隠しキャラ:第一王子 お出かけ
東諸国が騒がしい。何かたくらんでいるようだ。
北では昨年騒動があったようだが、詳細が分からない。
アメンティから皇太子が留学に来た。もしこのタイミングで東諸国と戦争になれば、アメンティが首を突っ込んできて厄介だろう。
クローデンスの娘から『ヘルヘイムの捕虜を連れて来てもいい』という提案を受けたと、騎士団長から報告が上がっている。まるで意図が読めない。
従姉殿にちょっかいをかける男がいるらしい。従姉殿もまんざらではないように見える。好きにすればいい。
弟の婚約者の取り巻きが解散したようだ。どうでもいい。
『豊穣』の魔法を使える令嬢がアメンティに引き抜きをかけられているらしい。後で考える。
問題が山積みで、もう頭が痛い。
しかし、投げ出すわけにはいかない。
私は第一王子、王太子なのだから。
将来国を率いるものとして、早いうちから実力をつけなければならない。
それでも疲れすぎて、ふらふらと街に一人で出て行っていた。
普段なら、護衛を最低でも一人は連れて行く。自分一人で抜け出すようなことは子供の時にだってしたことはない。
だから護衛たちも油断していたのだろう。私が抜けだしたことに誰一人気づかず、私は初めて一人で街を歩くことになった。
その結果。
「おい、……へへ、綺麗な顔してるじゃねえか」
街のならず者に暗がりに連れ込まれそうになった。
とっさに逃げ出したが、声をかけて来た相手はそこそこ名の知れた破落戸だったようで、配下たちとナイフを持って追いかけて来た。
逃げ回り、路地裏からようやく大きな道に出ることが出来た、と思ったらその時、男たちに捕まり、逃げ出さないようにナイフを喉に突き付けられた。
幸い目撃者がいたようで悲鳴をあげてくれたが、悲鳴をあげてくれた人間はそのまま逃げ出してしまった。
やばい、このままではやばい。
そう思っていたら、道を歩いていた男女がこちらに来てくれた。
特に男性の方は生身ではありえないほど素早く、駆けながら減速すらせず破落戸を三人倒し、壁を蹴って跳躍して背後に着地した、と思ったらさらに一人倒していた。
見ているだけでも目が追いつかないほど速く、強い。
しかし最後の、私を捕まえていた破落戸は、負けを悟ったのか私の首をナイフで掻っ切ろうとしてきた。
男性はそれに一切躊躇せずこちらに殴りかかり、破落戸がナイフを引き、私の喉から鮮血が散る……はずだった。
気付いたら、男性が破落戸を一撃で沈めていた。私の喉には傷一つなかった。
驚いて喉を触っていると、男性の連れらしき女性が、「さすが、強いねえ」とのんびりと歩いて来ていた。
のんびりとした声で、のんびりとした歩みで、のんびりとした雰囲気だが、何故か無表情だった。
女性と男性は仲良くハイタッチを交わし、私のほうを向いて、
「とりあえずやっつけたけど、君はどうしてこいつらに捕まってたんだい?」
男性のほうが聞いてきた。
女性単体での言葉では気にならなかったが、男性は結構ヘルヘイム訛りがきついようだ。あの強さと良い、慣れている感じと良い、北の、クローデンスの人間かと警戒した。
クローデンス領。不可侵と不干渉を約束すれば北の地を守る、異端の領。
半分独立国のような立ち位置だが、クローデンス領なくしてヘルヘイムに対抗できないため、咎めることは出来ない。
彼らは『北の地を守る』ことのみを目的とし、『北の地の守護』以外、何もしない。
昔には、クローデンス領が守護以外しないからと、クローデンス領を経済的に締め出したり、重税を課したりした王もいたそうだが、その時も、クローデンス領から攻め込むことはなかった。
……こちらが先に仕掛けたのだから、クローデンスの行動はただの『防衛』でしかないからだ。
クローデンス領は元々、そこそこ土地もあり海もあり、領内だけで自給自足が可能な領だ。さらに、その時はまだ在ったタルタロスとは相いれなかったゲヘナと、例外的に友好的だった。
だから経済的に締め出しても全く支障はなかったそうだし、さらに重税に関しては、
『戦時中の我らに税を納めよとは、よほどヘルヘイムを舐めていると見える』
その当時の領主がにこやかに交渉し、クローデンスは税金を納めなくても良い、という結果をもぎ取り、土産に援助金を支援することを約束までさせて帰って行った。
