外戚の一族
その日の夜、一行はアブアールの邸宅に招かれ、公開手術成功を祝う宴を繰り広げる。家の格は低いが、彼も首都に住まう貴族の1人だ。屋敷には多くはないが複数人の使用人を抱えており、食卓の間の絢爛なアラベスク模様の絨毯の上には、大皿の料理が並べられ、各人は葡萄酒を注がれた銀製のグラスを持っている。
「では! ささやかながら、世界初の全身麻酔公開実験の成功を祝して」
アブアールはグラスを掲げる。主催者の音頭にしたがって、他の4人もグラスを掲げた。
専属の料理人が腕に縒をかけて作った品々はどれもこれも、普段はお目にかかれないような料理ばかりだ。また食器自体の意匠や部屋のあちこちに飾られている装飾品、各々の背に置かれた柔らかいクッション、そして揺らぐランプの灯、香の匂い・・・その全てが優雅で魅惑的な雰囲気を醸し出している。
貴族出身のシャナと富裕平民出身のハッサンは、貴族の歓待に何度も参加している経験があるため慣れている。リューも前世で社交や接待の場には慣れていた。
しかし1人、ガチガチに緊張している者がいる。
「わ・・・私、ここに居ていいのかな?」
カナンは両手でグラスを抱えながら、小刻みに震えていた。生粋の平民である彼女は、貴族の屋敷を訪れるのも初めてのことだった。
「当然だよ、カナン。君もこの実験にしっかり関わったんだから」
「・・・リュー」
カナンは手術室看護師として、十分な働きを示してくれた。リューはそのことを感謝していた。
「そういえば・・・ハッサン先生とリュージーン君は、外科手術に看護師をつけているのですね?」
この世界には“看護師”という職業はあるが、現代の様に手術室専属の看護師は存在しない。アブアールはカナンの存在について、改めて問いかけた。
「はい、彼女は手術の道具受け渡しを担当してもらっています」
リューはカナンの役目を説明する。現代の外科手術には欠かせない手術室看護師は、本当は“器械出し”と“外回り”と呼ばれる2つの役割に分かれる。
そしてカナンは、医師と共に手を消毒して術野に入る“器械出し”を担当している。主に外科道具の受け渡しを行い、他には術中に体内へ入れたガーゼのカウントを行う。一方で“外回り”と呼ばれる手術室看護師の役割は、術野の外で追加の道具を器械出しへ渡したり、電気を用いるデバイスの操作・管理などを行うのだ。
「彼女のおかげで、我々はスムーズに手術ができています。彼女は頼もしい看護師ですよ」
「・・・!」
リューはカナンのことを1人の看護師としてとても頼りにしていた。改めてそう言われると、カナンも照れ臭くなってしまう。
「そういえば・・・」
シャナが何かを思い出した様に口を開いた。彼女は葡萄酒を飲んだグラスを床に置くと、ハッサンへ視線を向ける。
「私は明日ラマーファに帰ります。薬屋を長く空けてはおけませんからね」
「そういえばそうだ。いや、おかげさまで助かったよ」
シャナは元々国の命でラマーファに派遣された国の薬師だ。彼女が居なければ、ラマーファの国立診療所は薬を仕入れることができない。
「あの・・・私も父が心配なので、シャナさんと一緒に一度帰ろうと思います」
ラマーファに帰らなければならないのはカナンも同じだ。彼女は鍛冶屋としては優秀でも生活力のない父親が心配だった。
「そうか・・・残念だけど」
「ごめん、リュー・・・」
「いや、ワルートさんにはこれ以上心配かけられないよ」
カナンも半ばで首都を離脱するのは心苦しく思っていた。しかし、リューは父を気にする彼女の気持ちを尊重する。
「・・・で、我々は今後どうしたらよいかな」
最大の目的である全身麻酔の公開手術は成功に終わった。ハッサンはアブアールに今後の方策を尋ねる。
アブアールはグラスを床に置いた。
「私は全身麻酔の普及を、今後の外科学教室の主軸にしていくつもりです。そのためにハッサン先生とリュージーン君には客員助教として、イスファダードにしばらく留まって欲しい」
「ハッサン先生はともかく、リューが助教とは・・・!」
シャナは驚きを隠せない。医学学校の入学年齢は18歳以上である。それよりも若いリューが、客員とは言え助教に取り立てられることなど、前代未聞であった。
「お2人には全身麻酔普及のため、学生や研究生だけでなく、外科学教室に属する医師に対しても指導をしてもらうことになります。リュージーン君が助教でなければならないのは、学生ではない指導的立場であることを内外へ示すためです。
貴方方は公開手術を成功させたのです。そしてこれは教授である私の決定です。表立って文句や嫌味を言う輩は私が律します」
