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第8話(3)スタートライン

「ヨークタウン、北北東に転針。速力、30ノットに増速」

「第3航空群、VF-3より順次発艦を開始しました」


 パールハーバー、太平洋艦隊司令部。

 湾の沖合、紺碧の海面に鮮やかな航跡を描いた空母ヨークタウンから艦載機が飛び立っていく様子を、窓辺に立つ少女達が双眼鏡で見守る。


「第3航空群、全機発艦を確認。空中集合に移ります」


「……20分45秒」


 オペレーターの報告に耳を傾けていたセシリア・ニミッツは懐中時計の蓋をぱちんと閉じると、プラチナブロンドをなびかせ、背後に立つジェニファー・フレッチャーを振り返った。


「発艦に時間がかかり過ぎています。最低でも後5分短縮するまで、訓練を繰り返しなさい」


 煙突から正常に煙が上がっている光景にとりあえず安堵していたジェニファーは、思わぬ叱責に顔を歪めた。

 男共に艦の敷居をまたがせてまでして過酷な突貫工事を命令通り終わらせたというのに、労いの言葉一つ無いのか。ジェニファーが渋面で口を開こうとするのを、軽薄な声が遮った。


「リハビリにしても温すぎますねえ、うちの隊ならそれよりさらに速く発艦してみせますが。あ、提督にまたドーナツ買ってきましたよ」


 神経を逆撫でする下卑た笑い。

 現れたホーネット艦長メイベル・ミッチャーが片手で差し出したドーナツ屋の安っぽい紙袋を、『白銀の魔女』はまんざらでもなさそうに受け取っている。ジェニファーは頬をひくつかせながら、今しがた言えなかったことを口にした。


「お言葉ですが提督。サラトガの第3航空群はまだ移ってきたばかりです。新たに受領したFAF-4の慣熟飛行も、十分とは言えず……」


 弁明の途中でセシリアの目から発せられた凍気が、ジェニファーを黙らせる。


「結果を出せない人間は合衆国海軍に必要ありません。わかっていますね、ミス・フレッチャー」

「……イエス・マム」


「すみません、遅くなりました!」


 ばたばたと駆けてくる足音。部屋に入ってきたレナ・スプルアンスが、息を切らして頭を下げる。


「おや? レナちゃんじゃないか。提督にお使いでも頼まれたのかい?」


 メイベルが猫撫で声でそう言いつつ、僅かに目を細くする。

 ジェニファーも疑問に思った。レナ・スプルアンスのポストは、第5巡洋艦戦隊の司令官のはずだ。今日これから行われるのは、空母の運用に関するミーティングだと聞いていたのだが……。


全員(・・)揃いましたね。では、貴女達に与える任務について説明しましょう」


 そう告げたセシリアの声と表情はいつも通り飄々としたもので、これから起こる嵐を少しも予感させなかった。







 お札、小銭、生徒証、定期、生徒手帳、本屋のレシート、コンビニのレシート、マックシェイク無料券、レンタルビデオ屋の会員カード、ホームセンターのレシート、王将の餃子半額券、ポイントカード……エトセトラ、エトセトラ。

 洋平が自室の机の上に広げたのは、あの日ベルトに鎖で繋いでいたおかげでこの世界に持ち込めた財布の中身だった。

 『大和ミュージアム』の入場券もある。正式名称、呉市海軍歴史科学館。常設高校生300円。展示の目玉である10分の1スケール大和模型を正面から撮ったカラー写真がプリントされている。自分が今1分の1大和の中で寝起きしていると思ってこれを見ると、感慨深いものが……いや、そんなこと今はどうでもいい。

 未来の年月日が記され、洋平が未来人だと裏付ける有力で雑多な証拠の群れからは、洋平が今知りたい情報の手がかりは何一つ得られなかった。

 情報と呼べるものは、あるにはあるが……。


「装甲空母、信濃改、40ノット、搭載機数150機……超大和型戦艦、紀伊改、37ノット、51センチ連装砲8基16門……うわあ……何をどうしたらこの装備でこんな速力出せるんだよ。あ、チートコード使って原子力エンジン搭載してたんだっけ……」


 生徒手帳にところ構わず落書きされた、「提督たちの決断」で使える艦艇の改造後の速力、火力、搭載機数やら。書いたのは他ならぬ洋平自身だ。主に授業時間を使って構想した、いわゆる「僕の考えた最強の艦隊」である。魔改造計画の記述が終わると、今度は(たけ)御雷(みかづち)だの日本武尊(やまとたける)だの、史実に無いオリジナルの艦名と設定が延々と書き連ねてある。黒歴史ノート以外の何物でもない。もしこの落書きを五十子達に見られたとしたら恥ずかし過ぎる。


「後は、この携帯だけか……」


 物言わぬ黒い板。防水スマフォが想定しているのは確か水道水だけだったはずだ。お亡くなりになっていることを確認する作業は正直気が進まなかったが、意を決して電源ボタンを長押しした。

 約3秒後。


「……!」


 光が灯った! 

