世界ノ理ニ刃向カウ者 1
虚空の加速世界は急速に衰え、等速へ戻ろうとしている。
雷鳴と、雷光。
鉄と土の味。
世界は縦に傾いていた。
アサメの目の前には、共に横倒れとなったゴクロウが金眼を見開いたまま鮮血の海に沈んでいる。
二人は長刀に刺し貫かれたまま、一つに繋ぎ止められていた。
(また死ぬの)
胸を貫く鋼の、硬質な異物感。痛覚が死んで痛みを感じない。
(私)
生きているのか、死んでいるのか。
舌先一つ動かせない。いや、動こうとしている。死を間際に脳が覚醒し、思考や感覚の伝達量が激増、急加速しているとでもいうのか。有り得ない。だが。
自分以外の全てが遅い。
(こんな記憶、思い出してまで)
目と鼻の先、ゴクロウの唇から血の粒が一滴、一滴と膨らみながら緩慢と伝う。表面張力によって頬に紅く溜まると、粘り気を伴ってごくゆっくりと赤い糸が垂れ、血溜まりを広げていく。
(アサメ)
ゴクロウは口を閉ざしていた。
(思い出したのか)
脳裏の声など聞こえるはずがない。
(貴方は)
それでも、答えたかった。
(いや、何も。走馬灯もまだだ)
臨終の時とは、夢の如く曖昧な空間で満たされるのだろうか。
(知れば、苦しくなる。何も知らなくていい。何も、一切何も)
(そうか。でも、知りたいな。教えてくれよ)
(駄目です。この悲しみは私の中に留めて、葬ります。永遠に)
(本当に、いいのか。もう最期にして)
(生きるというのが、酷くて醜くて痛くて苦しい思いをするなら、私はこの世界から消え去りたい)
(なあ、アサメ)
どこまでも優しい声。
(何ですか。貴方は私を呼んでばかり)
(もう一度だけ、俺のこと、呼んでくれよ)
何かが、駆け抜けた。
(なんで、いま)
顔が、熱い。
眼の奥がじわじわと震える。何故だろう。
(最期、なんだろ)
そう彼が微笑む顔を眺めていると、涙が溢れてくるのは。
動かないと解っていても、喉を震わせたくなるのは。
(ゴク、ロウ)
(うん、いいな。もう一回)
(ゴクロウ)
(もっと聞きたい)
(ゴクロウ、ゴクロウ、ゴクロウッ)
心の奥から、魂の叫びを上げた。
(ゴクロウ、貴方となら、私はまだ諦めたくないッ)
「任、せろ」
身体が動く。傾く。起き上がる。
目の前には、漆鱗の蜥蜴人。
サガドとリプレラ。主身と半身の集結体。
敵だ。
「生、ぎ、らあああああッ」
超えるべき、障害だ。
蜥蜴人はずらりと鋭い牙を剥き出し。
「そう、来なくてはなあッ」
サガドは腹の底から哄笑を張り上げた。
それはどこか、一抹の恐怖を拭う為のように聞こえた。
恐ろしく鋭い風斬音を掻き立て、曲刀が迫る。
ゴクロウの頭が斜めに断ち切られる。
直前、爆轟。
「うぐおおおッ」
紅蓮の爆風が蜥蜴人を圧し退け、弾丸の如く後方へ吹き飛ばした。
だが、それだけ。瞬時に身を翻して姿勢制御、片脚のみを地面に突き、土砂を撒き散らしながら強引に引っ掻き止まる。
生命力溢れるこの肉体に、致命傷以外、無意味。
『サグ、また夜光の感応術よ。でも今のは、明らかに異質な力だったわ』
サガドにしか聴こえないリプレラの心言が脳裏に響く。
ゴクロウとアサメの居た地点を不敵と睨む。
『お手並み拝見、といこうか』
闇夜を返し、赫焉を放つ炎の繭。
火焔が渦巻き、二人を護るように包んでいた。
それはみるみると収縮し、一人の形を成す。
降臨。
「そいつがお前達の、真身化だなッ」
白熱赫奕の鬼神。
百足の如き大刃尾がうねる。
赤黒く染まった長刀の鋒を背に貫いたまま、魔物は天を仰いで佇んでいた。
神話の英傑が如き肉体美は赤土色の肌。
摂氏千度超の灼熱を放つ白銀髪が膨張、九つの束に分岐。八つは変幻自在の槍を形成し、残る一つは額に捻くれた角を生む。
大刃尾が蠢く。
先端の刃は五枚となってより禍々しい。貫かれたままの長刀をかちりと摘み、ゆるゆると抜刀。まるで第三の手だった。貫かれた胸からは当然とばかりに流血せず、すぐに癒合。
欠けた筈の右肘。
鮮血にのみ構成された真紅の怪腕、鬼の右腕が長刀の柄を握る。
瞬間、紅蓮の炎が刀身に迸った。
声無き悲鳴。
悪霊の長刀から伸びた大蛇の影が鎌首をもたげ、鬼の太首に噛みついた。牙の先が触れた途端、呆気なく燃焼。塵芥となって火の粉を舞い上げた。
鬼神は悠然と振り向く。
金と鋼の虹彩異色が敵を睨む。
剥き出す鬼の歯牙。
「サガド、リプレラ」
ゴクロウともアサメにも似た煉獄の公は、ゆっくりと息を吸い、吐く。
人智を超えた戦意に、雷鳴が一層轟いた。
「これが最後の決着だ」
紅蓮の長刀を振るう。火の鱗粉が舞う。白銀の髪槍と角は一層、火勢づいて猛る。
「貴様らを地獄へ、送り返すッ」
怒号が開戦の合図となった。
死闘が、始まる。




