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防衛特化無表情腐女子モブ子の楽しい青春  作者: 一九三
承 変化!いつだって諸行無常!
58/77

モブ子妹 砦にて

 幼い頃、私は自分に姉がいると思っていなかった。


 私と姉は七つ違い。兄は私の四つ年上。

 若干歳が離れていて、嫡子の姉や長男の兄とは置かれた環境が違ったので、私は姉とも兄ともあまり交流がなかった。

 それでも兄には唯一の妹として可愛がられたし、末っ子なので両親にも愛されて育った。


 でもあの無表情の姉は、私を愛してはくれなかった。


 姉は女なのに兵士たちのいる砦に入りびたり、可愛い服や楽しいおしゃべりにも興味を示さず、一日の大半以上を砦で汗と埃にまみれて過ごしていた。

 日の出前に砦に向かい、日が落ちてから砦から帰る。

 そんな生活をしていた姉だから、屋敷にいた私と会うことはほとんどなかった。砦に行くこともあった兄は姉に会っていたようだが、屋敷が生活の基盤の私と、屋敷には寝るためだけに帰っているような姉では、すれ違ってしまうのは仕方のないことだっただろう。


 しかし、私は兄とは会っていた。

 兄は砦に通い詰めていたわけではないし、朝食と夕食は一緒に屋敷でとっていたから、そこで毎日顔を合わせていた。さすがに昼食は砦で取っていたようだが、兄も子供だったため、出来る限り家族と食事が出来るように、周りが配慮していたらしい。

 当然、嫡子とはいえ女で、同じくまだ子供だった姉にも同様の心遣いがあった。


 『お気持ちだけいただきます。それよりも、強くなりたいので』


 それをにべもなく断ったのは、姉自身だ。

 姉は言葉を発せる頃から『おかあさん、もじおしえて』と言っていたほど、子供らしくない子供だったそうだ。クローデンスに生家も何も捨てて嫁いできた母が、クローデンス家長として幾度も戦場に出た父が、気味悪く思うほど。


 姉は両親の反応も気にせず、幼少期に大体の教育を終え、砦に通い始めた。

 魔法に異常なほど適性があったらしいが、派手な魔法には見向きもせず、『役に立つなら、これだと思う』と回復魔法をひたすらに磨いていたらしい。

 ある程度護身が出来るように、と剣術や体術も習い、それも幼い頃に始めたおかげか毎日鍛錬を欠かさないおかげか、『もっと習いませんか』と講師が言い出すほどだったが、護身出来る程度で良い、と姉はそれ以上を目指さなかった。

 代わりに結界魔法を学びだし、『これなら護身も楽ちんだね』と突き進んだ。

 次期領主として領の運営のことなども学んでいたらしいが、クローデンス領は常時戦時中の特殊な領だから、と言って砦に通うことも止めなかったらしい。


 だから、私に姉がいるとは思っていなかった。

 ほとんど顔も見かけないし、父も母も姉を嫌っていたからか、日常生活の中で姉の名前を聞くこともなかった。

 それでも屋敷で領主としての勉強をしているとき、寝るために帰ったとき、次期領主として業務があるときなど、姉の顔を見る機会はあった。


 だが、それでも私は『あれ』を姉とは思っていなかった。

 無表情で、親にも敬語を使い、何を考えているのか読めないあれを、私は『次期領主』という機械人形だと思っていた。

 あれが血の通った人間であることを知ったのは、あれが侍女と冗談を言っているのを聞いてから。

 あれが実の姉だと知ったのは、兄との会話の中で出て来てから。

 それまで、私は自分に姉がいることを知らずに過ごしていた。


 姉は、話してみれば、無表情で考えが読めないことを除けば、穏やかな人だった。

 甘えれば甘えさせてくれたし、物をねだれば譲ってくれた。欲しい欲しいと駄々をこねると、仕方ないなあ、と額をつついて、与えてくれる人だった。

 争いが嫌いで、冗談が下手で、無欲で、あと変な趣味があるけど、優しい人ではあった。


 優しい人だったけど、優しい姉ではなかった。


 私は知っていた。

 姉が甘えさせてくれるのは、甘えさせない理由がないだけで、物を譲ってくれたり与えてくれるのは、駄目だと叱ったりするのが嫌いなだけで、だから単に、私に興味がないだけだって。

