モブ子父 騒動の始まり
「……なるほど」
息子のティタンに連れて来られ、合流した娘のニケに話を聞いて、状況を把握した。
王族だとしたら、撃退するわけにも行かない。
ニケの言う通り、正式な使者として丁重に扱うしかないだろう。
私はクローデンス領領主、ウラノス・クローデンスとして、ニケを嫡子にしている。こういう有事の際の対応一つとっても、次期領主にふさわしいと思う。
たとえ、無表情で可愛げも子供らしさもない異常な子供だったとしても。
親から嫌われても堪えない子供だったとしても。
ふざけ倒して争いを嫌う腑抜けだとしても。
男と家庭を作るより、男同士の熱い友情を眺める方がいいと言って憚らない娘だとしても……!
私も妻もニケを嫌っているし、ティタンは苦手だと言い、テテュスはニケを避けている。
家に従う者はいるが、あいつに従う侍女は一人のみ。護衛もいない。
戦に参加するため兵からの人望はあるが、腹心と言えるような部下はいない。
通っている学校でも、人脈作りに熱心ではないようだ。
これでいいのか、という思いは募る。
危険な砦にも入りびたり、注意しても『ティタンがいるから大丈夫ですよ』と言うばかり。
確かに私たちはお前を嫌っているが、それでもお前の親なのだ。
それがわからないこの娘が、伝わらないことが、拒否されることが、ますます苛立たしい。
「話し合いの場には私も参加します。出来るだけ内密にしたいのですが、父上は特別連れたい者はおられますか?」
領随一、西方でも指折りの結界魔法に優れたニケが護衛をする、だから他の者は入れるな、と暗に言って来る。
確かに、機密にするならば、すでに事情をあらかた聞いている次期領主のニケはいいだろう。
だが、私に自分の娘を、嫡子を護衛にしろと言うのか?
代わりの子がいるからいいだろう、と?
いつからか、ティタンが立派になった頃から、後方支援のニケが戦場に出始めた。回復、防御役としてだが、戦場に出て戦に参加し始めた。
さすがに嫡子として自覚が足りない、と叱ったが、無表情で、しかし飄々とした声で、『領民を守らずして領主などとは言えないでしょう。父上は領主としての責務があり出られませんので、代わりに嫡子の私が出ているのです』と屁理屈をこね、ならば先がない私が出るから先があるお前は出るな、と言えば、『私が死んでも、ティタンがいるでしょう』と、飄々としたまま言い切った。
私も若い頃は戦場に出た。しかしそれは『代わりがいるから』ではなかったし、後方支援のニケが前線に出るのはおかしい。
無表情ながら、飄々としていてふざけているこの腑抜けの変人は、何を考えているのか。
わからない。
だから忌避されているのだろう。
「……良い。ティタン、お前は屋敷に戻っておけ。良いな?」
「……わかりました」
せめてティタンを避難させ、ニケに防御の魔法をかけられて、兵たちにロキを連れて来させた。ロキは魔法封じの手錠をはめられており、一応は安全な状態になっているようだ。
「お話するのは初めてですね。ヘルヘイム軍少佐のロキ・ヘルヘイムです。この度はお時間をいただきまして、ありがとうございます」
ロキ少佐はその状態で、にこやかに挨拶をした。
姓が国名であるのはヘルヘイムの王族の証だ。この国では王族は家名なしだが、ヘルヘイムでは国名が家名になる。
「クローデンス領領主、ウラノス・クローデンスだ。娘から事情は聞いている。我が領に同盟を求めた理由はなんだ?」
王族相手だが、敵国で、あちらが面会を求めた立場だ。生殺与奪権も握っている。横柄な態度をとっても問題はない。
……ニケなどは、普段から『ロッキー』などと呼んでいるような始末だ。ニケの侍女がそれを咎めると、『ロッキュン』と言い出したそうだ。私はこいつを一生理解出来る気がしない……。
「……人払いは済んでますか?」
『音を漏らすな、中を見せるな、結界』
ロキ少佐が窺うように言ったとたん、ニケが魔法を発動させた。
一瞬で室内の形に沿うような結界に囲まれる。
これで盗み見、盗み聞きの心配はないだろう。ニケは結界魔法と回復魔法に優れている。その能力は本物だ。
ロキ少佐も敵としてその力を知っているからか、一瞬ほっとして、その後顔を引き締めた。
「……偵察に行ったものが発見しました。すでに廃れたはずの魔法具をやつらが所持し、使っていました。また、魔法のレベルも高く、ニケ様ほどの防御魔法でなければ太刀打ちできないでしょう」
魔法具……!?
