隠しキャラ:第一王女 檻の中から
「義を見てせざるは勇無きなり」
ぽとん、と、言葉が落ちて来た。
「──って、知ってますか? ある人が、よく言っていた言葉なんです」
ぽとん、ぽとんと振ってくる。
「その人は、その女性は、よく笑う気丈な人でした。助けを求められたら奔走して、辛い時も涙を見せず、強がって笑っている人でした。……とても格好良くて、僕の憧れでした」
ぽとん、ぽとん。
「でもある日、魔法が暴走してから、変わってしまった」
ぽとん。
「その女性の王位継承順位は低いものでしたが、王太子殿下を越える魔力を持っていました。だから色々な人の策略で、失脚させられたんです。魔法が暴走したせいで傷ついた人の責任を叫ばれ、危険だと詰られ、魔法を封じられました。それきり、表舞台に出てくることはありませんでした」
ぽとん、ぽとん、ぽとん、ぽとん。
「数年越しに再会したその人は、かつての笑顔をなくしていました。仮面のような微笑みで、仕方ない、と全てを諦めていて──格好悪かった」
ぽとん。
「私は……僕は、どうせもう魔法なんて使えないなんて自嘲するあの人なんて、見たくなかった。あの人が格好良かったのは、魔法が使えるからじゃない。王族だからでもない。強かったからでも、ない。……自分を信じて誰かのために行動出来る人だから、格好良かったんです」
だから、今のあなたは、とても格好悪い。
「魔法が使えないから、王位継承権がないから、一度人を傷つけたから、だから何ですか! なんでそんなことで閉じこもっているんですか! あなたは、そんなものがないと何もできないような人じゃなかったでしょう……!」
ぽとん、ぽとん、ぽとん、ぽとん、ぽとん、ぽとん、ぽとん、ぽとん、ぽとん、ぽとん、ぽとん、ぽとん、ぽとん、ぽとん、ぽとん、ぽとん──ぽつん。
「……もう、いいです。あなたが僕を見たくないなら、もう来ません。……失礼しました」
ぽつん、と、一人残された。
ぽつん。
ぽつん、と、涙がこぼれた。
もう誰も傷つけたくなくて、そうするのが一番いいと思って、言われるままに閉じこもった。
誰も私を望んでないなら、いなくなってしまうのが良いと思ってた。
彼もきっと、私なんかいらなくなった。
だから私は消えたのに、彼はまた、私に出て来いと言う。
誰にも望まれてないのに。
皆からいらないって言われたのに。
彼にも、もう必要なくなったのに。
ぽたぽたと涙が床にこぼれる。
涙が出たのは久しぶりだった。
昔はあれほど必死に涙をこらえていたのに、今はこぼれる涙をぬぐう気にもなれない。
「──よう、お姫さん。やっぱりこじれたか?」
軽い声がした。
顔を上げると、彼をここに連れてきた、あの従者が窓の外に立っていた。
「お姫さん、俺の主人はお嬢さんだからあんたに優しいことは言ってやれねえ。お嬢さんのために、自分の傷も使って、あんたに権力でも我儘でも何でも使って何とかしろて詰め寄るつもりだ」
従者が腕を捲る。
その腕には今もなお、大きな傷がついている。
彼から騎士になる夢を奪った傷だ。
私がつけた、傷だ。
「俺は十二のとき、騎士になりたくて領主様から推薦をもらって、王都に来ていた。運よく気に入られて、俺は騎士見習いとして城で訓練することが認められた」
彼は才能があった。
年若いため騎士見習いという立場だったが、上から可愛がられ、縁あって跡取り息子がいなかったミーア公爵の養子になる話まで出ていた。
「でもあんたが魔法を暴走させて、俺の腕を奪った」
彼が十四になったばかりの頃、ミーア公爵はすっかり彼を気に入り、養子にする話を正式に進めようとしていた。彼は公爵という高い身分に困惑していたが、ミーア公爵の人柄と周囲からの強い勧めで、養子の話を受け入れた。
人一倍努力家で才能のある彼の縁組は誰からも喜ばれた。少なくとも騎士として彼を見守っていた多くの人は皆祝った。
そして彼が、王城の中庭でミーア公爵の一人娘と初めて顔を会わせた時。
その日、私は誰かの罠に嵌まり魔法を制御できなくなってしまっていた。
誰かを巻き込みたくなくて、私は室内から屋外に飛び出して。
飛び出した先に、中庭に、彼らがいた。
公爵の娘は幼いながら高飛車で我儘で、あまり好かれていなかった。
……いや、私は、公爵の娘が好きではなかった。
