■第4話 そして退路を断たれる
それは懺悔室バイトを終えた、一か月後のこと。
朝早く、玄関をノックする音がした。本日、うちのパン屋はお休みなので、父母は休日の遅寝を謳歌しているところだ。私が出よう。
寝間着にガウンの姿で玄関を出ると、誰もいなかった。空耳だったのだろうかと首を傾げて、足元にリンゴが落ちていることに気が付いた。
なぜこんなところにリンゴが……。
しかも真っ赤でつやつやしていて非常に美味しそうなリンゴが……。
断じて今日の朝食に加えようと思ったわけではなく、あくまで怪しいので拾い上げたわけだけど、ふと目の前を見ると、リンゴが2メートルくらいの間隔で、点々と道に落ちていた。
誰がこんなことをしたのか分からないが、リンゴを道に放置するとは何事か。まだ早朝で人通りがないからいいものを、誰かが踏んづけて転んでは大変じゃないか。
断じて全て持ち帰って自分のものにしようこれならしばらくはリンゴに事欠かないぜという私利私欲ではなく、これから現れるであろう通行人の皆さんのために、家から籠を持ってきてせっせとリンゴを回収していくと。
目の前に、白くてふわふわな小型犬がおすわりをしていた。こちらを見上げて尻尾を振っている。
「ええー……可愛……ええー……」
首に水色のリボンつけているから、野良ではないだろう。迷子犬だろうか。
リンゴの詰まった籠を足元に置き、いざ撫でん、と手を伸ばしたところで。
目の前が真っ暗になった。
「え、ちょ、え?」
なんか麻袋的なものを被せられたようで、何も見えないまま狼狽えているうちに、ふんわりと抱き上げられ、せっせと運ばれていく。
リンゴで誘き寄せ、子犬で足止め、からの拉致。
なんと手の込んだ誘拐なのか。
「あの私しがないパン屋の娘ですので身代金とか要求されてもたぶん消費税分くらいしか払えないというか」
誘拐犯の目的地はすぐそこだったようで、説得を試みる間もなく、すぐにふかふかとした場所に降ろされ、麻袋が取られた。
「こんにちは」
目の前に座っているのは、人生で計四度目の対面、衝立なしでは初の対面となる、銀髪赤眼美貌の青年。
え。
皇帝陛下?
「……あの、ここは……?」
「馬車です」
「なんか、すでに移動しているようなんですが……?」
「城に向かっています」
「ええと……初めまし、て……?」
「はい、初めまして。シルヴィス・ハイドラと申します」
さすがにパン屋の娘でも現皇帝のお名前くらいは知っている。
というわけで、最後の最後まで捨てていなかった「もしかしたら目の前の青年は皇帝陛下の特徴を備えただけの一般人」という私の希望はここで潰えた。
「おおおおおお初にお目にかかります陛下」
「かしこまらないでください、シスター。いえ、リーニャ」
「!」
「こうして面と向かってお話するのは初めてですね」
私が懺悔室バイトの俄かシスターだったことも、名前も、ばれている。
「リーニャ・コール。3月9日生まれ。17歳。教会の孤児院で育ち、6歳のときにパン屋を営むコール夫妻に引き取られる。座右の銘は『触らぬ神に祟りなし』。犬派。紅茶に砂糖は入れない。現在、というか今まで恋人なし」
「最後の失礼な情報いります?」
「大変重要な情報ですよ。排除する障害物の多寡の確認は大事ですから」
さらりと物騒なことを言う皇帝陛下の隣に目を移せば、さっきの白くてふわふわな子犬がクッションの上で伏せをしていた。さらに隣にはリンゴの詰まった籠も置いてある。
「リンゴも子犬も陛下の仕業ですか?」
「はい」
「麻袋に入れる必要ありましたか?」
「だって、こうでもしないとリーニャは俺と来てくれないだろうから」
確かに、玄関を開けて皇帝陛下がいたら、速やかに戸を閉めて何も見なかったことにしたと思う。リンゴを辿って子犬で足止めを食らった先に皇帝陛下の乗った馬車が止まっていたら、リンゴと子犬を回収して踵を返し、猛ダッシュで逃げたと思う。
なので、麻袋に詰め込んででも馬車に拉致という強行手段は、まあ、私を捕まえる上では最適と言えよう。こんなところで的確な判断力と迅速な行動力を行使しないでほしい。
