隠しキャラ:第一王子2 現状把握
ついに東が宣戦布告してきた。
『我々は東の国、「インフェルノ」だ。長年に渡る東方蔑視に耐え兼ね、我々はタルタロスに宣戦布告する。明後日、攻撃を開始する。覚悟を決めておけ』
宣戦布告の概要はこうだが、……明後日は早すぎる。
急いで騎士に集合をかけ、対策会議を開いた。
騎士団長はニケに北から捕虜を連れて来てもらうように要請したそうだ。この状況なら仕方ない。アメンティに対して牽制するために、ヘルヘイムの名前は必要だ。あわよくば、クローデンスの威光も。
王都からクローデンスに戻ってヘルヘイムの捕虜を準備してとなると、一月はかかるだろうか。その間、ニケとニケの従者のロイキーは危険な王都を離れ、安全な北にいてくれる。少なくとも開戦直後の混乱に巻き込まれるということはない。そのまま次期領主となるニケはクローデンスで待機して、捕虜の引き渡しを別の兄弟がしてくれたら、なお安全だ。クローデンスほど安全な場所はないからな。
友たちが安全圏に逃げてくれることに、内心でほっと安堵していたら、
「お客様がおいでです」
会議室に従者が入って来た。
一体誰だ、と陛下が問うと、従者は「ニケ・クローデンス辺境伯令嬢でございます」と答えた。
ぎょっとした。
いくらなんでも早すぎる。騎士団長が息子に伝言するように命じたのが昨日。ニケに伝わるのは早くても今日の朝だ。今はまだ夕方、日暮れ前だ。捕虜の件を断るにしろ、連れて来るのが遅れるかもしれないと伝えるにしろ、行動が早すぎる。
数秒考えた末、陛下は一旦通せ、と命じた。
そして会議室に入って来たのは、
「お話の途中に失礼します、皆様におかれましてはご機嫌麗しく、またお初目にかかる方も多くいらっしゃるようですので挨拶させていただきたいのですが、お時間もないでしょうから控えさせていただきます。ご無礼をいたします」
貴族のようにドレスを着て、貴族のように長ったらしく口上を述べる、貴族のようなニシーケだった。
いや、辺境伯令嬢のニケ・クローデンスだった。
その傍らにはロイキーがいるが、……服装がまるで貴族のようだ。
初対面の時にお忍び貴族を疑ったが、まさか本当に貴族なのか?
王都のものとは違うが、北のどこかの領の子息なのか? いや、それにしては服が上質すぎるが……。
「ターンライト伯爵に申し上げます。約束のものをお持ちました。対価はあの日、土産としていただいたので結構です。ただ捕虜の返還を望まれている都合上、捕虜の監視と所持を続けさせていただきます。捕虜にはターンライト伯爵の東に関する質問には虚心で答えるように命じていますが、痛めつけるのはご容赦ください。私の所有物ですので」
とか思っていたらニケが、騎士団長だけを見て、騎士団長だけに言った。
私は当然、陛下にも何もなかった。
……これは騎士団長が一番胃痛役だな。ロイキーはもう遠い目をしてるし。
ニケの無表情を前に、騎士団長は、まず陛下に頭を下げた。
「陛下、少々席をはずしてもよろしいでしょうか」
まず陛下にお伺いするらしい。
陛下は「構わん、ここで好きに話せ」と許可、するという体裁でここで話させることを求めた。
騎士団長はそれに不満はないだろう。すぐに「はい」と返事していた。
対して、ニケは……、
「次いで、申し上げます。この度の取引はターンライト伯爵と私のものですので、捕虜が答える義務を有しているのはターンライト伯爵の質問だけです。また、捕虜が虚心で答えるか、捕虜の情報が正確かについては保証しかねます」
淡々と無表情で言った。
眼中にもない、という態度だ。さりげなく、『陛下の質問は聞かない』と威嚇もしている。
それでも特に敵意のようなものは感じられない。無関心、無視をしようとしているだけのようだ。
「では……クローデンス辺境伯令嬢、捕虜を紹介していただきたい」
「勿論です」
騎士団長の要請にニケは応えて、ロイキーを前に出した。
うん? ロイキーを?
