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防衛特化無表情腐女子モブ子の楽しい青春  作者: 一九三
承 変化!いつだって諸行無常!
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侍女6 お呼ばれにて

 「お久しぶりです、ターンライト伯爵」


 無表情で挨拶するお嬢様は、まさしく温度を下げるような見た目でした。

 元々お嬢様は寒色系の色合いで肌も白く、これと言った特徴も欠点もない容貌で、さらに今日の装いは『娘らしく軽い色合いで私に似合いそうなもの』という指示で用意したので、薄水色の、着る人が着れば娘らしくも落ち着いた、お嬢様が着れば冬のクローデンス領のように冷え切った印象を与えるものでした。お嬢様のぴくりとも動かない無表情も合わさり、見てるだけで寒さを感じます。それが常識外れとか似合っていないのなら私も止めますが、きちっとした訪問着で、お嬢様に文句なしに似合っていましたので、薄いショールを追加するぐらいしか体感温度を上げる方法はありませんでした。


 「呼びつけて、すまなかったね」


 ターンライト伯爵はにこやかに対応してくださいましたが、お嬢様の姿に一瞬返事が遅れていました。やはりお嬢様にお似合いすぎて、凍り付きそうですよね。南の方は寒さに慣れてないそうですが、風邪をひかれないといいですわね。


 お嬢様と伯爵は雰囲気だけは和やかに挨拶を終え、あちらの侍女が運んできたお茶を飲んで一息ついたところで、


 「ところで、北の騒動のことだがね」


 伯爵が、表情だけはにこやかに切り出しました。

 お嬢様は、おっとり、という仕草で小首をかしげ、ゆったりと伯爵に視線を向けます。表情は勿論無、いつもの無表情です。表情だけにこやかなのと雰囲気だけ穏やかなの、どちらもちぐはぐですわ。


 「北の騒動、ですか。私は現在、学園で学ぶために北を離れているので、ターンライト伯爵が望まれている情報を知っていればいいのですが、……いつの騒動のことでしょうか」


 お嬢様は、まるで何も知らない箱入り娘のようにふるまっています。これ、素じゃないですよ。これは単なる外交用建前、つまり猫かぶりです。確かにお嬢様は素ではその無表情に合わないのんびりとした雰囲気や話し方ですが、動作は普通に機敏ですからね。この猫かぶりが『おっとり』なら、素では『のほほん』です。猫かぶりでは、何か問題があったら『あらまあ、どうしましょうねえ』ですが、素では『へー、そうなんだー』です。この違い、付き合いが長くないと騙されるので、注意が必要なんですよ。


 「北は大変だろうな。ヘルヘイムと交戦しているのだから。――夏季休暇の間のことだ。君の父君、クローデンス辺境伯に問い合わせたところ、君が責任者だと言われたのだが」

 「夏季休暇中の……時間が経っているので、覚えていないところもありますが、それでもいいでしょうか」


 伯爵の鋭い微笑みに、困ったように、またおっとりと応じるお嬢様。狐と狸って感じですね。勿論狸がお嬢様です。本当に、狸ですから。


 「息子に聞くように命じていたんだが、……すっかり忘れていたようでな。申し訳ないが、思い出して欲しい」


 ああ、はい、お嬢様が積極的に誤魔化してましたものね。常に無表情で人に合わせる気もなく人脈なんかどうでもいいというようなお嬢様ですが、別に社交が苦手と言うわけでもありませんからね。交渉などをさせても、ちゃっかり利益をむしり取って帰還しますからね。……何故かお嬢様がとんでもない策士だと勘違いされていたり、相手からものすごい敵意を向けられていたり、知らぬ間に降伏されていたりいますが。

 断っておきますが、何故か、とは言いましたが、原因がお嬢様にあることは明白ですから。お嬢様に自覚がないことが問題なんですよ。


 伯爵の言葉に、お嬢様は「まあ、では何なりとお聞きください、答えられる範囲でお答えします」と動揺も見せず応じる狸っぷり。

 ──そう、こういう狸だと思われるような行動をしているという自覚がないことが、問題なんですよ……!