アブアールはハッサンとリューを守ると誓う。
「全ては・・・外科学教室の再興のため!」
アブアールの目的、それは「15年前のある事件」で宮廷から疎まれる立場になってしまった外科学教室の名誉回復だ。
「よろしくお願いします」
リューは改めて頭を下げる。かくして、ハッサンとリューは客員助教として、しばらく首都に止まることとなった。
: : :
翌朝、市場から旅立つ隊商の1つに、ラマーファを経由する一団がいた。ハッサンとシャナはそのリーダーと交渉し、同乗できることになった。
「じゃあね、リュー・・・体に気をつけて」
「ああ、ありがとう、カナン。ワルートさんによろしく! 俺もこっちでの仕事が一段落したら帰るつもりだから」
隊商の荷車へ乗り込むカナンに、リューは別れの言葉を伝えた。リューとハッサンがいつ戻れるのかはまだ分からない。
その後、リューとハッサンが見送る中、カナンとシャナを乗せた隊商が出発する。2人はお互いが見えなくなるまで手を振り合っていた。
「・・・カナン、リューのことが心配?」
「え! あ、いや・・・」
カナンは不安そうな表情をごまかせなかった。シャナはめざとくそのことを指摘する。
「まあ、身の安全的な話なら・・・大丈夫でしょ。ハッサン先生もアブアール先生もいるし。それよりもカナンが心配すべきなのはもっと別のことじゃない?」
「・・・別のこと?」
揺れる荷車の中、カナンは首を傾げた。
「惚れた男が都会へ旅立つ。女は男が帰る日を健気に待つも、男は出世を重ねて数多の美女に言い寄られ・・・故郷で待つ女が知らぬ間に妻と子を成し、“もう帰れぬ”という便りだけが届いて・・・」
「・・・〜〜〜!!!???」
シャナの口調はまるで吟遊詩人の様な言い回しだった。カナンの脳裏にはその光景が有り有りと描かれてしまい、彼女は両手を両頬に強く押し付け、声にならない悲鳴をあげる。
他の同乗者たちは一斉に、何事かと2人へ視線を向けた。
「冗談! 冗談だって! 落ち着きなよ」
「うぅ〜・・・・」
想像以上にカナンのリアクションが大きく、シャナは軽い罪悪感を抱いた。冗談というワードを聞いて、カナンは落ち着きを見せたものの、その顔は真っ青で目尻には涙が浮かんでいた。
(ま、よく考えれば・・・医学学校は男社会だし、女と関わることなんてほぼ無いか)
シャナはまだ立ち直れないカナンの頭をよしよしと優しく撫でる。ラマーファへ向かう隊商の列は、地平線の向こうに遠ざかっていった。
2人との別れを済ませたリューとハッサンは、アブアールと共に国立医学学校を訪れる。この日は2人が初めて、助教として出勤する日となった。
アブアールはまず、教室に所属する医師たちのオフィスである「外科学教室医局」へ2人を案内した。そこは研究室も兼ねており、数多の実験器具が並べられている。医局の中には5人の医師がいた。
「皆もすでに知っているとは思うが、改めて私から紹介する。ラマーファの外科医であるハッサン・グリムール=ロラン医師と、リュージーン・ヒルクライハー=ロラン医師だ! ハッサン医師は15年前までこの教室に所属していた、いわば我々の先輩だ。
そして2人は本日付けで『客員助教』としてこの外科学教室に加わって貰い、主にエーテル全身麻酔の指導をしてもらう!」
アブアールの言葉はわずかなざわつきを生んだ。医師たちは様々な思惑を含んだ目で2人を見つめている。
「・・・皆も思うところはあるだろう。だが、2人はあの麻酔の術を我が外科学教室に見返りなく提供してくれたのだ。そしてこれは、この教室の名誉回復のために必要なことだ。認めろ」
アブアールは強い口調で念押しする。その威圧感は外科医師たちを束ねる長の風格だった。
その後、リューは一番若い外科医であるナスール・リン=サラーに、医学学校内を案内される。リューは最初に、外科学教室の一画にある小さな部屋へ案内された。
「ここが貴方とハッサン医師の部屋だ。好きに使ってもらって構わない」
「個室まで用意して貰えるとは・・・」
そこは10畳程度の広さの部屋だった。空き部屋だった様だが、ハッサンとリューが来るにあたって清掃の手が入っており、綺麗に整頓された2つの机が並んでいる。
「元々、我々の教室はもっと人員が多かったのだが、15年前に多くの医師が辞めてしまったのだ。言ってしまえば、ハッサン医師もその1人だが・・・。
それ以降、新たな外科医は中々いないのが現状だ。正直、私は君が来てくれてとても嬉しい。・・・よろしく頼むよ」