「こちらがヘルヘイム軍の現場指揮官にしてヘルヘイム第二王子、ロキ・ヘルヘイムです」
ニケは、無表情で淡々と、言った。
…………。
「──っはあ!?」
思わず立ち上がってしまった。
ロイキー、……ロキ・ヘルヘイムは魂が抜けているような遠い目で、ひらひらと私に手を振ってくれる。
「はは……僕もまさか、ホーロマが王太子とは思わなかったし、ニシーケが何の準備もなしにカチコミするとは思わなかったよ……。なんで侍女すらいないの……」
え、え!?
生気のない目で笑っているロキは良いとして、え!?
現場指揮官で第二王子でヘルヘイムで捕虜で…………え!?
騎士団長も、さすがに王子が前線で指揮を執っているとは思わなかったようで、非常に驚いている。私と知り合いであるということでも驚かれているのだろう。
……とりあえず、咳払いをする。
「改めて、自己紹介させてもらう。タルタロスの第一王子にして王太子、ホロメスだ。よろしく」
「さっきニシーケから言われたけど、タルタロス侵攻現場指揮官兼第二王子のロキ・ヘルヘイム。黙ってたのは許して。一応いちゃいけない人間だったから」
ロキはちらちらとニケを見ている。やはり主導権はニケが握っているのだろう。ロキもニケが動かないと動きを決められないようだ。
そしてその問題のニケは、無表情だった。
「ではロキ・ヘルヘイム、ターンライト伯爵の東に関する質問に虚心で答えなさい。私が虚偽を見抜いた場合、私の命令に背いたとして罰します」
……ここまで来ると何も言えなくなるな。
無視しすぎだろう。既知の私すら無視するのか。ロキの反応すら無視なのか。
「え、や、あの、ニシーケ? ホーロマいるんだけど……」
ロキがニケに言うが、ニケは私にも、ロキにも視線を向けない。
この空気の中で唯一発言を許されてる騎士団長が、逆に可哀想に思えてくる。
「……クローデンス辺境伯令嬢、その人間だが……」
「はい、どうかしましたか」
騎士団長が話しかけて、ニケが応じる。
騎士団長は私と陛下を見ている。
「……ホロメス殿下のお知り合いのようだが、ヘルヘイムの人間なのか?」
「はい、ヘルヘイムのものです。殿下とは城下で話したことがあります。……お疑いでしたら返還しますが?」
いきなりニケが挑発、……いや、脅してきた。
この状況下で、大事な情報源かつアメンティへの牽制を手放すのはあり得ない。
どこまで本気なのかロキを見たけど、遠い目をしているだけなので、ロキはニケの判断には干渉していないのだろう。
ニケの独断で取引を破棄してっていうのは……そもそも対価が『お菓子』だし、十分にありえる。クローデンスがアメンティ介入阻止に本気とは思えないし。
「いや、すまない。疑ったわけではない」
騎士団長もすぐに引き止める。
ニケは無表情で「左様ですか」と返事をした。怪しいが、何を考えているかは読めない。そもそもどんな意図でこの取引を仕掛けたかすら、未だにわかっていない。
騎士団長もニケを相手にしても仕方ないと思ったようで、質問の相手をロキに移した。
「それでは……東について問う。やつらの目的は?」
ど真ん中来たか。この人も騎士団長だけあり、肝が太い。
「僕たちのところに来た時は資源狙いって言ってたけど、魔法具運用のための試験石ってところが大きいと思う。クローデンスも狙ってるような素振りは見られたし、ヘルヘイムやクローデンスに対抗できるようなら、どこでもいけるっていう自信にもなる。本音ではクローデンスで試したかったんだと思うよ。タルタロス狙いなら無駄にうちと敵対するのは避けたいだろうし、あそこは撤退する敵を追わないからね。いつでも逃げられるっていうのは大きい」
「……ふむ」
「それでもクローデンスじゃなくてうちで試したのは、クローデンスが想像以上に固かったか、フリドスキャルヴ山脈を超えるのが難しかったか、タルタロス狙いだからこそ下手に突いて警戒させたくなかったのか、一度クローデンスに仕掛けて撃退されたからうちにしたのか、……どれもありそうでわからないね。ただ、うちはあくまで本命じゃないことは確かだ。ついでにクローデンスも、かな」