というか、なぜ私は自宅まで特定されている上に、寝間着のままで馬車に乗せられ、城に連行されているのだろうか……。
「な、なん、なぜ、私のことをお調べに……?」
「これから攻め落とす対象の調査は基本でしょう」
「人を敵地の要塞のように言わないでくれませんかね……?」
「落とせと言ったのはリーニャですが」
「え?」
「意中の相手を恋に落としてから、然る後に求婚。これが双方にとって最も幸せな道。ですよね?」
……。言った。確かにそう言った。皇帝陛下とメイドさんの恋を応援するために言った。
「ドジっ子メイドは……?」
「ドジっ子メイド……?」
きょとんと首を傾げる皇帝陛下。ちょっと可愛いのだけれど、違う、和んでいる場合ではない。鈍い私でもさすがに分かった。住所氏名年齢その他を特定された上で連行された時点で察するべきだった。
「陛下の意中の相手って、私ですか……?」
「そうです」
頬を赤らめ、はにかんでみせる皇帝陛下。恥じらう皇帝陛下という貴重なお姿なのだけれど、できれば外野から鑑賞させてほしかった。
「な、なん、なんで私なんですか。身分も平民ならパン作りの才能も微妙なら取り立てて美しくもないのですが」
驚愕のあまり逃走本能が作動、座席の隅っこ限界まで身を寄せたら、かえって空いた隣のスペースに皇帝陛下が移動して来てしまった。なぜ。なぜ距離を詰める。
「出来心で訪れた懺悔室で、初めてあなたとお話をして、恋に落ちました。リーニャは俺の話に真摯に耳を傾けてくれて、肯定してくれたから」
熱の籠った視線を真っすぐに向けられる。ただでさえ地獄の業火に喩えられる赤い瞳である。熱量過多である。そして皇帝陛下は私を買い被っている。
「いや、それは、マニュアルにそう書いてあったからです。適当にマニュアル通りの対応をしただけであって、けして私の人間性が素晴らしいとかそういうのではないので」
「あの衝立、よくできてますね。あなた側だと相手の姿が割と見える。最初にあなたとお話した後に確かめに行って、初めて気づいたんですけどね」
「うっ」
ばれてた……。
初日から相手を皇帝陛下だと認識した上で、あんな応答をしていたことがばれていた……。
「二度目に会った時も、リーニャは俺が皇帝だと分かっていて、知らない振りで通してくれた。三度目、リーニャが町の人々の懺悔を聞く姿をこっそり眺めて、恋を確信しました」
「……っ、え、三日目も懺悔室に来ていたんですか? え、どこにいたんですか?」
「普通に屋根裏ですけど」
皇帝が普通に屋根裏に潜むんじゃない。
「来る人全てに、リーニャは真剣に応えていた。子供でも大人でも誰が相手であっても、真剣に話を聞いて応じていた。本当にマニュアル通りにするだけなら適当に相槌を打っておくだけでいいだろうに、リーニャが適当な時は一度もなかった」
馬車が止まった。城に着いたらしい。
「あなたが俺の意中の人であるとご理解いただけたでしょうか。あ、ご心配なさらずに。いきなり求婚なんてしませんから。力のある側が求婚した場合、相手に退路はない。これもリーニャの言葉です」
「いやあのこの状況の時点ですでに退路を断たれているのですが」
「まずは仲良くなるところから始めますから」
流れるように手を取られ、導かれるままに馬車を降り、手を繋がれたまま城の前に立つ。
皇帝陛下は寝間着姿の私を見下ろして、にっこりと微笑んだ。
「そして、然る後に結婚しましょう」
微笑みは柔らかく、声は穏やか、手を握る力も優しい。けれど、どうやら絶対に逃がすつもりはないらしいということは、ひしひしと伝わってきた。それはもう、ひしひしと。
基本姿勢が「目的のためには手段を選ばない」である皇帝陛下に、これから求愛されるであろう波乱の日々を思って。
「穏便にお願いしますね……?」
と、返すのが精いっぱいだった。
第1章 終
次話から第2章「皇帝陛下に誘拐されました」が始まります。
別名:リーニャ餌付け編です。




