隣国の王子6 境界線の向こう
「ロイキー、お城行くよー。おめかししてねー」
「はーい。じゃあ侍女さんに……あれ? 侍女さんは?」
「いないよ?」
「…………え?」
「父上に報告させるために、北に送ったから、今はいないよ?」
「……マジ?」
「マジだよマジマジ。侍女がいないとお着替えも出来ないお嬢様じゃないからねえ。父上に報告する方が優先だよ」
「嘘だろ? え、君の優秀なストッパーがいない状況で、お城に乗り込むの? 君と? 嘘だろ?」
「大丈夫大丈夫って。だって……」
ニケは僕に薄っすら、微笑む。
「──北では『何も』ないんだから、ねえ」
ぞくり、と背筋に冷たいものが走った。
まさか、ニケがヘルヘイムの動きを知ってる、なんて、ない、よね……?
僕が情報を流してることを知ってたら。
条件に違反してることがばれたら。
──部下ともども、殺される。
いや、それで済めばいい方だ。
ヘルヘイムの動きと合わせて考えて、ヘルヘイムにも制裁を加えようとしたら……?
ヘルヘイムに骨身にしみてわかっている事実。
かつてのクローデンスは、『反撃は先手必勝で十倍返し』。
必殺技は王家の断絶。
防衛しかしない、なんて猫を被っているけど、その実態は大量殲滅用殺戮兵器。
されたら最も困ることをして、自爆し攻める隙もなくしてしまう完璧な兵器。
もしニケがそれに則り、ヘルヘイム中であのとんでもない攻撃魔法を振り回し、最後に最大威力で自爆なんかしたら、……確実にヘルヘイムは崩壊するし、下手すればアメンティにも負けるほどに退化してしまうのは間違いない。
長く続いた王家も見事に断絶させられるだろう。国の知識人も軒並み殺されるだろう。国土の地形さえ変わってしまうだろう。
いくらなんでもそれは怖すぎる。
しかし責任者がニケであり、ニケならやりかねない──というか喜んでやりそうなところが恐ろしい。
トール元大将が上手いことやってくれてることを期待するしかない。
恐怖に震えながら仕度を整え、「じゃあ行こうか」とニケに連れて行かれる。
ん、んん?
あんまり気軽にさくさく言われるけど、……王城に行くんだよね?
ちょっと行動が速すぎない?
「ニシーケ、アポとか取ってる?」
「連れて来いってのは言われてるから、大丈夫だと思うよー」
「僕、大丈夫じゃない気がするんだけど」
「大丈夫だって、先ぶれとかはテミスが……あ、いなかったっけ。でもなんとかなるでしょー」
「待って? ねえ待って?」
「善は急げー」
「急がば回れ! 待って!?」
そうして、ニケの魔法で姿を隠して潜り込んで、案の定部屋も何も分からなくて近くの人に聞いてバレて、クローデンスの名前でごり押しして突き進んだ。
「今までこういうのはテミスに任せてたからさー」とかニケは気楽に言ってたけど、これ、不法侵入だからね? 処刑物だよ? もしヘルヘイムでこんなことされたら、素直に即捕縛して牢屋行きだよ?
侍女さん戻ってきてニケの面倒見て!
本番前から疲れ果てて、やっとお偉いさんに謁見できるってなったら、……ホーロマがいた。
しかもホーロマ、王太子って。
嘘だろ?
質問を適当にあしらったら、「私が二人の世話をしますので」とホーロマが説き伏せて僕らを『王太子の客』として扱わせるように取り計らってくれた。
ホーロマはこの後も会議があるからと言われ、東のやつらの情報収集は僕の目的でもあるので参加出来ないかと聞いたが、さすがにそれは無理だと言われた。
代わりに弟さんたちの話し合いでも聞いて待っていろ、と連行された。
そしてその途中、ホーロマことホロメスにじっとり睨まれた。
「……ロイキーが、ヘルヘイムで、王族だったんだな」
「ホーロマこそ、王太子だったんだ? 知らなかったよ」
睨みあい、「大体ニケが悪い」ということで和解した。ニケはこの間も無表情で僕らを無視していた。ちょっと怖いからやめて欲しい。切実にやめて欲しい。
とかなんとか子供のお話会に案内されて、しかもアメンティの皇太子らしき男がいた。
やった、三国の王族が揃ったね。むしろこれ、僕じゃなくて姉上のほうがよかった? 次期女王のほうがよかったかい?
しかしアメンティの皇太子は、どうやらお馬鹿さんのようで、
「……何故、タルタロス国内にあのヘルヘイムの人間がいる。クローデンスの人間が手引きしたようだが、ついに落ちたのか?」
こんなことを、言った。
見逃せるはずがないよね?