 いや、興味がない、というのは言いすぎかもしれない。

 姉は姉なりに家族を好いていた。自分を嫌う両親も、自分を苦手視する弟も、そして自分を家族として見ない妹も、好いていた。

 ただそれは、好きなだけで、愛してはいなかった。

 好ましいだけで、愛情はなかった。

 嫌われても、避けられても、家族に愛情がないから傷ついたりしないで、好きでいることが出来ている。

 争いが嫌いな姉は、嫌うよりも好むほうが、好きだから。

 というより、大体の人間のことを好んでいるから。

 私は、姉が人を嫌っているところが想像できないし、姉の嫌いな人を見たことがない。

 だから、嫌われているけど好き、というのは家族としての情ではないんだろう、と思えた。


 両親はもう、姉のことを諦めていた。我が子と思うことを、諦めていた。

 子供ではなく『次期領主』として見ていて、私もそれに倣った。

 なんだかんだで姉と接点が多かった兄は、それでもまだ姉を『姉』として見ているようだが、私は『家族』ではなく『次期領主』として見ていた。


 姉は次期領主としては、申し分のない人だった。

 まるでそうなるためだけに生きているような人だった。

 領民として私は姉を認めていたし、領主一族としても、安心してお嫁に行けると思っていた。

 両親は、それでも姉のことを我が子として引きずっているようなところがあったが、私は完全に吹っ切っていた。領主として頻繁に接していた父や、お腹を痛めて産んだ母とは違い、交流のなかった私は家族と思わないほうがすんなりと受け入れられた。

 姉のことは嫌いではないが、家族ではないから遠ざけて。でも次期領主としては認めているから、それは敬って。そういう距離感を保っていた。


 所詮嫁に行く身なので、それでいいと思っていたところもあった。

 だから。


 「──私のために、怒ってくれたから」


 幸せそうな姉に、顔が歪んだ。

 心臓が軋んだ。


 姉は。姉は、敵国の兵も治療してやるほど人を憎まない人で、感情がないように思えるほど無表情で、何をしたって許してくれるほど周りに興味がない人では、なかったのか。

 何故、家族ではなく侍女に、そんな思いを寄せて、信頼している?

 家族には、情などないくせに。


 昔の、今では失われた愛情に縋って、姉は未だに侍女を信頼している?

 昔の、たった一度の心配だけで無条件に慕うほど、姉は愛情に飢えていた?

 もしかして姉には、家族を思う気持ちも、家族に疎まれて悲しむ気持ちも、あったのか?


 姉とは思わなかった自分の今までが頭をめぐる。

 ぐるぐると回って、ここに敵国の指揮官がいなければ、兄に縋っていたかもしれない。

 だって、私は。

 私は、姉のことを、姉とは。


 「……テテュス様、恐れながら申し上げますが」


 と、姉の唯一の侍女が私にこそりと話しかけて来ていた。その心配げな瞳に、自分が弱っているように見えていることを自覚した。

 息を吸って、吐く。

 敵国の兵の前で、無様は晒さない。

 嫁に行くとはいえ、私もクローデンスだ。


 「……なんですか」


 いつもの冷えた声が出たことに安堵しながら侍女を見ると、侍女も『よくできました』と微笑み、ついで……非常に申し訳なさそうに、呆れているように、姉をちらりと見てため息をついた。


 「……お嬢様の先ほどのは、場を和ませるためのジョークでございますので」

 「…………はい?」


 そして言われた言葉に、つい、声が出た。

 父や姉、そして敵国の兵も話し合いを止めこちらを見て来たので、侍女は仕方なさそうに、姉を強く、視線で人を殺そうと思っているのではないかと言うほど強く姉を見て、「関係のない話を失礼しますが」と言い、