 伯爵はお嬢様の肝の据わった対応に笑みを深くして──ああ、お嬢様に他意はないんです。ただ争いごとを回避しただけだと思っているので特にやらかした自覚がなく、誤魔化したことに探りを入れられていると気付いてないだけなんです──「まずは概要を教えてくれるか」と駆け引きを仕掛けてきました。

 どこまで情報を出すか、とかでしょうけど、その手の駆け引きはうちのお嬢様には効きません。

 なにせ、鉄壁の無表情。

 嘘をついているときも、詰られているときも、よからぬ妄想をしているときも、敵兵から眼前で攻撃を受けているときも、ぴくりとも動かない完璧な無表情、凍り付いた表情筋を持っていますから。

 というか、これでもこっちに来てからは、転生者とかいろいろありましたから、大分表情が豊かになってますからね。昔は本当に無表情で、無表情で爆笑するとか、シュールすぎることしてましたからね。それに比べたら、薄っすらでも微笑むだけマシです。

 そのようなレベルの無表情ですから、ポーカーフェイスなんて目じゃありません。どこまで嘘か、なんて見抜けっこないですよ。それに長い沈黙の間など、暇さえあれば男同士の熱い友情について妄想してますからね。今も伯爵が受けか攻めかとかで妄想を広げているんでしょう。真面目に話すだけ無駄です。


 お嬢様は、おそらく伯爵と旦那様の熱い友情が成立するかなどを考えながら、「概要ですか」とおっとり、やや困ったような声音で言い、


 「いつも通り、敵を打ち払ったまでですが」


 困ったような、それ以上言いようがないというような雰囲気で言いました。

 だーから、狸って思われるんですわよ。

 伯爵も、笑みが消えました。


 「……ほう。国家騎士団団長として聞きたい。詳しく話してくれ。ああ、口調は自由にしてくれていい」

 「では失礼します。──北で、我が領にまで影響を及ぼす恐れがある敵が出現していると情報があったため、その敵を打ち滅ぼしました。故に、敵が我が領を避けて南下し、王都を襲撃する可能性があると推測しています」

 「敵、とは?」


 伯爵が間髪入れず問いかけてきましたが、お嬢様は表情をぴくりとも変えず、


 「何故、そのようなことを気にするのですか? 跡形もなく『打ち滅ぼされた』もののことなど、知って何になると?」


 クローデンス領が滅したと言うのにそれを疑うのか、生き残りがいると思っているのか、と声色だけで脅しました。

 部屋の温度が、一瞬で下がったように感じました。

 ……どうやら、お嬢様は国家騎士団と癒着する気はないようですわね。


 「その敵が南下するのではないのかね?」


 伯爵が当然のツッコミをしても、


 「我らは北を守護する砦。南でことを起こすつもりならば、それは我らの使命の外のこと。国家騎士団の仕事の範疇であり、我らには関係ない」


 お嬢様は冷ややかな声色で切り捨てました。


 おっとりと話すお嬢様を見ると、平和主義だとか、鈍そうだとか、善良だとか、人畜無害に思われる方が多いそうです。要するに、あんまりにゆっくりとしているから、油断してしまうんですね。

 しかしお嬢様は決してそんな人間ではありません。

 気の抜けた雰囲気で、陽気かつ寛容なふるまいをしていますが、実際はどこまでも『クローデンス領次期領主』であり、自分勝手でふざけている厄介な人間です。

 のんびりしているからって、寛容だからって、お人好しとは限らないんですよ。


 「我らは北の地を守った。次はそちらが王都を守ればよろしい。──それとも、我らに『北の地を守る』以外のことをしろとおっしゃるつもりか?」


 おそらく、お嬢様の弟君様でも思わず引くほどの気迫が出ていますが、伯爵はさすが、すぐににこやかな表情を取り戻し、


 「タルタロスの臣下として、支援をしろと要求しているのだ。兵を派遣しろとは言わん。情報を寄越せ」


 と言いました。

 はい、狐と狸の話し合いです。


 「我らが命を懸けて得た情報をただで寄越せと?」

 「それだけの情報、有効活用せぬほうが兵への侮辱になるだろう。同じ国家に仕える兵を助けたとなれば、彼らも報われるだろう」

 「我らが何に誉を感じるかは我らのことだ。そちらに決められることではない」

 「──ほう?」


 伯爵が、にたり、と、綺麗に笑みを深めました。


 「国に報いることが誉でないとは、──よもや反逆を考えているわけではあるまいなぁ?」


 言質を取った、とでも思っているのでしょう。

 ですが、こういう駆け引きではお嬢様は負け知らずなんですって。

 何も考えてないんですから、この脳筋。


 「我らが任ぜられたのは国家への貢献ではない、北の地を守ることだ。北の地を守る助けになると思えなければ、国家へ貢献する理由もなし。──地位も権力も富も名声も女もいらん。我らはただ北を守るのみ。国に望むのは邪魔をせぬことのみ。それがクローデンスだ」


 どうせ隠しても後から漏れますし、ここで恩を売って教えたほうがいいんでしょうが、こうやって脳筋思考で突き進んじゃうんですよ。

 馬鹿でしょう?

