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防衛特化無表情腐女子モブ子の楽しい青春  作者: 一九三
転 爆発!地雷原からご機嫌よう!
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悪役令嬢18 話し合い

 『結界』


 静かな声で紡がれた魔法に、心を奪われた。



 これは、セト皇子がクローデンスを侮辱するようなことを言ったことが原因だ。

 セト皇子の侮辱に対して、ニケ嬢は魔法を使い、私たちを結界で覆った。身動きが取れないように、外の喧騒に巻き込まれないようにした。

 そして結界の外では、ヘルヘイムの王子が人間とは思えない速さでセト皇子の眼前に迫り、脅している。

 ホロメス殿下はそんなニケ嬢とヘルヘイムの王子に話しかけている。


 でもそんなことより、私はニケ嬢の使った魔法に釘づけだった。


 ディモス様やアポロン様たち曰く、私やヒロインの魔法は奇妙なんだそうだ。

 一瞬でいきなり出現するような、何もなかったところから急に現れるような感じになっているらしい。

 普通の魔法なら、例えるならスタートからゴールまで道を進んでくるようなものになる。熟練度などによって、歩いてくるのか走ってくるのかはたまた戦闘機にでも乗って一瞬で駆け抜けるのかの違いはあるが、どれもきちんとスタートからゴールまでの道中を経ている。

 だが私とヒロインの魔法は違う。

 スタート地点でふっと消えたと思ったらゴール地点に出現していたような、まるでワープしているようなチートな魔法だ。

 道のりをオールカットして、どれほど長い道のりであっても無視できるというのは、どれほどの強みで、どれほど反則的なものなのか、私も理解している。だからこそ、魔法の腕を褒められると罪悪感を感じてしまう。


 これは、異世界からの転生者であることが原因だと思う。魔法を使うための術式を簡略化させた詠唱ではなく、ただのイメージで魔法を使っていることが問題だ。

 普通に魔法で火を出現させるときには、魔力を集めて術式を練って具現化させるためのキーとして詠唱する、という感じで魔法を使っているらしい。

 しかし私やヒロインは、『火』という漢字のイメージから具現化させるため、詠唱やイメージで魔法を使っている。

 だから詠唱は短く済み、さらに漢字で明確にイメージ出来るため威力も大きくなる。私とヒロインが魔法が上手いと言われているのはそのせいだ。


 私とヒロインは、そのせいだ。

 でも、ニケ嬢は違う。


 ニケ嬢は真っ当に真っ当な魔法を使う。私やヒロインのようなチートは使わず、道のりをショートカットしたりせず、ちゃんと手順を踏んで魔法を使う。

 それでも転生者だからか威力は強いようだけど、速さはこの世界の人間であるディモス様に負けるほどだった。


 でも今、一言で魔法を使った。


 『防護』


 ヒロインが『拘束』と魔法を使ったのを、後出しで防いだ。


 ニケ嬢の作った結界の中では声も封じられているようで、詠唱が出来ない。私は詠唱の漢字で魔法を使っているから、無詠唱だと魔法が使えない。出来たとしても、威力が落ちる無詠唱でニケ嬢の結界を破ることは不可能だろう。

 しかし無詠唱でも威力が落ちないヒロインは、満身創痍になりながらもその結界を無詠唱で破ることに成功した。そしてヘルヘイムの王子に突っかかり、脅され、隙を突いて魔法で拘束しようとし、防がれた。

 その時、ヒロインが魔法が詠唱した後、ニケ嬢が詠唱していた。

 普通なら、ヒロインの魔法のほうが先に発動するはずだ。私たちはチート級の速さなんだから、負けるはずがない。

 なのに、後から唱えたニケ嬢の方が速く、さらに威力も強かった。だからヒロインの魔法は防がれた。


 つまり、つまりだ。

 ヒロインが詠唱して、スタート地点で消えて、ゴール地点で出現するまでの間に、ニケ嬢がスタートしてゴールした、というわけだ。

 一々消えるなんて、ワープなんて遅すぎる、とばかりに。

 追い抜いて行った。


 私とヒロインは、漢字を意識して魔法を使う。だから詠唱がほとんどで、詠唱のみで魔法を使っていると言っても良い。

 でもニケ嬢は詠唱に頼り切ることはない。

 あくまで最後のトリガーとして詠唱を唱えただけで、詠唱を唱える前から魔法はすでに発動していて、最後の一押しとして詠唱しただけなのだ。

 無詠唱で素早く、でも最後に詠唱して威力を増して、詠唱と無詠唱の良いとこどりをしている。


 ……つぅ、と額に汗が伝った。

 勝てる気がしない。

 こんなの、勝てるわけがない。

 どうにか、敵に回さないように立ち回らないと。

 ニケ嬢はクローデンス、タルタロスの独立自治区のような場所の人間で、ヘルヘイムの王子と仲が良い。

 しかし幸い、ホロメス殿下──タルタロスの王太子とも仲が良い様だ。

 例えタルタロスに愛国心がなくヘルヘイムの王子と仲が良くても、せめてホロメス殿下とも友好的であれば、ニケ嬢もこの国を攻撃しないかもしれない。ニケ嬢は脳筋で腐女子で黒幕のようだけど、意外と穏便でもあるようから可能性はある。何しろ私は同じ学園で過ごしたこの二年間、ニケ嬢が声を荒らげたところも、クローデンスのこと以外で怒ったところも、見たことがない。


 意を決して、ホロメス殿下にどんな関係なのか聞いた。

 三人は、


 「友達だ」

 「ホーロマとは友達だけど、ニシーケとは敵だからね」

 「ホーロマは暫定味方、ロイキーはただの敵だけど」


 それぞれ違う答えを言った。

 順にホロメス殿下、ヘルヘイムの王子、ニケ嬢だ。

 何故かホロメス殿下をホーロマ、ヘルヘイムの王子をロイキー、ニケ嬢をニシーケと呼んでいるが、そこは気にしないことにする。


 ホロメス殿下は二人をじとり、と不満げに睨む。


 「友達、だ」

 「だから僕は友達って」

 「ホーロマは知人で、ロイキーは同類かな」

 「…………」

 「ちょっとニシーケー、ホーロマ泣いちゃうじゃないかー」

 「ロイキーのせいでしょー。ロイキーが敵とか言い出したからー」

 「君は敵じゃないか。北に帰ればいつもぶっ殺したりぶっ殺されたりする敵じゃないか」

 「んん? ロイキー、嘘は吐くもんじゃないよ。殺されたり死なされたり、でしょ? うちはロイキーみたいなへなちょこに殺されるような兵はいないんだからさ」

 「ニシーケこそ、嘘ばっかりだね。領主が直々に出てくるほど、追い詰められてるじゃないか。それで殺される兵はいないとか、無理があるよ」

 「ロイキーってば、まさか現実逃避しすぎて現実が見えてなくなったの? うちの兵は全て、領を守るための領の兵なんだから、その総指揮官が領主なのは当然でしょ? 領主一家が前線に出てくるのも、脆弱なヘルヘイム兵ごとき怖くもなんともないからだよ?」

 「仲良しだな、お前ら。だから友達だ」

 「ホーロマ、強引だねえ。ごめんね、ロイキーが話の腰折っちゃって。ほら、ロイキー謝ってあげて。可哀想でしょ」

 「ごめんねホーロマ。僕が悪かったみたいだよ。ごめんね、泣かないでね」


 途中から始まった、ニケ嬢とヘルヘイムの王子の、明らかに馬鹿にしているやりとりに、ホロメス殿下も「私を馬鹿にしているのか」と睨んだ。

 ニケ嬢とヘルヘイムの王子は声をそろえて、弾むような楽しげな声で、


 「「うん」」


 と、答えた。殿下は「お前ら嫌いだ…」とため息を吐いていた。


 ……これ、仲良さそうね。下手すれば、ニケ嬢が学校で作っていた広く浅い友達よりも仲がよさそう。

 じゃあ、一体いつ、どこで知り合ったのかが気になる。

 ヘルヘイムと常時交戦中のクローデンスの令嬢と、そのヘルヘイムの王子が知り合いというだけでも信じられないけれど、王家から距離を置いているクローデンスと王太子に親交があることも、敵国の王子同士で友人になってることも信じられない。

 それに、宣戦布告があったのは今朝のことだ。北のクローデンス領から王都まで、魔法を使って急いで向かっても片道四日はかかる。ヘルヘイムとの交渉を事前に済ませていたとしても、今ここにいることは不可能だ。


 ……あまり王族に質問攻めというのも不敬だけど、これは聞かないといけない、という使命感でどういうことなのか質問した。


 三人は顔を合わせて、私のほうに向きなおり、


 「クローデンスは専守防衛を旨としています。攻撃されなければ、敵対行動をとられなければ、敵であろうともこちらから攻撃することはありません」


 「僕が王都にいるのは、捕虜になって、ニケ・クローデンスの『所有物』として一緒にいたからだね。──夏季休暇で交渉してから、彼女の監視下で、ずっと王都にいたよ」


 「私が街で強盗に捕まり、二人に助けてもらった後、ノリがあったからこうなった」


 と、答えた。

 ……聞き間違いかしら? 聞き間違いよね?


