無知の行き着く先 10
垂迹者氷霧による禅問答。
お前をみている、とはなんぞや。
沈思黙考はうまく捗らず、ひとまず休養を取るべきとしてヒクラスキとの面会を切り上げた。温泉で汗や老廃物を流し、ゴクロウは髭や伸びかけの髪も整える。その晩はちょっとした宴会となった。大いに酒を飲み腹を満たすと、質の良い床で充分な睡眠を満喫した。
それでも朝早くには目覚める。
ゴクロウは爆睡するアサメを起こさないように抜け出した。
族長屋敷の広い中庭に立つと護人杖を手にして一心不乱と振るう。
暑すぎると上着を肌蹴、仮想敵と戦う。
「精が出るな、ゴクロウ殿」
迫力満ちる眼光と体躯。現れたのは行商隊護衛官、シクランだった。
その手にはやはり護人杖。
「久しいな、シクラン殿」
「倒れたと聞いたが、手加減の必要はなさそうだな」
「ここ半月でより足腰が鍛えられた。むしろ俺が加減しないとな」
「ふ、どれ」
立ち会う。
互いの闘気が膨れ上がり、間が触れた瞬間、けたたましい打ち合いが起こった。
単なる約束稽古ではない。命の駆け引きによく似た試合だ。
戦斧を背負っていない分、身体が軽い。
打ち合いの最中、それでもゴクロウは一切の手を抜けずに目の前を集中していた。
突き、払われ内膝狙いの反撃が飛ぶ。体捌きで躱しつつ回転薙ぎ払い、防御と首打ちの同時戦法、跳び退き避けて、だが瞬時に踏み込み。回転の妙技が互いを上回ろうと激しくせめぎ合う。
攻防一体の乱舞は変幻自在。息つく間も無い戦闘が高速で推移していく。
(不用意に攻め立てちゃ、こっちがやられる)
シクランの恐ろしき一手は隙間に滑り込む振り打ち。易々と防御網を掻い潜ってくる致命打を、技量で遥かに劣るゴクロウは単純な瞬発力と反射神経で躱しているに過ぎない。集中により二分にも満たない時間で汗が噴出。思考が少しでも途切れてしまえばそれで終わる。
顎を砕く返し打ちが容赦無く飛来。紙一重で回避。
ひりつく。
今の一瞬で、ゴクロウの血が騒いだ。
振り回し牽制しつつ、一薙ぎ。上回るには棒術だけでは敵わない。持ち得る技を発揮すれば。
斃せるか。
「リャアアアアッ」
拙い。
ゴクロウは寸前で突きを見切り、仰け反って躱す。重心を欠いた上半身に肩を当てられ、後方へ吹き飛び、だが踏み止まる。
剛速。脳天へ振り下ろされるのが見え。
金眼をかっ開いたまま、目前で静止する護人杖を睨んだ。
「一本だ、ゴクロウ殿」
死合ならば頭皮が裂け頭蓋に罅が入り、辺り一面に血を噴き散らしていただろう。
「もう一丁」
「いや、止そう」
シクランは一試合で手を止める。丸く刈り上げられた頭から玉の汗が噴き出していた。
「おいおい、勝ち逃げか」
「ああ。これ以上は加減できん」
杖が額から遠ざかっていく。
まだまだといったゴクロウは雪上に寝転がる。気持ちが良い。だが、これでは闘争欲が満たされない。
悔しい。今のは少々、打倒に意識が乗っ取られかけた。これは試合だ。殺し合いではない。
縁側に腰掛けたシクランは汗を拭いながら、まんじりとゴクロウと向き合っていた。
「ゴクロウ殿」
「よし、もう一回だな」
「記憶がないと言ったが、ならばその武才、記憶を失う以前のお主なら如何なる想いで研ぎ澄ましたと考える」
厳しい眼差しだった。
言われてみればほとんど考えた事がなかった。
記憶を失ってもなお肉体に染みついている技の数々、戦術思考。何十年と欠かさず毎日鍛錬を続けたからこその賜物である。
ゴクロウは霧がかった天上を仰ぐ。
「さあな。続く手は意識して抑えているが、止めずに叩き込めば殺人技だ。自らの欲求のままに追い求めたのか、なんとしても遂げたい復讐があったのか」
それとも、と少し考え、一呼吸の間に答えた。
「どちらでもいいな。殺せる技は使い勝手が良いんだ。そのままでも、己を守る為にも」
「そうか、お主らしい」
護衛官は小さく笑った。凶悪な顔に似合わず、彼はよく笑う。
「シクラン殿こそ、鬼気迫るものを感じたが」
「お主の獣じみた圧のせいよ。無理やりに避けよって。躍起になってしまったわ。このまま続ければどちらか血が散るぞ」
一理ある。
気持ちを入れ替えてから臨むべきだろう。今回は時間がある。
「明日からは俺が一本取る」
「いいだろう。取れるものならな、うはは」
高笑いをしながら縁側に腰掛けた。
ゴクロウは駄々をこねる子供のように寝転がり回った。
「絶対に勝ああああつ」
「その意気や良おおおおし」
びしゃりと引き戸が勢い良く開いた。
怒り心頭のヒクラスキである。
「お前さん達、うるさいよッ」