魔法具は特殊な文字を刻んで強化された道具のことだ。例えば火の攻撃魔法を刻まれた弓矢は、通常の五倍近くの威力を持った、と言われている。
今ではその特殊な文字が廃れ、魔法具の使用自体も暗黙の裡に禁じられているが、……まさかまだ覚えている者がいたとは。
魔法も、ニケの防御魔法でないと、というのは余程のことだ。改めて言うが、ニケの結界魔法はこの防衛に優れた領でも随一で、ニケを超える結界魔法の使い手はこの西方でも数えるほどしかいないだろう。
あの無表情が常のニケですら、やや驚いたように目を丸くして、
「ロッキュン、ニケ様とか言えたんだ……!?」
……何を言っているんだこいつは。
ロキ少佐は、まだこいつの言動に慣れていないようで虚を突かれたような顔をしていた。私やニケの侍女などは、もう呆れの目しか向けないのだが。
「……ニッケン、そのロッキュンってなんだい?」
と思ったら、こいつも同類だった。
ニッケンってなんだ? ロッキーはよくてロッキュンは駄目なのか? 王族ってなんだ?
「うちの侍女が、ロッキーはないって言ったから、ロッキュンならどうかなって」
「うーん、ロッキーのほうがいいな。ニッケンだって、ニケロンとか言われたら、微妙だろう?」
「ニケロン、可愛いね」
「ニケロンのほうがいいかい? じゃあそう呼ぶから、ロッキュンはやめてくれ」
「そうそう、ロッキュンと父上にお話があるんだ」
「ロッキュン決定かあ…」
ニケは紙とペンを取り出し、ロキ少佐は遠い目で、「ロッキーのテーマは格好良いとか、ロッキー山脈はでかいとか言ってたじゃないか。ロッキーなら人名じゃないか。ロッキュンは、ない」と呟いていた。ロッキーでいいのか。うちの娘はニケロンがいいのか。私の理解が及ばない世界だ。
思わず私も遠い目になっていたが、ニケが紙に書いた文字に、現実に戻された。
ニケは、紙に特殊文字を書いていた。
驚く私とロキ少佐に構わず、その紙を空中に放った。
紙は瞬く間に鳩のような姿になり、ぱたぱたと羽ばたいた。
「この特殊な文字なら、私を含めて、使える人間は国内に少なくとも三人はいますよ」
三人!?
すでに廃れた文字が使える人間が、ニケを含めて三人もいる!?
我が領とて、魔法具を大量に使われれば苦戦を強いられるだろう。それが出来る人間が、ニケの他に二人もいる? 東のものを合わせれば三人以上?
……ヘルヘイムが防戦に優れた我が領に助けを要請したのも、同盟を求めて来たのもわかるものだ。これは規格外だ。
と、ロキ少佐がきりっとした顔つきになった。
「ニケロン、やっぱりうちに来ないかい? 領丸ごとが難しいならニケロンだけでも」
「じゃあこっちにいるのが面倒になったら、領ごとそっちに行かせてねー」
「嫁に来ないかい? 前任のトール大将の息子さんも年頃だよ?」
「ロッキュンがお婿においでよ。ティタンの婿に」
「せめてテテュス嬢で。せめて女性で」
「テテュスは隣の領の嫡子と許嫁で恋仲だから無理かな。私は嫡子だし、やっぱりティタンだね。政略で同性での結婚を強いられて、元敵国ってこともあってぎくしゃくするけど、次第に打ち解けてティタンも心を許して、そのティタンの姿にときめいたロキはティタンに『僕たち、夫婦だろ?』とか言ってティタンを襲って、その時の健気なティタンの姿に心を打たれて……」
「ニケロン! やめようか!」
ロキ少佐がニケを何とか止めた。
実の息子と敵国の少佐との『そういうこと』を、実の娘の口から聞かされるとは……。
……普段は自重しているから口走らないこいつが口に出すと言うことは、ロキ少佐への牽制か。こちらも嫡子を奪われてはたまらない。そのままでいさせておこう。
「それよりニケ、その魔法具のことだが」
「それより!? ニケロン、こういうの親の前でもやっちゃう人なの!?」
