無知の行き着く先 13
縁側に腰掛け、賑やかな中庭を眺めながら寛ぐ。
薄明るい霧の空。子供が雪の上を駆け回る声。
(嫌いじゃない)
アサメは脚をぶらぶらと揺らして平和を謳歌していた。
あと二週間と経たない内にこの日常を崩さんと魔の手が迫ってくるなど、まるで想像が及ばない。いつまでも続くに違いないとさえ思える。
だが、来るのだ。
「お待たせ致しました」
香茶を啜りながら午後の活動を考えていると、一仕事片付けたユクヨニが戻ってきた。
その手には革製の分厚いベルトが大小二つ。
「肩掛けの帯鞄です。痛み止め、抗生物質、解毒薬といった錠剤各種、鋏に縫い針と糸、包帯、血止め軟膏。それとこの固形物は戦闘食です。味はお察しですが栄養価は高い。それとこちらがアサメ様仕様ですね」
受け取り、襷掛けする様に身に付けた。
「いい。最高だ。これだけ入ってまだ余地がある。アサメは」
「思ったより邪魔になりませんね。まあまあです」
彼女はお世辞も嘘もつかない。良品である。
「渡した代金以上の仕事だ。ありがとうユクヨニさん」
手持ちはすでに六〇灯と少々。一日足らずで一月分以上の活動費用を支払った。
「ご期待に添えた様で何よりです。職人には後で伝えておきますよ」
日々の激務にあっても顔色一つ変えずにユクヨニは微笑んだ。仕事を生き甲斐としている者の落ち着き払った姿勢は実に心強い。
「ユクヨニさん。ちゃんと休めているかい」
「おやおや。疲れが出てましたか。私もまだまだな様ですね」
「程々にな。俺みたいに倒れるぞ」
「本望ですよ。では」
短いやりとりを済ませ、踵を返していく。細い背中だ。だが商人として、夜光族の若き指導者として、どれほどの責務を背負っているのか。
ゴクロウは尊敬の念を抱きながら、じっと遠くを見据えるアサメを見下ろした。
彼女は何を考えているのか。
いつも物憂げな表情で多くを語らない少女だが、内に秘める強い思いは確かにある。少しでもいい。それが知りたい。
「なんですか」
視線に気付いたアサメはご機嫌とは言い難い怪訝な表情で見上げた。
彼は何を考えているのか。
いつでもじっとして居られず、あちこちと顔を出しては輪の中心に溶け込んで活き活きとしている。それも目が眩むほどに明るい。自分には無い感情だとアサメは結論付けた。
疲れるだけだ。思ってもいない事など、したくもない。
「一緒に昼寝するか」
何を言うかと思えば。
「は。ヤです」
じゃあなとゴクロウは大きく伸びながら、貸し与えられた部屋へ戻っていく。
ぽつんと取り残されるアサメ。
無粋で無頓着な提案に条件反射で拒否したが、急にどうしたのだろうと小首を捻った。
過労気味のゴクロウがハルシや他の誰かに休憩を強要され、渋々と退屈そうに腰を落ち着かせる姿は何度も目にしてきた。
自分から休もうと提案するのはなかなか珍しい。
アサメは腕を組んで考えていると、視線を感じた。
ふと振り向けば、ヒクラスキの曾孫達の無垢な瞳たち。
あそぼ、と今にも口を開きかけていた。
「う」
子供があまり得意ではないアサメは気まずそうな顔でそっぽを向き、やはり反射的にゴクロウの後を追った。
与えられた相部屋の戸をそっと引いて入る。
ゴクロウはすでに所定の位置で大の字に寝転がっていた。小さな焚き火を挟んで向かう。アサメも自身の寝床に腰掛け、どうしたものかと、仰向けになった。
目を瞑れば寝てしまう気がする。
薪の爆ぜる小音と二人分の安らかな呼吸。外から聞こえてくる微かな雑音がより静けさを際立たせていた。
連日連夜の跋渉を経て疲弊した身と心。
ただ寝そべっているだけで全身の奥底から充足感に満ちていく。このまま眠れば、それだけで一日が過ぎるだろう。
不穏が訪れようとする日々の中にいても、平穏な一時を思う。
戦いに身を投じ、生き抜いて、またこうして天井を仰ぎ見て、一体何を掴み取るのか。
いや、何を掴み取りたいのだろうか。
失った記憶か。人に限りなく近いこの身体の真実か。望む姿を取り戻す術か。
望む。それは本当に望む未来なのだろうか。
アサメは胸の前で手を組み合わせた。
心音はすれど、己の内は空洞に思えた。満たされていたはずの怒りや苛立ち、殺意が時間の経過と共に薄れている。好きな香茶を啜る小さな喜びや、今の様な穏やかと思える時間が心に滴り、上澄みとなって溜まっている気がする。
身動ぐと、揺らめく炎の向こう側にはゴクロウが目を瞑って寝転がったまま。
彼は船でもあり、水夫でもあり、船長でもある。行先を全て己の心のままに決め、一度決めた航路に嵐が吹き荒れていようとも突き進む。
ならば私は、乗員か。違う。客か。そうかもしれない。だが客なら対価を払う。
紛れ込んだ鼠か、それとも積荷か。そんなものにはなりたくない。
ここが海なら、私がするべきは。
「おやすみ」
ゴクロウは布を掛けてやる。
ほんの小さく声を掛け、微かに笑う。アサメの寝顔を横目に部屋を後にした。