 「……ええと、ホロメス殿下が強盗に捕まえられたと……さらに夏季休暇以後、ヘルヘイムの方が王都にいたと聞こえたのですが…」


 そろり、と聞くと、ヘルヘイムの王子がにこりと人懐っこい笑みを浮かべた。


 「そういうことだね。僕の扱いはニシーケ──ニケ・クローデンスの捕虜で、奴隷みたいなものだよ」

 「人聞き悪いこと言わないでくれるー? 捕虜は奴隷じゃないよ。三食おやつ付きで、寮の部屋の関係で従者にはしたけど、強制労働とかさせてないでしょー?」


 すかさずニケ嬢が補足して来るけど、……うん。


 「……クローデンス様、ヘルヘイムの方と一緒に生活してましたの?」

 「はい。捕虜として父からいただいたので、連れて来させました。仮に捕虜が問題を起こすようであれば即刻処分する用意があります。ミーア様のお気に触ったことがございましたら、なんなりとお申し出ください。私の捕虜の問題ならば、所有者として処分しますので」


 無表情ですらすらと言われた。

 いえ、学校に敵国の人間がいたことが不快というわけじゃなくて……。


 「敵、ですわよね? それに……男性ですわよね?」

 「敵国に所属している捕虜ですが、現在は私の所有物です。男性なので、本棚の上の埃を掃除してもらえて楽だ、と侍女が言っていました」


 違う。そういうのでもなくって……。

 ニケ嬢は私が何を言いたいのか探るように見て、ああ、というように雰囲気を明るくした。ただし表情は固定されているように無表情のまま。器用すぎる。


 「捕虜は敵国に所属している人間ですが、殿下を襲おうとしたものは捕虜ではありません。捕虜と殿下はお互いに好意を持っているようなので、これからも問題はありません」


 ああー、やっぱり伝わってないわよねー。

 ……って、ん?


 「……襲おうと?」

 「はい。性的な意味で」

 「性的な意味で!?」


 え!? え!?

 思わずホロメス殿下を見た。アポロン様たちもホロメス殿下を一斉に見た。

 ホロメス殿下は慌てて手を振る。


 「ち、違う! ただの強盗だ!」

 「殿下の貞操を強引に盗もうとしたんですよね…」

 「ニシーケいい加減にしろ! 悪ふざけがすぎるぞ!」

 「しかし、殿下が性的な意味で男たちに狙われ、私たちが助けなければ強姦されていたことは事実ですし……」

 「じ、事実ではない!」

 「え? 和姦だったんですか? それはとんだお邪魔を……」

 「っ和姦なわけがあるか!」

 「つまり、自分が何をされそうだったか和姦(わかん)なーい、と?」

 「ふざけるな! 怒るぞ!」

 「何か怒られるようなことを言いましたか? 私は事実しか言ってませんが」

 「……ロイキー! ニシーケが……!」


 ホロメス殿下がヘルヘイムの王子のところに泣きつきに行き、ヘルヘイムの王子はホロメス殿下の頭をよしよしと撫でて、同情的な目を向けている。


 「ニシーケ、ほら、そういうのはデリケートだからさ。あんまり人前で触れないであげてくれよ」

 「うん? ホーロマのどこがデリケートで人前で触れないで欲しいって? ちょっとわかんないから、具体的に教えてくれるかな?」

 「心だよ」

 「心臓にはお手を触れないでください?」

 「心臓じゃなくて心」

 「ロイキーの大事な人の心に触れないでください、かあ……」

 「僕らの間にあるのは友情だから。そういうあれじゃないから。ニシーケ本当に死んで。今すぐ死んで」

 「死ねっていうより殺すって言えないの? 雑魚だねえ。心配しなくても、意地悪しないよ? ロイキーの攻撃程度、単なる構ってアピールで、反撃する価値もないからねえ」

 「そんなこと言ったらホーロマが困るから言わないよ。ニシーケはそうやって周りの人を慮れないから、いつもぼっちなんだよ。まるでクローデンス領みたいだね」

 「褒めてくれてありがたいけど、それを言うならヘルヘイムでしょ。世界中から嫌われてるぼっちの弱虫さんって言ったらさぁ」

 「守りしか出来ない出来損ないよりはましだと思うよ。部屋の隅で膝を抱えて泣いてるからね、よく」

 「それは征服するするって言っておきながら、領一つまともに攻められない嘘つきのことかな? ああ、嘘つきと言えば、こわーいおじさんに性的な意味で襲われそうになったのに恥ずかしくって嘘吐いちゃった男の子がいたっけ?」


 ニケ嬢がじっとホロメス殿下を見て言った。

 え、と、本当のことなの?

 ヘルヘイムの王子は「なんでそっちじゃないほうに誘導してたのに戻って来ちゃうかなあ」と呆れてるけど……。


 ホロメス殿下は、顔を伏せてぷるぷると震えていた。


 「……お前はよくも自国の王子をそこまでコケに出来るな。この混乱に乗じて、タルタロスから独立でもする気か?」


 怒りで顔がやや赤くなっているホロメス殿下だが、その言葉は冗談では済まない内容だ。

 今、クローデンスが独立したら……。

 北のヘルヘイム、東のインフェルノを名乗る集団、南のアメンティに囲まれ、潰されてしまう。

 ぞっとした。

 周りの方々も顔を一瞬で青ざめさせていた。

 そこで。


 「まさか。私たちはあくまでタルタロス所属の地方領にすぎません。どうして殿下をコケになど出来ましょうか。私はただ、殿下が虚言を吐く人間になってはいけないと、あくまで事実を申し上げているだけでございます。殿下、ここには王家と王家に忠実な臣下、それに友好国の皇子といつでも殺せる雑魚しかおりません。見栄を張る必要はございません。どうぞ、真実を殿下の口からお話しください。『男に尻を狙われて危なかったよぉ』と」

 「ニシーケェエエエ!」


 ニケ嬢が丁寧にからかってホロメス殿下が怒りを爆発させた。

 ホロメス殿下はニケ嬢を平手で殴ろうとして避けられ、蹴ろうとして避けられ、「口で敵わなければ暴力に訴える、そんなお馬鹿さんに育てた覚えはありませんよ」とニケ嬢にさらにからかわれていた。

 ヘルヘイムの王子はやれやれとため息をつき、ホロメス殿下の首根っこを掴んで「ホーロマ、ニシーケの冗談に一々怒ってたら切りがないから」と止め、ニケ嬢には「君の冗談は誰の笑いも生み出さないから言うのはやめてくれって何度も何度も言ってるよね? やめてくれ」と注意をしていた。

 ホロメス殿下はニケ嬢を睨んで威嚇し、ニケ嬢は「ロイキーは笑いのセンスがないんだね」と朗らかに言っていた。ヘルヘイムの王子はホロメス殿下を降ろして頭をパシンと叩き、ニケ嬢の首根っこを捕まえてつりさげていた。ホロメス殿下は不服そうに「ロイキー、飴」とヘルヘイムの王子のポケットから勝手に飴を取り出して食べ、ニケ嬢は「振り子時計の真似ー」と左右に体を揺らして楽しげに遊んでいた。

 ……うん、ヘルヘイムの王子は大変そうね……。

 王太子を叩かれているけど、監視役のニケ嬢に反抗しているようだけど、全て見逃すぐらい苦労してそうだった。


 そこで、飴を舐め終わったホロメス殿下が咳ばらいをした。舐め終わるの早すぎるでしょ。


 「というわけで、この二人は私の個人的な客人だ。ロキ・ヘルヘイムはこの件について興味があるそうだから、私がかかわることを許した。ニケ・クローデンスはロキ・ヘルヘイムの所有者として同席してくれるそうだ。何か質問や不満があれば私が聞く」

 「東の馬鹿どもは、昨年の夏にヘルヘイムに喧嘩売って来たんで、ヘルヘイムとしてもやつらはぶっ潰しまーす。共闘しろとは言わないけど、今のところ大人しくしてるから見物させてくださーい」

 「お目付役でーす。北の馬鹿が問題起こしたら殺しまーす。問答無用で殺しまーす」


 イエーイ、とヘルヘイムの王子とニケ嬢は愛想良く、ぶんぶんと手を振ってくれている。当然のように、ヘルヘイムの王子は笑顔だがニケ嬢は無表情だ。さらにニケ嬢は首根っこを掴まれて吊り下げられてるままだし、ヘルヘイムの王子もニケ嬢を降ろす様子はない。だからニケ嬢は両手を振っているが、ヘルヘイムの王子は片手のみだ。


 そっと見ると、アポロン様を筆頭に、皆唖然としていた。ヒロインもセト皇子もぽかん、としていた。

 ううう……これってまた私がなんとかしないと駄目なの……?