その時の去り際のとどめの言葉が、『我らの戦場が北で、幸運であったな』だったそうだ。
現在ではさすがに、クローデンスの土地は広大で戦をしていない土地もあるため極少額だが税を納めてくれているが、『クローデンスに手を出すな』を騎士たちだけでなく、政治をする貴族たちも肝に銘じた事件だった。
武力だけではなく、頭脳もある。警戒するに越したことはない。
だから、北の人間か、と聞いたが、女性のほうに「まあ、ここよりは北から来たよ。今はここに住んでるけどね。それで、どうして捕まってたの?」と、さらりとかわされた。
女性の方は、男性と比べればヘルヘイム訛りがない。タルタロスの人間だがヘルヘイム訛りの強い人間とよく話していて移った、という程度だ。この場合、連れである男性から移ったのだろう。
やはりクローデンスか、と聞いてみると、
「聞いてるのはこっちなんだけど、答えられないのかい?」
男性が呆れたように言って、
「案外、ナイフがないと素直になれないだけかもよ」
女性がナイフを拾って男性に投げた。
女性の投げ方は、詳しくない私から見ても明らかに素人の投げ方だったが、男性はそれを危なげもなく受け取り、さらに流れるように私の首に添えて来た。
先ほどの破落戸のように『触れない程度に近く』に『突きつける』のではなく、ぴたりと当てて『添えて』きた。
少しでも動けば、いや、大きく息をするだけで首の皮が切れるだろう。
それを流れるようにするとは、どれほど技量があり、……どれほど慣れているのだろうか。
「じゃあこれで素直になってくれるかな?」
「多分ね。じゃあ改めて、どうしてなんですか?」
男性がにこやかに、女性が私に近づいて無表情に聞いてきた。
……さすがに、正直に答えた。
男性はナイフを即座に投げ棄て「すみませんでした!」と頭を下げ、女性は「逃げきれてよかったね。本当によかったね」と飴をくれた。
……男性は私と同年代のようだが、女性はそれより幾分か年下のように見える。自分より年下の女性に、慰めるように飴をもらうとは、……不本意だったが、女性から悪意は一切感じなかったので受け取って食べた。仮に毒やら薬などが入っていても、毎日解毒の魔法をかけられているので問題ない。
そうしていたら、女性からホットドックを奢る、と誘われた。
これは、困った。
繰り返すが、男性は私と同じ年頃、青年ですでに学校も卒業して働いているような歳で、女性はそれより年下、働き始めたばかりかまだ学生かというような歳だ。
しかし二人の会話は二人が対等、あるいはやや女性のほうが優位のように感じられた。
顔立ちも違うし、兄妹には見えなかった。本当に自然に対等で、無意識に女性が優位である関係のようだったから。
だから私は二人が恋人だと思い、邪魔をしては悪いと遠慮しようとしたのだが、
「ああ、ごめんね。こっちはロイキー、『ロマンチック・イミテーション・キー』で、ロイキーだよ」
どう勘違いしたのか、『知らない人に着いて行っちゃいけません』と言われている子供だとでも思われたのか、女性が男性の名を教えて来た。おかしな紹介部分がついて来ていたが。しかもこれを言っているときも無表情だった。
どういうことだ、と男性を見ると、
「よろしく。で、こっちは『偽物の 幸せな 結末』で、ニシーケ。ちょっと無表情だけど気にしないでやって」
男性も笑顔で同じように名前を教えてくれた。そうか、同類か、と思わず遠い目になったが、……こうやってふざけている人間は、私の周りにはいなかったな、と、ふと思った。
実の弟ですら、『王太子』と『王子』と区分けされ、気安くは接して来ない。
私にふざけ合えるような人間は、『友達』はいなかった。
しかし私とて、真面目なばかりの人間ではない。
「私は『放浪する ロイヤルな まがい物』、ホーロマだ。よろしく頼む」
二人の名前に合わせて偽名をでっちあげて言えば、男性、ロイキーはとたんに嬉しそうに私の肩に腕を回してきた。
私にそんなことをする人間もいなかった。初めてのことに、驚きを隠せなかった。
そのまま私は二人に連れられ、私も行きたい場所を言えば二人が一緒について来てくれ、三人で馬鹿なことを話したりしながら楽しんだ。
