『守護騎士』アシタ・ベル
「……暗夜……」
ディの中に居た怖い『男』の名前がそれだ。
異世界人。その正体は稀人。
「そう、暗夜さん。これも本当の名前じゃないんだけどね」
そして、ディが語る『暗夜』は大人の男だって話で、あたいは妙に納得した。
以前のディ……暗夜が大人の男なら、エヴァが妙に反発した理由も分かるし、あの偉そうなデカい態度も『怖さ』も、全部納得行く。
「でも、もう死んじまったんだろ?」
そこで、ディは悲しそうに目尻を下げた。
「うん……暗夜さん、死んじゃった……」
ディは言う。
「世界は薄い層になって、一冊の本のように重なっている。それは連続しているんだ。僕と暗夜さんは根源を同じくしてる。でも、最初と最後のページは重ならないように、僕と暗夜さんは似ているけど違うんだ。母がそこまで考えていたかどうかは、今となっては分からない。僕は消える事なく、ずっと暗夜さんの中に居て、彼のする事を見ていた」
ディの話は酷く難解で、頭の悪いあたいには理解できない。でも、『ディ』と『暗夜』が別人だって事は理解できた。
同時に、ロビン姉ちゃんがおかしくなっちまった訳も理解できた。
ディは言った。
「『神官殺し』。結局、間に合わなかったんだ。僕か暗夜さんか、どちらかが残らなきゃ行けなかった」
そして、ロビン姉ちゃんは、間違った方を選択した。
「……あたいは頭悪いから、よく分かんないけど、あいつは神官殺しで刺されなくても、その内、死んだと思う……」
――神官の長生きが自慢できるか。
そう簡単に言って退けた暗夜は怖い男だ。あいつは、自分の命なんてなんとも思ってなかった。
あたいを見るディの目は震えていた。
「僕は……ここに居ていいのかな……?」
「……」
ルシールおばちゃんもゾイも、他の修道女も、今のディには寄り付かない。
暗夜は怖い男だったけど、いつも自分以外のものを優先していた。あいつは優秀な『アスクラピアの子』で、そんなあいつをロビン姉ちゃんやルシールおばちゃんは慕っていた。修道女にも慕われていた。
よく考えれば分かる事だけど、それはガキのディに出来る事じゃない。
聖エルナ教会は暗夜の居場所だ。今のディの居場所じゃない。それはビーの下に帰っても同じだろう。
ディの顔や言葉には、その不安が滲み出ていた。
「でも……あたいは、今のあんたの方が好きだよ……」
あたいが無防備にこんな事を言っちまったのは、あの暗夜のせいだ。あいつは、いつも微笑ってあたいの言葉を聞いてるだけだった。
――大人の男だった。
あたいの事はあしらうだけ。だから油断しちまった。
「――つっ」
ディの顔が火を噴いたみたいに赤くなって、あたいは自分が言った事の意味を理解した。
「ばっ、違っ……!」
そこまで言って、あたいは目を逸らした。
多分、違わない。
あたいは、怖い暗夜より、甘ったれたガキにしか見えないこっちのディの方が好きだ。
守ってやりたくなっちまう。
あたいは自分の言葉を訂正する事はせず、顔を赤くして目を逸らした。
「……」
ディの顔も赤かった。
天幕の中で二人、お互いに顔を赤くして、暫く、隣り合って座っていた。
◇◇
ロビン姉ちゃんが消えて、その従卒だったあたいの立場は宙ぶらりんになった。
ルシールおばちゃんは寝込んじまった。ポリーおばちゃんやゾイは、そのルシールおばちゃんに付いていて、ディを避けてる。
ディートハルト・ベッカーは高位神官だ。それは銀の髪が物語っている。
あたいは、むかっ腹が立った。
「あいつら、無視かよ……!」
兄貴の白蛇は一日の半分を寝て過ごしている。起きていても、言葉と態度こそ優しいけど、何だか素っ気ない。ディが話し掛けりゃ返事はするけど、それだけだ。自分からは何も言わない。
ディは……段々、無口になって、その内、自分の天幕から出て来なくなった。
そんでもって、夜の傭兵団の連中は無神経で荒っぽい。
「ほお、神父の息子の弟……」