 「先ほどのお嬢様の発言は、気の合う敵が孤立無援なので励ますため、また皆様の敵への恨みを一時的に有耶無耶にするために、あえて冗談で場を誤魔化しただけでございますので、どうか、お気になさらずに」


 と、言った。

 部屋中の視線が姉に注目した。

 姉の思考を知っている父も、人を良く見ている母も、姉を家族と思っている兄も、姉と気が合うらしい同類の敵兵も、姉を見ていた。

 姉は、相変わらずの無表情で、


 「え? 和んでたよね?」


 と言った。


 侍女が無言で姉の頭をスパーンと叩いて、「テミスー、痛いよー」と姉が頭を押さえた。


 あ、はは……。

 ははは……。


 さすが、姉と十年以上一緒にいる侍女。

 姉のあの、謎のジョークを完全に把握してるなんて。


 「ニケっち……」と同類の敵兵まで下を向いて意気消沈していたが、母も父に「少し茶でも飲んで休憩にしませんか……」と申し出て父も頷いてしまっていたほどだが、……この姉は、本当に、読めない。

 兄なんかは姉に「どういうことだよ姉貴!」と詰め寄っている。まるでクローデンス領のごとき鉄壁の防御を誇る姉を叩くような暴挙に出るのは、避けることも守ることも出来るだろう姉があえて殴らせるのは、あの侍女だけだが。


 その侍女は、朗々と認識の違いを教えてくれる。


 「お嬢様がもし、本当に案じられることを喜ぶのでしたら、お嬢様のことを案じもしない侍女よりも、お嬢様を本心から案じられている旦那様方を好まれるでしょう。お嬢様が私を重用しているように見えてしまうのは、お嬢様について行けるような侍女が私しかいないからですわ。信頼しているように見えるのも、成否がどうでも問題ない面倒事を丸投げしているからでしょう。私がお嬢様を主人とは思わぬ扱いをしているのは、……そうでもないとこんな主人の従者なんてやってられないからよ。それから、私がどんな態度であっても、次期領主で辺境伯令嬢の立場で侍女が一人もいないなんてことは出来ないから、つまり代わりがいないから、クビに出来ないだけでしょ」


 声から恨みがあふれ出るように、姉に一片の人権も認めないように見下しながら、侍女は吐き捨てた。

 ……ほ、本当に信頼関係なんて、ないの、かしら?


 姉は詰め寄っている兄を「まあまあ」と雑にあしらって、侍女に情けなくも気にしていないような、ヘタレ、と称されるような雰囲気で答える。


 「いつもテミスは優秀な侍女だって感謝してるし、気に入ってるのは本当だよ。さすがにそんなこと冗談で言わないって」

 「お嬢様に気に入られているなんて、私の人間性が疑われてしまうのでやめてください。お嬢様の侍女を長くやっているだけでも十分偏見を持たれてしまうんですから」

 「そんなこと言わずにさー」

 「もう心配するだけ無駄と、わかってますもの。お嬢様は心配など踏みにじって行くんですから。無駄な心配などしませんわ」

 「うん、別に心配されたいわけじゃないし。それよりその台詞、なんかツンデレっぽいね。信頼してるから心配しない、とか、危険なことして欲しくないから拗ねてるみたい」

 「気持ち悪いことを言わないでください」

 「テミスは照れ屋さんなんだかさー」

 「気持ち悪いです。黙りなさい」

 「ひどいなあ。テミスが言ったから他の侍女解雇にしたのは本当なのにー」

 「え、そうだったんですか? 重いです」

 「あと父上が雇ってるから、主人は私だけど雇い主は父上だし」

 「お嬢様が子供のときからですから。お嬢様に給金を支払われていたのならドン引きします」

 「それから、求人の条件が『クローデンス辺境伯嫡子の侍女』ってのは本当だよ。だから私がふさわしくないと思ったら、いつでもティタンに移って良いよー。移る前に一言挨拶してくれたら餞別ぐらいあげるから、その時は声かけて欲しいなー」

