世界に刃向かう者 2
護人杖を背負い、岩壁の僅かな取っ掛かりを掴む。岩はゴクロウの体重に耐えうる硬度を保っているが、鋭利だ。握り方を間違えれば指が切れる。身を乗り出し、足場を確保して次の一手へ。
登攀において重要なのは腕力ではなく、低い姿勢で重心を保つ脚力。とはいえ、重装備な上に筋肉の鎧を持つゴクロウに限っては腕力に頼らざるを得ない局面もあった。
幸いなのは、腕を休められる穴倉に乗り込めること。アサメに手を貸して引っ張り上げ、可能な限り隧道を歩いて上層を目指す。
忌まわしい道だ。
複雑な構造で、地割れにより流入した土砂や雪、瓦礫の詰まりに足止めを喰らう。行き止まりを引き返してはまた行き止まり。方向や縦横が狂いそうになると時折壁面へ出ては通路を無視して登り、再び穴倉への潜入を繰り返していた。
地上は近く、だが差し迫る不穏は拭えない。
暗がりから何が飛び出しても瞬時に立ち向かえる様、護人杖は手放さなかった。
「こうも無軌道に輻輳しているのに、よく崩落しないもんだ」
「ですね。穏やかじゃない。嫌がらせもいいところです」
「アサメ、どんな化け物がこの道を掘り進んだと思うよ」
「泥暮らしじゃ、ないんですか」
「違うだろうな。連中の頭ん中は脳の代わりに泥が詰まっていそうだが、文明を築く程度には知能が優れている。安全な住居を築けるはずなのに、この道はあまりにも無謀で、不可解だ。俺達が上から落っこちてきたみたいに、直上にあるモノを把握していないとすぐ沈下を起こしてせっかくの住処が台無しになるだろ」
「あれらに住み心地を深く考える頭があるとは思えません。少し静かにしませんか」
アサメはいつも以上に気を張り詰めていた。
敵を知り己を知り勝率を高めたいゴクロウとしては議論を深めたいところだったが、無理に押し付けることもないだろうと一旦止める。
二人は顔を見合わせた。
洞穴の奥から、岩を刮ぐような音が反響している。
音源はかなり近く、そして遠ざかるような分岐路はない。
「引き返しましょう」
「様子を見よう」
同時に提案していた。
アサメは柳眉を逆立てた。断固拒否。言い争っている場合ではない。
対するゴクロウは少しだけ、と指で示した。怒り顔のまま顔を横に振る少女だが、まあまあと掌で宥めながら強引に進んでいく。止むを得ずと追随し、努めて鳴りを潜めた。
岩を削る音へと近寄るにつれて粘り気を帯び、不快な咀嚼音を思わせる。
乾いていた壁面は次第に水気を含み、暗い土色へ。泥土の臭気が漂っていた。
奥から松明の灯り。
この角を曲がれば、居る。泥暮らしとは別の何かが、確実に居る。
ゴクロウは壁を背に、音の正体の方を窺った。
素足がみえた。
注視すると五人の泥暮らしが眠りこけ、怠惰を働いている。それは構わない。それよりも。
(何だこれは。芋虫、白蟻っぽいが、それにしても)
洞穴大の、乳白色をした巨大な蟲。
甲殻は見るからに柔軟そうで、三対の肢体は殆ど退化している。くびれのない胴長の体躯を蠕動させて岩を食べ進むのだろう。
疑問が氷解していく。本来の住人はこの蟲で、泥暮らしがこの住処に補強を施して利用しているに過ぎない。この二種は共生関係にあるからこそ成り立っている。
「う」
興味本位で覗いたアサメだったが、すぐに顔を引っ込めた。
蟲は一心不乱に岩を貪りながら、消化した泥の大塊を胴体下部からひり出している。こちらには気付いていない。泥暮らしが油断して寝そべっているを慮るに、攻撃性を有する蟲とは思えない。
ゴクロウの裾を掴んで引っ張るアサメ。もはや長居は不要と言わんばかりだった。
もう少し観察したかったが、来た道へと引き返そうとして。
一人の泥暮らしがむくりと起きた。
もごもごと寝惚けているが、潰れた鼻をしきりに動かして何か嗅いでいる。察したアサメは静かにゆっくりと嘆息した。
敵が嗅覚を研ぎ澄ましている今、不用意に足音は立てられない。
(こちらに詰めてくるなら、静粛に絞め殺す。背を向ければ静かに去る)
ゴクロウは戦闘予測を脳裏に乱立させ、備える。息を潜めて動向を観察する。
泥暮らしは何事か呟きながら立ち上がると、あろうことか蟲の糞の小山に手を突っ込んだ。予想外の行動に、思わず食い入るように見つめる。
主成分の殆どが岩や泥の糞土を引っ掻き回し、何かを掴むと醜悪な面をさらに歪めて嬉しそうに笑った。
引き摺り出す。
泥に塗れ、だがほのかに青白い光を放つ、腕のような何か。
まさか。