「出所は言えませんが、魔法同様、大抵のことが出来ます。使える他二人はおそらく使わないでしょう。身元も実家も知っています」
「そうか……」
ロキ少佐のツッコミが入ったが、ニケの返答は、まあまあだ。
いつでも消せる相手で、人質の確保も出来る、と。
あとは……、と視線を向けると、ニケは頷いた。
「──仮にその二人と王国騎士団で攻め込まれても、十分対処できます。我が領が落ちることは、いかなる相手でも、ありえません」
「うむ」
ならば、良い。
この地は北の要、落ちてはならぬ砦。
それが絶対だ。
ロキ少佐が『なら我が国に来たらいいのに……』などと言っていたが、そういうことではない。
ニケも無視して作り出した鳩のような紙を、元のただの紙に戻している。
「同盟を申し込む理由はわかった。して、どのような援助が欲しいと? 知っているだろうが、こちらも領民たちは冬仕度に忙しい。兵を派遣することは出来ん」
「名前を貸すのもないからねー。クローデンス領はタルタロスに所属してるし、下手にヘルヘイムと友好があるなんて思われたら面倒臭いから」
ニケも補足して釘を刺すが、ロキ少佐も「わかっています」と頷いた。
防衛に優れた援軍でも、北の要と呼ばれる領の名前でもないのなら、何を借りたいと言うのだろうか。
ロキ少佐は私を見て、机に額が付くほど頭を下げた。
「たぐいまれな防衛能力を持つ、次期領主様を、お貸しいただけませんか」
思わず、ニケを見た。
ニケは防衛に優れている。東の魔法を防ぐには、ニケぐらいの腕のものが必要だとも言っていた。
また、ニケは前線にも出ている。ヘルヘイム兵にも、『クローデンス領次期領主』として名が知れているだろう。
伝統的に何故かヘルヘイム兵と我が領は仲が良い。ニケなど、戦後処理で敵兵の治療もしてやっている。ヘルヘイム軍に混ざっても、ある程度好意的に迎えられるだろう。
後方支援に優れた『クローデンスの次期領主』が味方に付けば、普段敵対してその力を嫌と言うほど知っているだけに、兵たちの士気は高まる。
こちらとしても、ニケ一人ならば抜けても問題はない。
しかしニケは嫡子で、女で、兵や領民からの期待も厚い。
ティタンはいるが、敵国の援助に行って取り返しのつかないことになれば、民からの不満は抑えられないだろう。この領を守るための戦いでのことならまだしも、敵国のための争いで万が一があれば、領主として父として、責任の取りようがない。
だがこの状況で、ニケを派遣する以上の最善手はない。
ニケは今使って見せたように、魔法具も作り出せる。
後方支援特化で、こいつほど防御に優れたものもいない。
使い捨てにしないのならば、ニケをやるのが一番生還率が高い。
「……次期領主を戦地に赴かせるに足るほどの、見返りがあるとでも?」
誰かやるならニケになるだろう。
しかし、ニケをやるほどの見返りがあれば、の話だ。
作物を融通される必要はない。領民を賄えるほどには領も広く、芋などの収穫量も多い。
塩もある。海が凍るヘルヘイムより、まだこちらの領のほうが塩を入手しやすいだろう。
胡椒や小麦はもっと南でないと入手できない。ヘルヘイムにはどうしようもない。
金をもらえば賄賂になる。それを喜ぶ領民はいない。
戦に関してさえ、常にうちの領が優位に立っている。休戦を、などというのは交渉材料にならない。むしろ国内での重要度が下がる一因になりかねん。
ロキ少佐は頭を下げたまま、
「ヘルヘイム国第二王子でありヘルヘイム軍少佐である、我が身をどうぞ好きにしてください」
と言った。
なるほど、ニケに結婚だのと粉をかけていたのは、こういうことか。
ニケがヘルヘイムの男を娶れば、人質を取りつつ、友好を結ぶことになる。タルタロス国内から異端視されて戦を仕掛けられる可能性もあるが、逆に手出しできなくなる可能性もある。