「その理由は?」
騎士団長が鋭く睨んだが、ロキは飄々と肩をすくめている。
「北でちょっと『釘刺し』されただけで、北からは撤退したようだから。まあ、そもそもうちやクローデンスと戦うメリットはないからね。うちやクローデンスを狙うぐらいなら、アメンティでも狙った方がマシだ。特にうちなんか、不凍港はないし冬は凍死するし夏は道が使えないし、普通欲しいと思うような土地じゃない。住んでる人間が他に土地を求め続けてるぐらいの場所だからね。それに万が一、奇跡でも起こってうちをとれたとしても、そこで頭打ちだ。南にはクローデンスがいる。だから、まずうち狙いはない」
「…………」
「さらにクローデンス狙いもない。ヘルヘイムとタルタロス、両方を狙うときだけクローデンスは強力な障害、あるいは味方にしたら最強の壁になり得るけど、それならうちとタルタロスの両方を取ってから挟撃したほうがいいはずだ。一気に両方を攻め落とすつもりじゃない限り、クローデンスはそのままにしておいた方が相手国からの攻撃を防ぐ盾になる。片方落としたら残した方から攻め込まれるのは確実なんだから、クローデンスは絶対に残しておいた方が良い。あるいはヘルヘイムもタルタロスも両方落とすつもりで、両方に対抗できる場所にあるクローデンスを占拠しようとしたっていう線はあるけど、……考察するだけ無駄な線だよね、クローデンス狙いって」
苦笑するロキに、騎士団長も私も思わず頷く。
あそこが落ちるようならどこも安全ではないだろう。その場合はむしろ、ヘルヘイムと協力してインフェルノを倒すことも厭わない。現状、どこよりも防御力が高いのがクローデンスだ。
クローデンスを占拠できるほどの力があるなら、素直にタルタロス、ないしヘルヘイムに攻め込んで制圧している。それはあまりに勝ち目がなさすぎるから、そんなものは考えなくていい。そんな強すぎる敵なら、どうあがいたところで私たちは終わりだ。
「というわけで、現状北狙いはない。で今回、東のやつらは南下してタルタロスに宣戦布告したけど、弱いとこ狙いならアメンティに行くはず。なのにタルタロスに宣戦布告したってことは、敵の狙いは三つに絞られる」
ロキが指を三本立てる。
「一つ、アメンティにはなくタルタロスにあるものが狙い。最初からタルタロス狙いで動いてるなら、クローデンスに喧嘩しかけたりクローデンスと戦ってるうちにちょっかいかけて来たのもわかる。クローデンスは一応タルタロス所属だからね。今まで国家からの要請に従ったことはないけど、本当に国の危機ってことになったらどう動くかわからない。念のため、クローデンスが出て来ても良いように敵情視察を兼ねて自軍を試してた」
「ん、だが、昨年の夏に撃退されたのだろう? 自軍の脆弱さが判明したばかりだというのに、何故宣戦布告したんだ?」
思わず口をはさんでいた。ロキの口調がいつも通りで、つい今の状況を忘れてしまっていた。
ロキもいつも通り「それは……」と答えようとして、はっとニケを窺った。
ニケもやはり、いつも通りの無表情だ。
「……あの、ニシーケ、ホーロマの質問に答えてもいいかい? あいつ以外の質問は答える義務はないとか言ってたけど……」
そろり、とロキが窺い、
「私が命じたのはターンライト伯爵の質問に虚心で答えることのみです。殿下の質問になんと返答しようが私の知るところではありません。私はヘルヘイムから捕虜の返還を求められたため、取引後にヘルヘイムに返還するために監視しているにすぎません。──それで無事にヘルヘイムの地に帰ることが出来ると思うのならば、どうぞ」
ニケは無表情ながら、やや楽しげな、皮肉っぽい声音で答えた。
ロキは「あ、りょーかい。そうだねニケは自称平和主義者だしね」と何故か急に楽観的になったが、……これは脅しだよな?