 お嬢様は無表情で、さらに冷ややかに伯爵を見ています。


 「ターンライト伯爵、北の地では『何もない』。だが我らに敵わぬ雑魚が東からタルタロスに攻め入る可能性がある。東の守りは我らの仕事ではない。励まれよ、ターンライト伯爵。北から攻め入られることはないのだから、存分に」


 ……でもこれは言いすぎです。

 これは『交戦経験もある次期辺境伯からの激励の言葉』ですから、不敬には当たりませんが、……『喧嘩を売られたから北から不意打ちするかもしれないぞ』という脅しが含まれています。

 脅すのはさすがにやりすぎです。お嬢様としては北の守りは絶対だが北しか守らない、という意思表示のつもりでしょうが、脅しにしか聞こえませんからね?


 「……ご忠告、痛み入る、次期クローデンス辺境伯」


 伯爵も『激励』ではなく『忠告』と言ってるじゃないですか。これ、やっぱり脅しって取られてるじゃないですか。

 うちのお嬢様、まったくそんなつもりはないのに!

 ただ、今後対東諸国戦があったときに不参加になりやすいように手回ししてるだけのつもりなのに!

 お嬢様は自称平和主義者だから、大体聞き流してますからね! 別にお人よしでも善良でもありませんが、寛容で争いを好まない性格ではありますからね! だからクローデンス関係以外ではおおらかですし、クローデンス関係でキレてるのも、『その方が面倒が少ないから』ですからね! さらに言えば『下手にクローデンスに喧嘩売ってぶっ殺されたら可哀想だから近づかないように教えてあげよう』という純粋な厚意もありますからね!  それがこういうことになるなんて、おっそろしいお嬢様ですよ!


 あーあ、これはフォローに入らないといけませんね。そのまま誤解させておいてもクローデンスに損はありませんが、『東との戦に関わらずに済む』ということしか得るものがありません。しっかりやればもっと得られるのに、それを捨てる道理はありません。


 ちょん、とかるーく、お嬢様に振れるか振れないかぐらいで突いてやります。

 お嬢様は脅した自覚がないので『あれ? なんかあった?』と不思議そうな雰囲気をしていますが、「失礼、次期領主としてこれ以上の干渉は出来ないが、……私の侍女が『私的に』ターンライト伯爵と話がしたいと言っている。無礼は承知だが、侍女に話す許可をくれないだろうか」としっかりやることはやってくれます。お嬢様の良いところですよね、侍女の言うことを良く聞いてくれるというのは。まあ基本的に『じゃ、そういうことでよろしくー』って適当に丸投げしたり、『あ、そーなんだー、まあいいよー』と事後承諾でも何でも許す、緩くて威厳のない主ですからね。ずっとそんな感じです。


 伯爵はお嬢様の物言いから、『北の守り以外には不干渉であるクローデンス領としては協力出来ないが、個人的に情報を流して交渉する気はある』と思われたようです。あそこまできっぱり厳しく脅した後では、クローデンス領が『東との戦争に助力した』とはとても言えません。そしてクローデンス領は『北の守り以外何もしない』からこそ、今の地位を保っていられるのです。

 であれば、お嬢様の態度は当然の自己防衛。

 しっかり身を守った上で、伯爵に情報を流そうということに、……見えなくもないんですね。

 実際は何も考えていませんけど。

 『私はどーでもいいけど、まあテミスが話したいなら好きにすればいいよー』とか思ってそうですけど。

 私が何を話すつもりかも、『テミスならクローデンス領に悪いことは言わないでしょ。クローデンスが無事なら、主の私に反逆するぐらい好きにすればー?』とか思ってノーマークですよ。私に釘を刺すためにアイコンタクトもしてきませんよ。のんびりお茶飲んでますよ。今も、『あ、これ美味しー。このお菓子貰っちゃ駄目かなー』とか思ってますよ! 私にも一つください!