子が出来て、その子がヘルヘイムへと阿るようならば斬らねばならんが、今までヘルヘイムの者を娶った領主はそれなりにいる。私もヘルヘイムの血を継いでいると言える。
戦で、こちらの兵の死亡はほぼなく、ニケが参戦するようになってからは負傷兵すらいなかったが、兵の危険が減るのならば休戦も良い。
呑んでやっても良い条件だが、欲しいものではない。
「うちは奴隷とか取ってないし、下手に扱ってそっちの士気上げさせたくないし、内情とかもお互い大体察してるし、いらないかな」
ニケが無表情のまま軽く断る。
ある程度交流がある故に、こうも正直に言えるのだろう。私ではもう少し包み隠さねばならんところだ。だからこそ、ニケが口をはさんだのだろう。小憎たらしいほどに優秀な嫡子だ。
ロキ少佐も頭を上げて苦笑した。
「僕とニケロンの仲じゃないか。そこをなんとか」
「私とロッキュンの仲は、敵の指揮官ってだけだよね? ていうか、私とロッキュンの仲だからぶっちゃけるけど、そっちがこっちに出せる見返りって、ないよね? 私の命に釣り合うほどの見返りって、ないよね?」
そしてニケの言葉に顔をひきつらせた。あけすけ過ぎだ。
だが私は口を挟まない。ニケはまだ子供で、だから許されることだ。代わりに言うならば、都合がいい。
「一領で他国の王族をって、良くないかい?」
「もらってどうするの? 私はいらないし、ティタンもいらないって言うだろうし、テテュスは許嫁がいるし、どこに置けばいいの? 無下にするほうが面倒だよね。いらない」
「そっちだって、うちが荒れたら困るだろう? うちのフリドスキャルヴ側が取られたら、東の侵略者たちは南下すると思うよ。その先にいるのは、君たちだよね?」
「そうだね。じゃあその時は背後から討てばいいよ。こっちもヘルヘイムの相手をして消耗してるほうが撃退しやすいから」
「勢力が大きくなってるとは思わないのかい?」
ロキ少佐が探るように見る。
ニケは私を見て確かめることもせず、「やだなあ、ロッキュン」と軽い声を出し、
「我が領は北の要。誰が来ようとも落ちることは許されない」
言い切った。
それでこそ次期領主だ。
やはり、ニケは戦場にやるには惜しい。ティタンならば、一度私に確認を入れていただろう。やはり嫡子はニケだ。
ロキ少佐は、いつもふざけ倒しているニケの固い声に動きを止めたが、ニケはすぐにへらりと笑うように「そもそも、領が簡単に落ちるようなら、その一端である私を求めて、こうやってロッキュンがお願いに来ないしねえ」と言った。無表情のままだが、声だけは呑気な響きがある。
であれば、やはりこちらに利はない。
「ロキ少佐、お帰りいただこう。ヘルヘイムに思うところがないでもないが、我らは敵同士。次期領主の娘をやれるほどのものはない」
面倒事を押し付けられる前に帰そう、と立ち上がりかけ、ロキ少佐が「お待ちください……!」と私に縋るように言い、
「──父上、では、領では断った、ということでよろしいでしょうか」
ニケが落ち着いた声で言った。
見れば、いつもの考えが読めない無表情をしている。
……ロキ少佐に対するより慎重に、考えて口を開く。
「……そうだ。現状では、我がクローデンス領はヘルヘイムに協力はしない。領の決定だ、お前も従え」
「はい、勿論です領主様。我がクローデンス領が敵国ヘルヘイムに協力する理由などありませんから。……ですが」
ニケは無表情のまま、しかし声に明確に温度を乗せる。
「私が個人的に、知らぬ仲でもないロキ少佐に取引を持ち掛け、個人的に動くのは、問題ないでしょう」
「ニケロン……!」
ロキ少佐が地獄で仏を見たように言う。ニケロンでいいのか? ここでニケロンなのか?
