隣国の王子3 砦にて
「へーい、ロリコンキチガイ野郎、略してロキやん」
「やあ、憎たらしいキチガイ痴女、略してニケっち」
「最近どう? 良い幼女いた?」
「良い痴女ならいたよ。ニケっちがそろそろ死んでくれたら、僕も幸せハッピーロキロキなんだけどね」
「私が死んだだけで幸せハッピーロキロキになれるなんて、私を殺せないってちゃんと自覚はあるんだね。ロキやんがまさかそこまで考えられる頭があったなんて、私も幸福グレートニケニケックだよ」
「ニケっちは引きこもりだからね。いい加減結界の外に出てきたら? お外が怖いのかい?」
「え、出てもいいの? 私が出たら弱虫泣き虫ロキ虫が死んじゃう死んじゃうって泣くから、優しさで隠れててあげたのに。そっか、ミジンコサイズのロキやんも、ありんこサイズに成長したんだね。踏みつぶしてあげるよ」
「引きこもりで情報に疎いニケっちらしい勘違いだね、勘違いしたまま死ねばいいよ。そう言って本当に出てくる勇気はないくせに、ニケっちは本当に怖がりさんだなあ」
「ロキやんとは立場が違うからね。殺しても殺しても次を送ってくる現場指揮官と、三人しかいない領主の子供じゃ、まるで重要度が違うからさ。でも最近この玩具に飽きたし、そろそろ殺して新しいのにしようかな」
「ニケっちってば、前任者も殺せなかったのに、また大きいこと言っちゃって。女の子らしく、悲鳴をあげて失神してもいいんだよ? 馬鹿にして笑って殺すだけだからさ」
「女の子らしく悲鳴あげたいんだけどさー、敵が幼児の行列だから、怖くもなくってさー。よちよち歩くの見ても、あんよが上手ねー、としか思えなくてねえ」
「はははニケっち、そろそろ死ね」
「やだなあロキやん、もう怒るの? だから小者って言われるんだよ?」
「堪忍袋が異常に大きいニケっちには言われたくないなあ。攻めに来ることも出来ない腰抜けの孤立したぼっち領が、可哀想だ」
「んー? それで怒って欲しいの? 怒って欲しいなら、ちゃんと言ってくれなきゃ怒れないよ? 怒ってくださいお願いしますって、ちゃんと言おっか?」
「あれ、腑抜けのヘタレニケっちが、プライドも捨てたら何もなくなるじゃないか。どうしたの? 死ぬ?」
「死ぬのはロキやんでしょ? 負け犬の遠吠えで傷つくような柔なプライド持ってないし、そのぐらい許してやんないと、可哀想でしょ?」
「ニケっち、死んで」
「短気だねえ、ロキやんは」
「あ、そうじゃなくて、君のお父さんがいるから、そろそろ黙ってって意味で」
「父上は慣れてるから大丈夫だよ」
「いつも思うけど、ニケっちの周りの人って大変そうだよね……」
出会い頭にジョークを投げつけられ、楽しくおしゃべりしながらニケの父、クローデンス領の領主のところに案内され、そのままぺらぺら喋っていたが、ようやく領主と話せそうだ。
ニケとのおしゃべりは楽しいから困るね。会話を切り上げるのが難しい。
今回の会合はクローデンス領の砦に、僕が単身で来ることを条件に開かれた。砦の外、ヘルヘイムの領土内にはここまで付き添ってくれた部下たちがいるけど、僕以外はクローデンス領に立ち入ることは許されていない。
これは僕をタルタロスに引き渡すための話し合いだからだ。
「まず、女王陛下の許可は取っています。我が国としても、東の諸国には因縁がありますし、飛び地でも南に植民地が出来れば行動の幅が広がりますから」
領主に、一応女王のサインがある書類を渡しながら言う。
領土侵略の意思を隠しもしてないが、クローデンスに限ってはこれで問題ない。
クローデンスが守るのは『この土地』だけだから、南に植民地を構えようが、両側から挟まれようが、問題ではないってスタンツだから。
「そしてこの件の提案者が日ごろお世話になっているニケ・クローデンス嬢ですので、『個人的』にも協力させていただこうと思います。ニケ嬢には昨年の恩も、日ごろから私や部下の傷を癒してくれている恩も、……初対面の時、自分の片腕と部下たちの命を救ってもらった恩もありますから」