 ごく当り前のように、ロック画面が表示される。

 奇跡だった。洋平がここにいる奇跡と比べたら、大したことはないのかもしれないが……電池は残り半分、電波は残念ながらというか当然圏外だ。しかし洋平は思い出した。待ち受けに進んで、ブックマークや履歴の画面から「保存したページ」をタッチする。「提督たちの決断」攻略wikiだ。サイト丸ごとオフラインで読めるよう保存してあったのだ。

 攻略と関係ないから普段はあまり読まない歴史コーナー。ここには、第二次世界大戦で起きたありとあらゆる出来事が記録されている。

 年表をスクロールし始めてすぐ、洋平の指は止まった。


「ドーリットル空襲……! 1942年4月18日、空母ホーネットに搭載した陸軍のB‐25爆撃機によって行われた初の本土空襲……やっぱり」


 起きていたんだ、洋平の世界でも。もっと早く、これを試していたら。いや、今は終わったことを悔やんでも仕方がない。

 珊瑚海海戦を読まずに飛ばし、洋平はミッドウェー海戦のページを開いた。紙と鉛筆を手元に引き寄せ、詳細な戦闘経過を書き写していく。

 一通り写し終えて年表のページに戻り、ミッドウェー海戦以降の出来事も虱潰しにチェックしようと思ったところで、洋平は電池の減りが異常に速いことに気付いた。

 まさか、圏外だから電波を探している? 

 これでは、とても全部を見きることはできない。後1ページ開けるか開けないかだ。

 年表には、錚々たる海戦名のリンクが並んでいる。しかし洋平はそれらを読まずに飛ばし、海戦以外の出来事を探す。そして終に、それらしい単語を見つけた。

 海軍甲事件、1943年4月18日。

 皮肉にもそれは、あのドーリットル空襲からちょうど1年目にあたる日付だった。


 司令部付従兵の小堀一等水兵が洋平の部屋の扉をノックしたのは、携帯の電池が切れ、今度こそ正真正銘、物言わぬ黒い板となった時だった。


「おはようございます、源葉参謀。一航艦の南雲長官と草鹿参謀長がお見えになりました」

「ありがとう、すぐ行く」


 私物を一まとめにして、洋平は立ち上がった。

 最後に部屋が綺麗に片付いているのを確認してから、出口に立つ一等水兵の顔を見る。出会ったばかりの頃と比べて、緊張はだいぶ取れたように思える。

 この子に託すか。


「小堀さん。一つ、頼みがあるんだけど……」






 パールハーバー、太平洋艦隊司令部。

 3人の少将は、配られた紙にタイプされた活字に目を落として沈黙していた。一緒に出されたコーヒーは、誰も口をつけないまま冷めていく。


「こちらが葦原海軍の計画している奇襲(・・)作戦の日程、参加する艦艇、そして指揮系統の詳細です」


 セシリアの傍らに控える、情報主任参謀のレイトン中佐が告げる。暫く経ってメイベルが口笛を吹き、乾いた薄ら笑いを浮かべた。


「……こいつは素敵だ。空き巣狙いでのこのこやってくる敵さんを、こっちは用意万端で殴り放題ってわけですか」


 セシリアは無言で頷くと、視線を一巡させ全員の傾注を促してから口を開く。


「はっきり言っておきます。貴女達のミッションはただ一つ、敵主力空母4隻の撃沈です。珊瑚海では豪州(アウストラリス)とのシーレーンを維持するためポジショナルアドバンテージを重視しましたが、今回はマテリアルアドバンテージを優先します。敵空母は退けるのでなく、1隻1隻確実に止めを刺しなさい。島の防衛のことは考えなくて結構です。占領されても、後で奪い返せば良いのですから」


 セシリアの打ち出した方針に、ジェニファーは疑念を抱いた。ミッドウェー環礁には現在、マリーンガールズと基地要員合わせ、3000人以上の守備隊が駐留しているはずだ。


「提督、守備隊から支援の要請があった場合はどうすれば? せめて事前に退避させた方が……」

「いいえ。彼女達には最後まで、島を死守して貰います」


 冷厳な声に一蹴される。ジェニファーは戦慄した。敵艦隊を引き付けるために、守備隊3000を捨て石にすることも辞さないというのか。魔女どころじゃない。この人は、悪魔だ。