「駄目だ。お前はクローデンス領嫡子だ。立場に責任を持て」
だが見過ごせない。『個人的』と言われようと、ニケは跡取りだ。そのようなことを看過出来るはずがない。
厳しく、ロキ少佐がびくりとするほど睨んだのだが、ニケは穏やかな雰囲気を崩さぬまま、呑気な声で「ティタンがいますよ」と言った。
「私に何かあってもティタンがいます。それに、深入りはしませんよ。魔法具は見過ごせませんから、ちょいと行って見て、帰ってくるだけです。自分の身は守りますが、ヘルヘイムを守ってやるつもりはありません」
「偵察などせずとも、敗れる我らではない」
「勿論です。しかし私は女の身ですので、出来るだけ兵たちに死んで欲しくないなどという、甘いことを考えてしまいます。わずかなものでも、情報があるとないとでも大違いでしょう?」
「……お前が行く必要はない。密偵ならば、他に適任はいるだろう」
「それでは時間がかかるでしょう」
ニケが言うことは、わからないでもない。
仮にニケが行けば、たとえ軍事行動に参加せずとも、ニケが自分の身を守るために防衛行動を取ることで、局地的にでも拮抗を崩すことが出来る。ロキ少佐も手ぶらでは帰れないだろうから、妥協点としては悪くないだろう。
こちらとしても、魔法具の偵察はしておきたい。だがもしニケを派遣させず、ニケ以外の派遣をヘルヘイムが認めなければ、偵察は困難になる。問題の場所に向かうにはヘルヘイムの領土に侵入して北上するのが一番早いが、そうするとヘルヘイムと東の侵略者の、両方を警戒しなければならなくなる。
しかし我が領からフリドスキャルヴを超えるのは、その標高からまず不可能だ。ニケのように防御系の魔法などに優れたものでないと、無事に超えることは難しいだろう。かといってフリドスキャルヴを迂回して王都のほうまで南下した上で山脈を超え、その後北上するとなると、かなりの遠回りになる。一刻を争うこの状況で、その遅れは致命的だ。
「……お前に次ぐ防御魔法の使い手を出そう。『個人的に』動くのならば、次期領主を出す必要はないだろう」
「特殊な文字がわかりませんと、魔法具は把握できませんよ? 兵ならば幾万と来ようと構いませんが、魔法具は警戒が必要でしょう。だから、特殊な文字がわかる私が行きます」
……言うことはわかる。わかるのだが……。
「ならば偵察など必要ない。兵を殺したくないのであれば、ヘルヘイムが戦っている間に内を固めればよい」
「父上」
ニケが無表情で、私に頭を下げた。
「我らの兵を弑する武器を作る輩を、野放しには出来ないのです。戦えば負けないでしょう。多くの兵が死ぬでしょうが、決して落ちることはないでしょう。そして落ちぬとなれば、王都から攻めて、この国も戦火に呑まれ、それでも我らは負けぬでしょう。しかしそのとき、どれほどの民が死にますか。我らは何を守るのですか。この国ですか? この領ですか? この土地ですか? この砦ですか? ――我らの領民を守ることこそ、クローデンス家の責務なのではありませんか」
きっぱりと、暗黙の裡ではなく言葉にして、『守るべきは国ではなく領民である』と言い切った。
このままでは領民が多く死に、国も攻められ、守れるのは土地だけだと言った。
……しかしそれは本末転倒だ。兵は領を守るために死ぬ。その兵の死を惜しんで領が守られねば、我らの意味はない。それがわからぬニケでもないだろう。
だが、こうして言うのは、兵を、民を出来るだけ守りたいからか。
わかっていて守りたいと言うその甘さは、若さとも言えた。
「……お前がそこまで言うのなら、もうよい。だが、『個人的に』行くのならば、我が領の名は名乗るな」
それでも行きたいと言うのならば、年長者として、前任者として、父として、厳しく送り出そう。
「『ニケ・クローデンス』が行くのは許さん。我が娘の、次期領主の出奔は許さん。良いな、ニケはヘルヘイムになど行かん。ならば、北の地で散ることなど在り得ん」
行くなら必ず生きて帰れ。
目でそういうと、ニケは私に薄っすら笑った。
「はい、夏季休暇明けには、何事もなく学園に戻るでしょう。『どこにも行っていない』のですから。しかし名無しになれど、この身に流れる血はクローデンスのもの。負けることは許されておりません。必ずや、領主様に勝利を捧げましょう」
ニケは傅き、ロキ少佐に気付かれないよう、私の手に紙を握らせた。
私も気付かせないように立ち上がる。
ニケはそれに合わせて魔法を解除し、私は「丁重にお帰り願え」と兵に命じ、自室で誰もいないことを確認して紙を見た。
紙は魔法具の実験で鳩のように変えた紙のようで、特殊な文字を塗りつぶした痕があり、その近くにこう書かれていた。
『魔法具の製作者は危険。武力によってではなく、文明を破壊する恐れあり。魔法具を他に作れるのはアルテミス・ミーア嬢、デメテル・アフロディーテ嬢。要警戒されたし』
自然、眉間にしわが寄っていた。
ニケが無事に帰らねば、……世界を巻き込んだ大戦が起こるやもしれんな。