ニケとは楽しくおしゃべりするが、実際には、僕はニケに頭が上がらない。いろいろ助けられっぱなしだ。敵国だから無視してるけど、まあ、ニケが『遊びにおいで』と言うなら行くのが当然ってぐらい、恩義は感じてる。
僕の部下たちもそれはわかってて、何も言わずに見送ってくれた。いや、『あの嬢ちゃんなら大丈夫だって信じてますから』『少佐なら無事帰還出来るに決まってます!』と、温かな激励は貰ったか。
本当に良い部下だ。
ほっこりしていたいが、敵地である以上そうも行かない。ここはクローデンス領の砦で、周りには護衛のクローデンス兵たちもいるのだ。
「タルタロスに引き渡す際にも、私は軍人ですし、単身で行きます。護衛はいりません。また、仮に何かあったとしても我が国は一切責任を問いません。この場で殺されても仕方ないだけのことをしてきていますから」
「大丈夫だよ、ロキやん。私がいるから」
真面目に話していたが、ニケがぐっと親指を立ててくれた。たった一人で敵地にいる身としては少々頼もしく、あとここは乗る場面だと思ったので、「ニケっち……」と僕も親指を立てた。
「死なない程度なら治してあげるから、いくらでもサンドバックになれるよ!」
「ニケっちのそういうところ、本当に好きだよ、僕」
そして手をひっくり返して親指を地面に向けた。
これはニケが場を和ませるために言ったジョークだとわかるが、そのジョークに乗った以上こういうリアクションが望ましいだろう。
ちなみに周りの兵たちやクローデンス家関係者たちはもう呆れ切っていた。ニケにはいつものことらしい。むしろ僕が乗ったのを見て、『ああ、こいつも同類か……』と僕に対して諦めたような目を向けてきた気がする。心外だ、僕はニケほどアレじゃない。
「ロキやんってば、ティタンの前で堂々とそんなこと言うなんて……、小悪魔さんだなあ」
「待ってニケっち、その設定はまだ生きてるの? だからせめて相手は女性にしてって。ほら、君の弟さんも引いてるから。ゴミクズを見るような目で見てるから。なんでかニケっちだけじゃなくて僕まで」
「あのぐらい、うちの侍女の、人によっては自殺したくなるような目に比べればまだまだだね。ロキやん、照れなくていいんだよ」
「照れてないから。本気だから。侍女にまで嫌がられてるんなら本気でやめようよ」
「ロキやん、あれはうちの侍女なりの照れ隠しなんだよ」
「君の侍女らしい女性が、人を二桁は殺してそうな目で君を見てるんだけど。次の標的はお前だ、みたいな、獲物を見る目で見てるんだけど」
「照れてるんだよ」
「戦場に立って死にかけたこともある僕が断言するけど、あれは本気だよ。本気の殺意だよ」
「私たちの間ではいつものことだね」
「く、クローデンスではそれが普通なのか……。侍女って怖い……」
僕の言葉にクローデンス勢がぎょっとしたけど、ニケは止まらない。得意げな雰囲気で「甘いね」と言う。
「タルタロス本国ではそんな感じだけど、うちはクローデンスだから。殺意だけじゃ飽き足らず、たまに殺しにくるよ。私は侍女が一人だからいいけど、たくさん従者がいる人は一斉に襲撃されるんだよ。それを防げないようでは、主人なんて名乗れないんだよ」
「クローデンス怖いなあ! さすがクローデンスだ!」
『違う違う!』と首をぶんぶん振られているが、僕もニケも見て見ぬふり。わかっててやってるからね。
「あれ、でも、ならなんでニケっちは侍女が一人なの? もうちょっと持てそうなのに」
「ほら、私はクローデンス家の人間で、次期領主だからさ。領主一家として上に君臨する以上、領民からの襲撃ぐらい華麗に防げないといけないからね。次期領主だから、私なんか結構皆から殺されかけるよ。領主の父上なんておはようからおやすみまで襲撃だよ」
「だからニケっちは侍女が一人なのかぁ! クローデンスはすごいなあ!」
「父上はそれでさらに、屋敷中の人間の雇い主だからね。さすが父上、さすが領主様だよ」
「帰ったらトール元大将にも話しておかないと。領主殿はそういう訓練を日々積み重ねているんだって」
さすがに領主もぎょっとして止めようとしてきたが、ニケが「それがいい!」と手を打った。無表情のままだが、生き生きとして楽しそうなのが見て取れる。