「・・・こちらこそ!」
ナスールは改めて歓迎の意を示した。2人は固い握手を交わす。
この国の都市部における医学水準は、この世界の中では非常に高いレベルにある。病院、そして医学学校のシステムは現代世界のそれと大きく変わらない。
医師は診療科ごとの専門に分かれ、医学学校附属病院は外来と入院病棟が明確に分けられている。看護師による看護と薬師による調剤・処方が行われ、医師は学生を引き連れながら病床の患者を診察している。
そして医学学校は医学科、歯学科、薬学科に分かれ、またそれぞれの学科内でさらに細分化された「教室(講座)」が開設されている。教室の長は「教授」と呼ばれ、その下には多くの優秀な医師・薬師が勤務し、日々の診療、医学教育・研究に携わっている。
その形態は現代日本の大学医局制度にほぼ等しかった。
「400年の歴史を持つこの医学学校の中で・・・我が『外科学教室』は発足から僅か40年しか経っていない。創傷治療を行う医師は古今東西存在し、過去の天才たちが記述した外科手術の指南書が複数あるにも関わらず、外科治療を体系的に教育し、普及させようという試みは長い間成されなかった」
先先代の初代外科学教授は複数の同志たちと共に、外科治療の教育・普及のため「外科学教室」を発足させたが、他の内科医や薬師からは、“患者を殺すために医師をしている連中”という非難と中傷を長らく浴びせられてきた。
それは全身麻酔のない世界において、外科手術は患者に大変な苦痛を与えるものであり、さらに周術期死亡率、創部感染頻度も高かったことが原因である。
「そんな状況を変えたのが先代教授だ。あの人は鎮静作用・陶酔作用のある生薬を併用する事、皮膚を蒸留酒で洗うことを考案し、おかげで皮下膿瘍や脱腸、痔核、皮膚腫瘍など、“体表”の外科手術はある程度痛みと化膿を抑えられるようになった。以降、外科を志す医師・医学生も増えていったんだ。15年前まではな」
ここまでの説明をするのはナスールだ。先代教授とは、ハッサンやアブアールにとって直接の師匠となった男であり、1代にして外科学教室の発展と“凋落”を招いた男だった。
「・・・あの、以前から気になっていたのですが、私の父と外科学教室に、過去何があったのですか?」
アブアールは教室の“名誉回復”を時折口にする。リューはそれが、ハッサンの都落ちと関係していることは何となく分かっていた。
「ハッサン医師からは直接聞いてはいないのか?」
「・・・はい」
しかし、当人には詳細を聞きづらく、ずっとモヤモヤを抱えたままになっていた。リューは意を決して養父の過去を問いかける。
「まぁ、保管されている診療録を見れば分かってしまうし、医学学校内では既に周知の事実だから教えるが、15年前・・・外科学教室は、宮廷から“ある最重要患者”の診療を突如として依頼されたんだ。
患者は妊婦で、その日出産を迎えていたが、胎児が“横位(胎児が産道に対して横向きとなった状態)”になって極めて難産となっていた。その子を“何としても取り出せ”という命令が下り、先代教授とハッサン医師、今のアブアール教授は急いで宮廷へ向かったんだ」
「・・・宮廷から? ・・・まさかその患者とは!?」
「察しの通り、皇帝陛下の妃だ」
ハッサンとアブアールは先代教授と共に、助産師ではどうにもならない異常胎位の子を救うため宮廷へと招集された。
宮廷のベッドの上には、胎児が降りて来ずに苦しみ、意識すらも朦朧とした妃の姿があった。3人は皇子となる胎児を救うため「生きた妊婦から生きた胎児を取り出す」という手術を行った。
「それって・・・!?」
「元々、死亡した妊婦から遺児を取り除くことはよく行われていた。それに過去の歴史において出産困難となった妊婦から胎児を取り出す試みは前例のないことではない。しかし、残存している記録ではいずれも母体は死亡している。妃・皇子殺しで首を飛ばされることを覚悟しての手術だった・・・」
15年前、ハッサンたちは皇妃の「帝王切開」に臨んだ。現代でこそ、帝王切開による死亡率は0.03%にも満たないが、19世紀前半には母体死亡率75%に上る非常に危険な手術だった。
「陣痛の痛みで、腹を切る痛みが麻痺していたからこそ出来たことだった。そして彼らは母子共に命を救ったんだ」
3人は19世紀の地球よりも科学技術が劣るこの世界で、帝王切開をやってのけた。それはこの世界の医学の歴史において、歴史的快挙と言っても過言ではなかった。
しかし、周囲はその快挙を評価しなかった。
