そこに住まう者たち 12
いつもの不凍池。
だが、打ち合う木の剣戟が激しい。
「ぬううううううううッ」
「うおおおおおあああッ」
そして暑苦しい。
「イエエアアアッ」
「ゼエエイッ」
上裸の、実に暑苦しい筋肉男が二人。
護人杖でバチバチバチと打ち合っている。
「何という筋肉美、素晴らしいぞゴクロウ殿よッ」
「重てえなあ、シクラン殿こそ、あんた本当に夜光人かッ」
朝の鬱屈など、どこかへ吹き飛んだ。
誰、とアサメは怪訝な視線を夜光族らしき男に送る。どこかで見覚えが、と昨晩を思い返した。行商隊の御者である。
「む、お越しか」
知らない筋肉男は稽古を止め、きびきびと一礼する。アサメもそれに応じた。
「シクランと申す。行商隊の護衛官だ」
夜光族にしては丸刈り頭で、体格もゴクロウほどではないががっちりと引き締まっている。眉骨が隆起し、紫紺の瞳はぎょろりとしている。目尻の皺や肌艶の具合から年季を思わせる分、凶悪面により深みが出ていた。
「どうも」
「飴をお舐め少女よおおおおッ」
何処からか飴付き棒を取り出して怒鳴る。
どうもが掻き消された。大気がびりびりと振動し、驚いた光珠虫達がふわふわと遠のいていく。こうも喧しいと日課の釣りは出来そうにない。出会った中で一番苦手な人種である。
いまいち理解が追いつかず、飴を取ろうかどうしようかとアサメはまごついていると。
「アサメ、おはよう」
いつもの調子でゴクロウは挨拶した。
「おはようございます」
不覚にも少しほっと胸を撫で下ろすアサメであった。
ゴクロウは雪で汗を拭きながらどかりと寝転がった。
「アサメ、この方はハルシの叔父上でな」
「そうですか」
ちらりとシクランを見上げる。
目玉をこれでもか、とかっ開いていたのですぐに視線を逸らした。実に実に暑苦しい。
「少女よ、お気に召さないならばこれは私が頂こう。うむ、甘さが全身に染みるな。うははは」
「はあ」
不気味だが悪い人ではないのだろう。
ただ、性格の波長は一生合いそうにない。
「いやしかしゴクロウ殿。今日は良き鍛錬となった。次また試合える日が楽しみだ」
「俺もだ。またやろう」
がっしりと固い握手を交わし再会と再戦を誓う暑苦しい二人。
シクランは高笑いしながらのしのしと去って行った。
「ま、あとでまた会うんだけどな」
「はあ」
アサメはあからさまに嫌な顔をした。
「昨日、装備をくれるって話しただろ」
まずは貸与という形だった気がするが、もう貰ったも同然なのだろう。
「そうですね」
「あの人が装備品を管理しているから、昼前には行って採寸をきちんとしてもらわないと」
アサメはぶるりと寒気がした。
得体の知れない男による触診。
「絶っ対、嫌です」
「ん、心配しなくてもアサメは女の人にお願いしてあるよ」
「あ、なら、まあ」
早とちりしてしまったアサメであった。どうも調子が狂う。気を紛らす為に光珠虫を何匹か誘き寄せる。やはりいつもより誘引がうまくいかない。
「よっし」
ゴクロウは脚の反動だけで立ち上がると、せっせと小枝やら薪やらを集め始めた。流木に腰掛けて蔓を解し、火口を作る。
今朝はのんびりとした雰囲気が漂っていた。
「仕事はいいんですか」
火起こしの作業を進めつつ、可笑しそうな顔をした。
「ユクヨニさんがいる間は遊んでいろって族長殿に言われてさ、今日は休みってわけだ」
「ふうん」
火口を丸めてお手玉をするゴクロウ。
「だから午前は感応術の特訓だ。一緒にやろう」
アサメはじろりと振り向いた。
一緒に、というよりかは隣に居座って勝手に瞑想しているだけだった。協力する気はなさそうである。
薪や火口から完全に脱水し、火気を落として火を起こそうとしている。
どの工程も手を使わず、感応術による再現。意志だけではなく想像力も要する。当然ながらアサメの訓練よりも難易度は高い。
お互い妨げにはならないだろうと気を取り直し、集中。
深呼吸をし、アサメも光珠虫に働きかけ、滑らかに動くよう試みる。
(火起こしより先に魚を釣ってやる)
対抗心のおかげか、かなりやる気が出てきた。これが切磋琢磨か。
不凍の池を包む穏やかな闇の帳に、仄かな光がふらふらと集う。
厳かな心持ちで瞳を閉ざすと時折、遠くの水面から曇天岩魚が飛び出すと跳ねた水音がはっきりと伝わってくる程度の静けさ。風はなく、しかし雪深いが故に確かな寒気が身体から熱を奪っていく。アサメの矮躯は半身という人ならざる肉体の器であり、一定の寒さには耐えられる。だが、温もりが恋しかった。香茶がいい。それも桃の香りが微かにする薄紅の香茶。喉を潤し、芯から熱を得て。
「アサメ、それ、あはは」
笑い声が聞こえた。
はっと眼を開いたアサメはゴクロウの方を振り向いた。
「何ですか」
「いや、お前の身体だよ」
訝しみながら指差された身体を見下げた。
もこもこと矮躯に取り付いた無数の光珠虫。
それも全て薄紅色の光を湛えていた。
「わ」
ぎょっとして小さな手足を振り、追い払う。
間近でみるとやはり光珠は虫らしく、蜜蜂めいた無機質な複眼と単眼と目が合い、ぞっとした。
どうやら雑念に集中していたらしい。
「温まりたいよな。火を起こしたら香茶を淹れてやるからさ、アサメの好きな桃の香りのやつな、くくく」
心の動作を如実に表面化する感応術の習得。
精神掌握の鍛錬と同義であり、雑念が多いほど心の声がだだ漏れる。
アサメは恥ずかしさでみるみると頬を紅潮させていく。
「もう、いりませんッ」
「わ、ばたばた」
「うわあああむかつくうううッ」
地団駄を踏む。せっかく集めた光珠虫がふよふよと去っていく。
「あらら、この分だと俺が先に火起こし成功かな」
「絶対に私が先に釣りますッ」
対抗心に怒りという燃料が放り込まれ、みるみると燃え上がっていく。
ふいとそっぽを向いたアサメは眉間に皺を寄せて精神を研ぎ澄ますのであった。
数時間後。
ばちばちと薪が燃え、燻されていく。
ゴクロウはもう何度目かの腕立て伏せ、屈伸、腹筋運動を終え、感応術で起こした焚き火の前に寝転がった。退屈凌ぎである。身体は充分すぎるほど温まっていた。
そろそろシクラン率いる行商隊と会う時間である。
ゴクロウは軽々と跳ね起き、体躯を大きく伸ばした。
「さ、今日はこんなもんだな、アサメ」
躍起になって魚釣りに没頭するアサメの後ろ姿へ声を掛ける。
釣果、無し。
「あっれぇ、アサメちゃん、これはいわゆる、坊主でちゅかなあ」
物凄く腹の立つ声で煽った。
アサメはぎりぎりと歯軋りを上げ、ゴクロウに殺意をぶつける。
「覚えてろよ、このク」
物凄くドスの利いた声音で唸る。
後半はよく聞き取れなかったが、あまりの怒りで呪詛を呟いているに違いなかった。




