさっさと彼女を自分の部屋まで連れて行くと、そっとソファに座らせました。
「…うっ……、…え、――っく、……ひ、…く……」
昔馴染みとはいえ今の彼女は館の主。
やっと安心して泣けることが出来て、彼女は膝を抱えて顔を隠すと、子供のように泣きました。
「―――…どい、ひどいわっ、どうしてこんなことをするの!あそこまで礼を尽くして断ったのに…!」
「逆恨み、したんだよ」
「そういう人じゃないと信じてたのに!最低だわ、最低……!」
「あいつは、そういう奴だったんだよ」
抱きしめてあげると、クローディアはますます泣いてしまいます。
彼の胸に顔を押し付けて、「ひどい、ひどい…」とだけ、後は聞き取れぬ何かを呟いて。
「逆恨みって、ひどいわ。私は最初から、慕う人がいると言ったじゃない。求婚の度に丁寧に断ったのよ、プレゼントだって、返せるものは返したし、贈り返したわ。なのにこんな、こんな…!」
「ディア、」
「どうしましょう。きっと怒ったらもっと酷いのが来るわ。無視したら社交界で変な噂を……どうすればいいの、みんなは、どうやってやり過ごすの…お父様、お母様ぁ…!」
「ディア、」
迷子の子供みたいに泣きじゃくる彼女の、綺麗な銀髪を撫でつけて。
「大丈夫だよ、俺が"ずっと一緒に居る"んだよ…?」
その時の彼の顔は、どうだったかなんて。
彼女は、一生知らないのです。
*
魔女さーん、気付いてー!




