侍女4 騒動の始まり
「北25ポイントに人影あり! 人馬五、兵器なし、旗なし! 現在攻撃なし!」
見張りの兵の声が砦に響きました。
お嬢様の夏季休暇で領に帰っておりますが、私に休みはほぼありません。今日もお嬢様について、砦に来ています。
お嬢様は次期領主として、多くの時間を砦で過ごしています。
屋敷では嫌われているから、辛くて砦に逃げている、とかではありません。旦那様も奥様も、年がら年中敵襲がある砦は危ないから気を付けろ、と渋い顔をされていましたし、嫌っているとは言っても何かあればお嬢様の意思を尊重しつつも守っておられました。
お嬢様を好いているのではなく、『嫡子』であり『次期領主』を守り育てているわけですが、お嬢様はそこが良い、とお喜びでした。ご存知ないでしょうね、そんな、親が子を見るように、ではなく、領主が跡取りを見るように、見ていることを喜んでいるお嬢様を見て、旦那様も奥様も、ますますお嬢様を嫌ったことを。親からの愛情を『いらない』と明言しているようなお嬢様は、だから愛されないことを。
もう今では現在の関係に落ち着いているため、修正も不可能ですしあえて正すほど険悪でもありませんが、ねじれは残っています。そのねじれも、『嫡子と思わない馬鹿が引っかかって良い』と、旦那様もお嬢様も歓迎しています。旦那様はお嬢様を跡取りと認めてらっしゃいますし、お嬢様も旦那様を領主として尊敬していますから、案外思考は似ているんでしょうね。
……ってことは、うちの領主って『あんなの』が代々なってるってことなのかしら…?
……一領民として、気付かなかったことにします。『あんなの』でも仕事はちゃんとするからいいんです。『あんなの』でも。
話を戻しまして、砦のことです。
クローデンス領はヘルヘイムと接する唯一の領なので、北一帯に横長く広がっています。ヘルヘイムとの国境付近は険しい山々が多いので、実際に交戦出来る、大群で攻めてくることが出来る場所は領主の屋敷近くの砦です。勿論奇襲が仕掛けられても良いように、長い年月かけてこつこつと領全体を壁で囲っていますが、戦力が集中しているのはこのあたりです。
伝令には魔法を使っています。砦ごとに伝令場があるので、どこで交戦が始まっても情報共有が出来、即座に駆けつけられる仕組みになっています。
今回の『北25ポイント』は、まさに屋敷近くの本拠地の砦です。領内で普通に『砦』というとここを指します。その他は『北12ポイントの砦』や『南9ポイントの砦』などと呼ばれています。
今回は、『この砦付近に馬に乗った五人の人影がある。大きな兵器や所属を示す旗は観測できない。攻撃も受けていない』ということです。
これを聞いた兵士と話していたお嬢様は、
「ありゃ、夏なのに元気だねえ」
と呑気な声で無表情に言いました。
この領は北にあるため、短い夏と長い冬が交互にあるような土地です。春と秋は合間に少しあるだけで、夏と冬しかないと言ってもいいでしょう。
だから長い冬に備えて、私たちは夏の間に色々な準備をして蓄えます。大雪のときなどは交通もなくなってしまうので、その前に冬ごもりの仕度を整えておかねばならず、この時期は本当に忙しいのです。
それはこの領よりさらに北に位置するヘルヘイムも同じです。あそこは逆に、夏には氷が融けて地面が湿地状になってまともに歩けなくなることもあるほどなので、重装備の大軍が侵攻してくるのはまず冬です。夏に来たら、ぼろぼろの装備と冬仕度を邪魔されてやる気のない民が、冬仕度に忙しい領民たちに瞬殺されること間違いなしです。普段は専守防衛で、手を出されたからやり返して追い返した、という、比較的穏便な対応ですが、以前夏に攻められた時には、確認次第指揮官を魔法で遠距離狙撃の後、ばんばん大砲撃って魔法飛ばして、『冬なら相手してやるから二度と夏に来るな!』と矢文で抗議までして容赦なく潰したそうです。ヘルヘイムでは、『殺されたくなければ夏にクローデンス領に近づくな』というのが暗黙の了解になっているようです。普段なら、先制攻撃させた上で、逃げる兵に追撃もしない、優しい防衛戦ですからね。
我が領では、いつ、どれだけ攻められてもいいように、基本的に消耗は嫌います。守ることに主軸を置いていますので、無駄に殺して恨みを買うこともないのです。追撃などしていたら、砲弾や魔力などを無駄に使いますからね。昔から争っているので、もうお互いに間合いはわかっています。突撃し続けてくるようなら殲滅しますが、適度に引いているので、追い返すだけでいいのです。
……というか、現領主の旦那様と、以前よく攻めて来ていたヘルヘイム軍の大将が仲良いですからね。お二人がまだ若かりしときに、大将が『マジやべえ、塩がない』と言うのを聞いた旦那様は、『じゃあやるよ』と自腹で塩を購入して大将に送り届けたそうです。その使者は大変歓迎され、土産に、と上等な絨毯などを持たされて帰ったそうです。たまに『腹減ったー』と騒ぐ敵兵たちに、『じゃあ一緒に酒飲むか!』と兵士たちが秘蔵の酒を持っていそいそと飲み会を開くこともあります。仲、いいでしょう?