 「お嬢様から嫡子の座を取ったら、気持ち悪い妄想と趣味の悪いジョークしか残らないじゃないですか」

 「あとはー、テミスが私のこと駒としか思ってないのも、私のこと舐めてるのも本当だよね? だからほら、単なる冗談でしょ? 適当に本題に移ると思ったから、そこまで雑談が長引くとは思ってなかったけどさ」

 「お嬢様」


 侍女がまた、パシンと姉を叩いた。

 姉は叩かれた頭を押さえて、「テミスー、暴力は何も生み出さないんだよ。暴力はんたーい」と言っている。

 侍女はまた姉を叩く。


 「お嬢様、私がお嬢様に情報を伝えないのは、『テミスの好きにすればいいよ』などと言って、私の好きにさせているからです。ですから、お嬢様に伝えないほうがいいと判断して、教えないのですわ。お嬢様が言えと命じたなら、当たり前ですが、全てお話します」


 今度は姉の頬をつねり、捻じり上げる。


 「私がお嬢様を舐めているような態度を取っているのは、お嬢様が私を咎めないからです。お嬢様が咎めないので、こうした態度を取っているのです。争いが嫌いなどと腑抜けたことを言っていないで、舐められているとわかっているなら咎めてください」


 逆の頬も同じように捻じり上げる。


 「お嬢様を駒と思っているのは、お嬢様がそれを望んでいるからでしょう。お嬢様は領のためなら自身も駒として扱いますし、そう扱われることを望んでいるでしょう。領のためのお嬢様であって、ただの嫡子に過ぎないお嬢様は領のための犠牲になるなら本望だと思ってるでしょう。だから、私にもそれを望んでいるのでしょう」


 そして頬を離して、姉を見下し、


 「お嬢様は侍女の言う事に素直に従う事だけはよろしいですが、他は直してください。仕えるべき主人として認めていますが、先の話もただの冗談で、愚痴を言ったつもりすらないのはわかっていますが、私の外聞が悪すぎますから」


 と、言った。

 侍女が、ここまで言った。

 なんだか、信頼関係がないというより、他の人には計れないような奇妙な仲があり、それがただの信頼関係よりよほど強固であるように思えてきた。


 しかしただの侍女にここまで言われたら、さすがの姉も、怒らないわけにはいかないだろう。敵兵の、客人の前でもあるし。

 そう思って姉を見たが、……姉は楽しそうな雰囲気だった。


 「だからって、命令だから一緒に男同士の熱い友情を観察しようって言ったら拒否するくせにー」


 楽しそうに、ふざけているようにそう言った。

 ああ、……姉はこういう人だった。


 「当たり前ですわ。業務外です」

 「偵察って言い換えても?」

 「拒否します」

 「じゃあー、主人とお話しましょーって、話すのは?」

 「気持ち悪い妄想は聞きたくありません」

 「ていうか、なんでテミス、怒ってるの?」


 姉はきょとり、と小首をかしげる。


 「事実を脚色しただけの、ただのジョークでしょ? ひどい嘘をついたわけでもないのに、なんでそんなに怒ってるの? 二人の時ならともかく、父上たちもいるところでこんなことするなんて、どうしたの? テミスに暴力振るわれたのにも、本当にびっくりしてるんだけど」

 「お嬢様が何故私が怒っているのか分からないからですわ。それに、暴力を振るわれても避けなかったからですわ」

 「スキンシップかと思ったんだよ。……テミスー、こういうの、やめてよー」


 姉は本当に困っているような声を出して、


 「公式の場でこういうことされたら、罰さないといけないでしょ? 冗談で済ませといてよー」


 侍女の胸倉を掴んで引き寄せて、キスをした。

 キスを、した。

 侍女はとっさに姉を突き飛ばそうとしたのか、何かしようとして、


 「動くな」


 姉に命じられ、動きを止めた。

 面倒そうな、怠そうな姉の声に、思わず私も兄も動きを止めていた。

 侍女は何か主張したいように、小さく「ふ……、んん……」などと吐息を漏らしていたが、姉は目も閉じずに、ただキスしていた。

 凝視しているうちに姉は侍女から離れた。

 二人の間をつぅっと唾液が伝い、切れる。

 姉はぐいっと濡れた唇を袖で拭い、


 「じゃ、そーゆーことで」


 やれやれ仕方ない、という雰囲気で言った。

 そういうことって、どういうこと?

