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無知の行き着く先 14

 凍土の王の沐浴地(もくよくち)湖畔(こはん)を往く。

 不凍の湖は清浄な気が幽玄(ゆうげん)と漂う。浅瀬から深い底まで向かう翠碧の濃淡はまさしく凍土の王、氷霧(ひきり)の瞳を思わせた。

 寒気を(もたら)す美しさに、ゴクロウは思わず感極まった溜息を漏らす。あらゆる方角から眺めたくなる気持ちを堪え、職人気質のムヘナ氏族が住まう区画へ入る。

 多くが無口だが表情は(なご)やかで、すれ違えば誰もが丁寧な夜光礼を交わした。

 夜光の羽織りを(まと)い、護人杖(ごじんじょう)を片手に練り歩く大男。ゴクロウの風体は物珍しかろうが、無遠慮な視線を差し向ける者は居なかった。

 微かな波が跳ねる(ほと)りを眺めながら歩く。

 その先には、人の往来を気にも留めず夢中に語り合う男女。二人は流木に並んで腰掛け、見つめ合う事なく焚き火にじっと視線を落としていた。

 男の方は知っている。

 娘の方は可憐で、だが凛々(りり)しさを思わせる顔つきは職人の系譜だからだろうか。

 生憎ゴクロウには気付いていない。目立つ大男が湖畔を沿って歩いてきたのだから、視界に入っていてもおかしくはなかった。

 真後ろに立っても気付かない。弛んでいると一喝するところだが、今回は止むを得ないだろう。


「取り込み中なら出直そうか」


 びくりと二人の肩が跳ねて立ち上がった。


「ああ、ゴクロウ。もうそんな時間か」


 ほっとした途端、ハルシはすぐ照れ笑い顔に変わって娘の背を軽く触れた。ぎこちなく初々しい。


「彼女が前に言っていたコンヤクシャのウヤリだ」


 口が痒いらしい。

 ゴクロウはすかさず、礼儀正しい夜光礼を示す。


「ゴクロウと名乗っております。身も心もこの湖畔の如く美しいと貴女のコンヤクシャから伺っておりましたが、想像よりも見目麗(みめうるわ)しい」


 丁重な一礼と淀みない口上に、(かえ)ってハルシが慌てふためいた。


「ん何をそんな、きざなあ」

「なんだ、違うのか。言ってただろ」

「い、いやあ、違わないかな」


 可笑しそうな娘は口許を押さえて微笑む。淑女然(しゅくじょぜん)とした雰囲気だった。


「ウヤリと申します。お伺いしていた通りの機知に富んだ御仁ですね。彼が尊敬する一人だとか」

「へえ。そんな事を」

「いやあ、君達は俺を苛めるのが好きみたいだね、ん、んん」


 撃沈寸前のハルシを二人して笑う。

 ウヤリは誰かを探すように視線を彷徨わせた。


「もうお一方は」


 ゴクロウが客人であると伝わった上であえて半身と呼ばない。妙な分類を嫌うアサメのことを知った上できちんと気に掛けているらしい。


「旅続きでね、今ごろは夢の中だ」

「そうでしたか。お会いできる時が楽しみです」

清廉(せいれん)な友が待っていると伝えておこう」

「ふふ、お待ちしてます」


 なるほど、ハルシが好みそうな手弱女振りだとゴクロウは微笑み返す。ぐいと肩をハルシに引っ張られた。目が三角に尖っている。


「おい、なんか色目使ってないか。俺の婚約者だぞ」

「はっはっは」


 勿論そんな気はないが、面白そうなので適当に笑っておいた。


「まったく、ほらもう行くぞ。じゃ、ウヤリ」

「いってらっしゃい。気をつけて」


 新婚になろうとしている二人の初々しいやり取りに、ゴクロウの顔が(ほころ)ぶ。

 二人は雷拝祭(らいはいさい)の前夜祭として、伝統的な婚礼の儀を執り行う。その際に贈り合うモノをゴクロウとハルシで得る為に出掛けるのである。

 ゴクロウは軽く礼だけしてウヤリに別れを済ませる。背後を向けば手を振る彼女。にやにやと隣で手を振るハルシに耳打ちした。


「昨晩は上手くいったのか」

「え、何が」

「ああ、聞かなかったことにしてくれ」

「何だよ気になるだろ」

「男と女がいつまでも存在する理由だよ」


 はあ、と怪訝(けげん)そうなハルシは疑問符を浮かべまくっていた。

 雷拝祭(らいはいさい)が終わるまでには、悟った顔つきになるのだろうか。


 ゴクロウとハルシは取り留めのない雑談をしながら、凍土の王の沐浴地(もくよくち)から遠ざかっていた。

 (おぼろ)げだが確かにあるハルシの肩を掴み、冷たい霧を潜る。

 二人は護人杖(ごじんじょう)をつきながら、黒い樹々の山間へと躍り出た。

 曇天と、暗い枝葉に遮られた雪山がやけに暗い。それ程に園内は明るいのである。


「今回は出なかったか」


 ゴクロウは内心期待していたが、やはり当たりが外れた。


氷霧(ひきり)様か。そんな頻繁に出てこられたら、いつも君の図体を背負わなきゃならなくなるじゃないか」


 ハルシの声だけが隣から響く。すでに不可視となっていた。


「鍛えているんだから、俺くらい軽かっただろ」

「いや重いよ。君の筋肉の鎧を脱がせられるんなら、別かもしれないけどさ」


 こっちだ、と見えない足跡が雪上を踏んでいく。

 尾根(おね)を登り、途中で滑雪板(スキー)を装着して少し山を滑走し、黒い樹々の迷路に入り込んでは縫うようにすり抜けた。

 二人は立ち止まる。

 鬱蒼(うっそう)とした暗闇が少しばかり晴れ、視野が一気に広がる。

 ゴクロウはその壮大さと異質感に心を奪われた。

 眼下には莫大と広がる瓦礫場(がれば)の盆地。

 起伏のある灰と黒の地形は降雪が異常に少なく、草木はほとんど禿げて瓦礫(がれき)の地表が剥き出していた。

 中央には硫黄の湖。

 その離れ島に(そび)え立つ、一つの紅い塔。


「でかすぎる。あれが」


 取り囲む白銀の山々と比肩(ひけん)しそうなほど、巨大な建造物。ギトギトとした真朱(しんしゅ)の光沢を放っていた。

 禍々(まがまが)しい。その一言に尽きる。

禁足域(きんそくいき)()びの塔だ」


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