二人の関係は、ロイキーは「隣人かな。気の合う同類だよ」と言い、女性、ニシーケも「間違っちゃいないね」と同意したので、ロイキーの下宿先の隣人がニシーケなのか、あるいは幼馴染でこちらで偶然再会したか、だと思っていた。
ロイキーはヘルヘイム訛りがあったこともあり、クローデンスの人間ではないかと警戒した。あのすごい動きもあるが、どこか騎士のようだった。また、簡略化されてはいたが、食事などのしぐさも粗野ではなかった。地位の高い騎士か、あるいは貴族出身だと思った。
逆にニシーケは、ヘルヘイム訛りも特に気にならない程度のものだし、ナイフを投げた動作から言っても戦闘は素人。無表情ではあるが、始終平和的な雰囲気を纏い、呑気な声で話していたので、北にはあまり関係ない人間だと思った。ニシーケはロイキーと違い、食事などのしぐさも庶民的で、貴族にも見えなかった。
だが、そんなものどうでもいい。
明るく人当たりの良いロイキーと、無表情だが隙あらばふざけるニシーケといる時間は、本当に楽しいものだった。
二人とも、同年代だろうロイキーはともかく明らかに年下のニシーケにまで子供扱いされていたのは不満だが、二人とも馬鹿にするわけでもなく、ただ慈しんでくれただけにも思えた。
楽しくて、頭を悩ませる問題も忘れて楽しんで、──楽しい時間は終わった。
もう、帰らなくては。
別れを三人ともどことなく悟り、静かになる。
二人は友達のようだから、私の出方を窺っているのだろう。
しかし、今日は楽しく遊べたが、今日楽しく遊んでしまったがゆえに、私はこれから忙しくなる。
嫌になるほど考えないといけないし、考えたらそれをまとめて貴族たちを納得させないといけない。
きっと今日の楽しい時間を思い出し、窓の外を眺めては、二人は元気にしているかなどと思いやることしか出来なくなる。
……ああ、弟が外を見てはそわそわしていたのは、よく遊びに出かけていたのは、そういう会いたい誰かがいるからだったのか。
残念だが、お別れだ。
「今日は楽しかった。また会えたら声をかけてくれ」
二人に言うと、ロイキーは途端に残念そうな顔をしてくれた。ロイキーは本当に情に厚く、面倒見がいい。その惜しむ姿だけで十分だ。クローデンスの騎士なら会うことはないだろうが、どうか元気で生き延びて欲しい。
しかしニシーケは、こんな時にまで無表情だ。逆にそれがニシーケらしくて、最後までつかみどころがないなあとおかしく思っていたら、
「じゃあ、また来週」
さらりと、自然に言われた。
驚いて、ニシーケを凝視してしまった。
今日が終わりなら、また明日会おう、と当然のように言ってくれるのが嬉しく、しかしそれは出来ないと言外に告げているのに、と解せない気持ちもあった。
いや、ニシーケなら本気でわかっていないだけの可能性がある。短い時間しか知らないが、ニシーケはそういう、どこかずれた人間だ。
「……ニシーケ、とても楽しかったが、私は来週は用事があって来ることが出来ないんだ」
改めて伝えれば、「あ、そうなんだ」と、わかってなかったことを教えてくれるような返答の後、「じゃあ次の休みは? あ、でも平日は学校があるから会えないなあ」と言われた。
……学校?
年齢的に学校に通っていてもおかしくはないが、ここは王都だ。この近くにある学校といえば、貴族専用の学園しかない。たまたまこちらに遊びに来ているだけで、家は王都以外にある、というわけでもなさそうだし……どういうことなんだ?
疑問に思い問い返すと、
「王都の学園に通ってるから」
ニシーケはまたもさらり、と答えてくれた。
王都の学園。
そこなら確かにこの街から近い。
いやしかし、そこは貴族階級の者たちの学校で、庶民のニシーケには関係ないはずで。
学園の学生ということはニシーケは貴族ということで。
……嘘だろう?
だが確認を取れば、ニシーケは、やはり嫌になるほどあっさりと答えてくれた。
「うん。で、ロイキーが私の従者。だから遊べるなら休日になっちゃうんだよ。ホーロマは休日暇? あ、東のことならそこまで気にしなくてもいいと思うよ」
教養がありそうだったロイキーのほうが従者? 庶民? それで、庶民にしか見えなかったニシーケが貴族?