 おわかりいただけますか?

 つまり猫かぶりの『おっとり』と素の『のんびり』の一番大きな違いは、何か考えてるかどうかってことなんです!

 猫かぶりだと意味深で何か考えているようにも見えますが、素では本当に、ほんっとうに何も考えてませんからね! 『まあ、どうしましょう』って考える素振りもせず、『へー、そーなんだー』で聞き流してますからね! これで駆け引きは負け知らずですよ!? 大きな勝ちもあまりありませんけどね! 脳筋ですから! 何も考えてませんから!


 伯爵が「それは……ぜひ聞きたいものだな」とやや相好を崩して許可をくださいましたので、「お許しいただきありがとうございます」と礼を述べて、相変わらず我関せずとばかりのお嬢様を無視して、


 「インフェルノ、という団体のことは、ご存知でしょうか」


 核心を聞きました。

 伯爵は、笑みを消して私を鋭く見てきます。

 残念ですが、私もこれで、長年お嬢様の侍女をやっておりますので、そのぐらいでは怯えませんわ。

 お嬢様も、私がいきなり情報の肝を話したと言うのに、全く動じません。ぴくりともせず、のほほんと無表情でお茶を楽しんでいます。


 私はインフェルノのことを、お嬢様に報告していないと言うのに。


 私は長年、お嬢様の侍女をしております。ええ、それは確かです。

 ですが、お嬢様から「テミス、暇なら諜報員やらない?」と誘われ、諜報員としての訓練を受け、お嬢様の諜報員としても働いております。

 お嬢様は「情報は大事だからねー」と笑っておられましたが、……おかげさまでいろいろと訓練を受け、暗殺者としても働けるようになりましたわ。

 次期領主のたった一人の侍女であり、腹心の部下であり、理解者で唯一の味方。

 私はそういう立ち位置です。

 だからお嬢様に請われれば諜報も出来るようになりますし、必要に感じれば暗殺術も覚えますし、お嬢様の最後の砦として、護衛の腕も磨きます。

 お嬢様は、命じた諜報はともかく、お嬢様を殺すことも出来る暗殺術や護衛の技を習得したことについて、何も咎めませんでした。

 勝手な行動に対して、『まあいいんじゃない? テミスがしたいことすればいいよー』と呑気なことを言っていました。


 これを私に興味がないと取るのか、私如きが何をしても無駄だという自信の表れと取るのか、はたまた私への信頼と取るのかは、人に寄るでしょう。

 ただ、お嬢様は次期領主で、どこまでもクローデンスのことを考えられています。

 それだけは絶対で、信頼しています。

 そして私も、クローデンスの民として、クローデンスのことを第一に考えています。

 ならば、私を何をしようが『クローデンス』に益なすことだとお嬢様は『信じ』、私もお嬢様を支えることは『クローデンスのため』だと『信頼』しています。

 ……なんとも淡白な主従ですわね。好き勝手やって自分を曲げる気がない主人と、主人を案じる気も敬う気もない従者では仕方ないですけど。


 しかし、急に知らない情報をいきなり暴露されても、一切動じないお嬢様は、本当に恐ろしいと思います。どこまで何も考えてないんでしょうか。いい加減、ちょっとは考えて欲しいものですけど。変に黒幕だと勘違いされますし。


 「インフェルノ……詳しく教えてもらえるか?」

 「申し訳ございません、それ以上は……。魔法に特化しており、不思議な術を使う集団としか」

 「集団……国ではないのか?」

 「……お嬢様」


 一応主に伺いを立ててみましたが、お嬢様はどこ吹く風です。


 「テミス、今はテミスが『私的に』『ターンライト伯爵と』話してるんだよね? じゃあ今は業務外だよ。私に聞かれても困るし、なんなら出て行っとこうか? 盗み聞きするつもりはないよ?」


 やっぱこれ美味しい、とお菓子に舌鼓を打ちながら、お嬢様は振り向きもせず言いました。

 やはり、狸ですわね。


 「失礼しました、お嬢様。……では申し訳ございませんが、私の私的な権限では、これ以上はお話できません。さらに情報を望むのであれば、主人の許可を取っていただけますか」