「だから! 島の攻略と敵空母の誘出、どっちが作戦の主たる目標なのかって聞いてるんだ!」


 柱島泊地、大和作戦室。連合艦隊司令部参謀4人を前に、草鹿峰が掌でばしんと机を叩いた。その背中にくっついている南雲汐里が、肩をびくっと震わせる。ちなみに休暇中は一緒に温泉宿に泊まっていたそうで、2人とも肌がつやつやである。


「……両方」


 先程から草鹿の詰問を受けている連合艦隊先任参謀が、突っ伏したままくぐもった声で答える。草鹿のこめかみにくっきりと青筋が浮き上がった。


「二兎を追う者は一兎をも得ずと言うだろう。優先順位は!」

「……知らない。自分で考えて」

「黒島大佐っ! キミは……ひょっとしてボクを馬鹿にしているのか?」


 え、そこからなの? と洋平は思ったが、面倒臭いので突っ込まない。

 五十子は前の来客が長引いているとのことで、まだ姿を見せない。草鹿は、いくら怒鳴っても机に突っ伏したままの亀子に嫌気がさしたのか、今度は腕組みして黙っている束に矛先を向けた。


「宇垣、キミは黒島大佐の上官だろう! どうして何も言わない! こんな作戦は延期すべきだ!」


 束は何も聞こえないかのように天井を眺めている。隣の寿子がいつになく真剣な顔でメモ用紙にペンを走らせ、束にさっと回した。束はちらりとそれを見て舌打ちしてから、ようやく口を開く。


「……延期だ? えらく弱気だな。五航戦が不参加になって怖気付いたか、草鹿」

「違う! 作戦の情報が外に漏れてるんだろう? 奇襲ができないかもしれないじゃないか!」


 それどころか、敵に待ち伏せされてしまうわけだが。草鹿もたまには良いことを言う。そこで、亀子がむっくりと顔を上げた。


「部分的な情報の漏洩は、むしろ好ましい」

「……な、なんだって?」


 これには草鹿だけでなく、束と寿子も訝しげな顔をする。亀子はもそもそと説明する。


「本作戦の成否は、敵空母が出て来てくれるかどうか。奇襲が成功しても、敵空母が南太平洋や大西洋にいたのでは、ただの徒労」


 亀子の話に皆が気を取られている間、洋平はさっき寿子が束に渡したメモを盗み見た。『2人は旅館で同じ布団だったのか質問して下さい!』作戦と全く関係ないし……。


「それに情報が漏れて敵に伝わるなら、同時並行でこちらがアリューシャン攻略を計画していることも伝わるはず。アリューシャンとミッドウェーどちらが本命かわからない以上、敵は両方に対処できるよう、艦隊をハワイに待機させるしかない。全て私の作戦通り」


 以前の洋平であれば、黒島亀子の言葉に説得力を感じていただろう。

 今も、彼女に軍師の才があることに疑いは無い。

 しかし――






「……ちなみに、アリューシャン列島の防衛は、どの部隊が担当するのですか?」


 ジェニファーはさらに質問を重ねた。メイベルが薄ら笑いを浮かべてこっちを見ている。


「情報収集のため、第8任務部隊を列島後方に配置します」


 セシリアの言った第8任務部隊とは、巡洋艦と駆逐艦だけの小艦隊だ。

 それも後方、だと?


「アリューシャン列島は、ヴィンランド固有の領土です! その防衛までも放棄なさるおつもりですか! 漁業関係者への説明は? 本国には一体何と……」

「私の仕事は、敵に勝つことです」


 セシリアは立ち上がった。


「時間がありません。葦原軍がハワイ周辺に潜水艦による散開線を引いてしまう前にミッドウェー北方に進出、そこで待機しなさい。前衛は第17任務部隊、指揮はミス・フレッチャー」


 ジェニファーは無言で敬礼した。自分はネイビーガールだ。命令には、従わなければならない。

 セシリアの碧氷色の瞳が次に捉えたのは、今日ほとんど発言していないレナ・スプルアンスだった。


「そして後衛は第16任務部隊。フレンダ・ハルゼイが病欠中のため、ミス・スプルアンス、貴女を司令官に任命します」

「……拝命します」


 緊張した面持ちで敬礼するレナ。本人には前もって内示があったのか、驚いている様子は無い。

 ジェニファーは当惑した。フレンダの回復が次の作戦までに間に合わないことは覚悟していたが、代理の司令官はメイベルがなるものとばかり思っていた。航空戦のキャリアが全く無い巡洋艦乗りの少女に、あのフレンダの代わりが務まるのだろうか?