 「で、でしたら、お二人には話し合いに加わっていただく、ということでしょうか」


 話を進めるために言うと、ニケ嬢が「いいえ、違います」とホロメス殿下より先に答えた。


 「私は、『クローデンス領』はあくまで干渉しません。ここは我らの戦場ではありませんから。しかし渦中にいる以上、自分の身に降りかかる火の粉を払う程度は勝手にさせていただきます。私は自分の身と、自分の所有物や領民たち、それから万が一北に戦火が及びそうになった場合のみ、防衛行為をします。それ以外は我らの知るところではありません。話し合いに参加するつもりもありません。この場にいる理由は、私の所有物を監視するためだけです」


 淡々とした感情の読めない声で、きりっとした無表情で、……ヘルヘイムの王子につりさげられながら言った。

 せめて首根っこ掴まれてなければまともに見えたのに……。結構戦況を左右しかねないことを言ってるのに、体勢のせいで何も言えない……。


 「僕も、見学だけで参加はしません。僕が口を出しても、皆さんは不快でしょうから」


 ヘルヘイムの王子もにこやかに言う。さすがにニケ嬢を降ろしていたが、……もっと早く降ろして欲しかった……。


 なんだかなあ、と静まり返っていたら、ホロメス殿下が「あらかじめ言っておくが」と口を開いた。


 「私も君たちの話し合いに参加する気はない。君たちが国のために行動してくれる気持ちはありがたいが、こちらにもこちらの考えがある。また、跡継ぎなどは家長の許可を得ない限り戦場には出さない。君たちは子供だということを忘れるな」


 私たちは集まって話しているが、ここにいるのは全員学園の生徒たちだ。親たちはいないし、騎士や高官もいない。あくまで『子供のままごと』だろう。

 ホロメス殿下は大人の、ちゃんとした『会議』に戻るためだろう扉に向かい、ニケ嬢に「思い付きで変なことをしでかすなよ。やる前に私に聞くか、最低限ロイキーに聞け。いいか、絶対だからな」と、ヘルヘイムの王子に「ニシーケが暴走しかけたら止めるように。お前までふざけないように。あと、ニシーケの監視下だから大丈夫だろうが、機密事項を探ったりしたら二度とヘルヘイムの地を踏めなくするぞ」とそれぞれ睨んで、それぞれからぐっと親指を立てられて「フリじゃないからな!?」と声を荒らげていた。……気のせいかもしれないけど、ホロメス殿下はこの二人と話していると口調が荒くなっているような気がする。まるで気の置けない友人と話してるみたいに。


 ホロメス殿下はあくまでふざける二人に、「頭痛がしてきた……」と頭を押さえて、


 「アポロン、頼んだぞ」


 アポロン様に投げた。

 え、ここで丸投げしちゃうの!? 監視役として殿下がいてくださるのは無理でしょうけど、アポロン様に責任投げちゃうの!?

 ぎょっとしてアポロン様を見ると、……やっぱり、顔をこわばらせていた。

 でも息を吸って、努めて表情に出さないようにして、「はい、お任せください」と返事をした。その声はやや震えていた。

 ホロメス殿下は「どうしようもなくなったら呼んでくれ」とあっさりと返答し、ニケ嬢とヘルヘイムの王子に「弟に迷惑かけるなよ!」念押しして出て行った。


 押し付けるのはなあ、と思っていたが、アポロン様はとたん、きりっと表情を引き締めた。

 あら?

 もしかして、ホロメス殿下からの、兄からの信頼が嬉しい、とか……?


 「見物、ということでしたね。では椅子を持ってこさせますのでおかけください」


 アポロン様が人を呼ぼうとしたが、ニケ嬢が「いえ」と止めた。


 「お気遣い感謝します。しかし私は話し合いに参加するわけではなく、私の捕虜を監視するだけですので、椅子は結構です。壁際で立たせてもらえれば、十分です」

 「しかしそれでは疲れるでしょう」


 アポロン様が案ずるように言うが、「仮にも兵を従えるものとして、その程度で弱音を吐くような鍛え方はしておりません」ときっぱり断り、さらに、


 「たとえ言葉の上であろうと、『話し合いに同席した』という事実を作られては面倒ですので」


 と、冷ややかに言った。

 ……ヘルヘイムの王子が、ニケ嬢に素の口調で話すように言っていた理由がわかる気がする。

 この無表情で、こんな冷え冷えとした目をされて、きっぱりかつ淡々と拒絶されると、心臓に悪い。

 あまりの寒さで心臓麻痺を起こしてしまいそうだ。

 ホロメス殿下と親しいようだから国に害する気はなさそうだけど、ニケ嬢がすべての黒幕ではないという確証もないし、やっぱり彼女には警戒が必要だわ。


 ヘルヘイムの王子も、「主人が立っているのに従者が座るわけには行きませんね」と壁際に立っているニケ嬢の隣に向かった。揃って立っている様子は、まるでヘルヘイムの王子がニケ嬢を守っているようであり、ニケ嬢が全てを監視しているようにも見えた。


 それから話し合いを再開したが、……他国の王族が二人と黒幕疑いがいる時点で、まともに仲良く手を取り合って、なんて不可能なことは、話す前からわかっていた。


 「東の、インフェルノを名乗る彼らは魔法が得意なそうだ。偵察したものによると、ただの一兵が学園の教師並みの魔法を使っていたという」


 アポロン様がそう言って、オルペウス様が「魔法具も使っているそうですよ」と付け加え、アレス様が「魔法特化ならば、そこから勝機が見えないものか……」と呟き、ディモス様が「魔法も万能ではない。魔法を無駄に使わせて魔力を消耗させるだけで助けになるだろう」と発言し、私も「ホロメス殿下の様子では、多分、戦場には出してもらえませんわね。戦場に出なくとも、何か助けになることがあれば良いのですけれど……」と悩んだ。

 ヒロインは「皆さん、ミーア公爵令嬢など特に民衆に人気がありますから、避難を呼び掛けたり、あるいは商人に物資を集めてくれるようにお願いするだけで助けになると思います」とそれまでとは別の視点の提案をし、セト皇子は「あくまで他国のことだから俺が発言すべきではないのだろうが、……タルタロスは北にヘルヘイム、南に我が国、西は元ゲヘナと、あまり東のことのみに兵力を割きすぎては問題になる可能性がある場所にある。無論、友好国である我が国も、すでに併合されているゲヘナも、一度も破られたことがない北も、タルタロスにとっては警戒すべき対象ではなく、単なる杞憂でしかないだろうが」と他国の皇子ながら警告してくれた。


 そうして雑多に飛び交う意見を聞きながら、何か有効策がないか探した。

 タルタロスの国境付近は平地だ。元々西側はゲヘナだったため、王都は現在のタルタロスの東側にある。平地なだけあり、王都への道のりを隔てるものは多くない。

 南には大河が流れ、北は山脈がそびえ立ち、国境を決めるとともに国防にも役立ってくれているが、東は何もない。地盤が固くて森もない。相手が身をひそめる場所がない代わりに、こちらにも防波堤がない。

 それにさっき、東諸国は昨年の夏にヘルヘイムに侵攻しようとした、とヘルヘイムの王子が言っていた。あんな北の北を攻めようとしたのなら、北にある険しい山脈すら超えて攻めることができるなら、東のどこから攻めてくるか検討もつかない。

 なんとか戦場を限定しないと、手薄になったところを狙われて侵入され、この国の土地と民を踏み荒らすことを許してしまう。

 この国の騎士は、皆優秀だ。きっと真っ向から戦うのなら負けない。兵の数も、今までひそめていた程度の規模の彼らに負けるはずがない。いくら個々が優秀であれ、数の利は大きい。

 でも、どこからか奇襲されるのが怖い。もし戦場を限定できるなら、きっと負けないのに。

 戦場が限定できれば。


 「……あ」


 一つ、簡単で、それこそ子供でも思いつくような、とても安易な考えが浮かんだ。

 いや、でも、それは出来ない。

 うまくいく方法が思い浮かばない。

 だからきっと誰も言い出さないんだ。

 うん、もっと別の方法を考えよう。えっと、とりあえずヒロインが言ってくれた意見は実行しないとね。商人との伝手はあるから、それで……。


 「アルテミス?」


 でも、私の小さな声を聞き逃さず、アポロン様が何故か威圧感を感じる笑顔を向けて来た。

 気付けば、皆しんとして、私を見ていた。

 あ、あの……?