自分の観察眼が信じられなくなって、それでもニシーケは冗談はともかく、嘘を吐くような人間ではないから混乱して、──『東のこと』という言葉に全てを持っていかれた。
待て。
何故ニシーケが東のことを。
貴族だから知っているのか? 東のことを知るのは、貴族でもごく少数のはずだが。
などと思っていたら、
「ホーロマ、政治に携わってる、王族でしょ?」
また、思考を全て、根こそぎ持っていかれた。
さすがに往来で話すのは不味いと判断したのか、ロイキーが私を担いでニシーケを引っ張って、走って路地裏まで移動していた。ロイキーは本当に素早く、気付いたらロイキーに担がれていた。
いきなり、浚うようにして人気のない場所に連れられたが、二人なら大丈夫だと思っていたし、そもそも舌をかまないようにすることで手一杯で、叫んだり助けを求めたりする余裕はなかった。
移動した路地裏で、ロイキーは私を降ろして、ニシーケに詰め寄っていた。
「王、族? ニシーケ、どういうことなんだい? なんで、どうして」
「あれ? ロイキーも気付いてたでしょ?」
ニシーケは混乱しているロイキーを置いて、当たり前のように理由を語った。
それは庶民目線の当然の常識で、私の甘さで、何より、私のおふざけが原因だった。
ノリで『ロイヤルな』などと言ったが、それが原因で王家の人間だとばれたらしい。
しまった。
王族としての、王太子としての責務も忘れて、遊びほうけていたから。
だから、こうしてばれてしまった。
ロイキーも、私が貴族、特級階級の人間だとはわかっていたらしい。王族とまでは思っていなかったようだが。
だから、ホーロマは王族だよね? という柔らかなニシーケの声が、この期に及んでも動かない表情が、──警戒心を呼び覚ました。
ニシーケは本当に貴族なのか。どこの家の人間なのか。私を脅しているのか。いつから気付いていたのか。私が王族だとすれば、何を要求するつもりなのか。北のほうの領を収める貴族なのか。あのクローデンスともつながりがあるのか。
見極めるつもりで、威圧するように「ならば、なんだ」と聞いた。
もしこれで何か要求するようなら、私は王族として、ニシーケを……。
そう、思っていたのに。
「だから、次の休み、暇?」
ニシーケはまるで先ほどまでの、王族だと暴く前のように、無表情で飄々とした雰囲気で、今日の夕飯でも聞くようなノリで聞いてきた。
……うん?
本気で、質問の意味がわからなかった。
理解できなかった。
今、こいつは、なんと言ったんだ?
唖然としている私に、ニシーケは明るさをにじませた声で、
「東のほうは多少放っといても大丈夫だからさ、また遊ぼうよ。そんなに、また遊びたいけど遊べない、みたいな顔しなくってもさあ」
と言った。
さらに、「ねえ、ロイキー?」とロイキーに話を振り、ロイキーもニシーケに呆れながら、「うん、そうだね。僕も楽しかったし、遊べるならまた遊びたいな」と言ってくれた。
ニシーケから悪意は一切感じなかった。
ロイキーも私と同じように、また遊びたいと思ってくれていた。
完全な善意だと悟り、……そんな、見返りも求めない無償の善意というものを向けられたことがなく、また世話焼きで兄貴分のようだったロイキーに『また遊びたい』と言ってもらえて、……疑った自分を恥じた。
これだけ世話になっておきながら、なんて情けない真似をしたんだ。
「……私も、遊びたいが、……どうして東が大丈夫だと言える。クローデンスでは、やはり何か掴んでいるのか」
「掴んでるっていうかさ」
素直になり、恐らくクローデンスの人間だろうロイキーが何か知っているのだろうと聞くと、ニシーケはさらりと、
「あんな雑魚相手じゃないし、アメンティさえ出て来なければ問題ないでしょ」
と、
「最悪、アメンティぶっ飛ばすぐらいなら協力するから、気楽に遊んでいいんじゃない?」
と、答えてくれた。
だからちょっと待て。
東の問題が『相手にならないぐらいの雑魚』で、アメンティを『ぶっ飛ばすぐらいなら協力できる』? だから気楽に遊んでも良い?