「ヘルヘイムではよーく広めておいてね。クローデンスはこういうすごい領なんだって。ふふふ、従者の一人も殺しに来ないような国に負けるわけがないね」
「そうだね。ああ、クローデンスはすごいなあ。うちの女中はひそやかに影ながら仕度を整えてくれて、迅速に文句もなく仕事をこなし、主に隠し事もしなければ機密を漏らしたりもしないからなあ。絶対に殺しになんて来ないよ。殺して来いなんて言われたら自害しちゃうだろうね」
「ははは、軟弱なんだね。うちの侍女は、仕度なんか自分でやれって放置してるし、帰ってきたら一人でティーブレイクなんかしてるし、大体口を開けば私の文句ばかり言うし、私の知らないところで勝手に情報仕入れては私に言わないまま他のところに流すし、殺して良いよって許可する前に殺しに来るだろうね」
「最悪だな、君の侍女」
「本当だよ。何よりも、ティタンとロキやんの仲に反対だし」
「素晴らしい侍女じゃないか!」
「でしょ!? 何よりも、私の趣味に理解があるし!」
遊んでいたら、ニケの侍女らしき女性がニケの背後から首を絞めていた。
いっそ自然に感じられるほど素早い動きで、目は殺気でぎらぎらと鈍く輝いていた。正面にいる僕までも呑み込むような、隠す気もない殺気だ。
「あれ、どうしたのテミス。ゴミでもついてた?」
「……はい、この大きく無表情なゴミを捻じり取ろうかと思いまして」
「やだなあ、そんなことしたら死んじゃうじゃない」
「それがこの領では普通のことなのでしょう? 私の主人ならば、このぐらい防いでくださいな」
「えー。私の従者だって言うなら、情報ぐらい教えて欲しいなあ」
ニケはけらけらと笑っているような声で、のんびりとした雰囲気で、
「──随分と、他の人と仲良しみたいじゃない」
と、無表情で言った。
瞬間、ニケの喉元にナイフが出現した。
ナイフの柄は、侍女が握っている。
ぎょっとしたクローデンス兵が護衛行動に移る前に、ニケはのほほんとした声で、何も変わらないように続ける。
「文通相手のロキやんでしょ? 密会相手の騎士団長でしょ? で、飼い主の父上でしょ? あとはミーア公爵家に探り入れたり、まあいろいろはしゃいでるよねえ。大体一緒にいるのに内緒にするなんて、冷たいよ。ねえ、テミス──……」
ぐるん、とニケが侍女を振り返り、それに合わせるように侍女がナイフをニケの喉に押し付け引くように切り裂いて、
「──テミスったら、照れ屋さんなんだから」
ニケの結界にはじかれて、傷一つ付けられなかった。
ニケはのんびりと、昼寝でもしているようなのどかさで侍女を見ている。無表情ながら、雰囲気は温かだ。
「それでさー、別にテミスが誰と仲良くしててもいいんだけどさー、父上だけじゃなくって私にも教えて欲しいなー。父上の次でいいからさー」
「その前に、訂正してください。私はお嬢様の趣味に理解などありませんわ」
忌々しく唾棄するような表情で、明らかに主人を見る目ではない黒々とした瞳で、人間の真似をしている醜い下等動物を見るような見下すように、侍女は言った。
ニケはおやつをもらえない子供のような雰囲気で、「はあい、ただの冗談だよ。テミスは男同士の熱い友情の魅力をわかってくれないんだよねえ」と、拗ねたように言った。
侍女はそれでいいとばかりに頷いて、何もなかったように元の場所に戻った。
ニケも普通に前、僕のほうに向き直りながら、
「仲間外れは寂しいからさー、暇なら教えてよ。ちゃーんとテミスのナイフ、防いだでしょー?」
間延びした声でのけぞるように、侍女が切り裂こうとした喉を晒すようにして、侍女に言った。
「お嬢様にお伝えすると、余計なことしかしないから嫌ですわ。知らない方が大人しくしてるでしょう」
侍女はぴしゃりと言う。
ニケは「信用がないのは悲しいなあ」と明るく笑っているような雰囲気できちんと座り直し、僕のほうに目を向けた。
『何の話してたっけ?』と言っているような顔だが、……いやまあ、さすがに突っ込ませて欲しい。
「ニケっち、さっきの侍女が殺しに来るっていうの、冗談じゃなかったのかい?」
「冗談に決まってるけど? ロキやん、もしかして本気にしたの?」
