152 変わるもの1
大司教コルネリウス・ジャッジは、ザールランド帝国騎士団団長ゲオルクの手によって速やかに首を刎ねられ、その『逆印』入りの首は、三日間に渡り街角に晒された。
寺院の不正と背信は白日の下に曝される事になり、その噂は帝国内のみならず、時を追って諸外国にも知れ渡った。
大司教コルネリウス・ジャッジの首は塩漬けにされ、サクソンの本神殿にいる教皇の下に送られる事になった。
聖女の死を隠匿したまま……
当然だが、『寺院』が潰れるというのは、ただ事じゃない。
逆印が刻まれたコルネリウス・ジャッジの首があり、この地の寺院の背信が明らかな以上、帝国や俺が非を問われる事はないが、本神殿のあるサクソンの教皇から、詳細の説明を求められている。
一応、このザールランド帝国の『大神官』という立場の俺は、聖エルナ教会に戻る事も、アビーの居るパルマの貧乏長屋に戻る事も許されず、無駄に豪勢な造りのベックマンの塒に留まる事になった。
場所がスラム街の一角という事もあり、ゲオルクには帝国内にある別の逗留先を勧められたが、それは固辞した。
「ここ、いいねえ。気に入った。あたしのもんにするけど、構わないね」
一階のリビングでは、デカいソファに寝転がったアビーがグラス片手にのんびりと寛いで居る。
「アビー。このパルマは、お前のものだ。なんでも好きにしろ。誰の許可も必要ない」
「勿論、そうするさ。大神官。あんたは、あたしのもんだ。そうだろう?」
「……俺がここに居る事が、その証拠にならないか……?」
そこでアビーは表情を緩め、それから何とも言えない複雑な表情を浮かべた。
「……とは言ってもねえ……」
このベックマン邸……改め、新しいアビーの居城には、ルシールを含めた聖エルナ教会の修道女七人と、教会騎士のレネ・ロビン・シュナイダー。その従卒アシタ。ゾイに、不肖の弟子であるフランキー。そこに愚かなジナまで居る。
アビーは不貞腐れた表情で言った。
「邪魔な奴等が多すぎる……!」
俺は伽羅の破片を口に突っ込みながら、そのアビーの言葉に頷いた。
「同感だ。アビー、俺は暫く休みたい。どうにかならないか?」
「ならないねえ、大神官。それを言いたいのは、あたしの方さ」
俺に付いてきたルシール以外の修道女もそうだが、ロビンやアシタ、ゾイにフランキーにジナ。その存在が、アビーは非常に気に入らないようだ。
「大神官はよせ。俺が、そんな物に見えるなら、お前はどうかしているぞ」
「違いないねえ」
アビーは面白そうに笑った。
「今のあんたは、あたしが帝国に貸してるだけだ。何処に住んでもいいけど、このパルマから出る事は許さないよ」
「ああ、異論はない」
現在、このパルマはザールランドの中にある外国だ。何かと煩い帝国の連中を遠ざけるには都合がいい。
「俺は、お前の近くに居るのが一番居心地がいい」
俺は伽羅を口の中で転がしながら、お行儀悪くテーブルの上に足を投げ出した。
その様子を見て、アビーは上機嫌で笑っている。
「うふふ、ならいいんだ」
「……」
暫くは放って置いて欲しい。というのが、現在の俺の心境だ。
「……でも、やっちまったねえ、ディ。寺院をぶっ潰した感想はどうだい?」
「……すっきりはしないな……」
『聖女』エリシャ・カルバートは脳味噌を撒き散らして死んだ。あの光景を忘れる事は一生ないだろう。
今、広いリビングには、俺とアビーの二人きりだ。
アビーが改めて言った。
「……そりゃ気が合うねえ。あたしもさ。すっきりしない……」
こうしている間にも、アビーの組織は恐ろしいスピードで巨大な物になって行っている。
スラムヤクザの頂点に立ち、このパルマを裏面から支配する立場になったアビーだが、その心境は俺と同じく複雑なようだ。
「……あたしは大物になった。もう誰にもあたしを止められない。でも、何か違うんだよ。これじゃないんだ……」
「ふむ……」
曖昧な答えだが、アビーには恐ろしく鋭い『直感』がある。無視できない述懐だった。
「……その、『人工勇者』? ヤバいんだろう……?」
「ああ、俺には手に負えん。目を付けられれば終わりだろうな」
――勇者。
『神々に愛されし者』。
この世界では、時代の裂目というべき時に出現し、様々な偉業を成し遂げた。『聖剣』を持ち、あらゆる武技、スキルを使いこなし、魔術はおろか治癒魔法にも精通している『人間兵器』。万の軍勢にも匹敵する……というのがゲオルクの説明だ。
アビーは忌々しそうに言った。
「デカくなる度に、なんかこう……余計な柵みたいなもんが、べったり身体に張り付いてく……あたしはそれが気持ち悪い……!」
「俺もだ……」
そうだ。俺という存在が大きくなる度に、余計な柵が増える。
暫しの沈黙を挟み、アビーが言った。