 頭を下げると、伯爵がううむと唸りました。

 ええ、お嬢様ははっきり『協力する気はない』と言い切っていましたからね。

 しかし、交渉の余地はあるのですよ。

 お嬢様は『北の守りに関係ないから協力する義務はない』と言っているので、『北の守りにも関係がある』ということを示せば、協力を取り付けることが出来ます。

 伯爵も当然それに気づいて思案しています。

 そしてお嬢様がお茶のおかわりを飲み始めたころ、「……わかった」とおっしゃいました。


 「わかった、とは?」


 お嬢様は無表情で応じます。これ以上はどうでもいいんでしょうね。お嬢様は『クローデンスは協力しない』という姿勢を見せたことでやるべきことは終わったと思っていますから、これはもう消化試合のつもりなんでしょう。普通に考えたらこれからが本番なんですが。


 「クローデンス領の防衛費を増やそう。一割増を三年は保証する」

 「私は『夏の騒動』に対する責任者でしかありませんので、そのような交渉は領主である父にお願いできますか」


 即答です。

 そのぐらいでは話さない、という意思表示にも見えますが、違います。お嬢様は本当に交渉する気がないだけです。まあ、今のところお金に困ってませんからね。最近はお嬢様の活躍で防壁が破壊されることもなく、修理費もかかってませんから。


 「兵を回す、というのは?」

 「慣れないものは足手まといにしかなりません。冬の寒さで死んでしまいますから」


 兵にも困ってないんですよね。お嬢様が死なせませんから。

 それに、クローデンス領は『北の要』と言われるだけあり、タルタロスの北一帯、東の山脈から西の海岸線まで、全てがクローデンス領となっています。まだタルタロスの西にゲヘナがあったころも、ゲヘナの北側にはクローデンス領が伸びていました。ゲヘナとしても西方一の軍事国家からの盾はありがたかったようで、攻めて来られることは一度もありませんでしたが。

 というわけで、クローデンスの領地は単純に広いんですよ。横長なので国と言えるほどの土地はありませんが、それでも土地が広い分、人もそれなりにいます。

 また、ゲヘナの件でも人口が増えました。

 ゲヘナは元々クローデンスとかなり仲が良く、クローデンスに王族が非公式に遊びに来ることもよくあったそうです。だからか、タルタロスがゲヘナを征服しようとした時には、ゲヘナから何人かクローデンスに逃げ込んできました。


 当時タルタロス軍は征服後に穏便に統治できるように、ゲヘナの民へ必要以上に危害を加えないように配慮し、捕虜を奴隷にしたりもしていませんでした。そうして北の方へ追い詰めていった結果、クローデンスの近くで硬直状態に陥ってしまったそうです。

 ゲヘナを倒すためには北に向けて進軍する必要がありますが、ここでうっかりクローデンスに矢でも向ければ、クローデンスは防衛のために矢を向けてきたタルタロス国軍を殲滅します。タルタロス軍が弱れば、不満が出ないように被害を少なくしていたため、まだまだ力のあるゲヘナの民が反乱を起こすことでしょう。

 だからタルタロスは強襲することが出来ず、しかし負け戦のゲヘナも降伏する以外に道がなく、最終的にうちに何人か逃がしたうえで王が降伏し処刑され、タルタロスに併合される形になりました。

 うちに来た『何人か』の中にゲヘナの元王族がいたり、ゲヘナの選りすぐりの忠臣がいたり、うちの領と仲の良かった近隣住民や兵士たちがいたりするぐらいで、うちには関係のない戦でしたね。

 ちなみにゲヘナの元王族はクローデンス領で一領民として楽しく暮らしています。農民やったり商売やったり、自由に楽しんでいます。確か元王族の御子息、もしゲヘナがあれば王になる方は、領の兵士になってましたね。よく砦にくるお嬢様に『嬢ちゃん、いい加減にしときな』と為政者の血を継ぐ者として苦言を呈していましたが、『大丈夫大丈夫、死なないから』とお嬢様に聞き流されていました。心配するだけ無駄というのがお嬢様ですからね。

 そのご子息、丁度ティタン様と同い年でゲヘナがあれば王子に当たる方は、やはり兵士になってティタン様と切磋琢磨していましたが、お嬢様には『ニケがいれば領も安泰だな』とか言っていました。そうですね、領は安泰ですわね。