小さく、未熟なそれ。疑いようがない。
動揺、悲哀、諦観へと感情が推移するにつれて弓を外し、矢を番え、引き絞っていた。
アサメはゴクロウ以上に動揺し、震えていた。
(頼む。これ以上、俺の想像した通りの行為は止めてくれ)
思いなど届くはずがない。
泥暮らしはそれを拭いもせず、大口を開いて。
「ガ」
脳天に矢が突き立った。
ゴクロウは即座と躍り出ると戦斧を掴み、一息で二度振るう。盛大と飛び散る黒い泥の血液。起きようとしていた泥暮らしを二人、一瞬で斬り殺した。
「土足じッ」
残り二人の怒号は半端に途切れ、喀血。
返り血を浴びたアサメは憤怒を耐えていた。一人を小太刀で首を斬り捨て、もう一人を鋭い尻尾で喉を貫入、地面に縫いつける。だが。
落ち着け。ゴクロウの声は。
「どうしてッ」
真っ向から掻き消された。
哀切が洞穴中に残酷なまで反響。
「私達が、何をしたッ」
理性など振り切れていた。アサメは抑えていた激情に耐え切れず、喉を押さえて苦しむ泥暮らしにあらんばかりの殺意をぶつける。
「夜光の人達が、皆が、何をしたって言うのッ」
小太刀を、半開きになったすきっ歯の口内へ、何度も突き下す。
「動物どころか、虫すら潰さず」
鋭い尾を振り抜き、醜い顔面を何度も何度も斬り裂く。
止まらない。
「誰にでも親切で、優しくて、ただ穏やかに暮らしていただけなのにッ」
「アサメ」
「貴様らのくだらない企みのせいで、幸せになろうとしていた何百人を無意味に、理不尽にみんな殺してッ」
「アサメ、敵が来る」
振り向いたアサメの頬には、怒りの涙が伝っていた。恨みの矛先がゴクロウへと変わる。
「貴方はどうして、そんなに冷静で居られるんですかッ」
昂りのまま怒鳴り睨む少女を、ゴクロウは静かな眼差しで受け入れる。
「悲しむにはまだ、早いからだ」
何故だろう。その答えにアサメは僅かにたじろいでみえた。
ゴクロウの手には、子の腕。
蟲の消化器では完全には融解し切れず、原型を止めたモノは冷たかった。
「日陰の園は火を放たれたと言っていたな。その後、恐らく雪崩に遭ってこの地獄に流れ込んだ。生き埋めになったところを、こいつがたまたまこの子の腕を噛み砕いた」
アサメは信じられないといった顔でゴクロウを凝視する。
「年の頃は、七歳前後か。火傷の跡は無い。必死にもがいたんだろうな、小さい爪を立てて、強張っている。近くに父親か、母親か」
「いい加減にしてッ」
冷え切った鋼瞳と絹裂く怒声が、ゴクロウを貫いた。
「他人事みたいに、よくも淡々と語れますね。心はないんですか。貴方は私なんかより、子供たちと楽しそうに触れ合っていたじゃないですかッ」
アサメの堰が切れ、思いの丈をぶつけた。この上なく、憤っていた。
しんと静まり返る中、二人は見つめ合う。
普段は表に発揮しない彼女の本音を一身に受け取るゴクロウはやはり動じず、冷静そのものだった。
事を荒げまいとする彼の沈黙に、アサメもようやく落ち着きを取り戻していく。
「前々から思っていました。今みたいに、たまにみせる別人みたいな貴方が恐ろしいって。感情が抜け落ちたような冷たい眼。自分で気付いていますか」
喜怒哀楽の起伏はある。
「ありがとよ、教えてくれて」
嘘だ。知っていた。危機的な事態に直面すると,急激に冷めていく自分。
偽りであろうとも拒絶せずアサメを宥め、少しでも生存率を上げる為に。
今が、その時だった。
「ただ俺は、生き残りがいる可能性を見つけたいだけだ。感情で皆の命が救えるなら、とっくに怒り狂っている」
ゴクロウはただ真っ直ぐとした眼差しで向き合っていた。
如何ともし難い思いを吐き出し切ったアサメは視線を伏せ、付着した血をじっと見つめる。赤らんだ目元を隠すようにして拭った。
「貴方は、そういう人ですよね」
完全には立ち直っていないが、取り乱しているよりましだ。
こんなところで揉めている場合ではない。
残酷な現実はまだ待ち受けている。
その度に足を留めていては、いずれ。
「おう。必ず生きて、この腐れた巣窟を出るんだ。空気の美味い静かな土地でこの子を弔う」
だからゴクロウは恐れない。
包帯を取り出すと子の腕を丁重に包み、簡単には落とさないよう懐にしまう。
静かに燃える視線の先は、見えざる地上への道。
「あの、熱くなってしまって、その」
「後で聞く」
敵意が差し迫っていた。
「土足人だアアアアッ」
泥暮らし共の蛮声がそこらじゅうから飛び交った。