やはり答えなくていい、と言うべきか、騎士団長に質問してもらうように頼むべきか、と考えていたら、ロキが「それはさー」と答え始めた。早い!
「クローデンスも強いけど、うちも強いからだと思うよ。クローデンスが全面参戦するなら、うちもタルタロスを狙って侵攻するだろうから、クローデンスは北を離れることは出来ない。あと、クローデンスに様子見したときに無事に逃げられたから、本当に防衛しかしないって確信出来たとかさ」
「……昨年の夏の騒動がヘルヘイムで起こったものなら、そうだな。やつらを撃退したのがヘルヘイムなら、過小評価はしないだろう」
「だから、欲しいものがタルタロスにしかない、あるいはヘルヘイムやクローデンスにもあるけどアメンティにはないものっていうのが一つめだ」
「その場合、欲しいものが何なのか、が焦点になってくるか……」
「二つめ、アメンティを避けなければならない理由があった。戦力の相性的にアメンティは鬼門だとか、アメンティは内乱でも起きそうだとか、アメンティの東側の砂漠には行けない事情があったとか、何かがあってアメンティを攻めることが出来ないってのが二つ目。だから、アメンティから最も遠いうちから試して、消去法でタルタロスしか残ってないって線」
それもありそうだが……、騎士団長は顔をしかめている。
「アメンティへの道がないという理由ならば、タルタロスをアメンティへの通り道にしようとしている、という可能性があるな。また、東で基盤を築くわけでもなく西を目指す理由が分からない」
「それは東だと、どの道発展が望めないからだと思うぞ。東は荒地も多く生産量も少ない。さらに海は北端か南端にしかないから塩の確保が難しい。仮に東に国を作れたとしても、豊かになればすぐに西側から攻め込まれる。それならいっそ西の国々を乗っ取ったほうが良いと思ったのかもしれない」
騎士団長の言葉に答えたが、「魔法具を持っているのだから、ひとまずは攻めるより落ち着いて国を作った方が良い」と言われた。確かに、魔法具があるなら迂闊に攻めないから国は作れるかもしれないが、……逆に魔法具を持っていることを理由に攻められそうだと思うんだがな。タルタロスだって、おとぎ話の中の存在だった魔法具が手に入るのなら、隙を見て攻め込むぐらいするだろう。
「三つめ、──何も考えてない」
そう反論する前に、ロキの発言に意識を奪われた。
何も考えてない?
どういうことだ?
ロキは相変わらず飄々と笑っている。
「とりあえず近かったから一番北を狙った。駄目だったから次はクローデンスに行って、ここでも駄目だったからさらに南に行った。だから、次はタルタロス。クローデンスはタルタロス所属だけど、立ち位置的に独立国扱い出来るからね」
「い、いくらなんでもそれはないだろう!」
思わず声をあげてしまったが、ロキは笑みを崩さない。
「クローデンスがヘルヘイムより先でも、単なる『手ごわい者順・強い者順』が当てはまる。仮にクローデンスが攻められてなかったとしても、クローデンスはタルタロスだから当てはまる。王都近くで宣戦布告が届いたのも、王都だったからじゃなくて、平地だったから宣戦布告に行きやすかったから、だったりしてね」
「弱いものから順に行くのならともかく、強いものから順に挑む理由がない! 近い順だとしても、北から順に攻めたのなら、北を拠点にして兵を集めていたのだろう! 北を拠点にしていたのに、その拠点を放棄していきなり気候も風土も違う土地に挑むのは無謀すぎる!」
「でも、海が狙いなら三か国の中で一番弱いアメンティに行くはずだろ? ゲヘナの仇討ちならクローデンスにちょっかいをかけてるのが謎だ。クローデンスとゲヘナは隣同士で仲も良かったからね。クローデンス狙いで挟撃のためにタルタロスを狙っているのも違う。それならうちは試しでも狙わない。うちが東からの侵略を警戒して兵をそっちに集めたら、必然的にクローデンスへの侵攻は弱まるし、うちを敗れるほどの力があるなら余計なことをしてないでクローデンスを奇襲したほうがまだ勝ち目がある。今回漁夫の利を狙ってるアメンティの味方、というのもない。南の陣営なら北に来ない。北に喧嘩仕掛けたから、こうしてヘルヘイムまで首を突っ込んできた。……うちとクローデンスがもう仕掛けられた以上、タルタロスを攻めるのが目的か、アメンティを攻められない理由があるのか、それ以外かだよ。単に土地が欲しいだけなら、真っ先にアメンティを攻めるはずだ」
そう言われると、……確かに三択だ。
総当たりという線も捨てられない。
しかしタルタロスが狙われる理由も、アメンティが避けられる理由も分からない。
結局何が目的なんだ?