 まあそうやって元ゲヘナの王族が楽しんで生きているから、ゲヘナの方々も反乱を起こさないのだと思います。王はさすがに逃げられませんが、それ以外は逃げて生き延びていましたから。


 少し話がずれましたが、そういうわけでゲヘナから亡命してきた兵が増え、今でもたまに元ゲヘナの方々が領に移民として来ていますから、兵や民には困ってないんです。元から困ってませんでしたが、一層困ってません。むしろそちらに派遣させられるほどいます。


 「税金の減額を申し出る」

 「戦時中なので、元から少ないのですが」


 国に徴収される税金も、『今まさに修羅場で戦争してるとこに言うな』とばかりに、本当に少ない額で済んでいます。まあ、戦地から税金をとれるわけがないですからね。クローデンス領は、先に言った通り横長の結構広い領地なので、戦争がない場所もあるから少しは収めている、というぐらいです。そういう場所でも戦地のフォローをしているので、本当なら税金がなくてもいいぐらいなんですが、まあこちらが言い出さないので。あのぐらいなら、別に負担でもないんですよ。


 「…………」


 さすがに、伯爵も困ってしまいましたね。

 孤立無援でやっていけるから、クローデンス領はどこにも阿らないでいられるのですよ。

 北の地を守る邪魔をするな、と牽制するのだって、いちいちちょっかいを出してきたタルタロスと戦うのが面倒だからというだけで、戦えば勝つ自信はあります。絶対に負けませんから。


 しかし、譲歩するところがなくなってしまいましたね。

 夏にロキ少佐が交渉した時もそうでしたが、周りに頼らずとも大体どうにでも出来てしまうので、交渉材料がないことがクローデンスの問題ではあるんですよね。

 それは完成されているとか満ち足りているとか言う意味ではなく、それ以上を受け取るとバランスが崩れてしまうという意味です。

 ロキ少佐、ヘルヘイムから援助を受ければタルタロスに属する者として面倒になりますし、タルタロス本国と癒着すれば領の独立性が危うくなってしまいます。

 にっちもさっちもいかない、これ以上動くことが出来ない絶妙なバランスで在るわけです。

 戦などで消耗があるならば受ける理由にもなりますが、むしろこちらが援助できるほどに足りてますからね。理由もなく受け取れません。

 だから望まずとも孤立してしまうというか、孤立無援でやっていけるから孤立無援になってしまうのか、孤立無援でなければならないから孤立無援でしかいられないのか、わからないところです。


 それでいえば、お嬢様ほどクローデンス領を体現している者はいませんね。

 現領主の旦那様より、よほどクローデンス的です。

 お嬢様は適度に広く浅く付き合いはしていますが、防衛のために牽制したり恩を売ったりすることはありますが、個人的に親しくすることはありませんから。

 必要以上に踏み込むこともなく、私の知る限りでお嬢様と最も気が合うロキ少佐も、同じ転生者だという公爵令嬢たちも、お嬢様からみれば撃退すべき敵で、友と呼べるような付き合いではありません。

 孤立無援で、どこにも属するつもりがなく、周りに頼らずとも大抵のことはどうにでもでき、守りに絶対の自信を持っている。

 まさにお嬢様です。

 本当に、伯爵には同情します。

 例えば現領主の旦那様なら、交渉のテーブルにはついてくださったでしょうに、お嬢様はそもそも交渉する気すらありません。

 旦那様はトール元大将とも、敵とはいえ友情を築いていましたし、妹君様が嫁がれる領の領主とも親しく付き合っていましたから。


 私も、主人のお嬢様に話を振った以上助け舟も出せませんし、どうしようかと思っていたところ、


 「ああ、そういえば」


 お嬢様が、わざとらしく、おっとりとした声を出しました。

 何を考えやがったんですかこの昼行燈。

 碌なことじゃないとわかりきっているので、ついつい表情が引きつってしまいます。私にお嬢様並みの無表情はありませんから。

 伯爵も、お嬢様の発言と私の表情に眉を寄せ、身構えました。


 お嬢様は私と伯爵の反応など意にも介さず、おっとりと、なんでもない世間話のように、お茶を飲みながら、


 「その件について、東の連中と敵対していて、かつ東について情報を集めているところがありましたね」


 と無表情で言いました。


 まさか。

 まさかまさかまさかまさか!