どこからの発言なんだこれは。
というか、ニシーケは従者だというロイキーとも仲良くしているし、ヘタレだと思うほど平和的なはずだが、どうしてこう暴力的なことを話すのか。どうなっているんだ。
ニシーケは私に「あれ? わかってたよね?」と、本気でわかっていると思っていたように言って、
「クローデンス領の人間で学園に通うような貴族って、相手決まってるよね? クローデンス家の人間だよ?」
とんでもない大暴露をしてくれた。
その場は、ロイキーが出て来てくれ、「時間あるし、また今度集まろうよ。ホーロマ、次の休みって暇?」と一旦休止を申し出てくれたので、「予定を空ける。次の休み、またここに来い。絶対に来い」と約束してそれぞれに帰った。「じゃあまたねー」と呑気に手を振っていたニシーケはロイキーが連れ帰ってくれた。本当にロイキーは良いやつだ。
私は帰ってから、もろもろの問題を放置して、まず学園の生徒名簿を仕入れ、クローデンスの人間を探した。
クローデンスの人間は、現在学園には一人しかおらず、『ニケ・クローデンス』というクローデンス家の長女が二年生、弟と同じ学年に在籍していた。
また現在クローデンス家には、長女、長男、次女がいるそうだ。
王都の方では、王位継承権が男子優先なので、自然と貴族も男子が家を継ぐようになっているが、クローデンスは北の人間だ。これまでの跡継ぎから見ても、基本的に長子が継いでいる。
勿論クローデンスなので、長子に問題があったり、他の子供が優れていたりした場合は長子でないものが継ぐが、学園の成績を見る限り、ニケ・クローデンスに問題はなかった。何事もそつなく優秀に、しかし特出することはないほどひそやかに過ごしているようだった。
とはいえ弟たちと同学年だからか、巻き込まれてそれなりに実力も発揮しているようではあった。
騎士団たちと演習をし、模擬戦を指揮して勝利したり。
弟の婚約者とその取り巻きたち、『豊穣』の魔法を使う令嬢と模擬戦をして、引き分けに終わらせたり。
弟が手合せを申し込んで友人たちと戦わせ、結果勝利と引き分けという結果を出したり。
かと思えば『豊穣』の魔法を使う令嬢に暴言を吐かれても何も報復せず穏やかだったり。
友人関係も広く浅く、取り立てて親しい人間もおらず、特に険悪な人間もいないようだったり。
負けはせずとも勝たない、というのがニケ・クローデンスの印象だ。
何事にも怒らず喜ばず当たり障りなく、毒にも薬にもならないようにしている、という感じだ。
と、そこで『クローデンスの娘がヘルヘイムの捕虜を連れてくる提案をしている』という、意図の読めない困った悩みごとがあることを思い出した。
おそらく、提案者のクローデンスの娘はニケ・クローデンスだろう。下の妹はまだ幼く、王都に来て騎士団長と接触する機会もない。ニケ・クローデンスは演習で騎士団長と顔を合わせていたそうなので、その伝手からの提案だろう。
それに何より、……半日程度の付き合いだが、ニシーケならそういう、意味の分からない提案を、自分なりにはしっかりと考えた上で、言って来るような気がする。ニシーケは、うん、……ちょっと常人とは違うから。
ニシーケについて探り、うんうん悩んで、次の休み。
無理やり休みをもぎ取り、護衛は『部屋で一人で寝て色々考えたい。邪魔しないでくれ』と追い払い、またこっそり抜け出して二人と別れた場所に行った。
「あ、やっホーロマ」
「来てくれてひゃっホーロマだよ」
「まるで私が浮かれているように言うな。逮ホーロマするぞ」
ニシーケ、ロイキーのおふざけに答えながら、少しほっとした。
ここで真面目になられていたら、距離を感じたら、……悲しいからな。
「早速だが」と、二人に話を切り出す。
「ニシーケはニケ・クローデンスだな?」
「そうだよ」
あっさりとした肯定。隠す気もなかったのだろう。
なら……。
「東のことについて教えてくれないか? せめて、どうして無視していても良いかだけでも」
「でないと、安心して遊べないよね」
ロイキーもうんうんと頷いてくれる。
ニシーケは、だが、やや顔をしかめた。
初めて動いた表情に、その嫌そうな顔に、びくりとしたのは確かだ。
のんびりとして、穏やかなニシーケしか知らなかったから、なおさら。
ニシーケはすぐに何もなかったように無表情戻り、淡々と言った。
「……それはさ、私が『ニケ・クローデンス』だってわかってて言ってるって思って、いいんだよね?」
ぎくり、とした。
理由もなく身構えて、すぐに彼女が『北の要』、クローデンス家の長子であることを理解した。
ただ北を守るだけの一族。
王家に協力することもなく、どこかへ攻め込むこともなく、北を守ることしかしない領。
そして絶対に落ちない領。
東諸国が騒いでいるが、どうして放置して良いのか、どうして雑魚と言えるのか教えて欲しい?