「今まさに目の前で殺人未遂が起こってれば、ちょっとは不安になるよ。侍女さん、本気だっただろう?」
「んー、ていうかさー、私ら主従じゃないから、そもそもそれに当てはまらないっていうかさー」
「……は?」
思わず捻りもなく聞き返してしまったが、ニケは何でもないように、
「テミスは『父上が雇ってる』私の侍女、だから。雇い主で主人は父上だよ。あるいは『クローデンス領』が主。『私の侍女』っていう業務内容だけど、主人ってわけじゃないから、『命令』じゃなくて『お願い』しか出来ないしねー。まあ、身分とか地位とかでごり押し出来る程度のものだけど」
と言った。
思わず見たが、領主も侍女も驚いていた。いや、侍女に関しては諦めと呆れの色もあったけど。ニケの相手は大変なんだろうなあ……。
渦中のニケは、
「あ、ってわけだから、実は私はそんなに情報持ってないんだよねえ。学園いるから王都からの迅速な対応とか、そのぐらいしか協力出来ないよ。話の発端で次期領主だからここにいるけど、立場としては勉強のために見学してるティタンと大差ないかな。ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いしまーす」
あっさり話を進めようとしていた。
彼女にとっては何でもないことなのかもしれない。
しかしこれは放置しちゃいけないっていうか、ここで突っ込めるのは僕しかいないから、突っ込むしかないだろう。
「いやいやいや、それよりニケっち、聞きたいんだけどさ」
「それよりって、本題だよ? それに私に聞かれても答えられることはほぼないって」
「それよりだよ。君たち確か、十年ぐらいの付き合いだろう? それで主従じゃないって。侍女の無礼とか許してるのも、主人じゃないからなのかい?」
「ロキやん、どうしたの? ついに頭も回らなくなった? ジョークならキレがなさすぎるよ?」
ニケに心配そうな声を出されてしまった。顔は無表情だし、明らかにふざけてるだけだろうけど。ていうか、ニケぐらいのジョークのキレはいらない。君はキレッキレすぎて、周りに被害が出てるじゃないか。誰彼構わず切り裂いてるじゃないか。
「ジョークじゃないからね。で、どうなんだい?」
「ロキやんの女中はさ、ロキやんのこと殺しに来る? 来ないよね? それが普通だよ。お世話する対象に殺意向けるなんて、普通ないから。さっきの冗談まだ引きずってるの? ジョークも通じないなんて、どれだけ余裕ないの? そんなにちびるほど怯えなくて大丈夫だよ?」
「怯えてるっていうか、ニケっちが原因かな? じゃあニケっちの侍女はなんで殺しに来てるんだい?」
「舐めてるからに決まってるじゃん」
ニケはあっさりと、何でもないように言い切った。
普通のことのように、どうしてわからないのかわからないように。
「舐められて、侮られて、見下されて、馬鹿にされてるからだよ? それ以外に、なんかあるの? 一応私は領主一族の子で、砦の指揮官もしてて次期領主で、テミスは単なる領民でただの平民なんだけど、ていうかそもそも殺しかけても何の報復もないって思われてるとか、思いっきり馬鹿にされてるじゃん。違う?」
「……いや、なんか信頼、とか……」
「あるわけないよ」
しどろもどろ言った言葉を、ずばっと否定された。
相変わらずニケはキレッキレだ。
「そもそもテミスは『クローデンス辺境伯嫡子』の侍女だから、ティタンが跡継ぎになれば、ティタンの侍女になるんだよ。忠誠を誓う相手はクローデンス領だし、主人は現領主の父上でしょ?」
「…………」
ティタン、というニケの弟さんを見た。
何も知らない、と言うようにぶんぶんと首を横に振られた。
領主を見た。
記憶を思い返すように渋面を浮かべていた。
侍女を見る。
まるでニケのような無表情になっていた。
……ニケに視線を戻す。
「そうなのかい?」
「そうだよ。だって募集条件は『クローデンス辺境伯嫡子の侍女』だから。だから最初は私も、次期領主はしっかりしてるって言って、様子見だけの人を帰らせたりしたし。採用したテミスも、領に尽くすために志願してくれたんだから、当然、仕える相手は契約通り『嫡子』だよ」
