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航空機搭載潜水艦伊400最後の出撃  作者: 飛龍 信濃
潜水艦隊の意地 重巡インディアナポリスとの戦い
82/112

第81話潜水艦隊の意地⑤ 酸素魚雷の話

題名ままです

「20000」

橋本中佐は、潜望鏡を覗き言った。

「距離が出ましたか。」

「ああ、だが今撃ったところで射程距離内だし、遠すぎて当たらんよ。」

潜水艦の搭載している、九五式魚雷は酸素を酸化剤として使用している、いわゆる酸素魚雷である。

九五式魚雷の射程距離は、40ノットで9000メートルという長大なものがあった。

また、駆逐艦や巡洋艦用の九三式魚雷なら、36ノットで40400メートルの射程距離を持っていた。

また、魚雷の直径は九三式魚雷が61センチであり、九五式魚雷53、3センチである。

この射程距離は、直径の違いから実際にはできないが、もし伊58が九三式魚雷を積んでいたならば、十分に敵艦を射程距離に収めることができるほどである。

その圧倒的な射程距離から、敵にロングランスとして恐れられていた。そして、その威力もアメリカ軍の使用していた物よりも大きかったのだ。

また日本の魚雷搭載艦には、基本的に再装填装置が付いており、10分ほどで再び魚雷を放つことが出来たのだ。

そのため、違う敵を狙い外れた魚雷がその後ろの、かなり離れた艦に当たることもあった。

だが、その長射程も敵を視認できなければ意味が無く、また誘導魚雷ではない為に遠距離雷撃では、外れることも多く結局は、接近して撃つのが一番命中率が高いのである。

また日本海軍は、代表的な5500トン軽巡の北上、大井を九二式4連装魚雷発射管片舷5基、両舷合わせて10基の魚雷発射管を持つ重雷装艦に改装していた。

片舷だけでも20本の魚雷を放てるのである。うまく使えばそれなりの戦果を上げることが期待できた。

だが、太平洋戦争では無常にも想定していたような大艦隊決戦が起こらず、この重雷装艦も活躍の機会が無かった。

歴史にIFはないが、もし艦隊決戦が起こっていたならば、2艦合わせて片舷40本の魚雷によって、敵艦隊に打撃を与える事が出来たであろう。

だが、この2艦には再装填装置が付けられていなかった。理由は簡単である。魚雷発射管10基に魚雷40本を積んでいる為に、それによってただでさえ大きくなく、余裕の無いプラットホームである、大井と北上の重量はかなり増えていたのだ。これにさらに呼び魚雷及び、再装填装置を設置したならば、友鶴事件の時の水雷艇友鶴のように、トップヘビーによって転覆してしまうだろう。

それを防ぐために、再装填装置を設置していなかったのだ。

実を言うと、実戦では露呈しなかったが重雷装艦の2艦は、敵のあらゆる攻撃に対して轟沈するという最悪の可能性を、秘めていたのだ。

もし、魚雷発射管に装填してある魚雷が1本でも誘爆したならば、即座に誘爆は他の発射管に伝わり、艦を木っ端微塵に砕いていたことだろう。

そう、重雷装艦は重危険艦でもあったのだ。

幸いにも、最前線での戦闘を行っていなかったこと、途中で高速輸送艦に改装されたことによって、最悪の事態は引き起こってなかったのだ。

だが、酸素魚雷が誘爆すれば至近弾1発でも艦が沈んでしまうことも、起こるのである。

酸素魚雷の誘爆により、至近弾のみで沈んだ悲劇の艦の名は重巡鈴谷。

帝国海軍の精鋭であった。

鈴谷は、最上型二等巡洋艦の3番艦として建造された。

なぜ重巡なのに、二等巡洋艦なのか。それは軍縮条約によって制限された重巡の保有量それを増やすため、抜け道をいくために、元々は15、5センチ3連装砲5基15門を搭載する、軽巡として建造されたからである。

軽巡とは、その海軍軍縮条約では10000トン以下、そして6インチ以下(15、5センチ)の主砲を搭載する艦のことを言った。

そして、同軍縮条約での重巡の基準は、排水量は同一であり、搭載できる主砲のサイズが一回り大きい、8インチ(20、3センチ)砲であったのだ。

そう、排水量が同一と言うことは、艦のサイズも同じ規模にできるということである。

そこで、古鷹型2隻、青葉型2隻、妙高型4隻、高雄型4隻計12隻を建造したことによって、重巡の建造枠を使い切った日本海軍は、ここで奇策に出たのである。

そう、主砲の換装を前提にまだまだ残っていた、軽巡枠を使い、最上型4隻を建造したのである。

そして、軍縮条約が切れた後、主砲を20、3センチ砲に換装したのである。

本来後継の利根型重巡も同じ思想で作られたのだが、建造途中で条約が切れた為に、最初から20、3センチ砲を搭載して竣工している。

その為、便宜上重巡と呼ばれているが、分類上では二等巡洋艦なのである。

話を戻すと、鈴谷はサマール島沖海戦に於いて、敵機の爆撃を受けた。

その損害は大したことはなかった。がしかし、小火災が右舷発射管付近で発生し、誘爆を起こしたのだ。

この被害は艦長が総員退艦を決意する程であり、鈴谷の致命傷になったのである。

その後鈴谷は、傾斜を起こし高角砲弾の誘爆を起こした。その後、さらに左舷発射管の誘爆も起こし静かに沈んでいったのである。

このように、酸素魚雷は敵味方双方にその威力を見せつけたのであった。

第81話完

今回は、脱線の脱線回になりました

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