■番外編1 第三皇子のシルヴィス殿下
国境付近の山中にて野営中の兵士たちは、何とも言えない面持ちで、彼らの指揮官を見守っていた。
皇族の証である銀髪に、この国では珍しい赤い瞳の持ち主である十三歳の少年――ハイドラ帝国の第三皇子、シルヴィス・ハイドラ。
彼は兵士たちの注目を一身に集めながら、鍋でスープを煮ていた。野戦を続けているため、兵士たちと同様に髪は乱れ、身も服も汚れている。それでも目を奪われるほど美しい少年であることに変わりは無く、気品を感じさせる佇まいで、淡々と鍋を掻き混ぜている。
シルヴィスを見守る兵士たちの目には、怯えが宿っている。三年前に「特別監督官」という名目で、つまりはお飾りの指揮官として帝都からこの辺境領に寄越されて来た、まだまだ子どもの皇子。
そんな少年が、この混乱のさなか残った兵士をまとめ上げて、敵対勢力との戦闘を継続していることに対する畏怖。
まあ、それもあるけれど。
「できた」
小さな指揮官様の一言に、兵士たちの恐怖は頂点に達する。
兵士たちの怯えの最大の原因。
シルヴィスの作るスープは、端的に、とても不味いのである。
「……。……。なあ、殿下」
椀に注がれた異様に綺麗な紫色をしたスープを前に、勇気ある兵士・ガブロが口を開く。
「この猛烈に食欲を失くす色、何……?」
兵士たちの総意を背負ったガブロの質問に、シルヴィスは眉をひそめ、不機嫌さの滲む声で答えた。
「昨日お前たちがスープの見た目に文句を言ったから、今日は彩に気を配った」
昨日もシルヴィスはスープを作って兵士たちに振る舞った。無傷の自分が食事を作るからお前たちは休めと言い、腕を捲くってせっせと料理を始めた皇子に、兵士たちがほっこりしたのも最初だけだった。山中で採取可能な野草や木の実、あと蛇とか知らない方がいい何かとかで作られた、シルヴィス曰く「栄養上は完璧」なスープは、栄養以外の面が全く考慮されておらず、戦闘に疲れた彼らを非常に苦しめた。スープと共に出された、味気の無い保存食を美味と感ずる程だった。
で、寛容な皇子が部下の意見(呻き)を聞き入れて見た目に配慮した結果が、この鮮やかな紫色のスープである。毒物かと思った。
シルヴィスの回答に、ああっと兵士たちが頭を抱える。
「誰だよ見た目に文句言った奴!」
「味! まずは味に気遣いを振ってもらわんと!」
「見た目とか二の次だろ! 改善してもらうべきは味だろ!」
「だって昨日のスープはドブのような色合いだったからさあ!」
ぎゃんぎゃん言い争う兵士たちに、シルヴィスは何も言わずに胡乱気な眼差しを向けた。その一瞥で、兵士たちはぴたりと大人しくなる。この小さな指揮官様は、視線一つで人を黙らせる圧をお持ちなのである。
「異議がある者は名乗り上げるといい」
「ないです殿下」
「とんでもないです殿下」
「有り難く飲ませて頂きます殿下」
「でもほぼ昨日と同じ具材なんですよね殿下」
兵士たちは泣く泣くスープに口を付け、やっぱり泣いた。安定の皇子クオリティ、引くほど不味い。けれど、平然とスープを飲んでいるシルヴィスにはもっと引いた。
昨日、平気でドブスープを飲むシルヴィスを見て、兵士たちは引く前にまず同情した。この第三皇子は、母方の問題で微妙な立場だったために、帝都では冷遇されていたという噂だ。ゆえに小さい頃から、まともなものを食べさせてもらってこなかったのではないか、と。
ところが遠回しに本人訊ねてみると、そうでもなかった。聞く限り彼はまともな食事で育っており、その味覚は正常なのである。ただ、淡々とこう言った。
「食事の意義は栄養の補給だろう。味の良し悪しなど些末な問題だ」