「……ディ。何もかも捨てちまって、二人きりで何処か遠くに行っちまおうか……」
「……分かった。行こう……」
アビーの『直感』は、無視できない可能性を持っている。俺が寺院への襲撃を決意したのも、このアビーの『直感』による所が大きい。
そのアビーが、全てを捨てようというのだ。
おそらく、ここがターニングポイントだ。『運命』を変えるとしたら、ここが最後の機会になる。
俺は本気だった。
だが、そこでアビーは自嘲の笑みを浮かべて首を振った。
「……冗談だよ。もう、あんたもあたしも、大きな流れに巻き込まれちまってる。遅すぎたんだ……」
「……そうか」
俺は短く息を吐く。
残念そうにする俺の前で、アビーは、誤魔化すように明るい笑みを浮かべた。
「でも、あんた。即断だったねえ……!」
「いけないか……?」
「悪くなんか……」
そこで、俺たちは長い口付けを交わす。
時折だが、愛というものの事は漠然と考える。アビーに対する恋愛感情はないが、この関係を悪くないと思う俺がいる。
アビーは、『大人』になりつつあった。責任感が芽生え、それが面倒な柵を捨てる事を許さない。
『大人』になるという事は、強くなるという事でもある。おそらくだが、アビーはその強さと引き換えに、鋭い『直感』を失いつつある。
時間は待ってくれない。一つ手に入れれば、何か一つを失って行く。大人になるという事は、そういう事だ。
漠然と考える。
既に『大人』の俺は、何を失うのだろう。
「……そんじゃ、またね……」
アビーは、ひらひらと手を振った。
「仕事か? もう夜だぞ……」
「残念な事にね。あたしゃ、クソ忙しいんだ」
そうだ。俺は帝国の神官として忙しく、アビーはこのパルマの支配者としての責務がある。昼も夜も関係ない。今の俺たちぐらい忙しい二人は居ない。
◇◇
アビーが去り、暫くの間があって、スイがそろそろとリビングに入って来た。
口元を引き攣らせ、歪んだ笑みを浮かべて言った。
「ディ、ディートハルト……さま……」
リザードマンの血を引く左利きの少女。中身が稀人である俺には、それなりに古い関係の一つだが……
「ディでいい。スイ、その卑屈な態度はやめろ」
リザードマンの血を引くスイは、種族的にも賢いとは言えない。それはジナについても同じ事が言えるが、このスイの場合、それがジナと違って良くない方向に働いている。
俺が寺院を叩き潰して、早二ヶ月。いつからか、スイは卑屈な態度で俺に接するようになった。
「お、お風呂の準備が出来てます……」
「……」
俺は小さく舌打ちして、内心の不満を吐露した。
以前はこうじゃなかった。
アビーが新たに侍女のような役割を振ったのはいいが、あまりにも大きくなり過ぎた俺の存在に、スイは萎縮してしまっている。
そして、変わってしまった関係の中にはゾイとの関係もある。
寺院との決戦に置いてきぼりを食ったゾイの怒りは深刻で、この二ヶ月というもの、一言も口を利いてくれない。
さて、頑固なドワーフの少女が俺の罪に下した量刑は如何ばかりのものだろう。
ルシールが命じれば、護衛の任はするが、それ以外の理由では俺に寄り付かない。何も話してくれないから、自由な時間をどう過ごしているかも分からない。
俺という男が許される日は、もう二度と来ないのかもしれない。
スイを伴って向かった浴室では、フランキーとジナが薄手のシャツとレギンスの格好で俺を待っていた。
「あ、師匠。こっちです」
変わってしまった関係の中には、このフランキーとの関係も含まれる。
寺院との決戦前、ジナを託して去った俺だが、その事がフランキーの心境に大きな変化をもたらした。
――修道士。
元は『盗賊』のクラス持ちだったフランキーだが、その心境の変化からか新しいクラスを得た。
通常、『修道士』のクラスは男が得るものであるが、女性優位のハイエナ種独特の種族特性からか、『修道士』のクラスを得た。
未だ修行中の身の上だが、経験を積めば『格闘術』と『法力』を修める事が出来る。格闘術の中には『棒術』と『槍術』も含まれ、この『修道士』というクラスは単純に強い。数ある『戦士系』のクラスの中で、『修道士』は上級の部類に当たる。
「丁度いい具合に沸いてます。少し伽羅も入れておきましたんで、いい匂いがしますよ」
「……」
「な、なんすか。なんで、そんな目でオレを見るんすか?」
「お前……本当に、あのフランキーか? よく似た偽者じゃないのか?」
そこで、フランキーは穏やかに笑った。以前は見せなかった笑顔だ。
「……師匠は徳のある人です。そんな師匠に信頼されたら、変わるに決まってますよ……」
「俺に徳がある? フランキー、お前は病気だ」
俺が真面目腐って言うと、当のフランキーは何か言いたそうに口をへの字に曲げた。
明日も続きます。
よろしくお願いいたします。