「ミス・ミッチャー、貴女は航空戦のスペシャリストとして、彼女をサポートしてあげて下さい」

「ははっ。お任せ下さい、提督」


 メイベルが恭しく一礼する。

 だがほんの一瞬、その顔から薄ら笑いが消えたことをジェニファーは見逃さない。

 ……いい気味だ。同僚だった人間に顎で使われるのがどんな気分か、お前も味わえ。


 太平洋艦隊司令長官は、最後にいつも通りの言葉でミーティングを締めくくった。


「私はここで情報を集約し、状況が変化した場合など必要に応じ新たな命令を貴女達に与えます。敵を恐れず侮らず、最大限の戦果を引き出すマネジメントを心がけなさい。そして常に柔軟性を欠くことなく、私からの命令には臨機応変に即応するように。以上、Good luck」






「亀子さん、どうして作戦を延期できないの?」


 洋平は視線を横に向け、亀子にそう訊ねた。

 先任参謀はややむっとした様子で、


「山本長官は、一度決めた方針に邪魔が入ることを望まない。これは既に決定された事項」

「その山本長官はどこにいるんだ! ボクはキミ達じゃなくて山本長官と話がしたいんだ!」


 騒ぐ草鹿は無視して、洋平は亀子に対して高圧的にならないよう気をつけながらも、はっきりした口調でもう一度問いかける。


「亀子さん。五航戦は出られない、情報は漏れている。亀子さんの立てた作戦は見事なものだったけど、立てた時の前提が狂いつつあるのは自分でもわかってるよね? それでも敢えて予定通りの実行にこだわるなら、この場できちんと本当の理由をみんなに話してよ」


 亀子は戸惑うように何度か瞬きをし、暫く沈黙してから、ぼそりと呟いた。


「……月、霧、敵、中央」


 それだけ言って、再び机に突っ伏してしまう。草鹿が「え、何だい今のは。呪文?」と真顔で首をひねり、寿子が溜め息をついて代わりに答えた。


「月は、夜間の月明かりのことだと思います。黒島参謀がミッドウェー上陸に指定したN日、6月7日午前0時は下弦の月。5月末の満月から月は徐々に欠け始めますが、6月7日を過ぎると月は一気に小さくなって、夜間上陸が厳しくなります。かといって日中の上陸だと、敵航空機の反撃を受けて大きな損害が出ることを黒島参謀は心配しているんだと思います」


 全員の驚きの視線が寿子に注がれる。亀子がそこまで考えて作戦の日程を決めていたのかという驚きよりむしろ、寿子の素晴らしい通訳に対する驚きだった。


「7月になると、今度はアリューシャンに霧が出始めます。実は6月というのは、一年間の内でアリューシャンの霧が例外的に少ない季節なんです。ミッドウェー周辺の天候も安定しています。6月7日を逃すと、こういった好条件は一年先まで得られなくなるんです」


「……黒島は、てめえにはちゃんと話してたのか?」


 束が意外そうに訊く。寿子は苦笑して首を振った。


「いいえ、なんにも。ただ、いつだったか黒島参謀のお部屋の片付けを手伝った時に、気象や天体の本が沢山出てきましたから。そこからの憶測です。敵というのは、延期すればそれだけヴィンランド軍に再建の時間を与えてしまうということでしょう。それで、最後の中央というのは……」


 寿子がそこで口ごもったので、洋平は自分の予想を口にした。


「軍令部は、そもそもミッドウェー作戦に反対だった。五十子さんが辞職をちらつかせて、寿子さんがMO作戦の実行と引き換えで交渉したから渋々許可したに過ぎない。延期しようものなら、これ幸いと白紙に戻される恐れがある……そういうこと?」


「そういうことです。第二段作戦のスケジュールは、ミッドウェー作戦を終わらせたらそのまま南下してトラックで補給、7月1日に出撃して8日にニューカレドニア、18日にフィジー、21日にサモア……10月に入ってやっとハワイ方面攻略のための時間が取れますが、そこまでは美豪分断作戦の予定でびっしりです。正直ここを逃したら、ミッドウェーにはもう」