「次いで問う。ヘルヘイムがタルタロスに来た理由は?」
考えていたら騎士団長が別の問いかけをしていた。
それは、本当ならニケに『どうしてあんな申し出をしたのか』と聞きたいところだったのだろう。まずニケは答えないだろうが。
「ニシーケ──ニケ・クローデンスに借りがあるから。捕虜にするからついて来いって言われたら、生殺与奪権握られても従うぐらいの借りがあるから」
ロキは即答した。笑みも引っ込んでいる。
これに嘘はないだろうが、……逆に言えば、ロキにもニケの意図は分からないままだということだ。
「ニケ・クローデンス辺境伯令嬢が連れて来ると申し出た理由は?」
「ニシーケのやることだから、何でもありえるから分からない。単なる冗談でも、意味不明で的外れな親切でも、宣戦布告やアメンティ参戦を見越しての布石でも、いっそまだ何もわからないぐらい深読みした結果でも、なんでもありえる。ニシーケの行動をクローデンス領が把握してるかすらわからない。本当に何を考えて何をやらかして不思議じゃない。──ただ、クローデンスに害する行為だけは、絶対にない」
それだけは確かだ、とロキが言う。
ニケは無表情で、ロキを咎めることもなければ、何か言い訳することもない。
……クローデンスが攻撃を受けたのか、どこまで知っているのか、知っておきたいところだが、わからないままだろうな。
ニケは温和で争いを嫌うが、案外頑固だ。
ある一部分に関してだけは──王家に関してだけは、本当に頑固だ。
ヘルヘイムのロキとも平気で一緒にいる。傍から見ていても二人は仲が良い。ロキがクローデンスを揶揄しても、口頭で言い合うだけで本気ではなさそうに見える。牽制はするが、それだけで済ませる。
ただ、私がクローデンスを疑ったと取られるようなことを言った時、それに弟が北に関して探りを入れた時に、強固な態度を取っていたように思う。付け加えるなら、弟の婚約者にも微妙に頑なだった。
ニケに暴言を吐いた男爵令嬢などは簡単に許されていたのに、弟は簡単な探り入れですら脅されていた。
この考えは後に、クローデンスに暴言を吐いたアメンティの皇太子がニケからは何も咎められていないということでさらに強固なものになった。基本的に温和なニケの唯一の逆鱗が王家ということに関して、非常に不安を感じてしまう。
今、陛下もいる場所で聞いても答えないだろうし、私に伝わる可能性があるから、ロキにも教えないだろう。
騎士団長も、「そうか」とそれ以上は聞かなかった。
「では東の戦力についての、ヘルヘイムの分析を聞かせろ」
代わりに、話を本題に持っていった。
今までのは前提の話だ。今本当に聞きたいのは、これだ。
「魔法が主力。魔法具も使ってるけど、使いこなせてるかは不明。戦慣れしてる印象はない。ガキが調子に乗って吹っ掛けて来てるだけだと見てる。人数はそれほど少なくはない。ただ国と言えるほど多くもない。魔法具があるから警戒してるけど、なければ即攻撃して潰してる」
「……魔法は一兵でもかなりの腕前だと聞いているが」
騎士団長がロキに聞くと、「クローデンスと比べれば並み程度」と返された。クローデンスと比べられたら何も言えない。そういえばロキはクローデンスと最前線で戦っているんだから、クローデンスのように、『あの程度の雑魚どうでもいい』と思っても仕方ないのか。
ならヘルヘイムの介入は実際はないのか、と思ったが、ロキは「それから」と言った。
