ゴクロウとアサメ 15
静まり返った茅葺小屋。
ゴクロウが目を覚ましてから一週間が過ぎた。
瞼を、かっと開く。
薪の火が消えかけていた。それでも室内は多少肌寒い程度で、過ごしやすかった。
ゴクロウはむくりと起きると、少々の薪を足した。
あまりたくさん燃焼させると冷え切った外気を大量に室内へと取り込み、温度が急激に下がる。それどころか強い対流が発生するせいで体感温度は外よりも寒くなるとハルシから窺っていた。寒冷地の民らしい生活の知恵である。
時刻は不明だが体感的には早朝だろう。目覚めの良いゴクロウはすっかり馴染んだ護人杖を手にし、立ち上がった。驚異的的な回復力によりすっかり癒えた脚はしっかりと労働に活かせている。
ゴクロウがいた寝床の対面ではアサメが丸まって眠り、安らかに肩を上下させていた。
忍びの如く戸を開け、静かに草履を突っかける。
茅葺小屋を抜け、外へ。雪闇の下に立ってようやく身体を伸ばした。
やはり時刻は判らない。だが大きく身体を伸ばして僅かな眠気を発散。今日も体調は万全で無事に生きているという現実に感謝した。
いつも通り日陰の園を散策する。細やかな喧騒。まばらに歩く青い燐光の人々とすれ違い、夜光礼を交わす。夜光の一族は皆、不規則に眠る。放浪の民故にいつ何時であろうと火を絶やさず、誰かが誰かを見守って生活を営んでいた。
腹が減った。今日こそは魚を食えるだろうか。荷物を引く馬を追い抜き、顔馴染みとなった老人の背負子を軽々担いで住まいまで運ぶ。お礼に貰った笹林檎を齧りながら、集落の外れにある曰くつきの池へと向かった。
薄らと積もった雪を踏み、穏やかな辺りを歩く。藍色の羽根が美しい小さな水鳥が数羽、水溜まりを啄んでいる程度で周辺には何者も居なく、何処よりも静まり返っていた。
不凍の池。
清冽と澄んだ水面は水藻で茂る底まで透き通っている。鏡のような湖面は淡い色彩の光珠虫が幾つも浮いてより明るい。沈む倒木と、そこを住処とする曇天岩魚の紫鱗さえもはっきりと煌めいていた。微かに青みがかった濃淡はいつ眺めても綺麗だ、とゴクロウはしばし立ち止まっていた。
日々の鍛錬で踏み締められた雪の上。
瞼を閉ざし、深呼吸。冷気が肺を満たし、鼻腔からゆっくりと抜けていく。
刮目。
護人杖を振るう、振るう、振るう。
回転の勢いを乗せ、股間、鳩尾、喉、人中の四連突。
「ぜェいッ」
裂帛。
驚いた水鳥が慌てて飛び去り、水面を揺らした。ゴクロウは一心不乱に棒を振り続け、気合いと共に虚空を穿つ。
全身から蒸気が立ち昇る。熱い。
上着だけを肌蹴させ、刀傷の残った屈強な肉体を露わにした。右斬上、胸に一文字、左腕に一閃二条。この傷痕を見る度、腹の底から煮え滾る血がこみ上げてくる。
更に振るう。
踏み込む。弾く。躱す。叩く。避ける。払う。蹴る。回す。防ぐ。突く。薙ぐ。殴る。
汗を迸らせ、虚空と、仮想敵と向き合い、闘う。
相手は一人。
痩せ型。長刀、細剣。
中距離以上ならば弓と銃。
間合いを空ければ不利。
斬らせて叩く。変則的で、不用意に踏み込めば危うい。捌き続けるのも限界だ。膂力もある。だが、体重差までは埋められまい。斬撃を誘発させ、激突。吹き飛ぶ。力を逃すのが上手い。目にも止まらぬ速さで弓をつがえ、矢を放つ。こうなっては奴の独壇場だ。遮蔽物となる樹々を利用し、機動力を活かして高所を陣取り、確度の高い命中率で以って一方的に攻める。こうなる前に地に脚をつけさせて一気に片をつけなければならない。こちらも弓が必要だ。
次。あの細剣は実に厄介だ。無軌道で読み難く、変則的な連撃を放ってくるのは容易に想像が付く。距離を保って。駄目だ。次。
次。
次。
時間にして約一時間半ほど。一瞬たりとも気を抜かず、一打一打に全力を込める。研ぎ澄まされていく全神経、全感覚。思考も、数少ない戦闘経験も活用して一人闘う。
背後から気配。
身体を反転しながら棒を振るい、飛来した雪玉を叩き割った。
粉々と散った雪の粒が滾る肉体を気持ち程度に冷ます。それがとてつもなく気分が良い。
ゴクロウは残心し、漸く一息ついた。少女に手を振る。
「おはよう、アサメ」
「おはようございます」
仏頂面の少女はにこりともせず、いつもの流木に腰掛けた。