 そうだった。連合艦隊にとって最大の敵はヴィンランドでもブリトンでもなくて、この下らないしがらみだ。

 洋平は苦い思いで頷いて、突っ伏している亀子にさらに問いかけた。


「亀子さん。南雲さんと草鹿さんに、作戦の優先順位を伝えようとしないのは何故?」


 ただでさえ複雑な作戦なのに、目的は島の攻略ではなく敵空母の撃滅だという成果イメージが、現場との間で全く共有できていない。

 思えば、釣り大会の時もそうだった。亀子はあの時、寿子にその場で待機するよう指示し、寿子が指示を守っていることを前提に作戦を立てていたが、待機の理由や重要性を説明されていなかった寿子は、あっけなく持ち場を離れた。寿子に特段悪気があったわけではない。彼女には、亀子の指示に背いたという自覚すらなかっただろう。


「……労力と時間の無駄だから」


 突っ伏したままの亀子から返ってきたのは、そんな言葉だった。


「頭の良い人間は説明しなくても理解できる。そうでない人間は説明しても理解できない。可哀想」

「黒島大佐、キミはっ!」


 流石に馬鹿扱いされていることに気付いたのか、激昂して立ち上がる草鹿に亀子は平然と、


「問題ない。貴女達は何も考えず私の計画に従って動きさえすれば、機械的に作戦は成功する」

「もう頭にきた! GF司令部とは金輪際話をしない! 軍令部の命令通り島の攻略の手伝いだけしたら、ボク達は作戦海域を離脱するからね! 帰ろう、汐里さん!」

「う、うん……」


 草鹿に手をひかれ、南雲が席を立つ。亀子は寝たふり、寿子は「いつものことです、明日になれば忘れてます」と何気にひどいことを囁き、束は腕組みをして黙ったまま、洋平は……


「待って下さい!」


 出口へ向かう2人を、洋平は呼び止めた。男性の大きな声が怖かったのか、南雲がびくっと震える。草鹿は片手でマントをばっと翻して南雲を背中に庇うと、剣呑な視線を洋平に向けてきた。


「……何か用かな、GF司令部お抱えの占い師君」


 新しい称号を頂戴してしまった。草鹿に小さく頭を下げて、まずは亀子に語りかける。


「亀子さんの言ってることは、間違っているよ。『ほうれんそう』って言葉の意味、知ってる?」

「知ってる。野菜。ヒユ科アカザ亜科ホウレンソウ属。学名Spinacia oleracea」

「違うよ。僕のいた未来の世界の言葉で、報告・連絡・相談が大事って意味だ」


 寝たままで適当に答えていた亀子がガバリと跳ね起きて、洋平の顔を凝視する。


「ほら。口で説明しないと、亀子さんだって何も理解できなかったじゃないか」


 卑怯極まりない屁理屈だったが、亀子は口をぽかんと開けてそのまま固まってしまった。洋平は、南雲と草鹿に向き直った。


「人間は、時計の中のぜんまいみたいには動けません。与えられた任務をそのまま遂行しようとしても必ず認識のずれが出る。なのに、末端の兵士どころか幹部まで作戦の主旨を理解しないまま戦えば、ずれはどんどん大きくなって、最後には取り返しのつかない事態を招きます。それを修正するためにはコミュニケーションが欠かせませんが、今の連合艦隊司令部と第一航空艦隊司令部の間でそれが円滑に取られているとは、とても思えません」

「そっ、それは、キミ達GF司令部の方がきちんと説明しようとしないから……」

「ですからミッドウェー作戦では、僕が連絡役として赤城に乗り込みたいと思います」


 洋平を除く室内の全員が、一様に目を見張った。


「ひいっ、男の人は怖いから嫌だよぅ!」


 身をすくませた南雲を、草鹿が両手でマントを広げて庇う。


「キミッ、冗談にも程があるぞ! 汐里さんが男性恐怖症なのを知らないのか!」


 いや知らないですよ、そんなこの世界のオリジナル設定。


「あのな源葉、前線の艦は敵に電波で居場所がバレないように、戦闘終了まで無線封止が敷かれるんだ。連絡役なんて置いても意味ねえぞ」


 至極もっともなことを言ってきたのは束だ。「何を企んでやがる」と目が詰問調になっている。


「いえ、無線封止で連絡できないからこそ意味があるんです。僕は五十子さんが、この作戦に何を求めているかを理解しているつもりです。それに、未来がわかる『占い師』として助言できれば、第一航空艦隊のさらなる勝利に貢献できると思っています」