 しかし私たちの困惑を置いて、姉は「お騒がせしました。タルタロスの騎士団長の話からでしたね」と何もなかったように話し合いに戻っている。他の人たちが戻ってないから結果的に戻れてないけど。


 え、今、キス?

 なんで?


 「……ニケっち、君ってその、女性が好きなの?」


 聞いたのは、姉の同類の敵兵だ。

 姉はけろりとしている。


 「好きだよ。特にテミスはお気に入りだよ」

 「お嬢様、それでは私とそういう関係にあるように誤解されるのでやめてください」


 誤解しかされない返答に、侍女が即座にストップをかけた。侍女も口を拭ったのか、もう元通りだ。姉の侍女はタフでないとやっていけないようだ……。

 姉は確かに男にそういう意味で興味はなかったけど、矛先が同性に向いたわけでは……ない、よね……? 跡取り問題とかあるから、ないと信じたいんだけど……。


 「黙れ」


 姉の命令に、そんな思考は断ち切られ、びくりと竦んだ。

 普段が普段だけに、本当に怖い。

 姉は無表情で、しかし拗ねているような雰囲気だった。


 「文句は二人のときに聞くからさー、今は黙っててくれないかな? 公式な場なんだからさー」


 まったく、テミスは照れ屋さんなんだから。


 姉の言葉は、まるで脅しのように聞こえた。

 異論は認めない、と言っているように、命じているように聞こえた。

 それが事実だと断言しているようだった。


 私は震えあがってたけど、さすが姉の侍女、呆れたようにため息をついて、父に何か耳打ちした。

 父は頷いて、「今は一旦、休憩にしよう」と言った。

 そのとたん、侍女は姉に平手打ちをお見舞いしようとして姉に受け止められていた。


 「さすがにそれは痛そうだからやだなー」

 「人の唇奪っておいて、言い訳はそれだけですか」

 「テミスがあんなこというからじゃーん」


 姉はぺいっと侍女の手を払い、椅子にのけぞり足を組む。


 「公式の場であそこまで従者に言われたら、主人として対応するしかなくなるじゃん。今のテミスとの関係気に入ってるのにさー。あと、罰とかしたくないしー」

 「だから、『主人への従者の言葉』ではなく、『情婦へ拗ねて甘えただけの言葉』に変えたんですね。それなら、咎を受けるのは情婦をこんな場に連れてきているお嬢様になりますし、情婦なら対等な立場と言えるので、私がお嬢様に言ったことを咎めずに済みますから」