 「お嬢様!」と止める前に、お嬢様に口に菓子を突っ込まれました。あら、美味しいですわね。あとでお土産にもらいましょう。

 もぐもぐと咀嚼していたら、伯爵が「それはどこなんだ」と身を乗り出していました。

 遅かったようです。

 お嬢様が、『クローデンス領は協力しないが、協力者になりそうなところを紹介する』と申し出ているように感じているのでしょう。

 しかし、私にはわかります。

 そうではありません。

 お嬢様は、お嬢様は、ただ……。


 「攻め込もうとしていた東の連中を撃退していますし、また攻め込まれないように情報も集めているそうですし、どうでしょうか。敵の敵は味方、とも言いますから」

 「それはどこなんだろうか。教えてくれないか」


 伯爵の言葉に、お嬢様は初めて表情を動かして薄く微笑み、


 「ヘルヘイムです」


 と言いました。


 伯爵の顔に驚愕と敵意と殺意が同時に浮かびました。


 ええ、ヘルヘイムは何年も、それこそ建国当時からタルタロスに侵攻しようとしていましたから。だからこそ、クローデンスが必要となったのですから。

 いくらクローデンスが押さえていると言っても、クローデンス以外で被害がないと言っても、敵国は敵国。

 自分たちの住む土地を狙われていて、好感を持てるわけがありません。

 ましてや国を守る騎士ならば、憎んでいてもおかしくはありません。


 まるで旦那様が怒ってらっしゃるときのような威圧感がのしかかり、私は思わず体をこわばらせてしまいましたが、お嬢様は何も変わらず、飄々と朗らかな雰囲気をしていました。


 「夏のことの詳細はお話できませんが、ヘルヘイムが絡んでいましてね。我が領としては協力はしませんが、東から国を狙われたヘルヘイムならば、東の問題に限って、協力するのではと」


 薄く微笑んだお嬢様は、挑発しているようでも、脅しているようでも、からかっているようでもありました。

 しかし、真意はどれも違います。

 お嬢様は、自称平和主義者のお嬢様は──ヘルヘイムとタルタロスが仲良くなればいいなあ、なんて思っているだけなのです……。

 勿論、ヘルヘイムとタルタロスは長く争いすぎました。ヘルヘイムが不凍港を目指して南下するのも生活がかかっていますから、止めることはできません。タルタロスも、長きに渡って攻められた怨みがあり、許すことは出来ないでしょう。

 お嬢様も争いを止められるなんて考えてはいません。争いは続くでしょう。だからこそ。争いは継続されるため北の要たるクローデンス領の立場は変わらず、ただちょっとヘルヘイムとタルタロスが仲良くなればいいな、なんて甘いことを考えてこの提案をしているのです。

 ヘルヘイムとクローデンスのような関係になれば、皆仲良しでクローデンス的にも問題はないし、平和でいいのになあ、とか、本気で思っているのです。


 バッカじゃないですか!


 長年狙われ続け、多くの屍が積み上げられ、それでも仲良くできるクローデンス領は特殊事例です! 普通はできません! ヘルヘイムがクローデンス領と仲良くできるのも、クローデンス領が防衛しかしていないから、攻め込んだヘルヘイムの自業自得だからです!

 クローデンスにもヘルヘイムに殺された兵はいますし、ヘルヘイムにもクローデンスに殺された兵はいます。その殺された兵にも家族や友人、恋人がいます。

 その状況で仲良くなれている、現状がおかしいんだって気付いてください!

 歴代のクローデンス領主が上手くやりすぎてるだけなんです!

 ヘルヘイムに友好的に接して、現場レベルですが仲良くしてるという状況を作り出せているのが異常なんです!

 普通、仲良くなんてなれませんから!

 タルタロス本国は勿論、ヘルヘイムだってタルタロスを恨んでますからね!? クローデンス領に恨みを向けられないので、代わりにタルタロスに向いてますからね!? クローデンス領がヘルヘイムに併合しないのはタルタロスのせいだ、なんて思い始めてますからね!?

 クローデンスが上手く立ち回りすぎてるせいで、ヘルヘイムとタルタロス本国の仲は最悪なんだって、気付いてください!