 後半の言葉は、草鹿達に向けて。実際には助言どころか介入して歴史を変えるためだとは、流石に言えない。


「……私も行く」


 黒島亀子の口から意外な発言が飛び出す。寿子が血相を変える。


「ちょっと黒島参謀! 未来人さんも、赤城に乗るだなんて軽々に言わないで下さい! 戦いの最前線に出るってことなんですよ? 未来人さんは連合艦隊の、いいえこの国の希望なんです! もしものことがあったらどうするんですか、この柱島泊地に温存されてて下さいよお!」

「? 寿子姫は心配性だな。ボク達の赤城にもしものことなんてあるはずないじゃないか、ははっ」

「ですよね、だから僕が乗り込んでも何も問題無いってことで」

「ははっその通り、何も問題は……無くないよ! 汐里さんとボクの赤城に男が乗るなんてとんでもない! 大体キミ、その一人称変えてくれって前にお願いしたはずだよね? ボクが草鹿峰で占い師君がボクで……あれ? と、とにかく、一人称が被る人と同じ艦に乗るとか絶対にお断りだっ!」

「うええええーん! 男の人は怖いよぅ! 怖くて魚雷発射管から出られないよぅ!」


 一航艦司令部のトップ2人が揃って混乱している。


「大体、てめえの身柄は山本長官のもんだろうが。動くならまず、山本長官の了承を得るのが筋じゃねえか? ……ま、あの山本長官が了承するとは思えねえけどな」


 束がそう呟いた時だった。

 作戦室の扉が、勢い良く開け放たれた。


「話は聞かせて貰ったよ、了承!」


「五十子さん……」


 いつもと変わらぬ元気な声に、胸がちくりと痛んだ。

 連合艦隊司令長官山本五十子が、颯爽と入室してくる。その後に続いて入ってきた人物を見て、室内に微かなざわめきが生じた。


「……井上? トラックに帰ったんじゃ」


「残念だったわね。私も五十子に了承して欲しいことがったの」


 訝る束の正面に、井上成実は悠然と腰を下ろした。洋平にだけ、ちらりと目配せしてから告げる。


「アリューシャン攻略部隊の指揮を、たった今第五艦隊から私の第四艦隊に譲って貰ったところよ」

「なっ……!」


 束のへの字口から、もう少しで竹串が落ちそうになった。


「山本長官、どういうことだ! 第四艦隊の管轄は南洋だろう! そんな無理が通るはずが」


 言っている途中で、束の表情が固まった。

 気付いたのだ、通る無理だということに。


「To be sure, 艦隊編制は軍令部、人事は海軍省、連合艦隊司令長官にあるのは作戦の指揮権のみよ。でも、その指揮権には作戦のための臨時の部隊編成も含まれる。これには正規の艦隊編制と異なり軍令部の決裁を必要としない。またその場合、部隊参加者の中で階級と先任順位が最も高い将官が部隊の指揮官となる。これも海軍省の決裁を必要としない。そうでしょう、宇垣さん?」


 成実の言葉に、束は反論できない。

 ミッドウェー攻略部隊やアリューシャン攻略部隊といった具合に、大掛かりな作戦ともなれば複数の艦隊から艦艇を供出して部隊を編成するわけだが、例え軍隊区分上の管轄地が南洋の第四艦隊であっても、北方の作戦に参加させてはいけないというルールはどこにも無い。

 後は成実が述べた通りだ。ヒントとなったのは皮肉にも、前に束の言ったことだった。束は南雲と草鹿を辞めさせるため、制度の抜け穴を突いて一航艦に正規配属されていない派遣の護衛艦艇を引き上げさせる裏技を提案した。これはいわば、その逆の発想だ。


「……アリューシャン攻略を、お前の名誉挽回の道具にするつもりか」


 束は辛うじて、歯の奥から声を絞り出す。

 成実は少しも悪びれず、不敵な冷笑を浮かべてみせた。


「Say whatever you like. ポートモレスビー攻略に失敗し、中央の覚えもよろしくない私は、このままでは次の人事異動で陸上勤務か予備役編入は確実よ。そうなれば五十子のもとで戦うこともできなくなる。そんなの耐えられないわ。だからどうしても今すぐ、手柄が欲しいの」