 「あ、アポロン様、何でもありませんわ。お気になさらずに」

 「アルテミス、教えてくれないの?」


 笑顔で小首をかしげてますけど、アポロン様! 目が笑ってません!

 え、えええ、ど、どうすればいいの、これ。

 ヒロインや他人事であるはずのセト皇子まで私を見てるし、いっそ壁際で「そういえば、今日のご飯って寮で出るのかな? 出ないなら、適当に買いに行かないといけないねえ」「軒並み値段上がってそうだから、ホーロマに頼もうよ。二人分ぐらいならホーロマも融通してくれるだろうし」とか夕食の算段を付けて私のことを無視してるようなニケ嬢とヘルヘイムの王子に助けを求めたくなる。ていうか、ニケ嬢はヘルヘイムの王子をつれて寮に戻る気なの? 宣戦布告されてここまで騒いでるのに? もうあなたは何なのよって叫びたくなる。


 じゃなくって。

 笑顔で迫ってくるアポロン様に耐えかねて、「い、言いますわ!」と降参して退いてもらった。アポロン様、なんで残念そうなのかしら。その美形が近づいてたってだけで私の心臓に悪いのだけど。


 「あの、主体で戦うのは騎士団の皆様ですわよね? 私たちよりずっと強くて連携もとれてらっしゃるでしょうし、そこに割って入っても邪魔になりますわ。でもせめて何か手助けが出来ないかしらと考えた時に、私なら、戦場が限定されてないのが一番困ると思いましたの」


 そろそろと言うと、「ああ、確かにそうだね。さすがアルテミス」とアポロン様が感嘆してくれた。多分、騎士団の方なら皆思いついてることだろうから、褒めていただくようなことじゃないけれど……。


 「東から、と言いましても、国の東全てを警戒して防護壁を張ることは不可能に近いですし、そんなことをしていたらセト皇子が懸念されましたように、東以外からの警戒を怠ることになってしまうでしょう? 万が一突破された時に、内部がすっからかんというのも不味いですし。となると、やはり東全てを警戒するのは悪手ですわ」


 ヒロインが「なるほど!」みたいな顔をしている。

 ヒロインは結局、良くも悪くも素直なのよね。単純とも考えなしともいえるけど、真っすぐで嘘がないともいえる。

 素直で、前向きで、努力や反省を惜しまない彼女は、やはりヒロインなのだと思う。

 ゲームとは違う人間で、ゲームとは違うルートを辿って、ゲームとは違う攻略対象と両想いになったとしても、やっぱりヒロインはヒロインだ。

 破滅が怖くて悪役令嬢の役を放棄した私とは違う。

 羨ましいなあ。


 歳をとったら若い子が眩しくっていけないわね。ヒロインは精神年齢も身体年齢と同じぐらいだけど、私はもうおばさんもおばさんな精神年齢だものね。

 ニケ嬢なんかは元がいくつで精神年齢がいくつなのかすら不明だけど。元がおばあさんって言われても納得するわよ、私。それでいて精神年齢がヒロイン以下でも疑問に思わないわ。厨二病を厨二病として、『楽しまなきゃ損だ!』とか楽しんで黒歴史を喜んで量産しそうだもの。ていうか、その延長で黒幕になっっちゃったりしてないわよね? 国には何の怨みもないけど革命とか格好良いじゃん? ぐらいの気持ちで黒幕になったりしてないわよね?


 ……話を戻そう。


 「ですから、戦場を限定できれば、と思ったのですわ」

 「なるほど。アルテミスはどうやったら限定出来ると思った?」


 すかさず聞いてくるアポロン様。さすが婚約者様、私が何かを思いついた上で却下したことぐらいお見通しなのね。

 でも……。


 「……誰でも思いつく程度のものは思いつきましたが、実現不可能なものでしたわ。それよりも、アフロディーテ男爵令嬢のおっしゃっていた商品の流通について……」

 「アルテミス」


 アポロン様に遮られた。

 ……でも、あんな安直なこと、駄目だと思う。きっと上手くいかない。

 だから何も言わないでいたら、「ミーア公爵令嬢」と声をかけられた。

 凛としたその声は、ヒロインのものだ。


 「これは子供の話し合いですよね? なら、実現不可能でもいいですから、教えてください。力を合わせれば出来るかもしれませんし、それをきっかけに何か思いつくかもしれませんから」


 公爵令嬢に出来ないことが出来る、それを踏み台にする、という、不敬な言葉だけど、ヒロインはあえてそう言っているのがわかった。

 不敬でもいいから、教えて欲しいと言っている。国を守るために、なりふり構わず考えてる。

 でも。


 「……馬鹿馬鹿しいことですわ。それに、危険で、とても許可されるとは思えませんの。こんな馬鹿みたいなことのために、誰かを危険にさらしたくはありませんわ」


 リスキーで、馬鹿らしくて、私には出来ないことなのだ。

 私は王子の婚約者だから、戦場には出してもらえない。なのに私の案が通ってしまえば、こんな馬鹿げたことに命を懸ける人が出てしまう。だから言わない。それは私の領分じゃない。


 さあ別の話に、とヒロインから顔を逸らしてメモに手を伸ばした時。


 「アルテミス様!」


 ヒロインが私を呼んだ。

 私はヒロインよりずっと高位で、許してもないのに名前呼びなんて不敬でしかなくて、思わずそちらを見たらヒロインは私のほうにずんずんと歩いて来ていた。

 ヒロインは目を吊り上げて怒りを隠さず、私の前に立った。


 「アルテミス様は英雄になりたいのですか!? それとも、この国を守りたいのですか!?」


 ヒロインの怒声に、殴られたような衝撃を受けた。


 「綺麗で格好良い英雄になりたいのでしたら、自分以外が危険な思いをするのは耐えがたいでしょうし、馬鹿らしいことはしたくないでしょう。けれど、国を守りたいのであれば、どうしてそのように格好をつけているのですか? 危険にさらす命の責任が取れない、みっともないなどとおっしゃらず、覚悟を決めて泥にまみれて、暴言と石を投げられても、国を守ってください! その覚悟がないのなら、吹けば飛ぶような身分ですが、私が代わりにその責を負います! 命じられて戦いに行く人に、死んでくださいと頭を下げて蔑まれます! だから、教えてください! 私は馬鹿だから、この国を守る方法が、思いつかないんです!」

 「……私に、国を守るために汚辱にまみれろって言うの?」


 なんとか、声が出た。

 アポロン様はヒロインを止めようとしてくださってるけど、ヒロインは動かず、頷いた。


 「はい、そう言っています。私が知るアルテミス・ミーア様は、ミーア公爵令嬢の名にふさわしく、気高く、優しく、強く、そして最後まで貴族として生きる方です。誇り高き貴族として、国のために喜んで名誉を捨てる方です」


 ……ただの破滅ルートを避けたいだけの臆病者が、ヒロインにはそう見えてたのね。

 そこまで言われたら、逃げられないじゃない。

 そうね、私はアルテミス・ミーア。ミーア公爵の娘で、この国の貴族だわ。

 ──そこに名誉なんてなくなっても。


 「……ありがとう、デメテルさん、私は戦争に怯えて自分を見失っていたようだわ。一緒に、考えてくれるかしら?」

 「考えさせてください。国を守りたいのは、あなただけではありませんから」


 アポロン様や、アレス様、オルペウス様、ディモス様、ヘルメス、それにセト皇子も頷いてくれた。

 ならまず、と、壁際で相変わらず「ニシーケ、あの本の続き出たらしいから買ってくれないかい?」「ロイキーも好きだねえ。見かけたらね」とマイペースに話している北二人に目を向ける。


 「ニケ嬢、よろしいでしょうか」

 「はい、なんでしょうかミーア様」


 声をかければ即座に返って来た。

 黒幕かもしれない。得体が知れない。

 でも、今は利用できる。


 「お聞きしたいことがあるのですけれど」

 「私の関与すべきことではない。我らは南に必要以上に干渉する気はない」


 にべもなくきっぱりと断られる。

 やはり手ごわい。最初からわかってたけど、取り付く島もない。

 でも負けない。


 「私は『クローデンス家』に聞いているのではなく、私の学友のニケ嬢に聞いているのですわ」


 こちらのほうが高位だからこその言葉。さらに彼女は身分や不敬は気にしないようだから言えた言葉だ。戦時中の今、クローデンス家は王家にも匹敵する地位にあると言って良い。


 ニケ嬢は予想通り、不敬については何も言わなかったが、


 「学友であった覚えはない。また、学友であったとしても、干渉する理由にはならない。ミーア公爵令嬢と話すことが北の防衛に繋がるとは思えない」


 交渉する気もないと言ってきた。

 うわ……想像以上に手ごわい。

 本当にぶれないし、表向きの『北の守護のため』というスタンツを決して崩さないから、それ以上が読み取れない。

 これからどうしようか、いっそニケ嬢ではなくヘルヘイムの王子に話を聞こうか、でも出来ればニケ嬢は巻き込んでおきたいのだけど、などと考えていると、「そういえば」とディモス様が言った。


 「ニケ様、以前土産の菓子を美味しいと喜んでくださったが、ここにある茶菓子はその菓子だぞ」

 「本当ですか?」


 ニケ嬢が食いついた。

 さ、さすが、一年近くニケ嬢となんだかんだで付き合ってただけはある。そういえばお茶会のときも喜んでお菓子やお茶を食べてたけど、ニケ嬢って食い意地張ってるのかしら?


