無知の行き着く先 21
「ユクヨニ、お前、なぜだッ」
怒れる鬼母ヒクラスキを前に、不敬の子ユクヨニは鷹揚と腕を広げた。
「母上、精算の時です。“雲の欠片”を頂戴しに参った」
「精算、精算だと。命を遣り取りする様な貸し借りなど、一つもないわッ」
まるで話にならないとユクヨニは首を横に振った。
「いや、ある。愚かなことに真実を知らず、知ろうとせず、穢土様の国を曇天郷などと宣う邪教徒共を一掃しても、余りある罪がね」
ヒクラスキは言葉より先に、ゆるりと歩んだ。
遅い。だが、読めない。
老婆のものとは思えない殺気の波動に、アサメは慄く。
「いかん、ユクヨニ。退がれッ」
うわずり気味で叫んだのは武官シクランだった。
業の特異性に気付いている。
それでもユクヨニは薄ら寒い無表情を張り付けたまま、微動だにしない。
横合から上段で迫る。サガドだ。
「邪魔だよ」
何気ない一振りを土手っ腹に当て、軽々と吹き飛ばした。
図体が宙を舞う。
「ガッ、バあ」
まさかと驚愕に目を血走らせたサガドは、崖の端まで転げ回っていく。
殺すなら今。アサメは弾かれた様に疾駆、サガドへ詰め。
銃声。
「ハハハッ、さらばだ母上」
アサメは振り返らない。
「これで障害は全て消え去った。夜見様、このユクヨニめが貴方様を再誕へ導かせて頂くッ」
心の底から生まれたユクヨニの歓喜が響く。
伝わる声を遮断し、奥歯を食い縛った。
(聞きたくない。聞いちゃだめ。考えるな。殺せッ)
なんとか起き上がろうとしたサガドと目が合う。足掻く者の面構え。
少女抜刀。右の小太刀を振るう。このまま振るえば確実に頸動脈を斬り裂ける。絶対にだ。
斬、銃声。
視界、鮮血、脳内、白、染。
転倒。
「ぐ、この、堕ッ」
意識を失ったアサメは駆け抜けていた勢いそのままにサガドと衝突。
勢いを殺し切れず、二人は揉み合いながら、闇深い崖下へと滑落していった。
雷降る空を見上げていたゴクロウは気力を振り絞って立ち上がり、石塊の斜面を崩しながら蹴った。
「アサメエエエッ」
堕ち来る我が相棒を、受け止めんが為に。
二人の塊が剥がれ、ばらばらに落下。
好都合。迷わずアサメの落下地点へ走り込み、頃合いを定めて、今、と崖を蹴って飛び上がった。
顔面が血塗れになったアサメへと手を伸ばす。
掴んだ。
が、重鈍な肉弾を全身で受け止め、衝突。激しく転倒。
アサメを庇いながら再び斜面を転げ落ちていく。すでに痛みなど無く、麻痺した感触を総身で受け続けるだけであった。
両脚で踏ん張りながら瓦礫を巻き散らし、暫く滑落。ようやく落ち着いた頃には二人ともぼろぼろで、這う様に平たい岩へ乗り上げた。
呻く時間すら惜しい。歯を食い縛りながらも、端から血が溢れ出てくる。
アサメを抱きかかえたまま安否を探る。
銀糸の前髪が千切れ、薄皮一枚裂けた額から延々と血が流れていた。
(弾速の圧で脳震盪を起こしたか。よく頸椎を捻らなかったな)
なんとか息はある。
「大丈夫だ。俺に任せろ。すぐに血を止めてやる」
ごく軽く揺さぶりながら、アサメの意識に届くよう声を掛けた。
ゴクロウは血と傷だらけの己など顧みない。包帯を取り出し、圧迫する様に小さな頭部をきつく巻き付ける。
(治れ、治れ、治れ)
額の患部に触れ、傷が治癒過程を辿る想像を働きかける。彼女だけではなく、己にも意志を働かせた。
少女の瞼が震える。
意識を取り戻したアサメが、ぼんやりと鋼の瞳を開いた。
「ッ」
瞬間、小さな手がゴクロウの胸倉を掴んだ。
その眼には、怒りと戸惑い。
「俺だ。安心しろ」
されるがままのゴクロウは穏やかな目で言い聞かせる。
握る拳に力を込めたまま、アサメは泣き出しそうな顔で喉を鳴らした。
「日陰の園が燃えて、ユクヨニがあの時の賊と手を組んでいて、恐れ狩りと、ヒクラスキを、撃って」
ついに澎湃と涙が溢れ出た。
雷鳴より遥かに劣る声量と途切れ途切れの短句に、ゴクロウは深く息を吐きながら胸倉の拳を掌で優しく覆う。か弱い手。心に刻まれた傷は手酷い。
だが話せる気力があるのなら、今は充分だった。
「此処は目立つ。立てるか」
頷く。頷き返す。
二人はよろめきながら立ち上がった。
ゴクロウは何故か杖の気配を察し、周囲に視線を巡らせる。やはり護人杖が転がっていたのを見つけ、足元に気を配りながら拾った。
アサメは片方の小太刀を失っていた。
両刀揃っていなければ使えないということは無い。不安材料ではあるものの、彼女ならば上手く運用するだろう。
複合弓は肩に担いだままで、よく折れずにいてくれた。弦は改めて張り直せば問題ない。矢は幾つか折れていたので捨てた。数はある。
まだ、まだ戦える。
戦斧も無いかと瓦礫の斜面を見回す。あった。少し登った辺りに突き立って。
あらぬ彼方へ、蹴り飛ばされた。
「ご機嫌麗しゅう。お二人とも」
長身の女は漆黒に限りなく近い赤髪を鬱陶しげに靡かせ、慇懃無礼なお辞儀をかます。
長刀を背負い、肩には弓、腰には細剣。崖から如何にして飛び降りたのか、無傷だ。
面を上げてこちらを見下す視線は紅柑子の蛇眼。
リプレラは冷たく笑っていた。