クローデンスが落ちる? 在り得ない。僕らは今も彼らに怯えている。彼らの本気が怖くて、お遊びでじゃれることしか出来ない。
本気で潰そうとしたら王家を潰され国内に混乱を巻き起こされた。だから本気で潰せない。
夏に行ったら叱られたから、夏には行かない。
お遊びで攻めるだけなら許された。領地に踏み入っても排除されるだけだった。だから攻めることは出来る。
逃げたら見逃してくれるから、逃げられる。
僕らはどこまでもクローデンスを恐れている。
それなのに、そんなクローデンスを、僕ら以下のアメンティが貶める?
殺されたいのか。
ニケも止めないし、本気で殺そうと思っていたが、ホロメスに止められ、ニケにも止められたので渋々やめた。
ていうか、猫かぶりのニケが怖すぎる。
あの緩い日和見ボイスはどうしたの。君の場合表情に感情が出ないから、声にも雰囲気にも出ないと、本当に何思ってるかの分からなくて怖いんだよ。
この後、ホロメスが退場して、美味しいお菓子を食べながら話し合いを聞き、茶々を入れていたが、ニケの言っていた『テロ』について、その恐ろしさを理解している者は非常に少なかった。
さっきから仕切ってる女の子と、あと精々でなんかニケの魔法を破った女の子の二人ぐらいかな。
あんな恐ろしいことはないのに、わかってないのか。
テロ、それも自爆テロといえば、クローデンスの得意技だ。
あの王家断絶の憂き目にあった恐ろしい事件の時も、自爆テロをされた。
他にもいろいろ、いろいろあり、兵を殺されたり民を殺されたり王族を殺されたりしている。
クローデンスはあそこで守っているだけだからこそうちにも対抗出来ている、というのが公式見解だけど、人を、爆弾を送り込むことで、こちらを最大限に攻撃することも出来る。
だからもっともらしく話すニケに『お前が言うな』っていう気持ちになったけど、もしかすると『これからヘルヘイムにも同じことを起こす』という脅しなのかもしれない。そして脅しなら、黙って実行せずわざわざ脅すのだから、大人しくしていれば見逃すという意図もあるのかもしれない。僕の監視はニケの役目だから、ニケの気持ち一つで処罰が変わる。それでもクローデンスだから、あまり温情は期待できないけど……。
話し合いは、ニケの意見で『テロを阻止するために囮を出す』ということで終わった。これに裏があるかどうか聞きたいけど、うっかり藪蛇になってニケに断罪されたら死ぬから、黙っておくことにしよう。
ニケの様子だと、『なんとなく思いついたことを言っただけ』というのと、『そうなるように誘導した』という両方が在り得る。
何となく、ニケ特有の周りに迷惑しか与えないジョークとか、意味不明で不必要な親切心という感じには思えないから、意図していたかどうかが問題だ。
戦争ごっこに対する子供のお話合いだから適当に話していた、というのもあり得るし、それを利用して誘導した、というのもあり得る。
ニケの案が採用されたのだって、この中で一番戦争に関わってるのはニケだから、ニケの意見が重要視されることも、ニケから良案が出ることもおかしくない。何気に僕よりも戦歴が長いんだよね、ニケって。
だから黒幕のように見えて黒幕ではない、と思わせておいて伏線を張っている、というのもニケにはあり得る。
わからないから、突かない方がいいだろう。ニケの場合、意図していても意図していなくても、ろくなことにならない。むしろ意図していた方がマシなぐらいだ。気にするだけ無駄。
お迎えに来たホロメスと合流して、攻撃は明日ということだから今日はのんびり食事をとった。
「そういえば、明日はどうするんだ? 戦いに参加しないなら、適当な部屋に軟禁してボードゲームでもしていてもらうが」
食事中、ホロメスが聞いてくる。
ニケは「私はどうでもいいかな。ロイキーが遊びに行くなら着いて行くし、お部屋で遊ぶなら遊び相手になるよー」とのんびり言って、食事を美味しそうに食べている。
決定権は僕にあるのか。なら……。
「もし参加したいって言ったら、参加させてくれるのかい?」
「吝かではない。ヘルヘイムの王族のロイキーが参戦するなら、アメンティも難癖をつけづらくなるからな。下手に藪を突けばヘルヘイムが出てくる。大人しく黙っていてくれるだろう」
ホロメスはしれっとしてるけど、本音は違うだろう。僕を連れて行くことで監視のニケを戦場に引っ張り出し、なんだかんだ善人なニケが上手いこと助けてくれるのを期待してるようだ。ニケはそのあたりはシビアなんだけど、ホロメスはニケの地雷を何度踏み抜いても懲りない世間知らずだからなあ。
ホロメスは賛成してる。僕を餌にニケを釣ろうとしてる。
ニケは不干渉。僕について来て、僕を監視し、守るだけ。
ことん、と小さな音を立ててフォークを置き、二人の視線を集める。
僕の笑顔に、ホロメスはやや身構え、ニケは無表情で見つめた。
「じゃあ、最前線に行かせてくれるかな?」