アメンティの問題を『なんとか出来る』と信じてもいいか?
そんなこと、聞くまでもない。
『クローデンスだから』だ。
ニシーケ、ニケはクローデンスの人間で、演習の時も見たように、彼女が個人的に運用できる兵たちもいる。
──東諸国? それはヘルヘイムよりも強いのか?
──アメンティの抑え? クローデンス嫡子が指揮して、あんな弱小国家程度抑えられないとでも?
理由を聞くまでもなく、理由を問う事自体が嫌疑になる。
疑うことが出来ないほどの防衛能力を有しているのが、クローデンスだ。
「──ねえ」
ニケの声は静かで、常はあるはずの温かみも呑気な色もない。
「どうなの?」
冷えた目が、声が、私の心臓を凍り付かせる。
聞くところによると、ニケ・クローデンスは戦場を経験しているらしい。
だからだろうか。
人の生き死にを見続けている、底冷えするような冷たさを感じさせてきた。
まるで彼女が、彼らが自分の戦場と称する北の大地のように。
「に、ニシーケ……?」
ロイキーがそろりと、戸惑っているように声をかけた。
待て、護衛らしきロイキーもニシーケのこの様子を知らないのか?
それだけ、逆鱗に触れてしまった、ということなのか?
嘘だろう?
ニケは、「ああ、ロイキーは北にいたからね」と感情の読めない声で言った。
「クローデンスは、タルタロス国内では特別な意味を持つからね。まして、ホーロマは王家の人間だからね。ちゃんと、覚悟して言ってるんだよねって、確認だよ」
何の覚悟だと言うのか。
ロイキーも恐れるようにびくりとして、ちらりと私に視線を向けて来た。
アイコンタクトで会話できるほど付き合いは長くないが、なんとかしろ、と言われているのだろうと思う。そうわかる目だった。
「……北を、クローデンスを疑ったわけではない。ただ──……」
「ホーロマ」
言い訳を途中で遮られる。
「疑った、って?」
……っ!
しまった! 『疑われた、と思われるようなことをした』と認めてしまった。
ニケは「んー……」と、やっとのんびり考えるような声で、しかし目をますます冷たくして、ロイキーを見た。
「ロイキー、悪いけどさ、私は『ニケ』である以前に『クローデンス』だからさ。個人である前に、『北の要』の一員だからさ。──我らは専守防衛を旨としているが、その我らに、何か疑いでもお持ちか? 『疑われた』と、認識しても良いと?」
底冷えする、重々しい声でニシーケは言う。
『疑う』という『攻撃』を受けたと認識されてしまえば、彼らは報復して来る。彼らは防衛しかしないが、それは反撃をしないと言うわけではないのだ。
何か、言わなければ。
私は、王族だ。
この国を守るためにいる存在だ。
『王太子』なんて、『北の要』に比べれば、──北からの襲撃を退けてくれている彼らを失うことに比べれば、私一人程度がなんだと言うのだ。
「……疑った、と、取られてしまうかもしれない危ういことを言ってしまったことを謝罪する。『私』の失言だ。『タルタロス王族』としての発言ではない」
報復なら私個人に。国には責任はない。
ニケをじっと見つめた。
だが、──ニケは表情を変えなかった。
「で?」
冷えた目で私を見る。
「王族としての発言じゃない、それで? プライベートでの失言、だから? ホーロマは王族でしょ? ──『王族』が『クローデンス家の人間』を疑った。それ以上の事実があるの?」
「う、疑ったわけではない」
なんとか否定する。ここで黙っていたらそれが『事実』になる。
だが、ニケは「だからさぁ」とますます温度をなくしていく。
「王族がクローデンスを疑って、情報共有を要求したんだよね? 疑われたらさあ、私はこう言うしかないよ──『ならば北にお越しいただこうか』」
宣戦布告。
『北に来い』とは、彼らにとって宣戦布告を意味する。
私的な発言だからと許してもらえると思うな、王族ならば私生活も全て『王族』としてのものだ。個人である以前に王族であるはずだ。その体に流れる血は王家のものなのだから。