当たり前のように言うニケを見て、……そっとクローデンスの人々に同情した。
こんなのが次期領主なんて、可哀想に……。
「僕が思うに、君の侍女は君に仕えてると思うよ。君を主人だと認めてると思うよ」
「へー。私は駒って思われてると思うよ。領のための駒。まあ、私よりテミスのほうが情報持ってるし頭いいから、別にいいんだけどね。領のためっていう目的は一致してるし」
「……君と十年以上付き合えてるし、絶対に、それだけじゃないと思うよ。それもありそうだけど、それだけじゃないと思うよ」
「どう思われてようと、領のためって目的がぶれてないからどうだっていいよ。テミスは男同士の熱い友情に興味を示してくれないこと以外、特に文句もない良い侍女だからね」
「ニケっちの趣味に毒されてないなんて、素晴らしい侍女じゃないか。……じゃなくって、なら、今は君が嫡子だろう? 仕えるべき相手を見下してるって、注意してもいいんじゃないかい?」
おふざけに乗りそうになったが質問を続けると、ニケはへらりと雰囲気を崩した。
「だって、争いとかって嫌いだしさ。テミスから舐められてようが殺されかけようが、特に問題もないし、テミスのこと気に入ってるし、まあいっかって」
「……そういえばニケっちは、自称平和主義者だったね」
戦場に出ては戦争を肯定するくせに、争いが嫌い、とか言ってるんだった。
ニケは「ヘタレでもいいよ」と呑気に肯定する。
「テミスとのんびりやるの好きだし、舐められてても、テミスとの慣れあいは好きだからね。父上から私の殺害命令でも受けてこない限り、特に問題視する気はないんだよねえ。納得したら、まあ死んでもいいし。領のためなら、死ぬのもお仕事だよねえ。私は『クローデンス』だしねえ」
闘争本能がまるで感じない、平和ボケした声。危機感をなくした愛玩動物のような、生存欲が感じ取れない雰囲気。
「だから別にテミスが誰と仲良くしてても、私に隠し事して言う事聞かなくてもいいんだよ。領にさえ離反しなければ、好きにしたらいいよ。テミスのこと気に入ってるから、監視されても試されても、いいしねえ。私が嫡子にふさわしく在ればいいだけだし、ふさわしくなければティタンのところに行ってもらうだけだし」
「……そんな父親からの手先みたいな侍女、どうして雇ってるんだい?」
もう疲れて呆れたように聞くと、ニケは──珍しくやや目を細めて、幸せそうに見える表情を作って、
「テミスは陰口言わないで、悪口は私に面と向かって言ってくれるし、──私のために怒ってくれたから」
とても嬉しそうに、そう言った。
侍女の顔が引きつった。
領主の、ニケの家族の顔が、固まった。
「昔の話だけど、昔もやっぱり私は嫌われてたからさ。侍女募集した時も、嫡子はティタンになるだろうからってティタンのところに行ったり、媚び売って母上の侍女になろうとしたり、私の陰口を楽しく話す人たちばっかり集まったんだけどね。テミスだけは私に直接、『気持ち悪い』って文句言ってくれたんだよ。馬鹿にされて黙っているな、って。だから他の馬鹿にしたような人たち、皆解雇にしたんだ」
だからまあ、テミスがするなら、そういうことでいいんだ。
テミスは私のお気に入りだから。
その嬉しそうな声を聞いて、何故だかほっとした。
安堵の気持ちが広がった。
ああ、ニケにもちゃんと友達は、家族はいるんだ。
無条件で信じる相手はいるんだ、と思えた。
「……ニケっちは侍女のこと、信頼してるんだね」
思わず穏やかな声で聞くと、何故か侍女も領主一家も顔を歪ませた。
ニケは、やや目を細めた、幸せそうに見える表情のまま、
「うん、信じてるよ。──もう私のために怒ってくれなくても、領のために考えてくれてるから」
と言った。
ぐにゃり、と、歪んだ気がする。
歪みが、見えた気がした。
ニケは無表情に戻り、「あ、でさでさー、案内役も終わったし、そろそろ雑談やめて話し合わない? 正直情報欲しいんだよねー。じゃんじゃん話し合ってじゃんじゃん情報落としてよ」と話を促した。
それに応える人間は、いなかった。