 「わかってるなら否定しないでよ。私が父上に叱られて『まだまだ未熟者だ』って言われるぐらいならいいけど、私がテミスを叱って罰を与えるのは嫌なんだよ」

 「叱らないことが愛情ではありませんわよ。上に立つのならば、罰もきちんと与えられるようになってください」

 「テミスは主人に苦言を呈しただけで、叱られるようなことじゃないからさあ。叱られたいなら叱られるようなことしてよ」

 「例えば?」

 「ティタンのおやつ勝手に食べたりしたら叱るよ」

 「お嬢様のおやつを勝手に食べたのなら?」

 「怒るよ」

 「では今日のお嬢様のおやつをいただきますから」

 「あー、別にいいよー」

 「怒ってないじゃないですか」

 「勝手にじゃないじゃん。事前に欲しいって言われたら許可出す選択もあるよ」

 「お嬢様」

 「あと、『恋人同士の痴話喧嘩』をイメージしてたんだけど、そう見えなかった?」

 「恋人より情婦のほうがしっくりくるでしょう」

 「痴話喧嘩が否定されないならいいや。今度からは二人のときにしてよ。誤魔化すの面倒なんだから」

 「あら、命令するお嬢様は素敵でしたので、また見たいと思ってたのですが」

 「そのためにキスするわけ? やだよ、私。テミスのことは好きだけど、そういう目で見てないから」

 「私も見てませんしキスしろとは言ってません。毅然とした主が見たいのです」

 「んんー? 喋り方改善しろってこと? 話し方ぐらいならてきとーに直すけどー?」

 「確かにお嬢様も、やろうと思えば毅然とした話し方ができますものね。ではそれでお願いします」

 「はーい。休憩の後からねー」


 姉は間延びした声で話を終え、しかしすぐに侍女が「ああ、そうそう」と話を再開した。


 「お嬢様、ああいう冗談はご家族様にダメージを与えますので、避けるようにしてください」

 「え、なんで?」

 「わからないところです」

 「だってさー、あの言い方だと、昔のテミスぐらいしか好きじゃないって感じに聞こえるじゃん? それって、違うじゃん?」


 姉はひょいと兄の腕を取り、引き寄せる。


 「おい姉貴……!」

 「ティタンは、次期領主候補としては未熟な点だけど、領の専守防衛って理念を守るより、私の心配してくれてたじゃん?」


 兄は姉に迷惑そうな目を向けていたが、その言葉に目を見開いた。

 姉はさらに、私を見る。

 姉のことを家族と思ってない、私を。


 「テテュスは私の反応とか気持ちをよく聞いて来て、嫌われてないかなって気にしてくれてたじゃん?」


 何でもないように言われて、声が詰まった。

 姉は誰も嫌わない。

 わかっていて、嫌われそうな態度を取って、許してくれるのを愛されていると思おうとしたこともあった。

 家族と思わないのに、姉に嫌われてないかが不安だった。

 私は姉に、嫌われたくなかった。

 あの優しい人に、好かれていたかったのだ。


 姉はすぐに次に行く。それは、姉の中で特別じゃないからだ。私が姉に嫌われたくないのが、当然のことだからだ。私が姉を……嫌いじゃないのが、当然のことだからだ。


 「母上はよく服とか買ってくれるし、私が好きって言ったものとか覚えててよくくれるじゃん? 父上は私が砦に行くからって監視役つけて、怪我とかしないように気を付けてくれてるじゃん? だからあれ、単なる冗談ってわかるよね? テミスだって今も私の世話焼いてくれてるんだから、それ見てたらあんなの冗談だってわかるでしょ」


 姉は飄々と言う。


 「ティタンとテテュスが私のこと嫌ってないのは知ってるし、父上と母上は嫌ってても、面と向かって言ってくれて、それでも保護者として守ろうとしてくれるところ好きだし。嫌われてたって好きだよ」


 どう思われてようが好き。

 もしかして、姉は『たとえ家族でなかったとしても、個人として好き』とも言っているのかもしれない。

 それが当たり前で、当たり前すぎて、普段見えないだけで。

 本当は、私たちのことが、とっても好きなのかもしれない。


 「…………姉貴、さあ……」

 「うん?」


 腕を掴まれていた兄が顔を手で覆ってため息をついて、そのまま姉の頭をわしゃわしゃと乱暴に撫でた。


 「わっかりづらいんだよ! あと冗談で周り凍り付かせるし無表情で笑わないし何考えてるかわかんねえしさあ!」

 「冗談で場を和ませてるつもりだし、寒いから表情動かしたくないだけだし、大体何も考えてないよ。結構わかりやすくない?」

 「わかんねえよ!」


 兄は姉を撫でながら、それでも嬉しそうに顔をほころばせていた。

 それは、よくいる姉弟のように、家族のように見えた。





 この後、姉が無表情で淡々とした口調で、柔らかな声音とのんびりした雰囲気で「ならこちらで預かろう。テミス、準備出来るな?」とか言っていて、あまりにちぐはぐだから止めてもらった。

 表情と口調と声音と雰囲気を統一して欲しい。


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