私の暴走した魔法は公爵の娘に向かい、──彼女を庇った彼の腕を傷つけた。
人はまず、王族の私を案じ、暴走を収めた。
次に泣きわめいていた公爵の娘を宥め、怪我をしていないか案じた。
そして放置された彼は、治療が遅れたせいで剣を持つことが出来なくなった。
思えば、私を嵌めるためにあえて彼の治療を後回ししたのだろう。
私のせいで、彼は剣を折ることになった。
彼はミーア公爵との養子の話を断った。もう剣を持てないから、と。
ミーア公爵は、ならば娘を守ってくれた礼として、と、彼を従者として雇った。
彼は日常生活なら問題なく送れる程度の握力は残されていたし、騎士となるために礼儀作法も習っていたので、難なく従者になれたそうだ。
ミーア公爵は彼を娘の従者とし、一切の無礼を許した。
そして王都では男子に家を継がせる慣例があったが、新たな養子は取らないと宣言した。その後魔法の才能を見出された孤児が現れても、世話はしても養子にとは言わなかった。
「俺は腕を失った後も救い上げてくれた旦那様とお嬢さんに恩がある。今の生活も楽しいから、別にあんたのことは恨んじゃいねえ。でも、優しくしてやる義理もない」
彼が従者になってから、公爵の娘は徐々に良い方向に進んだ。また王家から公爵家への詫びのつもりか、第二王子を半ば下賜するような形で婿入りさせる婚約を結んだ。公爵の娘と婚約して、第二王子は日々楽しそうに過ごすようになり、公爵の娘も様々な分野に才覚を現し始めた。二人とも仲睦まじく、幸せそうにしている。
それだけが、私の救いだ。
それを壊そうとしたことが、私の罪だ。
「だから、俺はあんたの被害者として言うぜ。──さっさとここから出て俺のお嬢さんを助けろ。それがあの日のあんたの罪の、償いだ」
従者が傷痕のある腕で私に手招きする。
「うちの大恩のある領主様の一人娘が浚われた。うちのお嬢さんの命令で行かせたから、お嬢さんが気に病んでる。助けてくれ。それで、ちゃらにしようや」
ちゃらに?
私はあなたの腕を、人生を奪ったのに?
私はもう誰にも、──彼にさえ望まれてないのに?
「勝手に俺の人生奪うなよ、お姫さん。俺はお嬢さんの従者としての人生を楽しんでんだ。あの突拍子もないお嬢さんを見守って、たまに旦那様と酒飲んで、アポロン殿下の愚痴を聞いて、そういう楽しい人生送ってんだ。お嬢さんの従者にしてくれたって点なら、あんたに感謝してなくもないぜ。俺が養子になってたら、アポロン様はお嬢さんの婚約者になってなかったかもしれないからな」
従者はありがとな、と笑って、
「それに、あの不器用な方は、あんたのことを嫌ったわけじゃねえよ」
と言った。
嘘、と言った。声に出ていたかわからないけど、言った。
従者は「嘘じゃねえさ」と笑った。
「ずっと初恋拗らせてる男の子が、憧れの人をそうそう諦められるわけないだろ? あんたが冷遇された原因だって敵視して、大事な友達を独り占めする気だって嫉妬して、それを全部許容できるぐらい絆されたって、お嬢さんに惹かれなかったんだぜ? お嬢さんをあんたの代わりになんて考えられなかったぐらい、あいつはあんたに惚れてんだよ」
うちの最高のお嬢さんでも、あんたにゃ敵わなかったんだ、と。
ぽとん。
私から何かが落ちた。
従者の笑い声が降ってくる。
「自分のために生きろ、なんて言えなかった坊主だけど、好きなモンは仕方ないよな。──精々、好きな男の前で格好つけて来な、お姫様」
従者の柔らかな微笑みに、私の足は動き出していた。
「っすまない! 貸しにしといてくれ!」
扉から出て、外の眩しさ目を細めながら、ただ走る。
「あいよ、貸しとくよ」という従者の声を後ろに、走りながら、頭を回す。
魔法を封じられても、魔力は封じられない。
お節介な従者のおしゃべりで、大体の事情は知らされている。
原動力も貰った。
好奇の目を振り切って、走る。
「──ああ」
目的地である男は、無関心な顔で私を見た。
傍に控えているのは、愛想の良い表情で鋭く目を光らせている男と、内心が一切読めない無表情の女。
周りには彼と、『お嬢さん』もいた。
私は息を一つ吸って鼓動を落ち着け、昔のように不敵に微笑んだ。
──女の子だって、好きな人の前では格好をつけたいのだ。
「やあ、従兄弟殿」
もう二度と、格好悪いなんて言わせない。