 「……以前、父に菓子と引き換えにヘルヘイムの現場指揮官を連れてくると言っていたそうだが、その時の菓子もこの菓子だ」


 アレス様も考えるような素振りで追撃した。ニケ嬢は無表情のままぱぁっと喜んでいるような雰囲気を出した。逆に器用ね……。


 「え、ニシーケ、お菓子なんかと交換で僕を売ろうとしたのかい?それはいくらなんでもひどくないかい?」


 ヘルヘイムの王子はアレス様の言葉にぎょっとして、というか、嫌そうにニケ嬢に苦情を言う。

 ……あら? 今、『僕を』って言った? 現場指揮官じゃなくて『僕を』って言った?


 「美味しかったからねえ。ロイキーも捕まったって、どうせ口八丁で丸め込むか、適当に逃げるでしょ? 最悪死んでも、敵が死んだだけでこっちには損害ないし」

 「せめて僕にもそのお菓子分けてくれよ」

 「結局ただでお土産にもらえたけど、侍女と二人で全部食べちゃった。美味しかったよ」

 「僕も食べたい。ニシーケ、買って」


 北二人が話してるけど、……つまり、ヘルヘイムの王子は指揮官もしていたってことなのかしら。そういえば、さっきも目にもとまらぬ速度でセト皇子やヒロインを脅してたわね。王族なのに騎士……まあ、第二王子ならいいのかしら。話によると、ヘルヘイムは女系国家で男子は継承権がないそうだし。


 「欲しいのでしたら、ここのお菓子を食べてくださっても構いませんわよ。うちの店のものですし」


 考えながら言うと、ヘルヘイムの王子が「え? 貴族のお嬢さんが店経営してるの?」と驚いた。

 そういえば他にそういうことをしてる貴族令嬢はいないわね、と考えつつ「ええ。このお菓子も、私がレシピから作成したものですわ」と答えた。

 すると今度はニケ嬢が「レシピから?」と驚いたような声を出した。


 ……何なのかしら。


 「ええ、『前』に覚えていたので。ニケ嬢も、『前』に習ったのではありませんの?」


 転生前の知識でこのぐらいは出来るでしょう、と暗に言うと、ニケ嬢はぽん、と手を打った。

 表情は無表情ながら、その目はまるでうろこが落ちたような、純粋な驚きと感嘆がある。


 「その発想はなかった」


 ……馬鹿なの?

 転生前の知識があるのに、それを利用する発想がなかったって、馬鹿なの? 脳筋なの? 大丈夫なの?

 どおりで他の転生者の存在に気付かないはずだわ。交流がない北だからってこともあるでしょうけど、ニケ嬢がまるで尻尾を出さなかった、尻尾を出すっていう考えからなかったなら、それは分かりっこないわよ。入学直前に気付いたヒロインはともかく、生まれた時から記憶があったニケ嬢がやけに大人しいと思ってたら、そんな理由だったのね。

 ちょっと転生後の生活に馴染みすぎじゃない?


 「……よければ、食べます? 個人的に、知人に店の宣伝として振る舞ったということなら、受け取っていただけますか?」


 二人に差し出すと、「知り合いから店の宣伝でもらうなら、クローデンスとはまるで関係ありませんし、問題もありませんね。ありがたくいただきます。ありがとうございます」とニケ嬢がとても嬉しそうな様子で受け取り、「ニシーケ、僕もいいかい?」「略奪じゃないし、犯罪じゃないんだから好きにすればいいよ」というやりとりのあと、「ありがとうございます」とヘルヘイムの王子も受け取った。

 そして二人で「あ、これ美味しいね」「美味しいよねえ」と楽しそうに食べていた。

 ああ、うん、それはよかったわ。

 ついでにと、「店で売ってる茶ですわ」とお茶を出すと、「重ね重ね、ありがとうございます」と二人とも礼を言って飲んで、「美味しいねえ」と幸せそうに和んでいた。

 すかさず、「立っている間、お暇でしょうから」とハデスに目配せして机を持ってさせ、その上に茶とお菓子を置いた。

 二人はすっかりお昼寝している猫のようにほけほけとし、「お心遣いに感謝します」「タルタロスは素晴らしい国ですね。ありがとうございます」と見てるこちらの気が抜けるほどの無邪気さで「美味しいねえ」「幸せだよ、僕」と和み空間を形成した。

 うん、ちょろい。


 「ニケ嬢、口調は楽にしてくださって構いませんわ。殿下もお許しになっていましたし」

 「ありがとうございます。では失礼します」


 一見真面目そうだけど、声音はのほほんとしてる。気が抜けそうだ。


 「ところで、少々聞きたいことがあるのですけれど」

 「『個人的に』歓待してくれてる知人との『個人的な』話なら応じるよー」


 お茶とお菓子で口が軽くなってるようだ。というか、ニケ嬢って無表情だけど、その分声音と雰囲気があからさまなのね。ここまで感情を隠す気がないと、こっちも疑う気が失せるわ。もう全面的に『お菓子美味しい、お茶美味しい、嬉しい、幸せ』って雰囲気出してるじゃない。


 「ニケ嬢は、守りをするときに気を付けていることなどはありますか?」

 「ミーア様こそ、どうぞ楽にー。私のほうが身分下だしー、まあ好きにすればいいけどねえ」


 ニケ嬢は「ついでにロイキーもお話参加するー?」「するー」という気の抜ける、子供のようなやりとりとヘルヘイムの王子としていた。どうにも毒気を抜かれながらも、「で、ではあなたは攻める時に気を付けていることなどありますか?」とヘルヘイムの王子にも改めて聞いた。

 二人は戦争など欠片も見えない平和な雰囲気で。


 「守る時には、油断しないことかなあ。あそこは微妙だったけどまあいいか、とは思わずに、常に最悪のことを想定してるねえ。もしあそこから突破されたら、食糧がネズミにでもかじられて減っていたら、今地震でも起きて砦が崩壊したら、いろいろ考えてそれに対策を立ててるよ。臆病になってびくびくして、その上で、それでも何が来たって大丈夫だって自信が持てるぐらい堅牢にしてるね。──その自信が慢心でないことを願いながら」

 「攻める時は、常に逃げることを考えてるね。攻め込んで相手の土俵で戦ってるんだから、いつでも逃げ帰れるように逃げ道は確保して、引き際を誤らないようにしてるよ。それから、目的を見失わないことだね。トップを暗殺に来たのか、嫌がらせに来たのか、蹂躙に来たのか、偵察に来たのか、それを忘れないことだ。まあ総じて、欲をなくさず、欲を出し過ぎないようにすることだね。──攻める側は何度負けても、最終的に勝てるまで攻め続ければいいだけなんだから」


 当たり前のように戦場を語った。

 二人とも指揮官だからか、指示や事前準備のことだけど、……一度でも破られれば終わりの守りと、一度でも破れば勝ちの攻めの考え方の違いが良く分かる。一切攻め込むことはなく、常に守りのクローデンスと、誰からも攻め込まれず、常に攻め込み続けるヘルヘイムは、本当に守りと攻めに偏っている。


 なら……。


 「お二人は守りと攻め、どちらのほうが難しいと思いますか?」

 「んー、攻めでしょ」

 「どっちかなら、守りかなあ」


 ニケ嬢は攻め、ヘルヘイムの王子は守りを難しいと言った。

 立ち位置とは逆だ。「どうしてですか?」と問いかける。

 「普段攻めてばかりだけど」とヘルヘイムの王子がニケ嬢を見る。


 「守りはいつでも、いついかなる時でも攻撃に備えて準備して警戒する必要があるだろう? 常に後手だし、待ってる間も神経を摩耗する。どこから攻められるかもわからない。どんなからめ手を使われるかもわからない。いっそこっちから攻め込んで潰した方が速いって気になるね。攻撃は最大の防御って言うしさ」