 筋書きを考えた洋平でさえ思わずイラッとくる、迫真の演技だった。

 若干やり過ぎの感もあるが……。五十子は困ったように笑い、束は暫く唖然とした後、嫌悪感を顕にする。


「見下げ果てたな。お前がここまで恥知らずな奴だとは思わなかった」

「あら、恥知らずはお互い様でしょう。この裏切り者」


 深刻な罵倒の応酬、これはもう演技じゃない完全にやり過ぎだ。やはりこの人には、説得やお願いの類は似合わないなと洋平は思った。


「あ! そういえば峰ちゃんにお礼まだだった! こないだはココナッツジャムをありがとう!」


 五十子が唐突に話題を変える。話に置いてきぼりを食って目を白黒させている草鹿の肩を叩いて、


「珍しい物だから、まだ開けてないんだ。この作戦が終わったら一緒に食べようよ!」

「はっ……ははあっ! 勿体無いお言葉であります! それで、その、彼のことは……」

「ジャムだからルシアンティーとかどうかな、ヤスちゃん?」

「長官の飲んでる紅茶は、いつもルシアンティー状態じゃないですかあ」


 五十子の振りに付き合いながら、寿子が洋平のことを恨めしそうな目で睨んでくる。

 ごめん、寿子さん。僕は『未来人』という偶像ではいたくない。戦力は温存すべき時と、惜しげもなく投入しなければならない時とがある。それが、今なんだ。


「あのね。わたしからも、みんなに伝えなくちゃいけないことがあるの」


 五十子が咳払いをして切り出した。


「今度のミッドウェー作戦なんだけど、柱島にいるわたしたちの艦隊も、支援のために参加しようと思うんだ。どうかな」


 五十子の柔らかな声とは裏腹に、重たい衝撃が作戦室を伝播した。

 連合艦隊旗艦大和と、かつてビッグセブンと呼ばれ今日でも世界有数の火力を誇る長門、陸奥を有する連合艦隊司令長官直率部隊。

 そして伊勢、日向、扶桑、山城の4戦艦を主力とする第一艦隊。

 すなわち開戦以来、柱島泊地に錨を下ろしてきた重量級戦艦部隊の総力出動を意味しているのだから当然だ。内海で長い眠りについてきたくろがねの巨獣達が、快哉の咆哮を上げる幻聴が聴こえてきても不思議ではない。

 しかし洋平は、全く別のことが脳裏をよぎっていた。

 温存といえば聞こえが良いが、戦艦もまた偶像として、時代が航空主兵に移行する中で泊地に置き去りにされてきた。

 前線の将兵からは「柱島有閑艦隊」とからかわれ、その真価を発揮する機会も与えられず。それどころか乗組員達は経済的にも困窮して、先日洋平が目撃したような悲しい出来事まで招いた。

 ひょっとして、五十子は……。


「なるほどお! 情報漏洩による敵の待ち伏せの可能性、それに五航戦の不参加による戦力低下など諸々の問題をこれで一挙に打開できますねえ。挟撃包囲の最終段階で、機動部隊が万一敵を撃ち漏らした場合は後詰めの戦艦部隊が掃討する、と……いかがでしょう、第一航空艦隊としては?」


 洋平の思考を遮って、寿子が納得したように頷きながら、一航艦の2人に水を向ける。

 あっけにとられていた南雲と草鹿が、我に返ったように首をコクコク動かした。


「凄く……心強いですぅ」

「ボクもです。大和が動くということは、もしや山本長官御自ら出陣なさるということですか?」


「うん、勿論だよ!」


「私は、その必要は無いと言ったのだけど……」


 微笑む五十子を、成実は複雑そうな目で見つめていた。彼女のポリシーである航空主兵論からいっても、五十子の身を案じる気持ちからいっても本当は反対なのだろう。

 一方、一航艦の首脳2名は諸々の不安を訴えに来たところ、思わぬバックアップを約束されて大喜びだった。


「やったね峰ちゃん、戦力が増えるよぅ!」

「かたじけない! GF司令長官座乗の旗艦が出撃するとなれば、あのルーシ戦役、伝説と言われた葦原海海戦以来ではないですか! 将兵達の士気もこの上なく高まりましょう!」

「えへへ、良かった。お呼びじゃないって言われたらどうしようかと思ってたよ~」

「滅相も無い、大歓迎です! この草鹿峰、歓天喜地にして欣喜雀躍……」


 草鹿がまた難解な四字熟語を唱え始めたところ、五十子はぺこりと頭を下げた。


「そういうわけだから汐里ちゃん、峰ちゃん。連絡役の洋平君のこと、よろしくお願いします」

「「……えっ」」


 その時の2人は、例えるなら喉が渇いて夜の台所に電気をつけないまま入って、誤ってゴキブリホイホイに足の指を突っ込んだ人のような顔をしていた。……洋平の被害妄想だといいのだが。




