142 摂理
ルシールと二人して、『溜め息橋』を堂々と渡る。
――『大神官』。
腰抜けのゲオルク爺さんだが、新しく帝国所属になった俺の存在だけは部隊に伝達してあったようだ。
今の俺は、白い神官服の背中に灼熱の太陽を背負う帝国唯一の神官だ。敬意を以て礼を返される事はあっても、道を塞ぐ者は居ない。
俺は『溜め息橋』を守る帝国の騎士に聖印を切る。
「お役目、ご苦労様です」
『溜め息橋』を渡る途中、以前、俺の行く手を阻んだ中隊長の顔があったので、俺は足を止めた。
「中隊長殿、ご無沙汰しております。無事で何よりですが、このような事になって申し訳ありません」
俺は下水道を辿り、秘密裏にパルマに入った。これは明確な違憲に当たる。
前に進み出た中隊長は、複雑な面持ちで頷いた。
「……事情は団長から聞いている。だが、大神官殿。このような事はこれ限りにして頂きたい……」
「申し訳ありません。以降は国の判断を仰ぎます」
俺も元は会社員をやっていた。自分の仕事に忠実なヤツは嫌いじゃない。
「それでは」
既にワクチンの製造法は帝国に提供されている。この『溜め息橋』の封鎖も、天然痘が蔓延する今は殆ど意味がない。その為か、部隊の警戒態勢は以前ほど厳しくない。
俺とルシールは、問題なくアクアディの街に入った。
◇◇
アクアディの街は、スラムであるパルマとは違う。
天然痘による死体が、そこかしこに転がっているという事はないが、以前とは比較にならないぐらい人影が少なく、閑散としている。
厳戒態勢を敷き、感染の蔓延を防いでいるのだろう。尤も、それは時間稼ぎにしかならないが。
時と場所が変わっても、人の営みにはなんら変わる所がない。幾ら制止しても、物は売り買いされるし、制限した所で最低限の人の接触は避けられない。
こうして疫病は拡がって行く。
「……静かですね……」
ルシールが言った。
「ここが、あのアクアディとは思えません……」
「ああ、まるで滅亡を間近に控えた古い街のようだ」
それほどまでに、今の帝国の状況は深刻であるとも言える。
解決には暫くの時間が必要になる。
「なぁ、ルシール。幾つか質問がある。いいか?」
「はい。なんなりと」
そう答えたルシールの左手の薬指に、深紅のルビーの指輪が光る。
「……」
何も薬指に填める事はないだろう。俺の左手の薬指にはサファイアの指輪が光る。右手が不自由な俺に、ルシールが填めたのだ。
アビーやゾイの顔を見るのが恐ろしい。俺の世界と、この世界とでは意味が違う事を痛切に祈る。
「なぁ、『刷り込み』とはなんだ? 俺が深い眠りに落ちる度、力を得ている事は分かる。この現象は、いったいなんなんだ?」
ルシールは僅かに眉を寄せたが、俺の中身が稀人である事を思い出したのだろう。表情を緩めた。
「人には、それぞれ才覚と才能があります。『刷り込み』は神の加護です。その多寡に依って才能の質が決まります」
「ふむ……」
その『才能』が、俺の場合、アスクラピアに仕える『神官』だったという事だ。
ルシールの話では、その『才能』や『才覚』は多岐に渡り、当然だが、戦闘に向かないクラスを得る者もいる。
だが、生き方を決めるのは、個人だ。戦闘に向かないクラスを得ながらも、冒険者や騎士として生きる者も居る。その場合、当然だが、戦闘向けのクラスを持つ者との間には格差が出来るが、それが全てとは限らない。
努力というやつだ。
この世界には神が居て、それらの存在は努力と信仰を裏切らない。運命は変えられる。
「結果や生き方を左右するのは、あくまでも人の意志という訳か……」
「そうです。私たち修道女にしても、全員が治癒の力を持つ訳ではありません」
「うん……」
悪魔払い等がそれに当たる。戦士系のクラスを持ちながら、信仰の力で得た神力で邪悪な魔物に対抗する。
「では、『焼き付け』とはなんだ?」
これも『刷り込み』の一種なのだろうが、嫌な響きがある。
ルシールは表情を険しくした。
「……その言葉を、何処で知りました……?」
そこで、俺はハッとした。
「……分からない……だが、言葉だけは知っている……」
「それが『刷り込み』です。知らない内に知識と力を得る。『焼き付け』は、その『刷り込み』を強制的に引き伸ばす邪法です」
「邪法……そんな事が出来るのか?」
ルシールは、口にするのもおぞましいと言わんばかりの嫌悪の表情を浮かべた。