 なるほど、私たちの今の状況だ。そして、私の言いたいことだ。

 ニケ嬢は「そうかなあ」と首をかしげる。


 「私は攻撃のほうが嫌だよ。守りなら、こつこつ準備して守ってれば、まず負けないでしょ? でも攻めてたら、攻めてる間に自陣が狙われる。戦力を自分から分散させて守りを手薄にしてる。相手のホームで戦っても、よしんば勝てても、その間に自陣を取られてたら負けで終わる。なら、力を蓄えて相手から準備ばっちりの自分のところに攻め込ませたほうが楽だよ。ちまちま攻めてくるのを全部潰して、手薄になった本陣を適当に叩くほうが効率的だね」


 ニケ嬢も、まさに言いたいことを代弁してくれた。

 二人に「ありがとうございます」と礼を言い、皆のほうを向く。


 「私が言いたいのは、つまり、守りならば事前準備が不可欠で、現時点でそれは手薄であることを認めなければならないこと、そして、攻めている間、本拠地はどうしても守りが薄くなってしまうことです。要するに」

 「……相手の本拠地を叩こう、ということか」


 アポロン様が言った言葉に頷く。


 「相手がいくら優秀でも、人数が少ないことは大きな弱点です。こちらを攻めている間は、その少ない人数をさらに少なくしているでしょう。そこを突いて、本拠地を潰してしまえば、最悪襲撃するだけで、あちらの動揺も誘えると思いますわ」


 どうでしょう、と北二人を見ると、ヘルヘイムの王子は王族らしき上品にお菓子を頬張っていた。今更だけど、二人とも毒見とかしないのね……。

 お茶で飲み干し、ヘルヘイムの王子がにこやかに微笑む。


 「いい案だね。問題は相手の本拠地が分からないことと、拠点の数がわかってないことぐらいしかないよ」


 ……そう、それが問題だ。

 本拠地が分からない上、複数拠点を持っている可能性が高いのだ。本拠地を潰した後は拠点を全て潰さないと、いつの間にか背後から襲われることもある。

 結局は相手の懐に潜り込まないといけない。

 そしてそのための方法を、私は未だ、一つしか思いつけていない。

 と、ヒロインが手を挙げた。


 「もしかして、本拠地がない、ということはありませんか? つまり、全戦力でタルタロスに攻めて来ている、ということは」


 探すべき拠点がない、ということか。いや、拠点はあるが本拠地と言えるほどの総本山はない可能性か。

 それは、と思ったら、先にニケ嬢が「それなら楽だね」と言った。

 ニケ嬢は飲んでいたお茶を置いて、ヒロインに言う。


 「全戦力でタルタロスに攻めてるなら、予備戦力がないってことでしょ。適当に引きつけて後ろに回って包囲して、逃げられないようにすればいいんだよ。補給も出来ずに降参してくれるか死んでくれるでしょ。拠点の一つから援軍が来ても、そんな子供のお使い程度、迷子として保護して楽しくお話してお家を聞き出して送ってあげればいいよ。保護者がいない家なら、楽に捜索出来るしね」

 「……でも、簡単には捕まらないのではありませんか? インフェルノは、魔法が得意だそうですし」


 ヒロインが探りを入れるように聞くと、「んー?」とニケ嬢が小首をかしげた。


 「話は、戦況をコントロールするために戦場を限定したいってことだよね?」

 「は、はい。でも、拠点を叩くにあたって……」

 「つまりさ」


 ニケ嬢はヒロインの言葉を遮って、


 「戦場を限定出来さえすれば、勝てるってことでしょ?」


 当たり前のように言った。

 え、いや、そういうことじゃなくて……。

 さすがにそこまで言っていないので、そろりと「あの、そうじゃなくて…」と言うと、「あれ? じゃあどういうことなの?」と聞き返された。

 まさか、指揮官なのに本当に脳筋なの?


 「ただ、そうすれば助けになるということで……」

 「テロって、面倒だよね」


 全く違う話を始められた。何なの? 本当に何なの?


 「テロの何が面倒って、民衆に紛れてて見分けがつかないってことと、実行されるまでは『善良な市民』でしかないことだと思うんだよ。自爆テロとか、盛大に周りに迷惑かけるだけの自殺って言われれば、乗り合い馬車の前に飛び込んで運行時間遅らせる行為と意味合いとしてはそう大差はないしさ。だから、自爆テロが出来るぐらいの人間と、爆弾になりうる魔法具を所有されてるから、大国故に対処しづらくて大変だねって話だよね?」


 ……あれ?

 なんか……馬鹿とか脳筋とかじゃなくて、見方が違う?


 「……テロと戦争は、違うと思いますが……」


 彼女の考えて聞きたくて言うと、ニケ嬢はやや眉を寄せた。


 「……まさかないとは思うけど、もしかして、こんな子供の戦争ごっこに本気になってるの?」


 ……戦争、ごっこ?

 え?

 い、いや、常時戦争中のニケ嬢からみたら、この程度お遊びに見えて──うん?

 そういえば、彼女はクローデンスだった。転生者である以前に、クローデンス家の令嬢だった。

 あのヘルヘイムの脅威を退け続けている領の人間だった。

 準備はないけど、彼女の協力を得られれば、守りは問題ないと言える。

 それこそ、インフェルノなんか歯牙にもかけないだろう。

 でもそれが出来ないからこうして必死になっていて、今は彼女が協力的で、なら……。


 「……でしたら、ニケ嬢でしたら、何とかできますの? クローデンスの兵なら、勝てますの?」

 「うちの兵は距離的に呼び寄せられないし、ロイキーの兵も同様。そもそも兵を派遣する気はない。自分のとこの防衛してるよ」

 「ヘルヘイムなんか敵国だしね」


 きっぱり断られた。やはりぶれない。

 そもそも、クローデンスはそういうものだ。それは覆しようがない。

 なら……。


 「では、仮にお二人がこの戦を指揮するなら、どうしますか?」

 「指揮方針とか知恵を拝借とか、考えても無駄だよ。私、指揮官としては並み程度だし。ロイキーのほうが優秀なぐらい」


 即座に見破られて断られた。知恵だけでも借りようと思ったのがばれていた……。

 でも、並み程度なんて。クローデンスで指揮をしてるぐらいなんだから、そんなことはないはず。

 しかしヘルヘイムの王子は「そうだね」と頷いた。


 「ニシーケは指揮官としては領主の娘っていう旗印、士気を上げるだけの存在だよね。良くも悪くも目的を見失わなくてぶれないって言うのは指揮官として評価できるけど、窮地においても冷静っていうのを『知恵を拝借』とは出来ないしね」

 「奇策妙計なんかなくても、うちの兵は強いからね。愚策を持ちだすより、兵を混乱させないようにする馬鹿のほうが良いんだよ。ロイキーも、知恵を借りるってことなら微妙でしょ」

 「君よりはましだよ。まあ僕も現場の指揮官だから、現場にいないと地形の利用とか逃げる時の判断とか出来ないけどさ。さらに言えば、僕の部下がいないとろくな指揮は出来ないよ。誰が何を出来てどうなのかがわかってないと、最善の指示は出せないから」

 「だよねえ」

 「部下って大事だよね」


 二人でほのぼのとし始めたけど、……確かにクローデンスの兵と騎士団の騎士はまるで違う。ニケ嬢にも、ヘルヘイムの王子にも知恵を借りることは出来そうにない。

 やっぱりそんな手っ取り早い裏技は使えないか。なら他の方法を、戦場を限定することや補給を絶つことで何とか出来ないか、と考え始めていたが、ニケ嬢が「今の質問ってさ」と私に話しかけて来た。

 無表情ではなく、やや目を眇めている。北への侮辱、と取られたのかしら。それにしては、雰囲気に威圧や嫌悪感がないけど。


 「まさか、本当にわかってないの?」

 「……何を、ですか?」


 そう、どちらかといえば、呆れてるような感じだ。

 ニケ嬢はその雰囲気のまま、「だから」と答えた。


 「インフェルノとか名乗って調子に乗ってる馬鹿どもが、大国タルタロスと戦争出来るほど強いとか、思ってないよね?」

 「…………え?」


 素で、声が出た。

 ニケ嬢は私の反応に『信じられない』という風な目をした。

 そして、……無表情に戻ってお菓子を食べ始めた。


 待って?

 せめて解説して?