 「……ヘルヘイムか」


 伯爵が低い声で唸りました。敵意が少しも隠れていません。さすがの私も少し怖いです。


 「はい。もし協力するのであれば、アポイントぐらいは取り付けてきますよ。やつらとはいつも楽しく語らっている仲なので。適当に誘拐してくる程度ですから、そうですね、ここの美味しいお菓子でもいただければ、女王は難しいですが、現場指揮官ぐらいなら連れてきましょう」


 お嬢様は無表情ながらも楽しそうに交渉を始めました。

 現場指揮官、ロキ少佐をタルタロスに連れてくるぐらい、夏の件で貸しがあるお嬢様なら簡単でしょう。そもそも、ロキ少佐は専守防衛の領を体現したようなお嬢様にほとんど警戒していませんし、お嬢様の魔法は、実は生け捕りにも適しています。正面から『誘拐するから、恨まないでねー』とでも言って簡単に誘拐してしまうでしょう。

 しかし、お菓子のために気の合う知人を売るとは、お嬢様も恐ろしい方です。

 ロキ少佐なら大丈夫という信頼があるのかもしれませんが、もし駄目でも良い、とも思っているのでしょうね。

 ロキ少佐は、どれほど気が合っても、敵の指揮官ですから。

 お嬢様はそういう立場を忘れない方です。良くも、悪くも。


 「……出来るのかね?」

 「専守防衛の我が領と言えど、捕虜を取らないわけではありませんし、仲良しの友達を自宅に招待するぐらい、誰でもやることでしょう? ああ、お茶菓子にはこの美味しいお菓子があれば喜ぶと思いますよ」


 お嬢様は露骨に『お菓子が欲しいアピール』をしていますね。

 読めました。これ、もう交渉は終わったし、お土産にお菓子をもらうために痛くもかゆくもない代償を差し出そう、と考えているんですね。ついでにヘルヘイムとタルタロスが仲良くなったらいいなあ、とか思いながら。


 うちのお嬢様は、馬鹿です。

 どうしようもなく、馬鹿です。

 伯爵がお嬢様の真意を測りかねてすごく悩んでるじゃないですか……!


 普通、意味が分かりませんよ! お菓子を代価に敵国の指揮官を誘拐してくる? 何の冗談ですか。何が目的なんですか。まさか本当にお菓子が欲しいだけとは思いませんよ。易々と了承出来るわけがありませんよ。


 結局、伯爵は「……話し合ってから決めることにする」と先に延ばし、お嬢様に土産としてお菓子を持たせてくれました。帰ってからお嬢様とお菓子食べました。とっても美味しくて大満足しました。

 しかしお嬢様の行動は、どう深読みされて誤解されるんでしょうね。


 「テミスー、やっぱりね、父上×伯爵はいいよ! 伯爵が父上に勝負しかけて負けて、父上の良いようにされて、勝負のたびにそういうことが続いて、伯爵がもう嫌だって泣くんだけど、父上は自分が嫌なのかと勘違いして怒って、でも行動に起こす前に『自分だけ好きなのは嫌だ!』って伯爵が言って、それ聞いた父上がきゅんってして、もうデレデレで抱くけど伯爵は勘違いしたままでやだやだ言って、父上がそれにまた興奮してブチ犯すの! で、翌日には元通り喧嘩してるの! 喧嘩ップル最高!」

 「お嬢様、妄想は頭の中だけでお願いします。気持ち悪いですわ」

 「伯爵はノーマークだったねえ。あと、アレス様が伯爵に劣等感を抱いてっていう近親相姦もいけるね! その場合は勿論伯爵が受けで! あと、モブ騎士×伯爵もいいよね! 下剋上大好き! いつも厳しく訓練してる伯爵が乱れてどろどろになって、訓練のときに『昨日、ここで悦がり狂ってましたね』とかぼそって言って赤面させて、くすくす笑うわけ! で、呼び出されて行ったら騎士が何人もいて集団で……」

 「お嬢様、いろいろアウトですわ」

 「いいよねえ、下剋上。うちの父上は強すぎて全然そういう妄想出来ないし、ロッキュンは部下と仲良すぎて、むしろロッキュン総受けのお姫様状態しか浮かばないんだよ。貴重だよ、伯爵。──だから」


 お嬢様が無表情で、妄想の続きのように口調も声のトーンも変えず、


 「ちょっと見ててくれない? もし『何か』あったら、教えてね」


 私に命じました。

 普段は垂れ流さない妄想を垂れ流してると思ったら、そういうことですか。


 「はいはい。わかりましたわ」


 呆れた、という口調のままで答えて、諜報に行くための準備を始めました。


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