 五十子は、赤城に帰る南雲と草鹿を見送って行った。

 成実も、アリューシャン攻略部隊の指揮官として早速、角田斗角ら四航戦が待つ北の大湊軍港へ向かうとのことで退出していった。

 作戦室に残ったのは束、亀子、寿子、洋平の参謀4人。


「……大和はまだ良い。長門型と、第一艦隊所属の旧式戦艦群は置いていくべき。鈍足過ぎて機動部隊と連携できない。判断の合理性がわからない」


 作戦計画書を見直しながら、亀子が困惑した様子で言う。

 五十子への忠誠心が一際強い亀子が、五十子の決めたことに疑問を口にするのは珍しかった。

 寿子が苦笑いして首を振る。


「それはですねえ、山本長官を動かしているのは、合理性じゃなくてじょうだからですよお」

「……じょう? 情報?」

人情にんじょうです。黒島参謀は作戦以外のことに興味無いから気付いてないかもしれませんが、柱島に残ってるみんな、この半年ずっとお給料が上がってないんですよお。戦えてないですからね。出撃できることになったので、来月には手当が付くと思いますけど」


「え……じゃあ寿子さんも、本当の理由がわかってたってこと?」


 だとしたら、さっきのフォローはなかなかのものだ。洋平が驚いて寿子を見ると泰子は「まあ、それだけじゃないでしょうけどねえ」と肩をすくめる。

 思い当たらなかったのできょとんとすると、何故か冷たい目で睨まれた。


「……優し過ぎるんだよ、あの人は」


 黙っていた束が、低い声で呟いた。嘲りの色はなく、低く、掠れた声で。


「指揮官として、厚すぎる情はマイナスだ。今は戦時なんだぞ。こんな不純な動機で艦隊を動かして、中央でまた良くない噂を立てられたらどうするんだ」


「確かにあの方は、指揮官として大甘です」


 意外なことに、寿子はあっさりと同意する。


「情に厚くて賞罰、特に罰の方ですね、ちゃんと出来ているとは言い難いです。それに、手段を選ばず勝利を目指すなら、他にもっと違うやり方があったのかもしれません」


 寿子の指摘は正しい。五十子は部下達の失敗を責めない。能力に問題のある南雲と草鹿を庇う。挙げればキリが無い。自軍の勝利を追求する冷徹なリーダー像からは、良くも悪くも程遠い。

 寿子はいったん言葉を区切って、祈るように、愛おしむように、両手をぎゅっと組み合わせた。


「でもあの方は、山本五十子長官は、目的のために手段を選ばないようなことは決してしないんです。例え遠回りでも、不合理でも、いつだってみんなの幸せのことを考えて、少しでも折り合いをつけられる道を懸命に探しながら歩いてます。……そんな長官だから、みんなついていけるんだと私は思います。そんな長官の願いだから、絶対叶えたいって思えるんです」


 寿子が話し終え、作戦室に暫し沈黙の帳が下りた。


「……勝ちたい」


 亀子がぽつりと呟いた。束は寿子が話している間目を閉じていたが、ふっと息を吐き出す。


「主力戦艦の温存は、軍令部の戦略の根幹中の根幹だぞ。説き伏せる妙案はあるのか、渡辺?」


「ひえっ! そ、そうでした、すっかり忘れてましたあ!」


 ノープランだったようで頭を抱える寿子。

 束は呆れたように肩をすくめると、


「仕方ねえ、軍令部はあたしに任せろ。これでも一応OGだからな。黒島は、戦艦部隊を作戦に加えた修正計画案を明日までに上げろ。渡辺は鎮守府に掛け合って、燃料その他物資の緊急手配だ」

「……凄い。宇垣参謀長が、参謀長の仕事してる」

「驚きましたねえ……なんだかんだ言って、本当は戦艦に出番が回ってきて嬉しいんじゃないですかあ?」

「うるせえ! 勘違いすんなよ、上官の決めたことに従うだけだ。……でもって、源葉」


 最後に洋平を見た束は、尖った犬歯を覗かせて獰猛に笑う。


「てめえは一体、何をおっぱじめやがったんだ?」


 束だけでなく、3人の参謀の真剣な眼差しが、洋平に集まる。

 洋平はもう物怖じしない。


「皆さんと同じです。五十子さんの願いを叶えるために、自分に出来ることをやるんです」


 ようやくだ。散々回り道をしてしまったけれど、ようやくスタートラインに立てた。

 洋平の戦いは、ここから始まる。

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