 「ちょっと待って。どういう意味なんだい?」


 あ、ヘルヘイムの王子が聞いてくれた。ニケ嬢が手を伸ばしていたお菓子を取り上げて。

 ニケ嬢は不満げにお茶を飲んで、「お菓子」と手を出し、「先に答えてくれ」と手を叩かれていた。なんか二人が兄妹に見えて来た。実際は常時交戦中の敵同士なのだけれど。

 ニケ嬢は「ロイキーならわかってるでしょ」と不満をにじませた声で言って、「だからさ」と続けた。


 「インフェルノとか国を名乗ってるけど、あの程度の規模で国を名乗ろうなんておこがましいし、最低限領土を宣告して国としての体裁を整えてから国って名乗れって思うでしょ? で、仮に国だとしても、そんな出来立ての国がタルタロスに敵うわけないじゃん。その気になれば私とロイキーの二人でも潰せそうなぐらいの雑魚なのに、タルタロスに宣戦布告とか、別の裏があるとしか思えないね。戦争ってのは、国家同士の争いのことを言うんだよ。国ですらないあいつらの宣戦布告は、ただの犯行声明。ロイキー、ヘルヘイムだって、犯罪者捕まえるために来たんでしょ?」


 犯罪者。

 ここまできっぱりそう言われると、そうなのかと思えてくる。

 『戦争』ではなく『テロリストの捕縛』と思うと、家に引きこもって逮捕されるのを待とうかしらって気持ちになってくる。

 ヘルヘイムの王子は微妙な顔をしている。


 「いや、一応あいつらは国って言ってるんだけど。領土も、攻撃されないために隠してるだけかもしれないし」

 「だとしても、東諸国だよ? ヘルヘイムですら狙わない、東の地だよ? 荒地で砂漠で不毛の大地だよ? そんなところの国力が怖いわけ? ──怖がるなら、アフロディーテ男爵令嬢が奪われることでも怖がった方が建設的だね」


 ──思わず、ヒロインを見た。

 ヒロインは驚愕し、目を見開いていた。


 「……私?」

 「の、たわし」


 待て。

 今、なんで意味不明なことを言った。しれっと無表情で口を挟んだニケ嬢、何を考えているの? 何も考えてないの? もう本当にニケ嬢の考えてることがわからない……。


 「ニシーケ、なんでここで『私のたわし』なんだい?」

 「真面目な話が続いてたから、和むかなって」

 「和まない。何度も何度も言ってるけど、君にジョークのセンスはない。皆無だ。君の侍女に聞いても君の父上に聞いても同じことを言うだろ。周りに誤解と混乱しか与えないから、ジョークを言うのはやめてくれ」

 「テミスは照れ屋さんなんだって。父上は私のことが嫌いだからね。ほら、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いってやつ」

 「違う。君のおふざけで君のことを嫌ってるんだ。侍女がそう言ってたよ」

 「テミスは大体私の悪口しか言わないからねえ」


 ヘルヘイムの王子がニケ嬢の相手をしてくれてるから、その間に落ち着いて、ニケ嬢の奇行は無視するということで心を落ち着けて、会話に入る。


 「ニケ嬢、アフロディーテ男爵令嬢が奪われるとは……」

 「北は気温のせいでどうにもならないから関係ないけど、南では、欲しいでしょ? 『豊穣』の魔法。アメンティの砂漠地帯でも、東の荒地でも肥沃な大地に変えてしまう、土壌開発の魔法。アフロディーテ男爵令嬢がいれば、東諸国は彼女を崇めてまとまり、それなりに強い国になれる。土地が肥えてるってのは大きいからね」


 まあうちは関係ないけど、とニケ嬢が言う。

 アメンティにとられないようにと思っていたけど、それもあったのか。

 ヒロインがいれば、東の荒地を開発出来て、領地が広がる。

 それはあまりにも大きい力だ。


 ヒロインも自覚したようで、戦慄いている。


 「で、でも、豊穣なんて、あなただって、ハーバー男爵だって…」

 「限定すれば出来るかもしれないが、広範囲は無理だ」


 ヒロインの言葉はディモス様によって遮られた。


 「『豊穣』は土地を豊かにする魔法だ。それをその才がないものがやるためには、土を掘り起こすのは出来るが、必要な栄養素を与えて肥えさせるのは手仕事でしなければならない。土や植物の魔法はあるが、土の魔法は土を動かすだけ、植物の魔法は植物を自分の魔力で成長させているだけだ。土そのものを豊かにする魔法と言うのは、通常はない」

 「わ、私たちなら、出来るんじゃないの? 漢字で、イメージすれば……!」


 混乱してるみたいね。一年のときみたいに慌ててるわ。

 そうよね。

 やっぱり、怖いわよね。

 でも、私は慰めてあげられなかった。


 「無理ね。土が肥える、というイメージが難しいわ。それにそれも、魔法だから、自分の魔力で『肥えている』という状態を作り出している間しか出来ないわ。魔法で土に豊かさを与えることが出来るのは、あなただけよ」


 魔法で無理やり『肥えている』という状態は作り出せるけど、魔法を使うのを止めたら消えてしまう。土自体を魔法で豊かに変えることはヒロインしか出来ない。もうすでに試したことだ。


 ヒロインは青ざめて、震えている。


 「じゃあ、……やっぱり私が」

 「ちくわ大明神」

 「狙われ……──待って! 今の誰!?」


 ヒロインが室内を見るけど、当然、そんなのは誰かなんて決まってる。

 挙手をした、ニケ嬢だ。


 「なんかシリアスだから、笑いを提供しようと思って」

 「笑えないから! ていうか、シリアスだから笑わせないで!」

 「シリアスをシリアルにしようと思って」

 「笑いが悪いんじゃなくって、ちゃんと真剣に考えさせてって言ってるの!」

 「では本日の議題です。アフロディーテ男爵令嬢が奪われる可能性について、話し合いましょう。発言する前は挙手を願います」

 「そういう真剣じゃなくって、こう、雰囲気とか!」

 「とか?」

 「え、とか……空気とか」

 「笑いとか?」

 「笑いはいらないって言ってるじゃん! あんたマジ話聞け!」

 「はい、では聞きましょう。どうぞ」


 ヒロインは急なパスに「え、えっと……」と戸惑っている。思わず素がでるほど驚いてたものね。こんな時に思うことじゃないけれど、私、もう社会人で良かったわ。素が出ても、あんな『最近の若者』って言葉にならないもの。


 「わ、私が狙われるんですか?」


 それでもなんとかヒロインは聞いた。さすがヒロイン、強いのね。

 ニケ嬢は、


 「その可能性もあるだけだね。あの調子に乗ってる連中を怖がるよりは備える価値はあると思うよ。これ美味しい」


 お菓子を食べながら呑気に答えた。おかわりをさりげなく要求されたので渡すと感謝された。うん……素直ね。


 「テロかあ。内部を固めてたらないんじゃないかな? ヘルヘイムなら、怪しい人間が紛れ込んだらすぐわかるし」

 「うちなんかよそ者が来ただけでわかるね。田舎だから」

 「あ、あとニシーケ」

 「何かなロイキー」

 「君みたいな脳筋思考で世界を見てない普通の人は普通に宣戦布告だと思うし、相手も自分が調子に乗ってる馬鹿だなんて自覚はないから普通に戦争が起こると思うよ」


 のどかに話していたヘルヘイムの王子がびしりとニケ嬢に言った。

 ニケ嬢は、やっぱりほのぼのと「自覚がないから調子に乗ってるんだよねえ」と答えて、


 「じゃあ一網打尽にすればいいだけだね。難易度が下がってよかったねえ」


 とあっけなく言った。

 そして話は終わりだという雰囲気を出していたので、仕方なく私が話を戻した。


 「……では話を戻して、どうやったら拠点を見つけられるか、戦場を限定できるか、何か意見はありますか?」


 話を戻して、……北二人を見た。

 今の話で、もう答えは出てる。

 わかってるんでしょう?

 だからほら、早く、言ってよ。

 ねえ。


 期待するというより、もう縋るように二人を見たけど、二人とも私の望む言葉は言ってくれなかった。


 「ここは北じゃないからねえ。何も言う事はないね」

 「僕も発言を遠慮するよ。『敵国』の人間だから、あまり作戦に口を出したくはないんだ」


 自分たちの管轄外だから知らない、と、それは私たちの領分だから自分たちで言え、と言われた。

 ここでヒロインが言い出さないか期待してしまう私は、本当に嫌な女だ。

 ヒロインはついさっき、あれほど怯えていたのに、まだ子供なのに、言い出せるわけがないのに。

 ちらりと見たヒロインはやっぱり気付いてなくて、真っすぐなアレス様も二人が暗に言ったことはわかってなくて、ある意味素直なディモス様は怪訝そうにしてたけど真意は掴めてなくて、アポロン様は私を案じて下さっていて二人の言葉は重視してないようで、オルペウス様は考えてくれているけれどまだ真意にたどり着いていないようだった。


 私が言うしかない。

 アメンティの人間だからか気付いたセト皇子がはっとして私を見たけど、彼は他国の人間。ニケ嬢やヘルヘイムの王子が、あえて私たちから言わせようとしていることにも気付いているから、非難も慰めも言えない。