「ベッカーの弟か……」
「団長の弟ねえ……」
その中でも、大隊長をやってる三人の態度は最悪だった。興味津々でディを見て値踏みしている。
十歳の子供を見る目じゃない。
こいつらが見ているのは『白蛇の弟』で、ディートハルト・ベッカーって人間じゃない。
「……あんだよ。ちゃんと名前で呼べや……」
ディは高位神官で、放置していい存在じゃない。でも、誰もディを気に掛けない。
死の砂漠での放置気味の生活が続いたある晩、ディは高い熱を出して寝込んだ。死の砂漠は、それでなくとも、弱い『人間』って種族にはキツい気候だ。十歳の子供がこうなる事なんて分かっていたのに……それでも、誰も来やしない。
あたいはプッチンとキレた。
白蛇も含めて、全員当てにならない。放っといたら、ディは、あたいの母ちゃんみたいに、あっという間に死んじまう。
思い出したのは、あの暗夜の言葉だ。
――お前は選ばねばならない。
「……ああ、選んでやるよ……!」
誰もやらないなら、あたいがやる。あたいがディを守るんだ。
ここに居たらディは死んじまう。
決めてからは早かった。
ディは高位神官だ。自分の病気は自分で治せる。でも負担が大きい。毒犬にやられた暗夜が死にかけたのと同じだ。ディに限った事じゃないけど、アスクラピアの蛇は術者本人には厳しい。衰弱は酷くなる一方だった。
夜明けを待って、あたいはディを連れてザールランドに帰る事にした。
誰にも断らない。あたいが自分の判断で勝手にやった。ロビン姉ちゃんがやったみたいに連れ去った。
「顔も見たくねえよ、クソ野郎共……!」
暗夜なら、こうはならなかっただろう。あいつは、良くも悪くも大人だった。自分の身の守り方を知っていた。
死の砂漠に居たのは、ほんの一週間ぐらいの事だ。でも十歳の子供でしかないディの負担は大きい。酷く衰弱していた。まだ、誰かの庇護が必要な年齢だった。
「……皆、無責任だ……!」
白蛇も、夜の傭兵団も、ルシールおばちゃんもポリーおばちゃんも、他の修道女も全員、ゾイも、ロビン姉ちゃんも……! 皆、暗夜の姿しか見ていない。
「違うだろ……!」
あたいの中の鬼の血が騒ぐ。身体が灼熱する。
「……アシタ……あたたかい……」
「ああ……」
あたいの腕の中で、ディは眠たそうに小さく欠伸する。
こんなに鬼人の血を引いていて良かったと思った事はない。あたいの身体はデカい。ディより頭二つ近くデカい。だからディを包み込んでやれる。
「アシタ……」
「ああ……」
「僕の側に居てよ……」
「ああ……!」
あたいは馬を飛ばして、三日掛けてザールランドに帰った。
白蛇からもルシールおばちゃんからも追っ手は掛からなかった。それも腹が立つ。気が付くと、あたいの身体は赤く染まっていた。鬼人の血が強く出ている。何もかも叩き壊してやりたい。でも……今は、守る。
全身全霊で守る。身体のデカいあたいが、年下の小さいガキを守って何が悪い。この役目は誰にも任せられない。
そんな風に開き直った瞬間。
身体に稲妻が落ちたような『天啓』が走った。
この世界には『神』がいる。強い決意を見逃さない。確固たる意思を無視しない。
あたいに加護を与えたのはアルフリードだ。
軍神アルフリード。
かつて、アスクラピアを斬り殺した残酷な戦士。アスクラピアに誓いを立てたあたいには皮肉な話だ。でも、再び立てた誓いと矛盾している訳じゃない。
あたいは生まれ変わった。
もう腰抜けのアシタじゃない。覚悟を決めた守護者になった。
こうして、『守護騎士』アシタ・ベルが誕生した。
ザールランドに帰ったその日、あたいはその足で帝国騎士団に身を寄せた。パルマには帰らない。ビーもエヴァも、ディの中に『暗夜』を見る。ろくな事にならない。ディを傷付ける。
パルマには帰らない。聖エルナ教会にも帰らない。帝国に身を寄せる。
それが『守護騎士』になったあたい……アシタ・ベルの決断だ。




