地下の墓所・その1
薄片に記された手記のほかにも、その部屋には幾つかの雑多なものが残されていた。同様の薄片を閉じて作られた、やや大きめの冊子が数点、所々が石灰のように変質して崩れた、金属製の椅子もしくはその骨組み。
ラベルが風化して何が入っていたかわからない、奇妙な色をしたどろどろの液体が半分ほど残ったガラス製らしき瓶。薄緑色の金属光沢を示す、足が四本生えた三日月のような奇妙な意匠のプレート、などなど。
あまり時間の余裕はないはずだが、残していくことはいかにもためらわれる。もう一つ気になったのは、手記を残した人物の遺体らしきものがどこにも見当たらないことだ。
「この人はどうなったんだろう?」
「分からない。かつての同僚だったものから身を守りながらこの部屋で飢え乾いて死んだのか、それとも……」
オリヴィアが言葉を濁した。
ドアは破られた形跡がない。起き上がった死者が正しい方法で開けた、とするなら手記を残した人物も不死者の仲間入りをしたのか? なにか重大な可能性を見落としているような気がしなくもない。
「このプレートと冊子は持って行きましょう。あとは多分、意味のある情報はないと思うから――」
オリヴィアが示した品物を丁寧にバッグにしまい込み、僕たちはその小部屋を後にした。ステラの情報では下への階段も同じこの北東エリアのどこかにある。
回廊を進みながら、僕はふと心に浮かんだ疑問をジーナにぶつけた。
「そういえばジーナ、君は『霜が島』の氷の柩の中で長い年月眠っていたんだよね? 眠りにつく前の世界では、どんな暦を使ってた?」
「……シワス様。私が眠りについたのは、主たちの最期の一人が息を引き取ったあとでした。洞窟から出たことはありませんでしたのであの手記の描かれた時代との前後関係は分かりませんし、さすがに眠っていた間の時間経過については認識することができません。しかし、主たちは『黒の紀元』なる暦制を使用していなかったと思います」
「そうか。主たちは何かから逃れようとしている様子だったかい?」
ジーナはゆっくりと首を横に振った。
「分かりません。彼らはみな、あの洞窟での生活を当たり前のものとして閉じたサイクルの中で淡々と自足していましたから……彼らの生活と生存の維持に私が寄与するところが大きかったことは誇りに思っています」
「そうか、まあ仕方ないな」
「ジーナの記憶だけで全部解決したら、オリヴィアたち魔術師や、学者さんの仕事がなくなっちゃうわよね」
メリッサの声にはわずかに底意が感じられた。
(ああ、器あふれ気味かな……)
彼女は妻たちの中でほぼ唯一の一般人だ。魔法の心得があるわけでもなく高貴の出自でもなければ、異種族でもない。普段はそつなく家政を取り仕切っていても、他のメンバーに対してどこかで隔たりを感じているであろうことは、密かに気になっていた。
ことにジーナに対しては、その微妙なコンプレックスの中に『恐怖』が一すじ織り込まれている。それは容易に反感や蔑視へと姿を変え得るのだ。
昼から続く緊張状態と焦り、常軌を逸した内容の手記に触れたことによる混乱。そうした負担がメリッサのキャパシティを超えかけているのかもしれない。
ぼくは歩を緩めてそっとメリッサの横に並び、彼女の髪を指ですいてやった。『心の灯』が作り出す光に照らされて、彼女の目元がうっすらと赤くなった。
十字路を越えてしばらく進むと、やがて前方には突き当りの壁と、その手前で左へ曲がる脇道が見えた。
「階段があるとすれば、この先だろう」
南には、手記にあったとおり、外的な力で崩れた壁と不規則に歪んだ床材で囲まれた、洞窟めいた空間が見える。手記の主が言う『居住区』への進入口はその先のどこかにあるのだろうが、今は後回し。
曲がり角の先で、僕たちは目の前に現れたドアのうち北にあるドアを開けた。先ほどの小部屋の数倍の大きさの広間が見え、奥の方に地下鉄の入り口を連想させるような、石組みの手すりのついた階段が設けられていた。
「ここから降りると、いよいよ不死生物どものひしめく舞踏場というわけか」
マーガレットが唇をゆがめた。
「剣を持ちかえたほうがよさそうだな、量子の騎兵刀では効き目が薄かろう」
ジーナに抱えさせた荷物の中から、マーガレットは赤い布で包まれた一振りの長剣を選び出した。
「『アースバウンド』か。久しぶりに見たね」
「うむ、私の流儀には少々合わんが、奴ら相手には力任せに振り回せる重い武器のほうがいい」
もともとは両手剣だったという、身幅6㎝ほどの分厚く重い剣だ。地母神の加護を与えられており、対峙した敵の足元の地面を激しく振動させ、時に地割れや陥没を引き起こす。
迷宮内ではあまり乱用してほしくない能力だが、それを別にしてもこの剣にはさらにもう一つ特徴がある。不死生物に対してその原動力となる呪いや妄念を解除する、『埋葬効果』だ。
不浄の存在を退ける(つまりよりマイルドな)効果をもつ『渦潮の舌』と並べれば、隊列前面でちょうど除雪車のようなパワーを発揮する。黒竜王との決戦ではほとんど出番がなかったため、ずいぶん長いことしまい込まれていた代物だった。
指輪を起動してステラに連絡を入れる――二階にこれから突入する、持ちこたえろ。
――愛してる。
ステラとの交信は彼女のそんな言葉で締めくくられた。
階段を下りると、そこには情報通り東と北の二面に二つづつ、計四つの扉があった。整然とした印象のあった上の階層に比べると、ここは壁材が自然石のようなやや丸みを帯びたものでできている印象だった。表面は埃で汚れたようになっていてなんとなく薄汚いが、不思議な温かみが感じられる。
「ステラは北側、右の扉から入った。結果は周知のとおり。僕らはまず他の扉を確認して、通路にある一方通行の罠を解除しなきゃならない」
まずは北側、左の扉から。
扉を開けること数回。一本道のその先には、確かに壁から飛び出た金属製のレバーがあった。あの小部屋で発見したプレートと同様の、薄緑色の光沢をもつ材質だ。
「これ、あのプレートをはめ込むと操作できる、とかかしら?」
オリヴィアが首をひねる。だが、そのあたりの壁面にはそれらしいものは何もなかった。
壁に穿たれた三本の溝。レバーはそこから飛び出し、すべて溝の一番下まで降りている。
「持ち上げてみよう。それで解除できれば、話が早い」
どこかでブゥンと低いハム音のようなうなりが聞こえた。まだこの迷宮の仕掛けは生きているのだ。
「では行くか」
回れ右をして元きた方向へ――だが、入ってきた扉は固く閉ざされ、そこにあったはずの取っ手が消え失せていた。