「……『刷り込み』の途中にある者を見つけ出し、薬物によって強制的に刷り込みを長引かせる。これを『焼き付け』と言います」
ルシールの話ではこうだ。
通常、『刷り込み』による神の加護は五歳から十歳までの幼年期に与えられる。
それを無理に引き伸ばすとどうなるか。
「神は強烈な自我を持っています。その神性が対象の自我を焼き尽くす。それ故、この邪法を『焼き付け』と呼びます」
それは非常に興味深い。一つこの世界の謎が解けた。
「なるほど……では、自我を焼き尽くされた者はどうなるんだ?」
ルシールは自嘲的な笑みを浮かべた。
「……出来るのは、神の劣悪な模造品ですよ……」
神の劣悪な模造品。それが聖女『エリシャ・カルバート』の正体だ。
ルシールは続ける。
「しかし、その邪法を施された者が子供である事は変わりません。そこから新しい『自我』を得るのです。置かれた境遇にも左右されるでしょうが、出来上がるのは力に溺れた怪物か化物のどちらかでしょう」
「力に溺れる……?」
ルシールは言った。
「子供は無垢な存在です。それ故、幾らでも神の力を受け入れます。強大な力という玩具を持った子供は、どう振る舞うでしょう」
「……それは、怖いな……」
おそらく、アスクラピアもそう考えたのだろう。無垢故に力を得た者が、本人の意図しない形で成長して歪んだ自我を育む。
それは、存在自体が危険としか思えない。それを為した寺院が神の怒りに触れるのは当然だ。
だが、何かが引っ掛かる。
『刷り込み』とは、システマチックなものなのだろうか? そう考えると辻褄が合う。それを看破した者が『焼き付け』という邪法を編み出した。
いつも、憂鬱な顔をしたしみったれた女神。神は神で、不自由な存在なのかもしれない。
神には、何らかの制限があると思うべきだろう。
だからこそ、無垢でない三十二歳の俺を喚び出し、試練を与える事で自我を試し、段階的に力を与えた。
「……なるほど……そういう事か……」
考えれば考える程、『俺』と『聖女』とは真逆の存在だ。俺がこの世界に喚ばれた理由の一端には、この『聖女』の始末も含まれる。
アスクラピア……
なんて嫌な女神だろう。
だが、そう思うと同時に、俺はこのアスクラピアという神が嫌いではないのだ。与えるだけでなく、奪いもするこの神が嫌いではない。
根が皮肉屋だからだろう。
矛盾の多い所を好み、俺という人間は迷い流離う。
「難儀な事だ……」
俺のそのぼやきに、ルシールが分からないという感じで首を傾げた。
暫くアクアディの街を歩き、やがて広大な寺院の姿が見えて来た。
「寺院は広大です。周囲に高い壁が張り巡らしてあり、正門と裏口以外に出入りする方法はありません」
つまり、堅牢であるという事だ。
「全体に魔道具を用いた強い神聖結界が張ってありますが、これは特に問題ないでしょう」
正に。寺院を見捨てた神が、神聖結界内の神官や聖女に力を貸すとは思えない。
だが、聖女の力は未知数だ。
「……ルシール。俺は、聖女に対抗できると思うか……?」
「分かりません。しかし、今の貴方に対抗する事が出来なければ、他の誰にも出来ないでしょう」
「そうか……」
だが、やらねばならない。しみったれた母の下す試練は、いつだって困難な代物だ。
「寺院内には十八の形式を持った建築物があり、円形建築物……サクソンの円形神殿を模した奥殿に聖女と大司教が居ます」
「ふむ……奥殿だな。分かった」
俺と聖女とは、真逆の相容れぬ存在だ。
正体を隠す事に意味はない。
「とりあえず、小手調べだ」
先ず、三百体の聖闘士。そして百体の剣闘士を召喚して、様子を見る。
剣を使う『剣闘士』の存在は、軍神に敬意を払う教会騎士には強い衝撃を与えるだろう。
そして――
先ず、あの裏切者の教会騎士、レネ・ロビン・シュナイダーの顔を拝む事になる。
「あの愚か者が……!」
俺を熟知するロビンが、どんな罠を張って待ち受けているかは分からない。だが、全て力で食い破る。
俺のロビンに対する思いは複雑だった。
この手で殺してやりたいと思う反面で、あいつを深く傷付けた事を悔やんでもいる。
しみったれた母の戯れる指先が虚空に描いた無数の名の中に、あの愚か者の名がない事を祈る。
また、命の選別が始まる。
また、この手が多くの者の血で汚れる事になる。
俺は……少しだけ、うんざりした。