「勘違いされないように言っとくけど、最初に喧嘩を売られたのはヘルヘイムだ。クローデンスは公式には『何もない』んだから、まず攻撃受けたのはうちだ。もし今回タルタロスが対処できないようなら、次はうちが潰しに行く。今のところ大人しくしてるのは、ニケ・クローデンスの仲介があったからだ。肝に銘じておけ」
……脅しだな。
ヘルヘイムがこちらに来るなら、クローデンスを突破するか、フリドスキャルヴ山脈を越えて東に迂回して南下するか、夏の間に船で移動するかだ。
まずクローデンスを突破するのは無理だろうが、船はありうる。潮の流れが南から北に向かっているから難しいだろうが、不可能ではない。
海上戦なら、ヘルヘイムより元ゲヘナの人間もいるタルタロスのほうが上だろうが、これで元ゲヘナが反乱を起こしても困る。また万が一上陸されたら、補給や援軍がないからそこから征服されることはないだろうが、かなり国内を滅茶苦茶にされる。その時に東から兵が攻め込んで来たら、逃げ場がなくなる。
勿論、そんなことをしていたらヘルヘイムもかなり兵を消耗するし、タルタロスを手に入れられたとしてもクローデンスで分断されている状況は変わらない。東西南北、全てから挟み撃ちにしたらクローデンスに勝てるかもしれないが、その時はタルタロスやアメンティが争いを起こしているだろう。弱ったヘルヘイムは、そこで討ち取られてしまう。なら、いくら難攻不落でも、素直にクローデンスを攻略したほうが勝ち目がある。
だからここで最も恐れられているのは、ヘルヘイムとクローデンスが手を組むことだ。
クローデンスがヘルヘイムに組みすれば、まず勝てない。
対策を立てるまでもなく、負けが決定する。
ヘルヘイムは意気揚々と攻めるだろうし、ヘルヘイム本国を攻め返すためにはクローデンスを突破しなければならなくなる。あのクローデンスを。ヘルヘイムですら落とせない北の要を。
アメンティに逃げ込めば、少しは延命するかもしれないが、すぐに攻め込まれて支配されて植民地に成り下がってしまうだろう。
そうなる前に攻め込んで地の利で勝っても、相手が本国に逃げ帰れば追撃は出来ない。クローデンスが立ちふさがっているからだ。
ヘルヘイムは本国で力を蓄え、またタルタロスを攻めてくる。何百年も昔の、ヘルヘイムの脅威にさらされていたころの繰り返しだ。
あの時代に、ヘルヘイムを塞ぎ止めた『クローデンス』が現れるまでは。
クローデンスは文字通り、『北の要』なのだ。
「……ニシーケ」
渦中の、重要人物を呼ぶ。
東のことも、ヘルヘイムのことも、一手に掴んでいるのはクローデンスだ。
ここが動けばすべてが動く。動かないから、何も出来ないだけで。
どうしてヘルヘイムの王族とあれほど仲が良いのか。
どうしてタルタロス王家をそこまで敵視しているのか。
どうして今、ヘルヘイムと協調出来るような状況を整えたのか。
「…………」
ニケはしかし、何も答えない。
凍り付いたような無表情で、何も語らず、嘲笑することも利益を貪ろうとすることもなく、ただただ、何もしない。
──まるでクローデンス領のように。
その後、ニケとロキを一時的に弟たちが話し合いをしている部屋で待たせ、客人として扱うことを陛下たちに認めさせたが、結局、ニケが何を考えているのかはわからなかった。
最後まで、わからないままだった。