僕の身の安全は、ニケが保証してくれる。もしニケが僕を見限っても、得られるものが死なら、室内よりも逃げ道が多い戦場のほうがいい。タルタロスからの監視の目も甘くなる。
折角、タルタロスと東の連中の戦いが見られるなら、戦力を知るためにも、最前列でかぶりつきで見たい。ついでに、ニケがどこまで耐えられるかも知りたい。
ホロメスは顔をしかめた。
「……それで死んでも死ななくても、面倒になる気しかしないんだが」
「そうだね。駄目なら駄目でもいいよ。ニシーケはどうだい?」
話を振ってみると、ニケは美味しそうに料理を楽しんでいるまま、
「どうでもいいよー。手の内がってことならうちは関係ないし、北の守護に必要だと判断したら殺すだけだし」
どっちを見捨ててもいい、と言った。
ホロメスはひくりと顔を引きつらせ、「お前はタルタロスに所属してる自覚があるのか」と文句を言った。僕も、「僕とニシーケの仲じゃないか」と媚びを売ってみた。
ニケは「私は『クローデンス』だからねえ」と一言で両方を封じたけど。
これがクローデンスを取り合う、ヘルヘイムとタルタロスの場外戦だっていうなら、それはそれでいいんだけど、タルタロスとは決定的に敵だし倒せない相手ってわけじゃないからいいんだけど、……ホロメスは僕に出来ないことが出来るからなあ。
ニケは良い。突拍子がなくて意味が分からない変な行動を取って何考えてるか分からないやつだけど、どこまでも『クローデンス』で、どれだけ寄り道しても『クローデンスのため』という指標はぶれないから、そこは信じられる。下手をしたらニケや──ホロメスとの情に傾いてしまう自分より、よっぽど。
どこまでも、誰よりも『クローデンス』的である。それが、魔法なんかより厄介で、ニケを次期領主足らしめているものだ。
でもホロメスはそうじゃない。
何度ニケの地雷を踏んでも、国のためにって踏み込む。
ヘルヘイムのことをあれほど敵視していたのに、僕がそうだと知っても、友情を捨てなかった。
もしかしたら、国を捨てて、情を取ることが、あるかもしれない。
二つとも手に入れるために、必死になるかもしれない。
国のためにって、軍人になって敵を、部下を殺してきた僕と違って、ホロメスはそんな『綺麗事』を追える。追えてしまう。
そしてホロメスが手を伸ばしてきたとき、手を振り払う自分が想像できない。
ホロメスは可愛い弟分だ。
世間知らずで、懸命で、非情になり切れないくせに馬鹿にもなれない、可愛い弟分。大事な友達。
僕はニケとは違う。
どれほど仲良くなっても、『クローデンスのため』と切り捨てることがニケとは。クローデンスが最優先で、いくら寄り道してもそれからぶれないニケとは、違う。
ニケと話すのは楽しいし、ホロメスは友達だ。
でも国も捨てられない。部下も大事だ。心はヘルヘイムにある。
ホロメスがニケのように、ぶれない強敵であり続けてくれるなら、間違っても情でぶれない人間なら、迷うことはなかった。手を伸ばされることも、手を伸ばすことも、考えることはないから。
逆に、情で簡単に揺らいでしまう人間なら、それもそれでよかった。たとえ情勢が動いても、攻める時は僕から手を伸ばして、守れるから。恨まれたって、友達として行動出来るから。
国を取り切れず、情を捨てきれず、迷ってしまう人間だから、困る。
本当に、ニケならよかった。ニケなら、仮に僕が手を伸ばしたとしても、その手を切り捨ててそのまま自爆前提の殲滅戦に移行しただろう。ニケから手を伸ばされたとしても、クローデンスのためであることは確実で、クローデンスを捨てて、というわけではない。本気でやばいときの逃げ口にはなりうるが、クローデンスの害になると判断されれば容赦なく殺されるだろう。
さらにニケなら、クローデンスの人間なら、拮抗状態だし、手を結ぶことも出来る。クローデンスにとってはともかく、ヘルヘイムにとってはクローデンスを懐柔するメリットは大きい。
だから堂々とニケを引き抜ける。
ニケが頷かなくても、仲良くできる。
でもタルタロスは狙うべき土地で。
ホロメスは個人でニケほどの力はなく。
手を差し伸べる理由がない。
見捨てるしか、道がない。
だからこれは、タルタロスとヘルヘイムがクローデンスを取り合っているわけではない。
ホロメスと僕が、国を取るか情を取るか、向かい合っているだけだ。
それを無表情で、揺らがないニケが観戦しているだけ。
戦う相手は自分自身で、駆け引き取引を持ちかける相手はホロメス。
「明日、僕は抜け出しても観戦に行くよ。東のやつらの最後を見届けることが僕の役目で、ここにいる意味だからね」
僕は非情だ。ニケの同類だ。国を第一に思って、情なんかでは裏切らないぞ、と宣戦布告する。
ホロメスは顔をしかめて、ため息をついた。
「……好きにしろ。お前らなら、止めても無駄だろう」
ため息をついて、ただ、と続ける。
柔らかな、純粋な心配を讃えた瞳で。
ああ、どうか。
「──死ぬなよ」
──どうか、僕に手を差し伸べないで。