 私が、言わないと。


 「──アフロディーテ男爵令嬢、いえ、デメテル・アフロディーテ」


 立ち上がってヒロインを見下す。

 ハデスが私を案じるような視線を向けて、代わろうかと視線で問うてくれたけど、従者にそんなことを言わせるわけにはいかない。ハデスはこの場で発言権はなく、それにヒロインの元想い人だ。それをハデスから言わせるのは、残酷すぎる。

 これは私の、主人で公爵令嬢の、私の役目だ。


 「国のためを思う気持ちに、嘘はありませんか?」

 「え、は、はい」


 卑怯だ。

 こんなことを最初に聞いて逃げ道をなくすなんて、ずるい。ここでNOとは言えないのに、聞くなんて。

 なんてずるくて卑怯で非道なんだろう。

 でも、私は国を、民衆を守るべき立場、貴族の最上位、公爵家の娘だ。

 英雄にはなれないだろう。悪女と罵られて、陛下からもお叱りを受けて、国外追放でもされるかもしれない。

 血も涙もないと言われ、愚策を押し通した愚か者と呼ばれ、愛する家族や、……アポロン様からも嫌われてしまうかもしれない。

 理解も得られず、ヒロインからも泣かれて、皆から見捨てられて、守ろうとした国民にも蔑まれてるだろう。

 その代わり、国を守れるかもしれない。

 なら、私は喜んで悪役になろう。

 悪役令嬢の役目を果たしてみせよう。


 「では、ミーア公爵が娘、アルテミス・ミーアの名において命令します。──囮となって、インフェルノをあぶりだしなさい」


 「…………え?」


 ヒロインの目がまぁるくなり、ゆらゆら揺らいで、ぽとりとこぼれそうになった。


 「……アルテミス様、それは何故だ」


 セト皇子がヒロインの肩を抱き、背をさすりながら私に厳しい目を向けてくる。

 セト皇子は北二人が示唆したことはわかっていたはず。

 でも、やっぱり理解は得られない。


 「先ほどニケ嬢が言っていたように、東の地は荒地です。しかし、デメテル・アフロディーテの力があれば、肥沃な土地に生まれ変わることも出来るでしょう。大国である我が国に攻め込んでまでこの土地を手に入れることと、東の地を開拓することを比べたなら、開拓のほうが易しいと思います。我が国を征服することが目的だったとしても、デメテル・アフロディーテの力で土地を肥えさせ、力をつけてから戦うことをあちらも望むはずです」

 「デメテルを欲する理由ではなく、デメテルを囮にする理由を聞いた。デメテルの才能は、この国にとっても手放しがたいもので、あちらに渡らせたくはないものだろう」


 それは、と口ごもりかけたが、良い。私は悪役令嬢だ。ヒロインの心情を思いやる必要なんて、ない。


 「それは彼女を自国に引き入れたいからですか、セト皇子」


 ヒロインとセト皇子が優しく、温かに育んで来た一年間を、その一言で評した。


 「学園では、よく彼女と過ごされていましたわね。友好のためならば礎になってもらうのもいいかと思っていましたが、今は目の前の脅威が優先です。どうせ他国に出すなら、アメンティより東諸国のほうがすぐ潰せるだけ楽ですわ。国内貴族と婚姻を結んでもらうのが一番でしたけれど、お眼鏡にかかったのはセト皇子で、このままではいつか他国に出すことになってしまうでしょうから、今のうちに利用しますわ」


 セト皇子は私を睨みつけてくるし、他の皆も信じられないように私を見てる。

 アポロン様も、もの言いたげな目で私を見つめている。

 ……やっぱり、わかってくれないわよね。

 嫌われてしまったかもしれない、と胸の痛みに耐えていると、


 「ミーア公爵令嬢、それは国のためですか?」


 ヒロインが私を見ていた。

 うるんでいたはずの瞳は、まだ赤さは残っているが涙はなく、強いまなざしで私を刺していた。

 格好いいわね、ヒロイン。

 だから悪役令嬢は惨めになるのよ。


 「ええ。この国の騎士は優秀で、きっと私たちが何もしなくても敵を倒してくださるわ。でも、……追い詰められた時に、敵がどうするか分からないわ」


 ヘルヘイムの王子が言ったように、普通に攻めてくるだろう。戦争が出来るなんて、タルタロスに勝てるなんてひどい勘違いをもって攻め込んでくるだろう。

 でもそれが勘違いでしかないと悟ったときに、どう動く?

 私たちがされたら一番困ることって、何?


 「市街地で、周りを巻き込んだ自爆テロをされたら、何人の犠牲者が出るかしら。戦場に出る、我が国のために命を懸ける覚悟が出来てる騎士たちじゃなくて、平和に暮らしていた国民から犠牲者が出るかもしれない。私たちじゃなくて、私たちが守るべき民たちが血を流すことになるかもしれない。そんなこと、許されるはずがないでしょう」


 ヒロインなら知っているはずだ。テロの手ごわさと悲惨さを。元の世界で見知ってるからこそわかる、あの悲劇。絶対にあれを現実に起こしてはいけない。何をしてでも、食い止めなくてはいけない。


 「しかし、犯罪を防ぐための警吏も騎士もいます。それでも防げないんでしょうか」


 アレス様が渋い顔を聞いてきたけど、私は首を横に振る。


 「民間人に紛れて、自分の保身も考えずに周りを巻き込む人間を、どう判別できますか? 最悪、『魔法の暴走』なんていう事故を装うかもしれません。捕まえようとして人が集まったところで自爆するかもしれません。怪しい素振りを見せたから捕まえたら、その瞬間に野次馬も巻き込んで死んでしまうかもしれません。我が国は大国で交易も活発であるが故に、外からの人間を制限することはできません。紛れて入り込まれたら、たとえ発見できたとしても自爆され、少なからず周りに被害を出してしまいます。だからこそ、相手が『戦争ごっこ』をしようとしている間に、捕まえなければならないのです」


 戦争はむごい。起こすべきではない。

 でも、戦争よりひどい泥沼もある。

 元の世界では、そんな悲しみが満ちていた。


 「では、もしアフロディーテ男爵令嬢が敵に捕まったら、どうしますか?」


 冷静なオルペウス様がその先を聞いてくれた。ありがとう。ひどい女って罵ってくださってもいいわよ。


 「そうなったら、拠点を発見できますわね。アフロディーテ男爵令嬢も貴族の端くれ、場所を伝えるとか、自力で脱出するとか、出来るでしょう。殺されはしないと思いますし、むしろ捕まってくれた方が喜ばしいですわ」


 セト皇子の顔がひくりと歪んだけど、ヒロインは表情を変えなかった。


 「わかりました、ミーア公爵令嬢。国のため、行って参ります」

 「デメテル……!」


 覚悟を決めたヒロインにセト皇子が言うが、ヒロインは微笑んだ。


 「私は男爵の娘とはいえ、この国の貴族ですから。ミーア公爵令嬢が苦渋の思いでこの作戦を考案して命じてくださったのなら、その信頼に応えたいと思います。──学園で馴染めなかった私を影ながら守って下さり、従者を通じて教え導いてくださったミーア公爵令嬢に、恩を返す機会をいただけるなんて、なんて光栄なんでしょう。ぜひ、やらせてください」


 後半は私に微笑んで、言った。

 さっき、ニケ嬢の言葉で動揺して、怖がってたくせに。今も、セト皇子の傍から離れらないくせに。手の震えも治められないくせに。

 格好良すぎるのよ。


 「……任せるわ」


 謝るわけにはいかない。これは私が命じて、強制させてることで、それを撤回する気はないんだから。その責任から逃れるつもりはないから。

 皆からの視線を感じながら、アポロン様に「陛下にお伝えに行かせていただけませんか」と申し出る。

 アポロン様は「わかった。一緒に行こう」と、話し合いはオルペウス様に任せて、私の手を取ってくださった。


 陛下たちが会議している部屋に行くまでに、アポロン様はずっと私の手を握って、背中をさすってくださった。

 泣かない。私は悪役で、ヒロインに囮を命じるような非情な女で、ヒロインを大事に思う人から嫌われる憎しみの対象なんだから、泣いたりしない。

 同情を引いて許してもらおうなんて、思ってないんだから。

 最後まで、毅然とした悪女でいるんだから。

 ──そのために今だけ、あなたに甘えさせて。




 愚かしいことに、その時の私は気付いていなかった。

 まるで戦争経験がある北の二人が話したことから発言を促されたように感じていたけど、それは間違いであることに。

 あの時、テロを言い出したのも、ヒロインに利用価値があることを示したのも、そして真っ先に『部外者だから』と引き、答えを私に言うように誘導したのも、ニケ嬢だったことに、──どこまでもニケ嬢の手の内の行動でしかないことに、気付いていなかった。


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