真顔で放たれた言葉に兵士たちは今度こそ引いた。この皇子は、物事の割り切り方が凄まじいのだ。効率のために情緒を斬り捨てられるという、ある意味で上に立つ者に相応しく、ある意味で上に立って欲しくはない、そんな苛烈な性質である。
というか、この皇子にそもそも切り捨てるだけの情緒なんてものが存在するのか、ちょっと怪しい。無理やり宛がわれたであろう、およそ十代の子供に相応しくない役職のために、ほぼ宮廷を追い出す形で国の端っこに追いやられた挙げ句、平和に過ごせたのも数年で運悪く反乱が勃発、ただいま命も危うい状況に追い込まれているという、ちょっと人生を投げたくなるような悲惨な状況だというのに、この少年は今も冷静な態度を崩さないのだから。
「なあ、殿下」
ドブスープ(改)を一気に飲んで片づけたガブロが、切株に行儀よく腰掛けてスープに口を付けているシルヴィスに話しかける。シルヴィスは視線を向けて、分かっていると言いたげに頷いた。
「おかわりなら鍋から自由に取っていいから」
「いやおかわりじゃない。これのおかわりを欲しがる勇気はない。そうじゃなくて」
ちなみにガブロはこの場の兵士たちの中で唯一、シルヴィスに敬語を使わない。『皇子さっそく迷子事件』がきっかけである。
シルヴィスはこの領地に来て早々、一人で山を散策に行って迷子になったことがある。その第一発見者がガブロだった。「預かった皇子の身を危うくした責任で首が飛ぶ」といった類の心配ではなく、単純に「子供が山で迷子」という事態にめちゃくちゃ心配を募らせたガブロは全力で山を捜索、大人しく三角座りで救助を待っていたシルヴィスを発見するや、立場も敬語も忘れて素でお説教をかました。
以来、本気でお説教をかました側とかまされた側の間に生じる友情なのか気まずさなのか何なのかは不明だが、ガブロは周囲の状況が許す限りシルヴィスに素の口調で接しており、シルヴィスの方もそれを咎めていない。
「殿下は俺たちが生き残れると思うか?」
自分たちの生死が掛かった問いに、シルヴィスは事もなげに「思う」と答えた。
「数の不利はこの状況なら致命的じゃない。反乱側についた奴らは全員第一隊だ。お前たち第二隊と違って、山中での戦闘経験も、訓練をしたことも無い。反乱を首謀したモンフォ伯の私兵も同じ。第三皇子の身柄が欲しい奴らにすれば、俺の居場所が分からない限り山を焼く手段も取れないから、のこのこ探しに来るしかない」
「まあ、そうだな。相手もまさか殿下が『反逆者』の俺たちにくっついて山に隠れるとは思わなかっただろうな……」
ちなみのその山中のあちこちに、シルヴィスは数年かけてせっせと武器や保存食などの資材を備蓄していたのだが、相手はそのことも当然知らないのだろう。ガブロたちでさえ知らなかったのだ。知っていたら保存食のラインナップを充実させていた。
「相手はこの山に慣れていない有象無象、俺たちを追って山に入ったところで遭難者と大差ない。一方お前たちはこの山をよく知っている有象無象、言ってしまえば遠足の延長だ。遭難中の有象無象と、楽しく遠足中の有象無象、どちらが有利か自明だろう」
「いや全く遠足気分じゃねえよ。そして有象無象で括るなとも言いたい。だが、まあ」
ガブロは苦笑して続けた。
「実際この戦力差で戦えてるからなあ」
スープと戦いながら話を聞いていた周りの兵士たちも、うんうんと頷いた。ここにはシルヴィスをお子様扱いする者も、名目だけの指揮官だと扱う者もいない。正直、最近まではそういう認識だったけれど、とっくにその認識は改められている。
兵士たちの士気は上々であることを確認してシルヴィスは一人頷き、立ち上る焚火の煙を見上げる。煙が上がっているのはここだけではない。方々に細工をしてきたので、あっちでもこっちでも煙が上がっている。敵勢力は分散して確認に向かうだろう。シルヴィスたちの仕事は「運よく」当たりを引いた相手を熱烈に歓待することである。
