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そこに住まう者たち 8

 もう何度目か。

 ゴクロウは汚れた身体に雪をまぶして血を拭う。浅黒い肌は冷えてすっかり赤らんでいた。鼻の奥に残る泥暮らしの血臭(ちしゅう)は実に不快で、全く拭えない。一刻も早く消し去りたいのはアサメも同じく、寒い思いをしながら雪を浴びて気分を紛らわせていた。焼け焦げた煙に(いぶ)されているせいで余計に酷い臭いが身体につく。


「アサメ。傷はなんともないか」

「今のところは。薬も塗りました」


 アサメは夜光の精素に触れ、夜色の黒髪と紫紺(しこん)の瞳に戻っていた。脇腹辺り、千切れた羽織りの隙間から包帯が(あら)わになっている。

 ゴクロウはにやりと笑った。


「俺より先陣切って暴れると啖呵(たんか)を切っただけあったな」


 アサメはじと目でゴクロウをみた。


「ええ、貴方より多く殺しましたから」


 屈んで目線の高さを近づける。


「お、なんだ自慢か。ちなみに大将格(ボス)を仕留めたのは俺な」


 それでも鋼の瞳は上目で睨みつけてきた。


「みっともなく何度も私に叫んで。だいぶ耳障りでした」

「アサメ。いいんだぞ、そろそろ俺の名を呼んでくれても」


 少女はふんと(きびす)を返した。

 共に過ごして一週間と少々。

 ゴクロウはアサメの口から一度もゴクロウという言葉を聞いた記憶がない。最低でも一度は口にしているはずだ。そうでなければ世話になっている夜光の一族から名で呼び掛けたりはしないのだから。


「いいから真面目に見張ってください。臭いです」


 肯定も否定もせず、話をずらされた。


「ううむ、腐った草。いや臭」


 適当に冗談を呟いて監視に戻る。

 ゴクロウとアサメ、そしてハルシ率いる巡回者達は森を背にして夜光の行商隊を待っていた。定刻は既に三十分以上が過ぎている。当初から一時間前後のずれは想定して計画している為、想定内といえばその通りではある。泥暮らしという懸念(けねん)が計画の破綻(はたん)を濃厚にさせているであろう事は、皆の(あきら)めた顔をみれば明らかであった。


「やっぱり何かあったんだ。遅れるなら父上は必ず連絡をくれるはず」


 ハルシはぶつぶつと呟き、心ここにあらずといった様子で落ち着きなく歩き回っていた。

 開戦の象徴、泥暮らしの出現と襲撃。不安を抱くのは当然である。


「ハルシよう」


 声を掛ける。


「ん、どうした」


 ゴクロウは護人杖(ごじんじょう)をわざと大振りし、ハルシが見切れる速度で胴を横薙ぎに狙った。


「うぬおッ」


 乾いた音が響く。なんとか防御(ブロック)成功。同時に腰を切るように反転、振るう。ゴクロウの首辺りで寸止めた。


「ゴクロウ、いきなり何を」


 ハルシは驚いた顔で攻め手と向き合う。

 教えた通りの体捌きで返した、とゴクロウは満足げに笑う。


「行商隊が来るまで暇だろ。ちと付き合え師匠」

「いや、えぇ。今から」

「敵に待った無し」


 急遽(きゅうきょ)、約束組み手を開始。

 四つある突きの型、五つある打ちの型、八つある払いの型。

 教えたのはハルシだが、ゴクロウはみるみると吸収して誰よりも動作を洗練させた。すでに指導者以上の技術を体得している。戦闘行為に対する意欲の差が如実に表れていた。

 組手主体。

 攻め手と守り手を交互と入れ替えて打ち合う。

 火炎に照らされる二人の演武。

 杖と杖が打ち合う。乾いた音が軽やかに響く。


「また杖だけ遊んでいるな。もっと脚を捌け、脚で腰を揺さぶって肩を回せ」

「呼気が乱れている。もう一回」

「今の重心はどこだ。もっと落として、よし今のは良い」


 ゴクロウの(げき)が飛ぶ。

 一連の型が終わり、次の型へ始まるまでの動作間隔が非常に短い。高い回転率で次から次へと移り変わる。目の前を集中しなければ、怪我を負うのは必至。

 初めての稽古(けいこ)では五分で上がっていたハルシの息が、今朝は十分まで伸びた。今は十五分。次第にゴクロウの指摘が減り、連戦演武が鋭く速く加速していく。

 ゴクロウが上段から振るう。

 ハルシは迎え撃つと見せかけ、重心を下げて棒を擦り抜かせる。

 踏み込み、胴突き、寸止め。

 静粛な呼吸を繰り返すゴクロウはここで手を止めた。涼しい顔で護人杖(ごじんじょう)を両肩に担ぐ。終了の合図である。


「ハルシ、今日も成長したな」

「ああ、はあ、なんか、気持ち良いよ」


 ハルシは明らかに肩が上がって汗をかいていたが、雑念が抜けたのだろう。随分と晴れやかな顔をしていた。


「ゴクロウ。もう引き返す時間、だよな」

「ああ」


 ハルシは手拭いを受け取り、気持ち良さそうに汗を拭く。そしてぴしゃりと己の頬を叩いた。


「よし、悩むのは止めだ。自力でどうにもならない事を考えても仕方がない。俺達よりも旅慣れた父上達なら大丈夫だ。今頃遅延の連絡でも取ろうと鳩を」

「祈り、届いたみたいだぞ」

「え」


 ゴクロウはにやりと笑い、暗い雪原へと顎をしゃくった。他の巡回者やアサメも既に彼方を見つめていた。

 一点の青い光。

 四頭の馬が、箱舟の如き大馬橇(うまぞり)を走らせている。

 目を凝らせば(いか)つい御者(ぎょしゃ)と、窓から身を乗り出して親しげに手を振るう夜光族の旅人達。

 ハルシは心の底から安堵し、高々と声を上げた。


「皆、急いでお迎えしようッ」


 行商隊が来る。


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