でも敵国であることに変わりはありません。
「偵察行って来るよ。テミス、何かあれば父上に報告してね」
お嬢様は呑気に言って、私に微笑みました。
そのお嬢様を、近くにいた弟のティタン様が捕まえました。
「何言ってるんだよ姉貴!偵察なら兵たちに行かせろよ!危ないだろ!?」
「危ないからこそ、私たちが先陣切らなくてどうするんだよ。使者ならそれなりの立場の出さないといけないしさー」
「じゃあ俺が行くよ!姉貴は次期領主だろ!?俺が行くから待ってろよ!」
「危ないんだから、防御に優れた私が行くべきでしょ。偵察の使い捨てなんて出来ないし、私に何かあっても、ティタンがいるし。だから行くねー」
お嬢様はティタン様の手を離させ、ひょいと窓から出て行きました。いつもの結界の足場で直行するのでしょう。
ティタン様は、ぎゅっと拳を握りしめ、「父には俺が報告に行く。テミスはこの場で姉貴を待っててくれ」と、「姉貴に何かあれば攻撃していい。俺が許可する」と言って、屋敷に走って行きました。
旦那様と奥様はお嬢様を認めつつも嫌っていらっしゃいますが、弟君のティタン様は、『底知れないから苦手』とおっしゃり、別に嫌ってはいません。妹君のテテュス様は敬遠してますが、男児で同じように砦に来ていたティモス様は、ただ苦手なだけで、お嬢様を『姉貴』と呼んで慕っています。
お嬢様が嫌われていることで、ティタン様は一層可愛がられました。嫁に出るテテュス様も勿論ですが、もしお嬢様に何かあったときのスペアとして、他所の馬鹿が嫡男と勘違いするため、御子を作る気がないお嬢様の代わりに後継者を作ると思われ、たいそう愛されています。
しかし嫡子としての厳しさや陰口は、ほとんどお嬢様がかっさらって行きました。旦那様の厳しさも、主に嫡子のお嬢様に向き、ティタン様は厳しく求められはしませんでした。
ティタン様は『姉貴は俺に、周りからの愛情と自由をくれた。なのに俺を恨んだり羨んだりしないから、すげーむかつく』と言っていました。お嬢様に面と向かって。このあたり、旦那様の親子ですね。
お嬢様はそれに対して、『お前を妬むほど、不幸じゃないし。むしろ妬んでもいいよ。嫡子の座は、今のお前には譲れないけど』と、いつも通り飄々としていました。
だから、ティタン様はお嬢様のスペアとして精進しつつも、将来のことは自分で決めています。『あの姉貴の背中を追うとか、永遠に追い続けることになるだろ。せっかくもらった自由なんだから、姉貴がこけるまで好きにやるよ』と、吹っ切れたように言って。
専守防衛を旨とする我が領で、ティタン様が『攻撃しろ』と指示されたのも、そのお嬢様への思いがあるからでしょう。……お嬢様に心配とか、いらないと思うんですけどね。
「どーせいつも通り、ふざけ倒してマイペースで、領のことしか考えてないわよ」
あの馬鹿、見てるしかないやつの気持ちも分かれっつーの。