そう言われているかのような、凍てつくような目に、言葉を発することすらできなくなった。
クローデンスは国内でも微妙な立場だ。
北からの襲撃を全て押し付けられて、称賛を含む干渉を一切拒絶し、明らかに愛国心は持っていないが敵愾心もなく、ただそこに在るだけの、使い道が一つしかない代わりに最高の道具。
『防波堤』としてしか働かず、働きに見合う給与も受け取らない。
何が目的なのか、わかるものはいない。
しかしこちらに害は一切なく、失えば大打撃を受けるほど便利な道具なので利用し続けている。
働きに対価を支払っていない以上、彼らに命令する権利はない。
彼らがタルタロスに頭を垂れる義務はない。
ニケの宣戦布告に、完全に窮地に立たされていることを理解した、その時。
「……あの、ニシーケ、ちょっといいかな?」
そろり、とロイキーが手を挙げた。
さすが同郷の人間なのか、このニケ相手に話しかけられるなんて。
ロイキーはやはりすごい。驚嘆の念を禁じ得ない。
「ニシーケって、その、普段もっと、適当な人だよね? ホーロマは謝罪してるし、えと、自称平和主義者のニシーケにしては珍しいと思うんだけど、もしかして機嫌でも悪いのかい?」
「やだなぁ、私はいつでもどこでも誰とでも、仲良く楽しくフレンドリーな平和の使徒だよ?」
話しかけられたニケは、ケロッと明るい雰囲気と穏やかな口調で、冷え冷えとした声音のまま答えた。
脅しているようで、逆に威圧感が増しているように感じる。
ニケは「たださあ、こういうのはバランスだからさあ」と、私を見た。
「『王族』が『クローデンス』を疑うなら、牽制はしなきゃいけないでしょ?」
軽い雰囲気なのに、重苦しいほどの視線と声音で、非常に恐ろしかった。
ロイキーも同じように思ったようで、「じゃ、じゃあさ」と話しを変えてくれた。助かった……。
「じゃあ、ホーロマもそんなつもりはなかったって謝罪したし、適当にペナルティーでもつけて許すよね? ニシーケは『専守防衛』だしさ」
「北を守るためなら首都の一つ二つぐらいぶっ潰すけど……まあ、ただの牽制だからねえ。ホーロマもそんなつもりはなかったみたいだし」
ニケは朗らかな雰囲気で、考えの読めない無表情で言った。
「私個人と話したってことで、東のこともアメンティのことも、私個人としてしか協力しないし、気が向かなかったらただ静観しとくだけってことで手打ちにしようか。この忙しいときに戦争始めてたら、父上と侍女に何やってるんだって叱られちゃうし」
ついでに、私の機嫌を取るって名目で遊べるね、と楽しそうに言ったニケに──一切情報を渡さないままに『一緒に遊ぶ』という目的を果たしてしまった彼女に、一体どこまでが計算づくだったのか、と戦慄してしまった。
その後、ニケから『いや、あえてわざわざ「ニケ・クローデンスだな」って確認されてから情報出せって言われたから、とりあえず乗っておこうかなって。あと、王族で一人だけクローデンスと交渉できるパイプ持ってるとか、ホーロマも陛下に報告するかとか利用するかとかクローデンスとのバランスとか、いろいろ考えなきゃいけないようになるから、それは大丈夫かなって、気になったんだよ』と言われた。
それを聞いたロイキーは『ああ、君はそういう、非常に周りと相手に心労と被害をもたらす心配をするよね。心配してくれるのは嬉しいけどさ』と遠い目をしていた。
私は心配されていたことが的外れでもないが誤解してしまう雰囲気だったのは確かだったので、『今度は食い違っても大丈夫なようなネタ振りをするようにする』と答えた。即ロイキーに『ニシーケにネタは振らないで! ニシーケのジョークは笑えないから!』と突っ込まれ、ニケに『カモーン』とネタ振りを要求された。とっさにネタが出るわけもなく、『く、食い合わせは大事だな』と言うと、二人ともから鼻で笑われた。真面目な常識人の私を始終ふざけ倒している芸人のお前たちと一緒に考えないでもらいたい。




