無知の行き着く先 20
信じ難い裏切りの直後。
「貴様あああッ」
急加速、抜刀。
絶叫を聞きつけたアサメは怒号を張り上げながら、シクランに斬り掛かっていた。
今までになく冷め切った紫紺の瞳がぎらりと剥く。
「そう急ぐな」
真正面からの愚直な突進を防御しつつ躱す。そのまま崖下へ堕ちろと言わんばかりに、だが明確な殺気。
咄嗟に背面へ護人杖を回し、防ぐ。
「ぬう」
鋭利な尻尾を利かせて雪上を滑り、急旋回の不意打ち。
一撃では終わらない。二撃目の斬撃を振るっていた。だが跳んで避けられる。浅く裂いただけ。
間合いを空け、両者改めて対峙。
アサメは社を背にして、膝から力が抜けそうになった。
「嫌。そんな」
森の奥から、灰と火の煙が朦々と上がっている。
稲妻に照らされた煙幕の奥に、炎の柱が映る。
見間違いであって欲しい。だがあの方角は、疑いようがない。
日陰の園、凍土の王の沐浴地。
「どうして。何故、こんな事をッ」
悲痛の叫びに、口を固く結んだままのシクランは答えない。破けた脚絆の裾が無情にはためくだけで、身動ぎもしない。
雷鳴に紛れて響く剣戟。
近くで死闘を繰り広げている者達がいる。
「答えろッ」
「生きておるか。さすが俺の見込んだ男よ」
会話になっていない。
半身アサメが滅ばず、主身であるゴクロウの生存を悟っただけ。
見下されている。当然だろう。
剣戟が止み、雑踏が続々と寄ってきていた。
絶望的な人数不利。情けにも似たこの膠着状況が崩れれば、一瞬で殺される。
「この裏切り者共が」
恐怖に負けてはいけない、とアサメは吐き捨てる様に唸った。
「裏切り者ですか」
シクランの背後から、抑揚のない声。
「そう思って頂けたなら、光栄です。アサメ様」
怜悧な、いや冷酷な顔つきの夜光人。
背筋に理解し難い寒気が這う。
「改めまして。この地を統べる我が主、穢土様の従順なる下僕の一人、ユクヨニと申します」
アサメは己の奥底から、心が割れる音を確かに聞いた。
身体が小刻みに震える。呼吸が浅く早い。心臓が煩い。
意識が白化。
刹那の光景。
見えざる悪魔の手に喉の奥を締め付けられ。
言葉の刃で八つ裂きにされたかの痛みに。
もはや思い出すことすら忘れかけていた、かつての記憶。
一瞬にして過ぎ去っては、すぐに消え失せた。
「お二方から信頼を買い取るのは、必要な事でした」
何事か喋っているが、まるで耳に届かない。
いまいち感情が働かず、眼の曇ったアサメは呆然としていた。
どさり、と鈍いモノが目の前に転がる。
ぎこちなく見下すと、髪の生えたそれと目が合った。
怒りに歪んだ生首。ケイラム。殺されたらしい。誰に。
「久しいな。ゴクロウの半身」
いつか見た男だった。
無表情の相貌は鋭い。転々と血を浴びたまま、汚れた手だけを几帳面そうに拭う。
サガド、といったか。やったのはこの男か。
「顔が死んでいるぞ」
つまらなさそうに呟いた。
火勢の盛る奥から、すぐには数え切れない賊共がぞろぞろと蔓延る。下卑た連中ばかりで、薄汚い笑い声を上げていた。その手には血染めの得物。何が起こったのかは、残酷なまでに想像がついた。
戦わなければ。一人でも多く、殺さねば。
だが、思い通りに動かない。指先がぴくりともしない。
サガドがすぐ横を通り過ぎていく。
「アサメ様」
気付けば、ユクヨニを間合いへ踏み込ませていた。
跪くと、掌で恭しく彼方を指し示す。
その先は、雷を浴びる喚びの塔。
「さあ、貴方には我らの地の底へ。穢土様の洗礼と、新たな生を」
何を言っているのか、まるで理解が追いつかない。
促されるがまま、思考が停止したアサメは左右の刃を納め、崖の端へ歩こうとしていた。
どうして。
なぜ。
何を間違えた。
これが結末か。
「不敬者共、控えよッ」
雷鳴を消し去る怒号が響いた。
ハッとする。
気を取り戻したアサメは跳躍、敵との距離を確保する。
振り向けば、護人杖を携えたヒクラスキが羅刹の如く構えていた。




