死闘宗の殺戮手 7
満天の夜空に曇天が蔓延る気配はない。
夜が訪れたばかりの舞燈町は、それはそれは華やかだった。
感応術の応用だろう。色彩豊かな篝火が細かく灯ってちかちかと眩い。盛んな若者が練り歩き、行き交う誰もが己を見せびらかすように歩き、化粧をした美男美女が金蔓を呼び込む。
彼等に自粛という二文字はない。煤湯の外で穢土の軍勢が控えていようとも、欲望のままに生きている。
見せかけの平和を享受している歓楽街を、二人は平屋の屋上から見下していた。
両腕を組んでふんぞりかえる旗装の麗人アサメは、漂ってくる酒臭い冷風に辟易としていた。
左隣には護人杖を突くゴクロウが南方の彼方、凍て雲の山脈を見つめている。
「外の奴等、まだ攻め込む気配はなさそうだが」
嵐渦巻く禁足域。
正体は、どす黒く染まった曇天の巨腕である。
「せめぎ合っているんでしょうか」
時折走る稲光は、血管の如く青褪めていた。
「抑え込む曇天、押し上がろうとする穢土か。どっちが制すると思うよ」
アサメは鋭い眼を差し向ける。
遠方からでも伝わってくる異様な執念。吹き込む風はまるで亡者の吐息のように澱んでいる。
「良くも悪くも、意志が煮え滾っている方。根比べって、心が折れるから負けるんですよね」
違いない、とゴクロウは呟き。
「ただ、劣勢に声援を送りたくはなるがな」
「届くと思いますか」
「聞く余裕があればな。さ、行くぞ、こっちだ」
ならば最悪を想定するべきだろう。アサメは肩を竦めた。
かちかちと瓦屋根を叩く硬質な音。行き交う人々の流れを読む。わざわざ人通りの多い道をすれ違う意味などない。密集する平家家屋の屋根から屋根へ飛び移るなど容易かった。
「それにしても人が多いですね」
「ほんと賑やかだよ。街の指導者が優秀な証だ」
煤湯の中心部へ、アサメは視線を巡らせる。
そこは高壁に守り固められた、巨大な城郭だった。
聳え立つは黒金の天守閣。それを囲む様に高い塔が幾つも乱立し、円形の光芒を放って辺りを睨んでいる。ただ悪戯に夜を照らす代物ではなさそうだった。
身震いがする。
あの城門を潜ってはならないと本能が叫んでいる。中心部は間違いなく伏魔殿。悪魔か、それに近しい化け物どもが我が物顔で君臨しているのだろう。
恐らくは、いや確実に、自分達を一瞬で撃砕し得る化け物が。
「あまり近寄りたくありませんね」
鋼の瞳は遠くを睨みながら、視線を切った。
「近いうちに行く羽目になるぜ。絶対にな」
ゴクロウは護人杖を背中に回して担いだ。迷路の様な塀を軽快に伝い、飛び跳ねると埃っぽい手摺りを掴んで衝撃を殺し、暗い路地裏へと器用に飛び降りていく。
その姿をアサメは目で追うと、一気に跳躍。長い銀髪が舞い、旗装の長い裾がはためく。音も出さずに隣へ降り立った。
半身の驚異的な身体能力が為せる力業である。
「奴等、かなり上品な口を利くからな。あまり血を滾らせるなよ」
「善処します」
より賑やかな表通りへ。
行き交う人々の顔が妙に騒がしく、見た目がより前衛的に尖ってくる。飲食を供する店は少ないせいか肴を燻すような煙はほぼ少なく、どちらかと言えばきな臭かった。
薄桃色の妙な光を放つ館へ向かう。律動の激しい音楽が唸るように漏れていた。
派手な格好の若者が多く出入りし、開放された門の前には揃いの詰襟で正装した屈強な男が二人。
豚鼻がよく似ている。兄弟だろうか。いかにも荒事専門といった装いである。
財楽館。ここだ。名刺に書かれていた住所と一致している。
暗くも眩い中を覗けば、自己主張の激しい若者らが酒をかっ喰らい、激しい音に合わせて男女が踊り、騒いでいる。
「すごく、入りたくないんですが」
いかにもアサメが忌避しそうな猥雑な空間であった。
眉を顰める彼女を横目にゴクロウはにやりと笑った。
「踊れるか」
「殺しの技でなら舞えますが」
「はい落ち着いて」
ゴクロウとアサメは軽口を叩きながら若者らに紛れ、何食わぬ顔で通ろうとした。
ゴクロウ達が列の先頭として現れた直後。
「駄目だ」
「帰んな」
豚面兄弟は断固として拒否、同時に立ち塞がった。周囲がにわかに騒つく。
長身巨軀のゴクロウより体格が劣るというのに、意地でも通さないという気迫がひしひしと伝わってくる。熱心な仕事人らは眉間に青筋を浮かせていた。
「押し通ってもいいんだが」
にやりとゴクロウは凶悪に牙を剥く。
懐から例の名刺を取り出し、彼らの眼前の前でぴらぴらと振った。
「アドウさん、居るかい」
ちら、と兄弟は目配せし合う。
彼等はゴクロウをまんじりと睨んでから、アサメの方へ顔を向けた。
正確には、彼女の持つ二振りと長刀へ視線を注ぐ。
「その危ねえ得物を置いてから来い」
「じゃないと通さねえ」
阿吽の呼吸で条件を付けてきた。
アサメは冷めに冷めた鋼の眼光を突き刺す。
「私を怒らせなければ、それで済む。誰の首も刎ねない」
本気である。
脅しでも何でもない戦闘狂の声音に、豚面兄弟の額には汗が滲んでいた。
(いや、怖えから)
ゴクロウも内心で冷や汗を掻いていた。
ばちばちと不可視の火花が散る。凄むアサメに気圧され気味だが、荒事商売は一度でも退けばそこで選手生命が終わる。手を出されるまで、頑として動かないだろう。
どうしたものかとゴクロウが口を挟もうとした、その時だった。
「おいてめえら、なに道塞いでんだ。お客様が通れねえだろうが」
中から聞き覚えのある声。
青く腫れた顔の彼はゴクロウとアサメを見るなり、血相を変えた。昼間に宿で出会った、不幸な方の強請り屋の一人である。
「お通ししろ。俺が連れて行く」
豚面兄弟は互いに顔を見合わせると、すごすごと道を開けた。青痣の男の背中に導かれるがまま、ゴクロウとアサメは館を潜っていく。
耳をつんざく打楽器、笛、弦鳴と吠え声を上げる歌い手。
酒を飲み、顔を寄せ合って踊る観衆。網膜を刺すギラギラとした壇上から視線を外したアサメは実に辟易と溜息を吐いた。
「ほうほうふむ」
ゴクロウはといえば鼻の下を伸ばしていた。
酒を配り歩く露出の多い給仕娘から勝手に盃を取って酒を煽り、律動に合わせて身体を揺らしている。実に愉快そうである。
「遊びに来ただけなら帰りますけど」
「いいだろ、ちょっとくらい」
空になった盃の底を指先に乗せて器用に回すと、ちょんと弾いて投げ返す。盆の上にぴたりと乗せる妙技に、給仕は目を丸くしていた。