「代償として、妃殿下は子宮を失った。さらに・・・手術の数週間後から“カエルの様に出っ張った醜い腹”になってしまったと聞く。その結果、先代教授を筆頭とする外科学教室は、宮廷から、そして他の医師たちから厳しい糾弾に晒された。その結果として先代教授は国外へ追放、ハッサン医師は医学学校准教授を辞職した。以降『外科学教室』は存続は許されたものの、日陰者の扱いとなったのだ」
周囲の反応は母子共に助けたのは医師として当たり前、それ以上にその妃が子を成せなくなったことを強く責め立てた。医療知識のない者に、この世界における緊急帝王切開の困難さは理解されず、最終的に責任者である先代教授の追放で済むという“温情”で収められた。
教授の追放に反発した若き日のハッサンは、医学学校と首都政府に見切りをつけ、それまでのキャリアを捨てて下野したのだ。
(・・・術後、・・・カエルの様に醜い腹)
医学学校を案内する道すがら、ナスールは外科学教室の過去を語り終える。リューは妃の症状を聞いて、ある術後合併症の名を思い浮かべていた。
だがその時、学舎の廊下を進む2人の前に、1人の人影が立ちはだかった。
「リュージーン・ヒルクライハー=ロラン!」
「!??」
突如としてフルネームを叫ばれ、リューは面食らう。彼らの目の前には、医学書を脇に抱えた女学生の姿があった。ウェーブした黒い長髪を後頭部でまとめており、着ている衣服は緻密なアラベスク模様が施され、その光沢から絹やサテンが使われているのが分かった。
(イドリースィーの娘だ)
(外科医に一体、何の用だ?)
周りにいた他の医学生や医師たちがざわついている。その女学生は周囲の視線を気にすることなく、さらに話し続ける。
「私はアイーシャ・オシリス=イドリースィー! リュージーン! 私を貴方の弟子にしなさい!」
「!!?」
アイーシャと名乗ったその少女は、そうとは思えないほどに高圧的な態度で、弟子入りを志願してきた。
「・・・えっ・・・と」
凄まじく高飛車なお嬢様が出てきた。リューは呆気に取られ、承諾の言葉も、拒否の言葉も告げることが出来なくなっていた。
反応に困っているリューを見兼ね、ナスールが助け舟を出す。
「君は1年生だろう、教室に属することが出来るのは4年生からだ」
彼はリューの前に立ち、最少学年である彼女を諭した。因みに国立医学学校は5年制であり、4年生以上になると、それぞれの教室に属して実習や研究に関われるようになる。
故に1〜3年生のうちは座学で知識を修めることを求められる。まして、知識も未熟な1年生を客員助教の特別な生徒にするわけにはいかない。
「・・・でも、貴方は17歳でしょ! 本来なら医学学校への入学すら許されない年齢のはず! なのに助教になった・・・私なら、もっと早く上を目指せる!」
「いい加減にしなさい!」
ナスールは医学学校の教員として、学生のアイーシャを叱責する。その怒号に気押され、今まで饒舌に語っていたアイーシャは口を噤んだ。
「彼は特別だ。我儘と傲慢はそれまでにしなさい」
「・・・ウッ」
ナスールは反論を許さぬ気迫で、高飛車な1年生を黙らせる。アイーシャは一旦目を俯けると、再び鋭い目でリューの顔を見た。
「・・・私は諦めません!」
そう言うと、アイーシャは背を向けて教室へ戻っていく。野次馬をしていた他の学生たちは彼女の道を開けるように、サッと身を引いた。
ようやく我を取り戻したリューは、事態を収めてくれたナスールに話しかける。
「あの、ナスール先生・・・彼女は?」
「今年入学した医学科1年生唯一の女学生だ。見ての通り、少し問題のある生徒でな・・・どうやら、前回の公開手術で君に目をつけた様だ」
ナスールは大きなため息をついた。
「だが・・・あの娘にはあまり関わるな」
「・・・? 何故です」
「彼女の生家は、特に我々を敵視しているからだ」
「・・・どういうことですか?」
リューはナスールの言葉の意味を理解できない。ナスールは外科学教室と因縁深いアイーシャの血筋について説明する。
「アイーシャ・・・彼女が生まれた『イドリースィー家』は、先ほどの話に出た皇妃の出自。つまり彼女は“外戚”の一族だ」
今更ですが
本作中のアバスフマル帝国の世界観・文化はアッバース朝イスラーム帝国をモデルとしています。ですが異世界のためイスラム教は存在しないので、女性のヒジャブ・ブルカなどの義務はなく、飲酒や豚肉の食用も禁忌ではなく、ラマダンの風習もありません。
なおアバスフマル帝国の宗教は古代エジプトの様に自然信仰から派生した様々な神を祀る多神教です




