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無知の行き着く先 8

 ゴクロウとアサメは香茶で喉を潤し、一息ついてから茅葺(かやぶき)小屋の外に出て、しばし歩いた。

 (のき)が並ぶ大きな通りへと曲がると、ゴクロウは呆然と口を開く。

 広大だ。

 曇天に最も近い日陰の(その)、凍土の王の沐浴地(もくよくち)

 濃霧(のうむ)天蓋(てんがい)に覆われた大穹窿(ドーム)と、中央に広がるは不凍のカルデラ湖。辺りを茅葺(かやぶき)小屋と天幕(テント)が囲むように点在し、多くの夜光族で(にぎ)わっている。

 交差する護人杖(ごじんじょう)をあしらわれたヨラン氏族の旗を見上げる。見渡せば他にも四つ、それぞれの氏族を表す個性的な旗が区画ごとに掲げられていた。


「五氏族すべて無事に勢揃いしたみたいだな」

「はい。私達が一番遅かったようです」


 一帯は園外よりも俄然明るい。

 飛び交う光珠虫も食糧が豊富なのか一回り大きく、七百名近い夜光族が楽しげに生活を営んでいるのだから眩く映って当然といえた。

 見知った人々に夜光礼を示しながら、ヒクラスキの居場所を訊ねる。

 心配する声や感謝、やんちゃ盛りの子供達とのじゃれ合いにゴクロウは懇情(こんじょう)を込めて応じ、今回の旅で心の距離が近付いたアサメもおずおずとだが受け答えていた。

 ふと、ゴクロウは腹が鳴る。

 美味そうな匂いがした。

 湖畔(こはん)対岸(たいがん)に視線を巡らすと、見慣れない一団。

 何人かがたむろって思い思いにのんびりと過ごしている。退屈そうな顔で釣り糸を垂らしたり、焚き火を囲んで肉を炙っていた。

 夜光人ではない。見たままの人間だ。


「あれは」


 アサメは一瞥(いちべつ)すると、ああ、と適当に漏らしてすぐに視線を戻す。


「ムヘナ氏族が雇った傭兵団だとか。雷拝祭(らいはいさい)が終わるまで警護するらしいですよ」

「へえ、そりゃいい。あとで挨拶しておくか」


 凍土の王の沐浴地(もくよくち)をじっくりと散策したい気持ちを抑え、五棟点在する内の一つである族長屋敷を目指す。夜光の人々はたとえ見知らぬ顔同士でもにこやかに夜光礼を交わす。

 分け(へだ)てなく接する彼等の性質に、ゴクロウはますます気に入っていた。

 そうこうしながら交差する護人杖(ごじんじょう)の意匠を見つけた。ヨラン氏族の屋敷へと辿り着くと、心配そうな顔と安堵した表情のヒクラスキ一家に出迎えられた。面会の旨を伝えると二つ返事で通して貰う。

 藁葺の平家は敷地が広く、用途を振り分けられた部屋が幾つもある。きちんと人の手が入っており、経年劣化を思わせない立派な住まいだった。

 離れの小さな別棟へ向かい、居間へ入る。

 上等な一人部屋だった。

 暖炉の前、一人掛けの椅子に腰掛けたヒクラスキがゆったりと寛いでいた。


「落ち着く家だ。此処でもう一眠りしたいもんだよ、族長殿」


 振り向いた老婆に、ゴクロウとアサメは夜光礼をした。

 ヒクラスキはにこやかに返すと手招きし、迎え入れる。機嫌が良さそうだった。


「アサメよ、元に戻せたのか」

「はい。一人でダメなら二人で、と」

「そうかい。良い判断だ。上手く乗り越えたようだね」


 長椅子に二人で腰掛け、ヒクラスキと向き合った。


「改めて。ゴクロウ、アサメよ。たった二人でよくぞこの地へ導いてくれたね」

「最後の最後で俺が倒れなければ完璧だったな」

「全くです」


 ふん、とアサメは腕を組んだ。


「無事ならそれで構わないさ。我等を護り(たも)う曇天様と、勇敢な客人に最上の感謝を」


 長い夜光礼を授かる。

 いつものざっくばらんとした言葉遣いではない。族長の誠意に二人も真摯(しんし)に応じた。


「お前さん達の荷物をあとで持って来させる。急ぎだったものだから此処(ここ)から外れの茅葺(かやぶき)小屋で寝かせたのさ」

「冗談で言ったつもりなんだがな」

「いんや。外周の小さな小屋に大切な客人を押し込んでいるだなんてよその爺どもに知られたら、ヨラン氏族の沽券(こけん)に関わるよ」


 気を遣わないというのがヒクラスキの性格だが、彼女の機嫌に便乗しておいて損はなさそうだった。ゴクロウはアサメと顔を見合わせ。


「そういう事なら、ありがたくお言葉に甘えるか」

「ですね」


 今夜は広く寝心地の良い部屋で熟睡できそうだった。

 ヒクラスキは早速、家の者を呼びつけて使いを出す。アサメは香茶のお代わりと茶菓子を受け取り、小さな手で配っていく。

 ようやく心から一息つける。風呂に入ったら髭を剃ろうとゴクロウは顎を(さす)っていた。


「ところで、あたしに用があって来たんだろ。どうした」

「ああ、夢を見た。奇妙な、というか命の危機を感じた」

「ほう、どんな」

途轍(とてつ)もなく凍える白い空間の中で、巨大な男に出会したんだ。雪山の化身の様で、妙な真似を仕掛けたら一瞬で粉々にされると察するくらいには次元が違う存在でな」


 ヒクラスキの目つきが鋭く、刻まれた(しわ)が深くなっていく。


「俺が訊ねるとこう名乗った。曇天のスイジャクシャ、ヒキリ。凍土の王だと。男は俺の名を呼んで、お前をみているぞと忠告めいた言葉を残した。そして全身が凍りついて目が覚めたんだ」


 夜光の族長にして、曇天の信奉(しんぽう)者が発する真剣な眼差し。

 張り詰める気配に、アサメも険しそうに眉をひそめた。


「身体の水分が凝固していく感覚は今でも忘れない。ただの夢じゃない筈だ。何か心当たりはあるか、族長殿」


 ヒクラスキは節くれた手を組み、天井を(あお)いだ。その視線の先は更に遠くを見上げている様だった。重々しく口を開く。


「覚せし自然の落とし子、垂迹者(すいじゃくしゃ)。天災が化生(かせい)に成り代わり、地上に権現する。目的は様々だが、一つ間違いなく言い切れるとすれば、人知では計り知れん変異の前触(まえぶ)れよ」

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