それまでは、シルヴィス曰く美味くも不味くもない、兵士たち曰く不味さの極致であるこのスープを飲んで、のんびり待とう。
この指揮官様がいる限り、負ける気はしないのだから。
「ところでな、殿下。殿下はもうちょい、万人受けする料理というものを覚えた方がいいぞ」
「なぜ?」
「料理の上手い男はモテるんだ。なあみんな」
ガブロの呼び掛けに、兵士たちはここぞとばかりに乗っかってきた。
「お料理男子はモテモテっすよ皇子!」
「エプロンの似合う男は人気があるんすよ!」
「気になるあの子の胃袋を鷲掴みっす!」
「目指す異名はエプロン皇子です!」
「栄養よりも味! 見た目よりも味!」
「ぜひ美味しさ重視の料理を極めましょう!」
場合によっては明日も皇子スープを振る舞われるかもしれないという惨憺たる未来を回避すべく、少しでも人間に優しい味に軌道修正しようと兵士たちは必死である。なんだかんだ色彩は修正してくれたので(ドブ色から鮮やかな紫色に)、味の方も聞き入れてくれる可能性は高い。
が、兵士たちの熱量と対象に、シルヴィスは腑に落ちないといった様子だった。
「料理の上手い男はもて……もてるって何?」
兵士たちはずっこけた。料理上手な男がいかにモテモテであるかを力説したというのに、まずそこから解説が必要だったらしい。
「あのな殿下。モテるというのは好かれやすい、言い寄られやすい、求愛されやすいということだ」
なお、たぶんこいつならわざわざエプロン皇子を目指さなくても黙って座っているだけでモテるだろうということは、全員が思っていても内緒である。お料理上手のエプロン皇子になってもらわなくては困るのだ。明日のスープのために。
「それに何の利点が……」
「例えば殿下に好きな女の子がいるとしよう。殿下はその子を口説き落としたいわけだ。そんなとき、殿下が美味しい料理をさらっと作っちまえば、その女の子はくらっと来る。あらやだ素敵なんてお料理上手な方なのかしらこの人のスープを毎日飲みたいわ、みたいな感じで、殿下からの求婚も二つ返事で受け入れてくれるだろう」
「食べ物で釣って結婚なんて間違っている気がする。犬猫の餌付けじゃあるまいし」
「何を言う。舌を掌握し胃袋を掴むのは陥落における正攻法だぞ」
「それに好きな女の子なんていない。いたとしても食べ物で釣ることが効果的だとは思えない」
シルヴィスは淡々と食事を再開し、ガブロや兵士たちが熱く続ける説得をさらりと聞き流す。神妙な顔をしているが、たぶん、「仕方ない。紫色が不評だったから明日は水色にでもしてやろう」くらいのことしか考えていない。
そんな第三皇子は、自分が将来、ひとりの少女を熱烈に好きになることも、彼女を林檎で釣り上げることも、美味しい食べ物でせっせと餌付けをすることも、微塵も想像していないのだった。
というわけで番外編、陛下が殿下だった頃のお話でした。
シルヴィスくんはたぶん半ズボンをお召しです。
さて、いよいよ書籍版の発売日(8/1)が来週に迫ってきました!
活動報告(2024/7/25)にて、カバーイラストやら特典情報やらを載せています。
瓜うりた先生の描くウルトラ美麗な表紙を……ぜひご覧くださいませ……!
発売日にも番外編を投稿しますので、お楽しみに!
また、本日は新作の短編も投稿しました。
「鍵を落として魔王城に入れない魔王VSピッキングを申し出る勇者」です。
激闘を予感させる熱いタイトルに反し、勇者の少女&ぼっちの魔王による平和なお話でございます。
こちらを読んだり、イマジナリーニャと一緒にエアポメコ3号を撫でたりして、来週をお待ちいただけましたら幸いです。




